051 黄金都市の影 ⑥
「ぐ……、うう……! 止まれ……ってんだよ、このポンコツが……っ!」
男は悪態を吐き散らしながら、脂汗の滲む手で握りしめた操縦桿へ、文字通り限界まで肉体の力を込めた。
極限まで食いしばった奥歯の軋みと、眉間にこれでもかと深く刻まれた険しい皺が、彼が今どれほどの死線を潜っているかという苦労を如実に物語っていた。
両腕の筋肉が引き千切れんばかりの極度の疲労悲鳴を上げ始めたその時、まるで巨大な津波が一気に押し寄せてきたかのような凄まじい大振動が機体を揺るがす。それを最後に、男の乗っていた頑強な鋼鉄の物体は、ようやくその荒ぶる駆動を止め、周囲に静寂が戻った。
「ふうーっ……! こいつはまた、とんでもねえじゃじゃ馬っぷりだ。お世辞にも現場で実用に耐えうる代物には、程遠いですぜ……」
荒涼たる大地へと這い出るように降り立った男は、今しがたまで自らが乗り込んでいた無骨な兵器を仰ぎ見ながら、やれやれと首を振った。
不気味な暗闇の中にぽつんと佇むその金属の巨体は、さながら牙を剥く黒い野獣のようであった。先ほどの無理な操縦で各部に過剰な負荷が掛かったのか、機体の装甲の隙間や排気口からは、シュウシュウと白く不穏な煙が激しく噴き上がっている。
男が「どこぞの回路がイカれちまったんじゃねえだろうな」と案じて恐る恐る装甲に触れると、「あっちっちぃ!」と予期せぬ高温に思わず情けない声を上げて手を引き、火傷を免れた手をブンブンと激しく振って冷ましていた。
『ヴァルター、平気? 怪我はなかったかしら』
「へへ、なんのこれしき、これくらい掠り傷にもなりやせんぜ、皇女様」
不意に、沈黙していた機体の操縦席から、くぐもった、しかし芯のある澄んだ声が響き、ヴァルターと呼ばれた男はすぐに居住まいを正して応じた。
操縦席で明滅する光から聞こえてくるその声は、まだ十代後半とおぼしき若い女性のものであったが、その奥には一国の命運を背負う者にふさわしい、凛とした空気が確かに纏われていた。
『……技師達の話では、十分に安定して駆動するはずだと聞いていたのだけれど』
「んーー……、まぁ、確かに動きはしますがね。ただ『動くだけマシ』ってレベルの代物ですぜ。かつて我が国が誇った、あの偉大な『第一世代の魔道兵器』の足元には、現状じゃ逆立ちしたって遠く及びやせんね」
『……そう、ね』
ヴァルターは未だ熱を帯びている機体に触れて再び火傷をしないよう、慎重な手つきで操縦席へと腰掛け直すと、中央に厳かに鎮座する魔石に向かって語りかけた。通信の向こう側で、皇女の声が少しだけ落胆に沈んだのが分かったからだ。
「まあ、自分も二十年前に現役でブイブイ言わせてた本物の魔道兵器がどんなものだったかは、当時はまだガキだったので直接にゃ知りませんがね。……例の変災の後に突然、動かすことも作る事もできなくなっちまった代わりに、残された技術だけでゼロから作り始めたこの『第二世代』が、ここまで五体満足に動けば、それだけで十分に大したもんですぜ」
ヴァルターは、皇女の沈んだ声を気にして、慌ててこれ見よがしに取り繕うように調子の良い言葉を続けた。
そんな彼のあからさまな気遣いと慌てぶりがおかしかったのだろう。遥か遠方の地、堅牢な城の奥にいるはずの皇女は、フッと小さく、鈴を転がすように笑った。
その清らかな声を聞き、ヴァルターもまた、張り詰めていた安堵の表情と共に大きく息をつく。
『……そうね。失われた技術の再現も、新たな実践も、失敗の積み重ねが基本ですものね。これがいつか安定して動くようになってくれれば、過酷な採掘作業や、皆の明日の生活を大いに助けてくれるはずなんだから』
「ええ、全くです。……にしても、今の我が国の技術じゃ、小型の魔道具くらいしか新造できませんからねえ。なんだか、文明が後退しちまったみたいで、いまいち締まらねえですよ」
ヴァルターはそう冗談めかして言ってから、つい口が滑って余計な事に触れてしまった事に気付き、しまった…と思い、大慌てで首をすくめ、
「あ、いや。今のは言葉のあやでさぁ。失礼しました……」
