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果てしなき旅路の果てに  作者: 左岸
第一章 貿易連合国編
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046 黄金都市の影 ①

 青々と波打っていた大地の緑が、歩を進めるごとに生気を失い、微気候の境界を越えたことを告げていた。

 行く手に広がるのは、陽炎に揺らめく昏い砂の海――。砂漠の凶暴な顎が、じわじわと大地を侵食していくかのような荒涼たる風景の向こうに、求め続けた貿易連合国の首都、アル・ハミドがその巨大な影を現しつつあった。

 はるか彼方に細くきらめく紺青の海原を見やれば、巨都市の港へと寄港するであろう船が、一隻、また一隻と、陽光の中に白い翼を明滅させている。


「ここが連合国の首都なんですね。周りは高い壁に囲まれているようですが」


 好奇心を胸に膨らませて声を漏らしたのは、法術師の青年アルスだった。その涼やかな双眸には、未知の異郷に対する無垢な光が宿っている。


「外敵から守る為と、風が強いからな、そういったものから守る目的もあるんだろう」


 長く過酷な傭兵生活を潜り抜けてきたガウルが、その頑健な体躯にまとった旅の埃を風に払わせながら、落ち着いた声で答える。


「ここからでもこんなデカくみえるのかよ、とんでもねえな」


 ジグは、少々呆れたような様子でその威容を眺めていた。幾万もの人間が所狭しとひしめき合って暮らす巨大な都市は、自由を愛する流浪の魔術師である彼にとっては、それだけで息が詰まりそうな思いを抱かせるものだった。


「けれど不思議ですね、この辺りは人々が住むには適していないように思えるのですが」


 アルスはしなやかな膝を折り、足元の乾いた砂をひと掬い、掌に載せた。

 指の隙間から、さらさらと音もなく零れ落ちてゆく微細な砂粒からは、大自然の恩寵たる「エーテル」の恵みが殆ど感じられない。これでは作物を育てる事も難しいだろう。吹き抜ける熱風すらもが、青年の肌を酷く乾かせているように感じられる。


「大陸南部は元々様々な奴らが好き勝手に街を作っていた所だという話だからな……。統一して象徴になる首都を作る頃には、こうした荒れた土地しか残っていなかったんだろう」


 重厚な腕を組み、陽炎の彼方に聳える巨城を見つめながら、ガウルが歴史の重みを滲ませて言った。


「こんなとこに作ってここまでデカくなるなら大したもんだよな」

「ええ、本当にすごいことだと思います」


 ジグとアルスの二人は、遠くに見える首都の姿を見ながら、それぞれの感慨を胸に感嘆したような声を漏らす。


(仮に腐敗が蔓延っていようと、繁栄を求め勝手に成長する様は、さながら生き物のようだがな……)


 ガウルは陽炎にゆらめく首都を珍しそうに眺めながら歩く二人の邪魔をしないよう、一人胸の内で思う。彼の故郷である神聖王国とて、抱えている事情は同じなのだ。人が集まる程に、個人の意思では制御できぬものへと組織が変貌していくのは、世の常であった。


 不毛の荒野をなおも進むうち、不意に、奇跡のように瑞々しい緑の大地が、ぽつり、ぽつりと地表を飾り始めた。

 やがて三人の足は、清冽な湖――大自然がもたらしたオアシスを抱く、一つの集落とでも言うべき村へと辿り着く。

 水際では、長い旅路に疲れ果てた商隊のラクダや、傭兵たちの愛馬が、競い合うように首を伸ばして喉を潤していた。首都へ向かうもの、あるいは首都を発った者達が小休止の場として、ここは親しまれている様子だった。おそらくはこの水場で宿の商売を最初に始めた人がいて、それが少しずつ大きくなっていったのだろう。


