045 我ら洞窟探検隊! (後編)
洞窟の深淵の奥は、進むにつれて、しだいに厳かな静けさを纏ってきているかのようであった。
どこか遥かな高みから穿たれて落ちる水滴の音さえもが、この地下世界においては、何事かの意味ありげな余韻を響かせている。
アルスのあたたかな手に引かれ、暗黒の産道をしばらく歩いていると、段々と視界の端々に仄青い光が戻ってくるのを、三人は同時に感じ取った。
どうやら、侵入者を拒む魔術の闇を完全に抜けたらしく、周囲には薄闇に染まる峻烈な洞窟の全貌が再び現れた。「抜けたようですね」とアルスが囁くように言いながら、その指先から光球をそっと放つ。冷え切った空間がやわらかに照らし出されていった。
「なんつーか、一寸先も見えない状態で歩くのは、予想以上に神経が擦り切れて疲れたぜ……」
特有の疲労感を滲ませながらジグが低く言い、衣服の汚れを払いつつ辺りを見回すと、そこには自然が気の遠くなるような長い時間をかけて作り上げたであろう、神聖な光景が広がっていた。周囲の切り立った岩肌は光球に照らされ、それ自体がほのかに命を持つかのように自鳴の光を放っている。
「すごいな……。この景色は」
ガウルは思わず息を呑み、感嘆の言葉を漏らしていた。
長く血生臭い傭兵生活に身を置き、世界の荒涼たる地ばかりを歩んできた彼であっても、この自然の祭壇とも言うべき場所の神聖さには、深く胸を打つものがあった。同時に、どこか己のような粗野な戦士にはおよそ似つかわしくない、清廉すぎる不可侵の領域であるようにも思われ、居心地の悪さにも似た微かな怯えを感じるのも事実であったが。
「あ、ここにも……」
アルスが清らかな声を響かせながら、洞窟内の一角、平らな岩床の上に落ちていた一枚の紙片をそっと拾い上げた。
この神聖さを孕んだ静謐な空間においては、青年の澄んだ声音は、まるで教会の鐘のようによく響いた。
「さっきの手記の主は、ここまで辿り着いていたのか……。どれ、今度は何が書いてあるか拝んでやろうぜ」
ジグが先程と同様にアルスの指先から紙片を受け取ると、探るような興味深げな視線で、そこに遺された墨跡を読み上げ始めた。
先程の記述はただの愚痴に終わる期待外れな内容であったが、この場所の只者ではない雰囲気を思えば、今度こそ大いなる遺物への期待ができるのではないか――ジグはまたしても、浅ましく緩みそうになる己の口元を必死にこらえるのだった。
『――洞窟の奥深くまで辿り着いてみれば、これは中々、馬鹿に出来ぬ荘厳な光景ではないか。あの連合国の卑しい連中が住まう、金の亡者どもの土地に、これほどまでに清らかな大自然の秘境が遺されていようとは。
しかし……、もしもあの強欲な商人どもの一人にでもこの場所が見つかれば、たちまちのうちに珍品として採掘され尽くし、無残な瓦礫の山へと成り果てるであろう。この国の連中は、伝統や情緒というものを一切知らん。
さて、この地の静謐をどう守るべきかと考えてみれば、例の流れの商人から、暗闇を作り出す奇妙な水晶を買い付けていたことを思い出した。半信半疑で使ってみれば、これが中々どうして、悪意を阻む立派な結界となったではないか。これでおそらく、この神聖なる場所の安寧は、しばらくの間は守られるだろう。……それにしても、酷く身体の具合が悪いな。医者から貰った薬をまた一錠飲むことにするが、私の目的を達するには、いささか急ぐ必要があるかもしれぬ。私の望むものが、この先にあることを願って』
ジグはひとしきり読み終えると、奥歯に物が挟まったかのような、思案に耽る唸り声を漏らした。
先程の手記よりは幾分か、この先の謎に迫る有益なことが書いてありそうな、なさそうな……。そんな釈然としない複雑な気持ちが、彼の胸中に広がっていた。
「よほど、連合の人間が嫌いな御仁らしいな」
ガウルが、またも身も蓋もない直截的な感想を述べて、ジグの淡い期待に冷や水を浴びせる。
「手記の主は、相当お身体の具合がよくなかったみたいですね……。無事に、目的地へ辿り着けたのでしょうか」
「んー……、どうだろうな。その人物が張ったはずの暗闇の結界が、こうして今も解かれずに残ったままなのが、どうにも引っかかるが」