とバツが悪そうに魔石に向かって弁明する。調子に乗るとすぐに口が滑るのは、彼の昔からの直らない悪癖だった。
皇女は、通信越しにも手に取るように伝わってくるヴァルターの狼狽ぶりが可笑しいのか、再びクスリと小さく笑い声を漏らした。
『……本当に、貴方一人で大丈夫なの?』
「ええ、そいつはご心配なく。潜入ってのは、数が少なければ少ないほど足がつきにくくていい。仮にどこぞの誰かに捕まるなんて大失態をやらかしたとしても、皇女殿下の名や、任務に関わる事は爪の先ほども絶対に漏らしたりしませんぜ」
『……無事に帰ってこなきゃだめよ、ヴァルター。今回の件は、私のただの、悪い気のせいかもしれないのだから』
「分かってますよ。そこらのトカゲ野郎に遅れをとるタマじゃありません。帰りがけには、連合国の首都名物の美味いお土産の一つでも買って帰りましょう」
ヴァルターはそう請け合いながら、今度こそ魔道兵器の座席を降りた。
皇女とこうして軽口を叩き合って会話している間に、大陸中央部の冷ややかな夜風が荒々しい鋼鉄の機体を程よく冷ましてくれたのか、触れるだけで皮膚が焼けるようだったあの凄まじい熱は、いつの間にか消え去っていた。
「そんじゃ、当初の手筈どおりに」
『ええ。貴方がそこへ乗り捨てた魔道兵器は、すぐに別の回収班が極秘に引き上げに向かうわ』
「へい。その回収に来る手合いに、くれぐれも『あまり速度を上げ過ぎるな』って伝えといてください。時速を一定以上に上げると、どうもどこかの魔力回路がおかしくなるのか、操縦桿の制御が全くきかなくなっちまう」
『分かったわ。……道中、どうか気を付けて、ヴァルター』
主従の会話が完全に終わると、それまで中央で淡い光を放っていた魔石は、ふっとその輝きを完全に失い、ただの灰色の石同然の姿へと戻った。
「よし……と。予定通り、あのケチな商人ども、馬をここに届けさせてやがるな」
ヴァルターが周囲の崩壊した建物の物陰を鋭い目で見やると、そこにひっそりと佇む一頭の旅馬の姿を見つけた。彼は足音を殺して近づくと、夜闇の異形に怯えさせないよう、鼻面を優しく撫でて丁重になだめる。その背にはすでに頑丈な鞍が据え付けられており、いつでも駆け出せる完璧な状態だった。
「流石は、金さえ積めばどんな怪しげな非公式の依頼も平然とこなして見せる、強欲な連合国の商人だ。……まぁ、自分から見れば、ちょいと不用心で金偏重が過ぎる気もしますがね。なんにせよ、首都の近くに指定しとけば、後で勝手に馬の回収まで裏で処理してくれるってんだから、楽な世の中だ」
慣れた動作で馬の背に跨り、手綱を握ってその感触を確かめながら、ヴァルターは誰に言うでもなく独り言を漏らす。
軽く腹を蹴って合図を送り、少しずつ歩き出した馬の足を一瞬だけ止め、ヴァルターはふと、自らの背後に聳え立つ巨大な建物の残骸を、冷ややかな目で見上げた。
月明かりさえ届かぬ深い暗闇の中、天へ向けて呪いの指のように聳え立つその凄惨な残骸からは、今なお、かつて死んでいった者たちの絶えず重苦しい怨嗟の声が、夜空へと静かに放たれているかのようだった。
「……二十年前の大戦の中心地。かつての大陸の平和の象徴だった、あの大聖堂の亡骸ですか。……ヘッ、相変わらず、あまりぞっとしねえ景色っすね、これは」
ヴァルターは小さく頭を振り、胸に湧き上がった嫌な不吉の気分を振り払うように、馬の腹を強く蹴って鋭い合図を送った。
馬は夜の荒野を力強く蹴り、そのまま闇の大地を疾駆し始める。
先ほどまで握っていたあの冷たい魔道兵器の操縦桿と、今握っているこの生き物の手綱では、こうも感触が違うものかと思いながら、彼は久しぶりの慣れぬ乗馬の振動に身体を揺らし、夜風を切って進んでいく。
「まぁ、皇女殿下の胸騒ぎと懸念が、ただの可愛い気のせいだったなら、それはそれで、俺ァこのまま連合国の首都で旅行と酒をのんびり楽しませてもらいやすからね。……最悪、ただのいい休暇になってくれたら御の字だ」