「おや」


 微かな違和感を捉え、アルスが声を漏らし、村のある一角を見やった。

 人だかりが出来ているそこは、何か物々しい、冷たく凍りついた雰囲気に包まれていた。


「露店の類ではなさそうだが」


 アルスの様子に気付いたガウルが、顎に手をやりながら言う。

 ジグも言葉こそ発しないものの、何事かと興味深そうにその人だかりへ視線を投げかけていた。


「何かあったのですか?」


 三人が群衆の方へ歩んでいき、近くにいた人物へとアルスが穏やかに声をかける。声をかけられた男は、衣服の擦り切れた流れの商人か何かなのだろう、少し声を潜めて答えた。


「人死にだよ。何でも今日の朝、ここを発とうとしていた商人が倒れている人を見かけたのがきっかけらしい。しかも二人だ」

「人が、お亡くなりに……」


 痛ましそうに呟きながら、アルスは人だかりの奥の方を見やった。

 地面に横たえられた遺体は、見かねた誰かがかけてやったらしい大きな布が全身にかけられ、その無残な全貌は隠されていた。


「おっと、兄さん。あまり見ない方がいいぜ。なんせ綺麗な死に方をしてないもんでな。精神によろしくない」

「では、殺しか?」


 ガウルが剣呑に眉を顰め、怪訝な低い声で問う。野次馬の男は、関わり合いになるのを恐れるように肩をすくめて答えた。


「さあてね……。正直、アル・ハミドはデカい街だ。後ろ暗い部分も沢山あるんでな。そういうとこに足を突っ込んじまった奴らの末路か……。何とも言えねえな」


 男はそれだけ吐き捨てると、あまり深入りはしたくないといった様子で、そそくさとその場を去っていった。


「……あ、おーい!そこの緑のエルフかオークの兄ちゃん!あまり見て気分のいいもんじゃねえぞ!」


 突如、群衆の最前線から、野次馬たちの非難を帯びた叫び声が上がった。

 ガウルとアルスがハッとして視線をやれば、いつの間にか人混みをすり抜けたジグが、遺体のすぐ傍まで行き、しゃがみ込んでかぶせられた布をめくって中を覗いていたのだった。

 久しぶりに自身をオークと間違えられた事で、彼の長く尖った耳は苛立たしげにピクリと反応するのだが、ここ最近の奇妙な旅路を経て彼も少し丸くなったのか、あえて言い返しはしなかった。


「ジグ、何か気になるのか?」

「んー……、血を全部抜き取られてるな」

「血を?」


 ガウルは言いながらジグの隣にしゃがみ、中を覗いて顔を顰める。長く傭兵をやっているとはいえ、あまり良い死に方をしていない者を見るのは、やはり気分の良いものではない。


「ふむ……。こいつは、中々だな……」

「おかわいそうに……」


 気付けばアルスもガウルの隣にしゃがみ込み、その澄んだ双眸で中の遺体を覗いていた。


「あ、おい。アルは見ねえほうがいいだろって」


 言いながらジグは慌てて布を戻し、少年の清らかな精神を保護するようにアルスをこの場から離そうとする。ガウルもまったく同じように思ったようで、大きな手のひらでアルスの肩に手をかけ、後ろへと促していた。


「平気ですよ。山にいた頃には、事故や争いで亡くなっていった動物達を弔った事がありますから」


 心配する二人の戦士に微笑みながら言うと、アルスは衣服の汚れを気にすることもなくそっと手を合わせ、目を閉じて静かに祈りをささげた。

 オアシスの熱風が、祈りを捧げる青年の美しい横顔を、優しく撫でてゆく。

 ジグとガウルは互いに少し目を丸くして視線を交わすと、やっぱり中々根性がある奴だよな……と、言葉を用いずに、視線だけで会話を交わすのだった。


 ----------


「もし、そこの人」


 三人の背後から、熱砂の風を割って、凛とした女の声がかけられた。

 振り返れば、周囲の薄汚れた野次馬たちとは明らかに一線を画す、幾分か身なりのしっかりした妙齢の女性が佇んでいる。その理知的な佇まいと落ち着いた身のこなしは、このオアシスの村を取り仕切る立場の者であることを無言のうちに語っていた。


「自分達に、何か?」


 ガウルは生来の折り目正しさを崩さず、同時に、余所者でありながら村の厄介事に不用意に深入りしてしまったことを、少しばかり詫びるような低い声色で応じた。女性は、ガウルの巨躯に怯むこともなく、その視線をまっすぐにアルスへと向ける。


「そちらの方は、法術師の方ですか?」

「はい、一応……。まだまだ勉強中の身ですが」


 突然の問いに、アルスは少し気後れしながらも、正直に首を縦に振った。


「ああ、よかった……。私はこの村をまとめている者です。どなたか、この方達へと鎮魂の祈りをささげて頂けないかと、先程から神職の人間を探していたのです」


 村長であるという女は、張り詰めていた糸が切れたかのように、深く安堵の息を漏らした。

 変わり果てた二人の亡骸が見つかってからというもの、この酷暑の中でずっと、死者を弔うことのできる人間を必死に捜し回っていたのだろう。そのなだらかな額や目元には、隠しきれない疲労の影が色濃く滲んでいる。


