042 望み望まぬ弟子入り街道 (中編)
「……まあ、見せられるのはこんなところか」
木刀の柄を手の内で弄びながら、ガウルは言った。
あの後、アルスを伴って屋敷の奥にある訓練場へと赴き、ガウルはかつて己が身に刻んだ剣技の数々を、法術師の青年の前で披露したのだった。周囲には彼の予想通り人影はなく、ただ二人きりの静寂が、広大な練兵場を満たしていた。
「凄いです、ガウル。こんなにも美しく、剣を持って舞うことが出来るなんて……」
「ん……まあ……そうか? これくらいならば、いつでも出来るぞ」
無骨な重戦士としては珍しく、己の鼻が高くなるのを抑えるのが、どうにも難しかった。
それほどまでに、アルスの向けてくる純粋な歓喜と驚嘆の眼差しは、血生臭い戦場しか知らぬ傭兵のガウルにとって、どこか新鮮で、ひどく心地よいものだったのだ。
「私も、お返しに何かお見せ出来れば良いのですが」
「アルスが俺にか? 魔術の手ほどきなら、受けてはいるがな……」
ガウルは自らの腹をさすりながら、何かを思案するように呟いた。傷はかなり良くなったとはいえ、これだけ激しく肉体を動かせば、いまだ皮膚の奥で微かな痛みの残響が疼くようだ。
アルスからは普段から魔術の基礎を教わっているのだがな……と、ガウルがぼんやりと思索の海に沈みかけた、その刹那、彼は何かを思いついたように言葉を繋いだ。
「……ならば、薬の調合を教えてくれないか?」
「調合を、ですか?」
「そうだ。戦場での応急処置として、簡単で粗雑な軟膏くらいなら俺も作れるが……。本格的な調合となると、独学ではやはり限界があるみたいでな」
ガウルは訓練用の木刀を元の場所へと仕舞い、肌に薄く滲んだ汗を布で拭いながらアルスに視線を戻した。
「ええ、それぐらいの事でしたら、私に任せてください」
アルスは、暗雲を払うかのような眩い笑顔で応えた。
互いの持つ知識や技を分かち合うということは、やはり、胸の奥を温めるものなのだと、彼は実感していた。
「良かったら、今から少しやってみますか? ジグもまだ、帰ってはこないみたいですし」
「今からか? ……まあ、そうだな。お願いしよう。……弟子入り、というやつだな」
ガウルはアルスに向かい、不器用ながらも口角を上げ、確かな笑みを作りながら言った。
二人はその後も穏やかに言葉を交わし合い、静かな訓練場を後にして、調合の道具が揃う部屋へと歩みを進めていった。
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「おお……こいつは意外と連合じゃ珍しいかもな。魔鳥ってところか」
ジグとガイストはあの後、街道からほど近い森林の奥深くへと足を踏み入れ、手配書に記された魔物と対峙していた。
眼前の魔鳥は予想を遥かに超えて巨大であり、鋼の如き硬度を誇る羽を大きくはためかせ、周囲の木々や漂う空気そのものを威嚇するように激しく震わせていた。
だが、ガイストはそんな魔鳥の凶暴な様子にも、いささかも動じる気配はなかった。傲然と腕を組み、ただ大地を流れる脈動を感じ取るかのように静かに佇んでいる。
「では、ジグ君。お主は雷にてアヤツの動きを封じるのだ。そこにワシが次なる魔術を披露しよう」
すっかりジグの師匠たる座に納まった様子のガイストが、堂々とした口調で命じた。
「披露するも何も……。そのまま雷で仕留めたほうが早いんじゃないか?」
ジグは隣に立つガイストへ、怪訝な視線を向けながら言った。
生い茂る森の中である以上、周囲を巻き込むような派手な術を使うわけにはいかない。対象のみを正確に穿つ雷の術で、そのまま息の根を止めるのが最も賢明な得策に思えたのだ。
「ガハハ! 分かっておらぬな、ジグ君。魔術といえど万能ではない! 制限された空間において、守らねばならぬ条件がある場合もあろう! これは、そのための修練というわけだ!」
ガイストは豪快に腕を組んだまま、天を仰いで笑った。
鬱蒼とした森の隅々にまで、彼の野太い笑い声が響き渡っていくかのようだ。木々の隙間から差し込む一条の陽光が、ガイストの彫刻のような筋肉を照らし出し、その肉体を大仰に輝かせる。はたから見れば、およそ呪文を唱える魔術師の姿には見えなかった。
「ううん……。言っていることは、分からなくもねえけどな……」
ジグは半ば観念したように言葉を漏らしながら、魔鳥へと向けて雷の呪文を放った。閃光の如き雷撃が魔鳥の巨大な翼を正確に捕らえ、激しい緊縛の衝撃に、魔鳥の雄叫びのような悲鳴が木霊した。
「このような場所で、炎しか効かぬ邪物と出会う事もある! 受けよ! 業炎雷鎖!!!」