ヴァルターは口角を上げ、その精悍な顔に不敵な笑みを浮かべると、闇の中で誰に言うでもなくそう言葉を漏らし――そのまま、眠らぬ巨大な首都アル・ハミドへ向けて、暗闇の地平線の彼方へと弾かれるように消えていった。
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「ロレンツォ様、少々よろしいでしょうか?」
「なんじゃ、申してみよ」
夜の首都にひっそりと佇む盟主の館。その最高格式を誇る私室の重厚な扉を静かに開き、入り口で連合国の現盟主ロレンツォへと、一人の忠実な部下が声をかけた。
ロレンツォは室内の奥で部下に背を向けたまま、机の上で何か細々とした作業をしながら、酷く気怠そうな声を絞り出すようにして答えた。
「先程、首都の南門の付近におきまして、小規模な爆発があったとの報告が入りました。幸い、規模は大きなものではございません。おそらく、夜間に入市しようとした商隊の積荷か何かが、何らかの手違いで引火したものと思われます」
「フン……。こんな深い夜更けに街へ滑り込んでくる奴など、どうせろくなもんじゃないわ。放っておけ」
部下は、大きな背もたれの椅子に座ったまま、頑なに背を向け続けているロレンツォに対し、微かな違和感を覚えながらも実務の報告を続ける。
入り口の暗がりからでは、主君であるロレンツォが今、机の上で一体何をしているのか、その手元を窺い知ることはどうしても出来ない。ただ、部屋の奥にある巨大なガラス張りの窓からは、眠らぬ街の五色のきらめきが残酷なほどに差し込んでおり、それが椅子に座る彼の老いた輪郭を、不気味な逆光となって浮かび上がらせていた。
「ですが、事故の衝撃により、現場の周囲の石畳が少々、地面ごと派手に崩落するなどの被害が出ております。早急な対応が必要かと」
部下は、胃を鋭く掴まれるような緊張感を保ったまま、言葉を慎重に紡ぐ。
いつからだろうか、こうしてロレンツォと一対一で会話する時には、昔にはなかった、肌を刺すような何とも言えぬ重苦しい緊張感が漂うようになっていた。
「……そうじゃの。ならば、南街区の水路の修繕に充てていた今期の予算を、すべてそっちの修復へ回せ。水路の泥上げはもうほぼ完了しておる、問題ない。あとは景観を整えるだけの一端の話じゃ。それよりも、南門からの人の往来が一時たりとて滞る事態だけは、防がねばならん。人の流れ、金の流れ……それこそが、このアル・ハミドという街の、ひいては連合国の血脈そのものじゃからな」
「は、はい! 畏まりました、すぐに手配いたします!」
部下は安堵の息を漏らすと、弾かれたように頭を下げ、静かに扉を閉めて部屋を後にした。
(やはり……一瞬の隙もない冷徹な政治判断と、この巨大な首都を治めるための確固たる理念は、あの若き日から何一つ変わらない偉大なお方だ)
廊下を進みながら、部下は深く胸の内を震わせた。ただ、ここ数年のロレンツォが、まるで強固な殻に閉じこもるかのように、妙に人を寄せ付けない、冷ややかな雰囲気を漂わせ始めていることだけが、どうしても気がかりではあったのだが……。
(それもきっと、この乱世の世、お疲れが極限まで溜まっているのだろうな……)
部下はそう、自らを納得させるように思った。
利権が渦巻くこの巨大な連合を、たった一人で長年にわたり治め続けていては、気が休まる時など、それこそ一時たりともありはしないのだ。
(今度、どこぞの領主から届いた極上の滋養強壮の差し入れでも、そっとお部屋へ持参してみてはどうだろうか……)
部下はそんな主への純粋な忠義を胸に思い浮かべながら、長く心から慕っている主の元を、足早に離れていったのであった。
「……もう少し、……あともう少しじゃ」
部下が去り、再び静寂の戻った広い部屋に一人残されたロレンツォは、その濁った瞳の奥に昏く歪んだ光を宿しながら、掠れた声でぽつりと独り言を漏らした。
先ほど、入ってきた部下と言葉を交わしていた短い時間。ロレンツォの脳裏には、確かに「昔の自分の感覚」が奇跡のように鮮明に蘇っていた。在りし日の、誰よりも精力的に、言葉の刃を振るってこの美しい街を、そして広大な連合国を率いていた、あの誇り高き自分自身の姿を。
