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果てしなき旅路の果てに  作者: 左岸
第一章 貿易連合国編
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044 我ら洞窟探検隊! (前編)

「こりゃ当分、止みそうにねえな……」


 ジグは、洞窟の湿った岩肌に背を預け、外の陰鬱な景色を眺めながら低く呟いた。

 三人が街道を少し外れ、うっすらと霧の立ち込める森林の中を進んでいた時のことだ。次第に重く垂れ込めていた空模様はついに限界を迎え、まるで天空の堤防が決壊したかのような、容赦のない豪雨となって降り注いだのだった。彼らは雨を凌げる場所を求めて色めき立ち、命からがら、この名もなき洞窟へとたどり着いたのである。


「ジグ、そんなところにいては風邪を引いてしまいますよ」


 パチパチと爆ぜる焚火の傍らから、アルスが心配そうに声をかける。

 周囲の濡れそぼった木々をかき集め、ジグの放つ荒々しい火の魔術で灰にしてしまわないよう、慎重に湿気だけを焼き飛ばして、ようやく熾すことができたばかりの、小さな、しかし暖かな拠り所であった。


「……飲むか?」

「ああ、うん。どうもな」


 ジグは短く礼を言い、ガウルが差し出してきた粗末な木杯を受け取った。

 杯に満ちた暖かい液体は、先日カシムの邸宅で学び、今や少し慣れた手つきとなった薬草の調合によるもので、さらに先の街で買い求めた少量の蜂蜜が落とされていた。喉をとおるたびに身体の芯が微かに温まり、仄かな甘さが旅の疲弊を優しく癒していくのを、ジグは静かに噛み締めていた。


 しかし、彼らのささやかな安息をあざ笑うかのように、ますます勢いを増す大雨につられ、風までもが狂暴に吹き荒れ始めた。三人が身を寄せる洞窟の入り口へ、牙を剥く吹雪の如き極寒の空気が激しく流れ込み、か細い焚き火の炎をいまにも掻き消さんばかりの勢いで吹き付ける。


「うう……、こんな地図にすら載っていねえような寂れた場所で、凍え死んじまうぜ、これは……」


 ジグは不満を漏らしながら、濡れたマントを頑なに身体へと巻き付け、冷気の刃を遮ろうとした。だが、大気そのものが氷の如く凍てついてしまっては、布切れ一枚の抵抗など酷く虚しいものであった。


「この大雨では、土の魔術で入り口を完全に塞ぐわけにもいかないですからね……。泥水を含んで、いつ崩落を始めるかも分かりませんし」

「そうだな……。風邪を引くくらいで済めば、まだ安いものか……」


 荒れ狂う外の世界を見つめながら、アルスが困惑の混じった声を漏らす。

 風避けの壁を作ろうにも、この豪雨の質量では、生み出した土塊もまたたく間に土砂へと還り、崩れ去ってしまうだろう。ガウルはせめて、この洞窟のさらに奥に雨風を完全に遮断できる横穴でもないものかと、重い腰を上げ、暗闇の広がる奥の方へと視認しに向かった。


「なんだ……?」


 不意に、ガウルは洞窟の最奥から、外界の凍てつく冷気とは明らかに異なる、乾燥した生温かい空気の微かな対流を感じ取った。ただの浅い土穴程度かと思っていたが、どうやらこの闇は、思いのほか深く繋がっているらしい。

 流浪の傭兵としての本能が、獣や不吉な先客の存在を警告する。ガウルは背中に背負った大剣の柄へと太い指先をかけ、音もなく刃を抜き放つと、慎重に暗黒の帳を見据えた。


「二人とも、こっちだ」

「どうしましたか、ガウル」


 アルスがガウルの呼びかけに応じ、素早く駆け寄ってくる。ジグは寒さに耐えかねて何度かくしゃみを連発しながら、その後を追った。焚き火の微弱な熱だけでは、やはりびしょ濡れになった彼らの肉体を温めるには、あまりにも心許なかったのだ。


 壁面を伝い、カーテンのように垂れ下がっている未知の植物の葉や根を、ガウルは大剣の鈍い輝きを放つ刃で静かにかき分けた。すると、そこにはさらに深淵へと続く、ぽっかりと開いた暗黒の産道が現れたのだった。


「これは……、まだまだ奥がありそうですね」

「おお……、ちょうどいい……。早く入ろうぜ……」

「しかし……見つけておいて何だが、危険ではないか?」


 未知の闇へと足を踏み入れるべきか、三人が二の足を踏み、迷っていたその時。彼らの背を激しく押すように、大雨の冷酷な突風が再び洞窟の奥へと吹き込んだ。

 濡れた肌が急速に体温を奪われていく、あの死線特有の感覚に襲われ、ジグは思わず激しく身を震わせた。


「こ、こんな入り口付近にずっといる方が、よっぽど危険だぜ……。全員そろって風邪で寝込んじまうのがオチだ」

「ふむ……。それもそうか……」

「では、私の光で照らしましょう。足元に気をつけてくださいね」


 アルスが光の法術をそっと唱えると、一条の清廉な光球が、静かに洞窟の奥へと放たれた。

 うっすらと白日の下に晒されたその道を見やると、傾斜は急ではあるものの、人が下りていくには充分な足場が存在していた。

 三人は互いに無言のまま視線を交わし合うと、再びガウルが先頭に立ち、慎重にその歩みを進めていった。光球の導きに従い、彼らは未知なる暗闇の底へと、静かにその姿を消していくのだった。