またしてもガイストが、自らの術に名づけたであろう名を高らかに絶叫した。
刹那、彼の手のひらから放たれた烈火は、ジグの放った雷の力をその身に取り込みながら、周囲の木々を一切灼くことなく、強固な縄の形へと凝縮されていった。そのまま狂おしくのたうち回る魔鳥の身体を捕らえると、瞬く間にその全身を縛り上げ、灼熱の縄は魔鳥の肉体を一気に燃やし尽くしたのである。
「やってる事は、凄いんだ……けどな……」
地に伏した魔鳥が、音もなく灰へと還っていく光景を見つめながら、ジグは言葉を失っていた。
実際、炎の属性をここまで自在に制御し、幾筋もの縄へと変えて相手を捕らえ尽くすなど、並の魔術師にできる芸当ではないのだが――。やはり、ガイストのその一挙手一投足に漂う破天荒な仕草が、素直な称賛を拒ませてしまうのだった。
「そう気を落とすでない、ジグ君! お主は見込みがある。すぐにこれくらいの事は出来るようになるわ!」
「あ……うん……。そうすか……」
ジグはもはや、すべての反論を諦め、ただ受け入れるかのような力ない返事をした。
「よし……。ではジグ君、次はエーテルの脈動を肌で感じる練習だ。服を脱ぎなさい」
「えっ」
あまりにも思いがけない唐突な要求に、ジグはその場に凍りついた。
いくら人目のない森の中とはいえ、今日出会ったばかりの、それも筋肉に病みついた奇妙な男に己の裸を晒せと言われ、彼の理性はもはや理解の限界を越え始めていた。
「上半身だけでよい! この森の中に満ちるエーテルを、己の筋肉で直接感じるのだ!」
「あ、おい! ちょっと、待ってくれって!」
有無を言わさぬ剛腕が伸び、ガイストはジグのマントを無造作にひっぺがし、その上着をも半ば強引に脱がせていってしまった。男の圧倒的な腕力を前に、ジグは何の抵抗もできぬまま、己の身を白日の下に晒すしかなかったのである。
早く帰りたい……。
ジグは心の中で、ただ祈るようにそう念じるばかりであった。
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「こういうのも、その……女神に教わったのか?」
ガウルは木椅子に腰掛け、その大柄な背を心持ち丸めながら、慣れぬ手つきの作業の合間にアルスへと問いかけた。
「ええ。彼女からは薬の調合や魔術、その他にも本当に色々な事を教えていただきました」
アルスは滑らかに手元を動かしながら、遠い日を懐かしむように目を細めて応えた。
この青年が、真にこの大陸の遥か北、神の住まうと言い伝えられる厳格なる霊峰で、女神と時を分かち合っていたのだなと、ガウルは改めて実感せざるを得なかった。元より、大気に息づく精霊の姿を見、その声を聞いて、人智を超えた奇跡を起こしたことすらある青年だ。ただ者ではないとは分かっていたが、その言葉には、触れ得ぬ神域の静謐さが宿っていた。
「……俺も……な」
「……? どうしました、ガウル」
不意に言葉を濁した重戦士に、アルスが不思議そうに声をかける。しばしの沈黙の後、ガウルはどこか言い淀むように、重い唇を開いた。
窓から差し込む斜陽の光が、室内に微かに舞う塵を白く照らし出し、あたかも二人の時間を祝福するかのような幻想的な陰影を創り出している。窓辺に止まった一羽の小鳥が、静かにそのやり取りを見守っていた。
「俺も、さっきの剣技は……。父さんから、教わったものだ」
「ガウルの、お父様から?」
「……ああ。型が少しでも狂えば、何度も厳しく叱責されてな。……さっき、久しぶりにあの演舞をなぞってみて、その時の光景を思い出していた」
ガウルはアルスに指示された通りの配合で薬草を木器へと入れ、力を込めすぎぬよう細心の注意を払いながら、すり潰していった。戦場で大剣を振るう彼の剛腕では、油断すれば器ごと粉砕してしまいかねず、酷く骨を折っている様子だった。
「……懐かしかったよ。父さんの事が」
そう呟いたガウルの横顔は、数多の死線を越えてきた熟練の無骨な傭兵のそれではなく、まるで己と歳の変わらぬ、一人のうら若き青年のようだと、アルスは揺らぐ光の中で感じていた。
ガウルが亡き父に抱く想い――それは、自分が霊峰の女神に対して抱いていたものと同じ、あたたかで、決して色褪せることのない絆なのだろう。隣で作業を進めるアルスの胸にも、その温もりが静かに伝わってくるようだった。
「良かったら、また、私に見せてください」
「はは。ああいうもので良ければ、いつでも付き合おう」
アルスは穏やかな微笑みを湛えてガウルを見つめた。