姿なき持ち主の身を真摯に案じるアルスに、ジグは腕を組み、顎に手を当てながら考え込んで答えた。
この場所の荘厳さを商人や盗掘者から守るために暗闇の結界を張ったのは理解できるが、術者が立ち去ったのであれば、自ら解除するのが道理だ。貴重な道具を使ったらしいならば尚更である。それが手付かずのまま稼働し続けているということは、この先に別の出口へと抜けて戻らなかったのか、あるいは――。
「……ん? 二人とも、手記にある『闇を作る水晶』というのは、これのことか?」
不意に、少し離れた岩の隙間を調べていたガウルが、低い声で二人を呼び寄せた。
ガウルの一言に身を震わせ、ジグとアルスが彼の元へ駆け付ける。巨漢の指し示す先、苔むした岩の窪みを見てみれば、そこには大人の掌ほどの大きさを持った、黒く濁った水晶が怪しく妖異な輝きを放っていた。周囲の大気やエーテルそのものが、まるで底なしの沼に引きずり込まれるかのように、その水晶の深淵へと吸い込まれて行っているかのような錯覚さえ覚える。
「おお……、中々、本格的な魔道具だな。この精緻な彫り込み、おそらくは帝国製のものだろうな」
「すごいです。周囲の大気からエーテルを常時取り込んで、その力で先程の永続的な暗闇を作り出していたんですね……。これほど自律性の高い触媒は、とても珍しいです」
「こんなに小さな石くれが、あの一寸先も見えぬ暗闇を維持していた、というわけか」
三人はそれぞれに、目の前で怪しく脈動する水晶に冷徹な視線を落とし、それぞれの感想を言い合う。
外から術者が魔力を注ぎ込まずとも、己で結界を張る源を自動で調達して永続的に駆動するその仕組みは、魔術の視点から見てもまさに見事と言うほかなかった。この手記の人物が呪いながらやり取りをしたという、あの流れの商人の目利きは、あながち悪くはなかったのかもしれない。
「しかし……なあ……」
「どうしたんだ、ジグ」
深いため息をついて肩を落とすジグに、ガウルが微かに眉を上げて問いかけた。
「これだけ常に、周囲の環境からエーテルを根こそぎ吸い上げて魔術に変換し続けてるってことはさ……。この空間には、俺たちが求めていたような、エーテルをたっぷり溜め込んだ儲けになる鉱石なんか、これっぽっちも残っちゃいないってことだよな……」
みるみるうちに全身から力が抜け、抱いていた欲の期待が霧散していくジグ。その哀れな姿に、「まあ、そういう不運な日もある」とガウルが苦笑しながら彼の細い肩をポンと叩いたが、外の激しい雨と冷気によって冷やされたジグの肉体は、じわじわと裏切られた疲労感を覚え始めるのだった。
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「しかし、ここで行き止まりのようだが……?」
ガウルが険しい眉をさらに寄せ、周囲の切り立った岩壁を見回しながら低く言った。
先ほどの手記の記述が真実ならば、旅人はさらに奥へと進める確信を得ていたはずなのだが、三人の歩みは冷徹な岩の壁によって完全に遮られていた。
「長い年月の間に、奥の空洞が崩落しちまったのかね」
「いえ、ジグ。よく見てください。この場所にも、先ほどと同じように精緻な術がかけられていますよ」
アルスの静かな指摘を受け、ジグが網膜の奥の感覚を研ぎ澄まして辺りを見やれば、確かにこの一帯の大気には、歪んだエーテルの不自然な磁場が揺らめいているのだった。
「なるほどな……。幻術か、こいつは」
「幻……ということか? 俺の目には、ただの強固な岩壁にしか見えんがな」
得心がいった様子のジグの隣で、ガウルは得体の知れぬ居心地の悪さを覚えるかのように、不思議そうに周囲の岩肌を見つめていた。戦士の肉眼を欺くにはあまりに十全すぎるほど、その偽りの景色は精巧に編まれていたのだ。
「道はさらに奥へと続いているみたいですね」
「へへ、少し待ってろ。今、このまやかしを解いてやるからな」
ジグは流浪の魔術師としての矜持を覗かせるように不敵に笑うと、壁面に手をかざしてエーテルの奔流の源泉を探った。やがて、ある一点の虚空から規則正しく流れ出す魔力の脈動を突き止めると、彼はかつてやってみせたように、魔力を込めた短剣の刃でその見えざる流れを無慈悲に断ち切った。