「私が、ですか……?」


 アルスは戸惑うように、己の白い掌を見つめた。


「ええ……。このまま神の祈りも捧げられぬまま不毛の砂に埋葬されるのも、何だか不憫で。たとえ、もしこの方達が生前はろくでもない悪人であったとしても、ね」

「しかし……。私は正式な神官様ではありませんので、教会が定める正しい手順などは存じ上げませんし……」

「構いません。日々、傷ついた人々を癒しておられる法術師の祈りなら……慈悲深きその御手によるものなら、この方達も、せめて安らかに冥府へと眠れるでしょう」


 アルスは村長の懇願を受け止めながらも、なお深く迷っていた。聖職の位を持たぬ、山を降りたばかりの自分が、他者の尊き死を迎えた魂に対して、独善的な鎮魂の祈りを捧げて良いものだろうかと。

 懊悩する青年の不器用な横顔を、ジグはその切れ長の双眸でじっと見つめていたが、やがて悪戯っぽく口角を上げると、尖った肘で軽くアルスの脇腹をつついた。


「やってやってもいいんじゃねえか?」


 吐き出されたぶっきらぼうな、けれど確かな温かみを持つ言葉。

 ジグの妖しくきらめく赤い瞳を見つめていると、いつも不思議と、萎縮しそうな己の心の奥底から、暗闇の一歩を踏み出すための勇気が静かに沸き上がってくるのは何故だろうかと、アルスは彼を見つめながら思っていた。


「そうですね……、私でよければ」


 アルスは迷いを振り払い、村長の女へとまっすぐに向き直って答えた。

 村長は深く一礼して感謝の言葉を述べると、「せめてこの周りだけでも清めて送り出してやりましょう」と言い、すぐさま弔いの準備に取り掛かった。


「けれど、死者への祈りですか……。どのような祈りを捧げれば、彼らが迷わず安らかに眠れるでしょうか」


 準備が進む中、アルスは体の前で静かに手を組み、記憶の底にある法術の知識を必死に手繰り寄せようとしていた。


「お前の好きなようにやるといい。俺達傭兵は、亡くなった奴の愛用していた剣を地に突き立てて、ただ黙祷していたな。弔い方なんてものは、国や人それぞれだ」

「俺のとこじゃ、魔術で灰になるまで燃やしていたな。不浄を遺さず、大自然の巡りへと還れますようにとかって意味を込めてな」


 青年の純粋な悩みに答えるかのように、ガウルとジグが、それぞれの生きてきた過去の経験を静かに口にする。

 二人の語る死生観は、北の霊峰という狭い世界しか知らなかったアルスにとっては、どれも初めて耳にする厳かなものであり、新鮮に胸に響いた。


「法術師様、どうぞこちらへ」


 やがて村長に呼ばれ、アルスが静かに歩み寄る。

 そこには、簡素ながらも死者を現世から解き放つために、清められた水が撒かれ、不毛の砂の上にはささやかではあるが、どこか健気な野の花の束が添えられていた。

 名も分からぬ二人の亡骸には、未だ砂埃に汚れた布が被せられたままであったが、うらぶれた旅路の果てに死者を送り出す場所としては、十分に申し分のない厳かさが整えられていた。


 アルスは遺体の前までゆっくりと進み出ると、衣装の裾を払って跪き、静かに両の目を閉じ、胸の前で手を合わせた。

 かつて孤独な霊峰で、理不尽な死を迎えた動物たちを送り出す時、彼はいつも、こうして己の心を研ぎ澄ませてきたのだ。

 青年の唇から、言葉にならない、しかし自然のエーテルを微かに震わせる至純の祈りの旋律が零れ落ちる。アルスは哀れな死者たちのために、遮断された闇の世界の向こう側へと、心の中で静かに、そして優しく語り掛け始めたのだった――。



(……ノエマ、女神ノエマ。聞こえますか?どうかこの哀れな者達に、汚れなき安らかな眠りをお与えください。彼等が現世においていかなる者であったとしても、死の先にある絶対の安息は、いつか次の生命として昏い土底から生まれ落ちる時の、確かな礎となるでしょう……)


 アルスは閉ざした胸の内で、かつて遥かなる北の霊峰で共に時を過ごした、美しき女神の名をそっと呼んだ。

 かつて世界を創りし神々が、その肉体を大自然の万物へと姿を変えて融けていったのならば。今もこの渇いた大地を流れる、目に見えぬエーテルの清冽な脈動の中に、女神の優しい息吹は確かに存在しているのだと、青年は強く信じていた。


「これ……エーテル、なのか?」


 不意に、ジグがどこか張り詰めた声を漏らし、周囲の空間を見回した。

 死者への至純の祈りを捧げるアルスの身体を中心にして、いつしか渇いた砂の底から、淡く妖艶な赤き燐光が一つ、また一つと生まれ出ていた。それはまるで、闇夜に迷い込んだ無数の蛍の灯火のように、熱砂の乱気流をやわらかに舞い踊り、集落の一角を瞬く間に幻想的な神秘の帳で包み込んでゆく。