先人から受け継いだ技を通じて、今は亡き大切な人との追憶に触れる……。その尊さは、アルス自身も日々の営みの中で痛いほどに感じていることだった。彼が光の法術を操り、薬草を調合し、自然や精霊と語らうとき、その指先にはいつも、あの優しき女神の面影が寄り添っているのだから。
「……しかし、力を抜いて物をすり潰すというのは、俺にとっては戦場に立つよりも勝手が違うな……」
「ふふ、とても上手ですよ、ガウル」
二人は互いに顔を見合わせて小さく笑い合い、穏やかな言葉の応酬の中に、それぞれの過去の片鱗を優しく融け合わせていった。
窓辺に止まっていた小鳥の傍らには、いつの間にかもう一羽の鳥が音もなく舞い降りており、二羽は互いに毛を気遣い合うと、そのまま連れ立って、遥かなる虚空へと羽ばたいていった。
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「……で、なぜガイストさんは、それほどまでに筋肉にこだわるんだ?」
あの後、ガイストと共に筋肉でエーテルを感じ取るという未知の鍛錬に付き合わされたのだが、その実態は筋力増強の過酷な運動と何ら変わることはなく、ジグはただ全身に重い疲労感を覚えただけだった。そもそも、精神を集中させれば大気のエーテルが肉眼で視認できるジグにとって、そのような泥臭い修練が本当に必要なのか、甚だ疑問ではあったのだが……。
「よいかジグ君。エーテルはこの世界中に満ちておる。そこで日々育った豊穣なる万物をワシらは体に取り込み糧とし、魔術の才の有無にかかわらず、あらゆる人が微弱ながらも魔力をその身に宿しておるのだ! であるならば! その魔力を余すことなく貯め込んでおけるだけの、充分な容量を持つ頑強な肉体を築くことこそ、魔術の基礎なのだ!」
ガイストは傲然と腕を組み、白く見事な顎髭を太い指先でさすりながら高らかに宣言した。
ジグと共に同じ鍛錬をこなしたというのに、ガイストには疲弊した様子など微塵もなかった。吹き抜ける風が彼の短く白い髪を優しく揺らし、天頂の太陽が、鍛錬によってさらに鋭さを増したその強靭な肉体を容赦なく輝かせる。
(……体を大きくすれば良いという理屈なら、脂肪でも変わりはしないんじゃないのか……)
ジグの脳裏に不意にそんな不届きな疑問が過ったが、あえてそれを口にすることはしなかった。
どちらにせよ、激動の戦場において魔術師であっても前線の戦士並みに動けるに越したことはないというのは、厳然たる事実であるのだから。
「それじゃあ……その、魔術にいちいち名前をつけているのは、何でだ?」
「ガハハハ! なんじゃ、ジグ君もその入り口で躓いておるのか。己が魂を削り、無から生み出した独自の魔術! それは己が我が子同然であろう! 名前を付けて呼んでやらねば、術本来の力を存分に発揮できぬというもの。大いなる愛情をもって叫ぶのだ!」
「あ、愛情……?」
「最近の若者は、呪文すら頭の中で念じて済ませる軟弱者が多いからの。嘆かわしいことじゃ」
ジグは完全に言葉に詰まってしまった。
なんとなく出会った時からずっと気になってはいたのだが、ガイストには彼なりの、筋の通った魔術理論があってこその行動なのだという事実が、ジグには少なからぬ衝撃だった。とりわけ、多くの正統派の魔術師にとっては子供の他愛のない遊びと切り捨てられるような行いが、この男にとっては魔術の深淵、神髄そのものというわけなのだ。
「……時にジグ君。お主には夢があるのかね?」
「え、夢……?」
「そうじゃ。魔術を志す者ならば、いずれ到達したいと願う大いなる夢があろう」
ガイストの不意の問いかけに、ジグの心の奥底で、在りし日の遠い光景が静かに浮かび上がった。
まだ少年の頃、先生に魔術の基礎を教わると、彼は夜中に必ず抜け出し、独りきりで覚えたばかりの稚拙な魔術を試していたのだった。その時、彼は大人たちから聞かせてもらった古い英雄譚に出てくる、伝説の大魔導士の真似事をしていたのである。
気高き魔術の名を白日の下に宣言し、大自然の天候を意のままに操る。時に山をも越える巨獣の僕を召喚してみせたという逸話に胸を躍らせ、いつか自分もそんな英雄のようになりたいと、純粋に夢見ていたものだった。
時折、一族の大人たちにその痛々しい真似事の現場を見つかっては窘められ、大人になるにつれて激しい気恥ずかしさを覚えるようになり、他の多くの子供たちと同じく、ジグもいつしかそうした空想はしなくなっていったのだが――。
(夢……。いや、だが……。しかし、目の前のこのおっちゃんは、それを今でも本気でやっているわけだしな……)
ジグの胸の内は、かつての純真な少年の影と、現在の大人の良識の間で、かつてないほどに激しく揺れ動いていた。