「結構広いですね……。昔、ここに誰かがいたような印象も受けますが……」

「そうだな……。所々、人の手が入っているようだが」


 薄暗い洞窟の底は、意外にもそこそこの広さを持った空洞へと繋がっていた。

 かつてこの地へ辿り着いた者たちの、微かな生活の痕跡。岩壁には不器用な掘削の跡があり、近くには木製の簡易な腰掛けの椅子が、即席で組み立てられたまま、長い年月の闇の中に打ち捨てられていた。


「へえ……。こいつは、期待できるかもしれねえぞ」

「期待、とは何ですか?」


 アルスの純粋な問いかけに、ジグの切れ長の双眸が、妖しい煌めきを帯びた。

 先ほどジグが何かを察知し、精神を集中させて周囲の気配を探ってみたところ、この閉ざされた空間には、淀みなく潤沢なエーテルが満ち満ちているのだった。流浪の魔術師であるジグにとって、その濃密な気配は、昔から決まって「儲け」の予感に直結するものだった。


「へへ、こういう場所にはな、エーテルをたっぷりと蓄えた希少な鉱石とかが眠っているってもんだ。拝借して加工すれば、当面の路銀になるぞ」


 ジグは先ほどまでの凍えるような寒さなど綺麗さっぱり忘れてしまったかのように、喜び勇んで暗がりの奥へとずんずんと進んでいく。現金なものだと、ガウルは彼の背中を、若干呆気に取られたように見送っていた。


「鉱石、か……。俺の目には、どれもただの岩くれと同じに見えるがな」

「ガウル、これを」


 気づけば、アルスがガウルの大きな手を取り、その厚い掌の上に、形の良いひとつの丸石を置いていた。

 数多の死線を越え、大剣を握り締めてきた無骨なガウルの掌の上では、その石は見た目以上に小さく、儚いものに見えた。


「こいつは……少し、暖かいか?」

「自然のエーテルが、確かにここに注がれている証拠です」

「こいつが、な。なるほど……」

「やりましたね、ガウル」


「何がだ?」と、ガウルは眉を微かに上げ、不思議そうに隣の法術師を見やった。アルスはまるで自分のことのように嬉しそうな、暗闇を払うような笑みをガウルへと投げかけていた。


「そのような何気ない自然物から、確かに息づくエーテルを感じ取れるのは、魔術を修めるための第一歩ですよ」

「あ……そう、なのか?」

「ええ。日々、絶やさずに重ねてきた練習の成果です」


 ガウルは掌にある小さな石へと視線を落とすと、その温もりを確かめるように何度か優しく握り締め、微かに口角を上げた。声に出して誇ることはしなかったが、彼が胸の内で深く喜んでいるのは、隣に立つアルスにもはっきりと伝わってきた。

 旅の途中、ガウルが独りで野営の夜番をしているとき、静寂の中で密かにエーテルを感じ取る修練を続けていることに、アルスは早くから気づいていた。彼のそのひたむきな努力がいつか報われるようにと、日々心の奥で祈りを捧げていたのだった。


「おーい! 二人とも来ないのか?」


 洞窟のさらに奥から、欲に目の眩んだジグの呼びかける声が木霊した。二人は互いに視線を合わせて小さく頷くと、その声の主の後を追うように歩みを進めていった。


 自分にも、まだまだ新しく得られる力があるのだな……と、ガウルは胸の奥に灯った暖かな満足感に浸りながら、今日という日の小さな記念を刻むかのように、その丸石を大事に服の懐へと仕舞い込むのだった。


 ----------


 三人が暗闇の奥を進むと、行き止まりの突き当りに、古びた石室のような構造物が見当たった。

 三人はそれぞれに、暗がりに潜む罠や伏兵がないか周囲を慎重に探る。その静寂を破り、「これは……?」というアルスの微かな声が響いた。傍らにいたジグが何事かと不審そうに近くへ寄ってくる。

 ガウルもまた、大剣を警戒の位置に保ったまま遅れて二人のもとへとやってくると、アルスが指先に、風化しかけた一枚の紙片を掲げているのに気づいた。


「アルス、そいつは一体?」

「手記のようですね。今、手元に明かりを灯します」


 そう言ってアルスが更なる光の法術を紡ぎ、光球を天井へとそっと放つ。周囲は柔らかな純白の光に満たされ、しばらくの間、探索の明るさには困らぬ状態となった。その清廉な光に照らされた紙片には、確かに掠れた文字が遺されていた。


「結構、古びているな。十年は優に過ぎているか……どれどれ」


 ジグはアルスの手から紙片を無造作に受け取りながら言い、その内容へ冷徹な視線を落とした。

 以前ここに辿り着き、洞窟内を探検した先人の書き残しならば、自分たちの探索を優位に進める何かが記されているかもしれない。儲けの期待に、つい口元が緩みそうになるのを必死にこらえながら、ジグはその一節を低く読み上げる。