しかし――部下の足音が完全に廊下の彼方へ消え去った途端、ロレンツォの思考は、まるで冷たい靄が頭の中に立ち込めたかのように、再びぼんやりと濁っていった。彼は、自分が先ほどまで密かに没頭していた、机の上の作業へと、操られる人形のように再び視線を落とす。
「待っておれ……。必ず、今度こそワシが、お前を助けてやろう……」
もはや誰に言うでもなく、空虚な空間へ向けてブツブツと狂おしい言葉を零しながら、ロレンツォは傍らに置かれていた、鈍く光る銀のナイフをおもむろに手に取った。そして、自らの左手の平を、躊躇いなく薄く、一文字に切り裂く。
やがて、傷口から赤き鮮血が滲み出てくるのを恍惚と眺めると、彼はその手を机の上へと静かにかざし、血の雫をぽたぽたと落とした。
ロレンツォの鮮血が静かに落ちた先には、羊皮紙の上に禍々しい漆黒の魔力で描かれた、見たこともない複雑な魔法陣があり、その中心には、まるで生き物のように澱む、不気味な漆黒の液体が湛えられていた。
盟主の血が水面に落ちると、その漆黒の液体は、まるで好物を貪り飲み込むかのように、ジュブジュブと音を立てて激しく蠢き、やがて満足したように再び静かになった。
よく見れば、魔法陣のちょうど中央、血を吸い上げた液体の底には、まるで、心臓のような脈動を秘めた「赤黒い石」が、少しずつ形を成して出来上がりつつあるのだった。
「……随分と、お上手になられましたね。ロレンツォ殿」
気が付けば、部屋の隅の濃い闇の中から、音もなくロレンツォの背後へと、滑るように忍び寄る不穏な影があった。
影は、まるで親しい友人のようにロレンツォの肩へと寄り添うように語り掛け、彼がその身を削って作り出さんとしている禁忌の代物に、心底満足そうな様子をみせる。
「これほどの密度があれば、きっと、貴方の心の底から愛するものもお喜びになるでしょう」
「そうじゃ、そうじゃ……。あやつは、きっと喜んでくれるはずじゃ……」
「ええ。ですが、このアル・ハミドに集まる他の愚かな諸侯たちに見つかっては、どのような無粋な邪魔が入るか分かりません。どうか、これからはさらに細心の注意を払い、進めるのです」
「分かっておる、分かっておるわ……。この国の人間など、誰も彼も、己の利権にしか目のない俗物ばかり……信に足るものなど、一人もおらん……」
ロレンツォは背後の影に同意しながら、まるで宝物を見つけた子供のように無邪気で、しかし酷く歪んだ笑みをその顔に浮かべ、自らが作り出そうとしている結晶を、ただうっとりと眺め続けた。
自分は膨大な時間をかけ、ようやくここまで辿り着いたのだ。あと少し、あともう少しで、あの子を心から喜ばせることが出来る――と、彼は狂おしいほどに思うのだった。
しかしロレンツォは、一瞬だけ手の動きを止め、我に返ったように思考の淵で立ち止まる。
自分がこれほどまでに命を削り、全てを投げ打ってまで喜ばせたい、救いたいと願っている「あの子」とは……一体、誰の、何のことだったろうか。
その最愛であるはずの記憶の糸を辿ろうとすれば、たちまち脳裏には深い霧がかかったようになり、名前すら、その顔すら、思い出すことに酷く苦労してしまうのだ。
あともう少しで、何か決定的な真実が思い出せそうな気がした、その瞬間。
――ゴーン、ゴーン、と。
静まり返った首都の真夜中を告げる、重厚な時計の鐘の音が室内に鳴り響き、ロレンツォの微かな思考の糸は、無残にもぷつりと断ち切られてしまった。
「……まあ、よいわ……」
と、思い出すのを諦めたように、彼は消え入るような声でひとり言葉を漏らしながら、再び機械的に、血を滴らせる作業へと没頭していく。
理由など、どうでもよい。過程がどうあれ、結果さえ出せばそれで良いのだ。理由など、いつだって最後にもたらされる最高の結果の後から、勝手についてくるものなのだから――。
ロレンツォは、まるで自らに言い聞かせるようにして、狂気と陰謀の満ちた暗い部屋の中、音もなく、静かに時間を刻んでいくのだった。