刹那、三人の眼前で、頑強な岩壁と思われた景色が陽炎のように揺らぎ、霧散した。その向こう側から、さらに深淵へと誘う、真実の漆黒の産道が姿を現したのである。
「どうだ。大した仕掛けじゃねえな」
「……これほど大掛かりな幻を、たった一個の魔道具で維持していたのか」
ガウルが感心したような驚きの声を漏らしながら、新たに開かれた暗黒の奥を睨み据える。大自然の懐深く、人智を拒むようにして存在するこの場所は、歩みを進めるごとに、いよいよ厳かな運命の気配を纏おうとしていた。
「精霊たちの、歓喜に震える声がこんなにもはっきりと聞こえるなんて……。本当に、ここは世界から切り離された特別な場所なのですね」
「よし……。今度こそ、デカい実りが期待できるぜ。へへ」
すっかり黄金の輝きを瞳に取り戻したジグが、現金な足取りで先導を始める。ガウルとアルスはその背中を、苦笑を交わしながら見守り、静かにその後に続いていった。
「これは……」
三人がついに洞窟の最奥、世界の底とも言うべき場所に辿り着いたその瞬間、彼らは眼前に広がったあまりにも圧倒的な光景に、言葉を失って息を呑んだ。
そこは、自然の偶然が奇跡的に形作った、小さな聖堂を思わせる石室であった。空間の中央には、気の遠くなるような時間をかけて濃厚なエーテルの加護を受け続けた、地下水の溜まる清冽な泉が湛えられている。驚くべきことに、その空間に眠るすべての鉱石も、大気も、そして静まり返る水面さえもが、それ自体が命の脈動を伝えるかのように、美しく柔らかな自鳴の光を放っているのだった。
「すげえな……。これは、予想を遥かに超えてやがる……」
「人の手の入らぬ地下の底に、これほどの場所が存在し得るとはな。凄まじい恩寵だ」
畏怖に似た感嘆の声を漏らす二人の戦士の隣で、「……あれは」と、アルスが悲しげに声を漏らした。
美しく輝く泉のほとり、滑らかな岩床の上に、何者かの遺体がひっそりと横たわっていた。この秘境を満たす清廉なエーテルの奇跡ゆえか、肉体はとうに朽ち果てて無に還っているものの、残された白骨は塵一つ被ることなく、まるで精巧な標本のように美しく、白銀の輝きを保っていた。
「もしかして、あの手記を遺していった先人か。ここまで辿り着きながら、ついに力尽きてしまったというわけか……」
「ん……? 何か、骨の傍らに落ちているな」
白骨の傍らに静かに膝をついたガウルが、その指先に遺された、見覚えのある古い紙片を拾い上げた。
それは、これまで三人が暗闇の道中で拾い集めてきた、あの孤独な旅人の手記の、最後の断片であった。
「……この場所で、彼が命の灯を消す刹那に書き遺したもののようですね」
「ううん……。死者の遺言を暴くのはあまり気が進まねえが、ここまで来て何があったかを知らねえってのも、寝覚めが悪いしな……」
ジグはどこか気乗りしなかったのだが、ガウルから紙片を受け取ると、視線を落として静かにその声を響かせた。
一人の人間が、その生涯の最期に何を想い、何を遺そうとしたのか。血の通わぬ文字に込められた最期の追憶が、この荘厳なる光の聖堂の中へ、静かに優しく響き渡っていった。
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『――やっと、見つける事が出来た。我が人生の最後に相応しい場所が。医者から不治の病であると告げられ、もう長くない命と知った時、私はずっと先延ばしにしていた夢を追う事を選んだ。
可能なら、神の住まう霊峰へと行きたかったが、連合国に近い魔道帝国の辺境に住んでいる身では、些か時間がかかりすぎる。まだ誰も見た事のない秘境、神の息吹を感じるほどの神域。そんな景色を見てみたいと何度渇望した事だろうか。仕事など捨て、早く事を起こせばよかったと思わなくもない。
しかし、これほどまでに素晴らしい景色を眺めながら眠りにつくことの出来る幸福を得る事が出来たのだ。私にとっては、これが最良の時期だったのだ。願わくば、この場所が自然と共に生まれたように、自然と共に大地へと還っていきますように』
ジグがすべてを読み終えると、三人の間には、深い、深い沈黙が流れた。