 ジグも、ガウルも、そして事の顛末を固唾を呑んで見守っていた村長や周囲の野次馬たちも、そのあまりに美しく、神聖な光景にただ言葉を失って見入っていた。やがて、その奇跡の光に魂を洗われるように、一人、また一人と、アルスに続くように自然と手を合わせ、目を閉じて、現世を旅立つ見知らぬ二人の魂のために、静かに祈りを捧げ始めたのだった。


「これは……。貴女なのですか? ノエマ……」


 重ねていた密やかな瞼を少しずつ開いたアルスは、己の周囲を愛おしげに揺らめくエーテルの赤き燐光に、少し驚いたように、歓喜の混じる声を漏らした。

 精霊の微かな姿を見ることはできても、魔術の素養たるエーテルの形そのものを正確に捉える才には恵まれていなかった彼にとって。この光景は、ジグのような魔術師がそれこそ天変地異のような大魔術でも発動しない限り、見る事の叶わぬはずの、大自然が起こした奇跡そのものであった。


「ありがとうございます、ノエマ。どうか、彼らの行く手を優しく導いてください」


 アルスは、愛おしげに己の頬をかすめていった燐光の一つにそっと触れた。それは、長らく離れ離れになっていた最愛の家族と再会したかのように親しげな手つきだった。青年が指先からその光をそっと天空へと放つと、赤き燐光たちは互いに睦み合うように周囲を静かに舞いながら、やがて遙かなる空の彼方、星の海へと溶けるように消え去っていった。

 さながら、呪縛を解かれた魂が天へと昇りゆくかのような、息を呑むほどに荘厳な幕切れだった。人々はただ、その光の軌跡を、声を失って見守るほかなかった。


「……よかったんじゃないか?」


 光の余韻の中で静かに佇むアルスの隣へと、ジグがそっと足音を忍ばせて歩み寄り、声をかけた。

 深く被ったフードの奥から覗く、法術師の整った美しい横顔は、今なお空の彼方へと消え去ったエーテルの残光を、名残惜しそうに追っているかのようであった。


「上手く、できたでしょうか……?」


「問題ない。むしろ、名もなき無縁の旅人への手向けとしては、充分すぎるくらいに贅沢なものだったぞ」


 未だ夢見心地のまま空を見上げていたアルスに、後ろから遅れて歩み寄ってきたガウルが、その大きな手を青年の肩に置きながら、包容力のある声で語りかけた。

 我に返った周囲の人々も、それぞれに今目の当たりにした奇跡の光景について、興奮と畏怖を交えながら囁き合い、中には「良いものを見せてもらった」と満足げに涙を拭う者の姿もあった。集まっていた野次馬たちは、やがて一人、二人とその場を離れ、余韻を引きずりながらも、次第にそれぞれの世俗の生活へと戻っていく。


「ありがとうございました……。本当に、これ以上ないほどに、良い送り出しだったと思います」


 喧騒が去り、周囲が落ち着きを取り戻し始めた頃、村長である妙齢の女が、深い感謝の意を伝えるためにアルスのもとへと歩み寄ってきた。想定を遥かに超える、神聖な奇跡を伴う祈りを捧げてもらえたことで、彼女の胸のうちは深い感嘆と至高の満足感で満たされていることが、その穏やかな表情からもはっきりと見て取ることができた。


「いえ……。私はただ、私なりに出来る限りのことをしたまでですから」

「それでも、本当に素晴らしいものでしたわ。貴方には、あるいは……聖都の神官様になられるような、天性の才がおありなのかもしれませんね」

「私が、神官様に……ですか?」


 思いもよらない賛辞を投げかけられ、アルスは綺麗な眉を八の字に曲げて困惑したように戸惑った。

 そんな青年の純朴な様子を見やりながら、ジグは「まあ、似合ってそうではあるな」と、口角を上げながら小声で茶化すように言い、その隣でガウルもまた「違いない」と深く同意して、二人の年の離れた戦士たちは、互いに目配せをして穏やかに笑い合うのだった。


 エーテルの燐光が美しく舞い上がったあとの渇いた大地を、柔らかな風が優しく吹き抜けてゆく。

 大地は、魂の旅立ったあとの虚ろな亡骸をそっと包み込み、大いなる大自然の循環へと受け入れるように、ただそこに、いつもと変わらぬ雄大で慈悲深い姿で存在していた。その静謐な調和の情景は、さながらこの世界を形作る、伝説の三大神がひとつの場所に邂逅し、奇跡の抱擁を交わしたかのようでもあった。

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