『――この不気味な洞窟へと辿り着き、その産道を進めば、中々は広大な空洞を持っているらしい。ここは、いわば大自然が作り出した無名の遺跡とでも言うべきか。これほどの霊気があれば、私の渇望するものも期待できるかもしれない。

……しかし、あの早口で捲し立てる浅ましい商人から買い付けた商品は、半分はとんでもなく使い物にならなかった。流れの商人から買ったのならば、半分はまともな品であったと、むしろ安堵すべきなのか。全く、この連合国の、金さえあればすべてが解決するという尊大な空気は好きになれん。

……少し、身体の具合が悪い。歩き疲れてしまったのかもしれない。今日は、ここで夜を越すこととする』


 読み終わると、ジグは何とも言えぬ不満げな唸り声をあげた。

 有益な手がかりのようでもあり、ただの他愛のない愚痴のようでもある……。彼の胸中に、そんな何とも言えぬ複雑な感情が湧き上がってくるような内容だったのだ。


「……ただの、旅人の愚痴を書き殴ってあるだけではないか?」


 ガウルが、ジグのそんな複雑な胸中など知る由もなく、無慈悲な追い打ちをかける。


「何か、目的のものを探されているみたいですね。この先、もっと奥へと道が続いているのでしょうか」

「ううん……、なんだか雲行きが怪しくなってきたが、行ってみるか。空気がこもっているおかげで、この中は結構あったかいしな」


 すっかり期待のしぼみ始めているジグは、それでもここに大いなる遺物が眠っているのではないかという未練を捨てきれぬ様子で、暗黒の奥を見やった。どちらにせよ、外界の豪雨を凌ぐには絶好の場所だ。洞窟の中には、不思議なことに、血生臭い魔物や野生動物の気配すら皆無であった。


「ん……、何だ……?」


 さらに歩みを進めてしばらく経った頃、ガウルが不審な警戒の声を上げた。

 ジグとアルスも、異変に同時に気付いたようで、鋭く辺りを見回した。アルスの生み出した光球が輝きを失っただけではない。洞窟の岩肌が放っていたはずの微かな自然の煌めきまでもが、まるで巨大な暗黒の渦に飲み込まれたかのように光を奪われ、三人は突如として、一切の光を拒む漆黒の檻へと閉じ込められてしまったのだ。


 咄嗟にガウルは背中の大剣の柄へと手を伸ばし、身構えた。数多の戦場を駆けてきた彼であっても、こうした超常現象の類はやはり苦手らしく、大剣を握る掌はすでに冷や汗で湿っていた。


「これは……魔術ですね。この領域全体を、意図的な暗闇によって覆い隠しているようです」

「出来るのか、人間の手でそんなことが」

「ほら、いつかの薄暗い墓地でも、これに似たような仕掛けがあっただろう? 今回のは不死者の類が出てくるような禍々しい呪詛じゃないけどな。こいつは完全に、侵入者の視界を奪うのを目的に編まれているらしい」

「ああ……、あの時の術か」


 ガウルは全身の筋肉を硬直させて警戒心を露わにしていたのだが、予想外に落ち着き払った二人の気配を感じ取り、彼自身も波立っていた神経が徐々に平穏を取り戻していくのを感じた。とはいえ、周囲は一寸先も見えぬ漆黒に閉ざされ、すぐ隣にいるはずの仲間の姿すら、網膜には映らない。


「しかし、これほどの暗闇では、足元に物理的な落とし穴や罠があったとしても気づかんぞ」

「うーん……そうだよなあ。流石に、一度引き返すか……」


 ガウルのすぐ隣から、ジグのひどく名残り惜しそうな落胆の声が聞こえた。

 ジグにしてみれば、これほど大袈裟な結界の仕掛けを遺していくとあれば、やはり常人ならざる何かが、この先に秘匿されているような気がしてならないのだ。


「平気ですよ、ジグ。ここには、精霊たちが数多く息づいています。彼らに、奥への案内を頼めますよ」

「こんな奈落の底みたいな場所にもいるのか……。俺の目にも、一度でいいから見えたらいいんだがな……」


 暗闇の中、アルスの白い手が宙を彷徨い、まるで見えざる精霊たちと戯れるかのように優美に舞った。

 彼にとっては、たとえ光なき深淵であろうとも、精霊の優しき導きさえあれば、それは月明かりに照らされた平坦な街道を歩むのと変わらぬ営みなのだった。


「さあ、二人とも。私の手を」

「んん……、何というか、不思議な感覚だな」

「子供の頃を思い出すな……。こうして、誰かに手を連れられて歩くというのは」


 重戦士と魔術師は、男としての若干の気恥ずかしさを漆黒の闇の帳に隠しながら、アルスの差し出した温かな手をそれぞれに握った。二人は法術師の青年に導かれ、確かな足取りで、さらに深き暗闇の奥深くへと進んでいくのであった。

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