この手記の人物――いま眼の前で物言わぬ白骨となって眠っている人物は、治らぬ病にその身を蝕まれながら、人生の最期に残された夢を追ってここまで辿り着いたのだ。この暗黒の底、世界の行き止まりに至るまで、彼がどれほどの険しい道のりを歩み、人々から不確かな秘境の噂を掻き集め、孤独な旅を続けてきたというのだろうか。その果てしない執念の道のりを想うと、言葉に出来ない厳かな感情が三人の胸を等しく満たしていった。
「……この方、最期はとても安らかに眠られたのですね」
「何故、それが分かる?」
穏やかに、しかし確信を込めて呟いたアルスに、ガウルが不思議そうに問いかけた。
「見てください。とうに白骨になってしまっていますが、この方はきっと、お腹の上で静かに手を組んで横たわっていたのだと思います。苦しんで、悶えながら身体を掻きむしったような不自然な崩れ方は、どこにも無いみたいですから」
アルスの優しい言葉に促されるようにして、ジグとガウルが再び旅人の亡骸へと静かに視線を落とす。確かに、長い年月の果てに骨となった遺体は、自らの人生の幕引きを受け入れ、体の上で静かに手を組んで眠りについたであろう、気高き痕跡を今に遺していた。
「最期の夢……。命を懸けてでも、どうしても達成したかった事、か……」
ジグの掠れた呟きに深く肯うかのように、感嘆の混じった重い息を、ガウルが静かに吐き出した。
この旅人は、呼吸が途絶える最期の瞬間まで、この神々しい泉の温かな輝きに見守られ、満たされながら眠りについたのだろう。己が心の底から夢に見た世界の中で、その眷属として眠りにつく。おそらくそれは、世俗のいかなる富を築くよりも、この旅人にとって至上の幸福であったに違いない。
洞窟の奥深く、世界の均整から切り離された秘境は、彼らの感傷をただ受け入れるように、いつまでもその蒼い輝きを静かに、厳かにたたえ続けていた。
「ジグ、本当に良かったのですか? 何も頂かずに出てきてしまいましたが」
それからしばらくの刻が流れた後。三人は暗黒の洞窟を抜け、再び外界の地へと足を踏み出していた。
先ほどまで世界を閉ざしていた激しい雨はすっかり止んでおり、彼らの頭上には、まるで世界が洗い流されたかのような、どこまでも突き抜ける清々しい青空が広がっていた。
「まあ、な。あんだけ大真面目にあの秘境を探し求めてた奴の、最期の願い事くらいはさ……。少しは叶えてやってもいいかなって、柄にもなく思っちまってよ」
ジグは眩しそうに天を仰ぎ、大きく伸びをしながらアルスに答えた。
あの後、ジグは自らの手で一度は解いたはずの巧妙な幻術を、以前よりも遥かに高い精度で再びかけ直してやった。さらにガウルは、永続の闇を作るあの帝国製の魔道具が、自然の突発的な崩落によって砕け散ってしまわぬよう、周囲の頑強な岩壁を自慢の大剣で少しずつ削り、それを安全に安置するための、小さく頑丈な社を作ってやったのだった。
洞窟の奥深くに眠る秘境は、再び彼らが訪れる前と同じように、深い暗闇と完璧な幻術に守られた、侵されざる聖域へと還ったのである。
当初は、旅人のために立派な土の墓を作ってやろうかとも三人は相談したのだ。だが、「冷たい土の中に埋め戻されてしまうよりも、この者が命を懸けて夢見た、あの美しい景色をずっと特等席で眺めていられる方がいいだろう」という意見で見事に一致し、骸の乱れを少しだけ綺麗に整えてやるに留めたのだった。
「最期まで己の夢を追い求め、貫き通す生き方か……。傭兵として死線を潜ってきた身としても、わからんでもないな」
自身の旅道具をすっかりまとめ終えたガウルが、二人の隣へと歩み寄って静かに言った。
雨上がりの大気はどこかあたたかく、吹き抜ける爽やかな風は、彼らの旅の再開を祝福するかのようにやわらかに彼らの髪を揺らす。
「では、行くか」というガウルの短い言葉に導かれるように、三人は力強く歩み出し、かつて一人の夢追い人が命の果てに辿り着いた、美しき理想郷を後にした。
やがて、世界の営みの中で、気の遠くなるような長い年月が静かに過ぎ去る。
自然の気まぐれな奇跡が形作ったその蒼き聖域は、かつて生まれた時と全く同じように、静かに、誰に知られることもなく大自然の懐へと、そこに眠る一人の夢追い人とともに、優しく還っていったのだった。




