041 望み望まぬ弟子入り街道 (前編)
その日、ジグはすこぶる上機嫌であった。
カシムの街を離れる少し前のこと。ジグは、いまだ傷の癒えぬガウルの世話をアルスに任せ、一人でギルドへと赴いていた。いくつかの賞金稼ぎの依頼書を懐へねじ込むと、街の門をくぐり、一人鼻歌交じりに街道を歩んでいたのである。
「こいつは……中型の魔獣か。連合の辺境でもよく見かける手合いだな。んで、こいつは……街の商家で窃盗を働いて逃亡中の小悪党か。ふん、大したことなさそうだな……へへっ」
手にした羊皮紙の依頼書を次々と改めながら、ジグの口元が自然と緩む。
こうして一人、自らの意志で賞金首を狩るなど、一体いつ以来のことであろうか。あの二人と旅を共にするようになってからは、どうしても彼らの視線が気になり、このような泥臭い賞金稼ぎの真似事からは久しく遠ざかっていた。悪党どもが、己の魔術を目にして驚愕し、腰を抜かして這いつくばる様を眺めるのは、ジグにとって密かな楽しみであった。
その上、先日はあの静謐な書庫において、思いがけず最愛の師が遺した書物と邂逅を果たし、久しぶりの行使であったにもかかわらず、上級の魔術をも見事に制御してみせたのだ。
(俺のに並ぶ魔術師なんぞ、この貿易連合国広しといえども、そうそうはいねえだろうよ……うへへ)
ジグはそんな傲慢とも言える自惚れを胸中で肥大化させながら、まるで重力から解き放たれて虚空へ飛び立ちそうなほど、足取りも軽く街道を往った。普段であれば、過剰な自意識に呑まれぬよう自らの心を厳しく律している彼であったが、ここ最近の重なる幸運と成功が、魔術師の理性のタガを、心許なくも緩めていたのだった。
空高く懸かる太陽の陽射しはどこまでも眩く、吹き抜ける風にはまだ夜の冷徹な名残が仄かに混じっている。彼の一日は、まだ始まったばかりであった。
「……っつーわけで、記念すべき依頼の一個目はお前だ、悪党」
それから半刻ほどの後、ジグは街の小路から裏山へと逃げ込んでいた件の窃盗犯を、容赦なく追い詰めていた。
「クソ……っ! なんなんだよ、テメエは……いきなり現れて、一体何の恨みがあるってんだ……っ!!」
男の周囲には、ジグが逃亡を阻むための威嚇として放った火球が、容赦なく大地の草木を黒く灼き焦がしており、きな臭い硝煙の匂いが辺りに立ち込めていた。男は突如として現れたあまりに狂暴な襲撃者に酷く狼狽しており、盗み出した金目の物が入っているとおぼしき薄汚れた袋を大事そうに胸に抱え、うろたえた悲鳴をジグに向けて叫んだ。
「なんなんだって言われてもなあ……」
「ヒッ!」
なおも隙を突いて逃亡を図ろうとした男の足元へ、ジグは無造作に再び小さな火球を炸裂させ、冷酷に威嚇する。
「お前らみたいなのって、何で追い詰められるといつも判で押したように同じことを喚くんだ?」
「し……知るかよ! テメエ、ギルドの賞金稼ぎだな! 命が惜しくねえのか!」
ジグは心底呆れ果てた様子で、深い溜息をついた。
何故、この手の卑小な悪党というものは、最初から最後まで同じような台詞を吐き、同じような無様な仕草を見せるのだろうか。そしてこの後、窮鼠となってヤケクソ気味に反撃に転じてくるというのも、お決まりの反応なのであるが。
二人の緊迫した、しかしどこか滑稽なやり取りを、近くにそびえる大樹の枝にとまった一羽の小鳥が、不思議そうに首を傾げて眺めていた。
「そいつ、商家から掠め取った盗品だろ? 泥棒の市場で売り捌いたところで、大した金ににゃならねえんだ。ちっとは額に汗して真面目に働いたらどうだ、え?」
「うるせえ! 俺はこいつを闇の商人に売りさばいて、一攫千金を果たすんだよ! どこの馬の骨とも知れん賞金稼ぎに、俺の夢を邪魔させてたまるか!」
やはり、この手の輩と言葉を交わすだけ時間の無駄か……と、ジグは諦念と共に冷ややかに手をかざした。男もまた、破れかぶれになって腰の錆びた短剣を抜き放ち、周囲の大気が一触即発の殺気に満ち満ちた、まさにその刹那であった。
「ハッハッハ! 待ちたまえ、そこの愚者ども!」
抜けるような青空の下、その場の緊迫感を木っ端微塵に打ち砕くような、場違いなほどに高らかな声が響き渡った。
天空から降ってきたかのようなその声に、ジグと野盗の二人が思わず視線を天へと向ければ、彼らの傍らにそびえる大樹の、まさに最天頂の細き枝の上に、傲然と佇む一人の男の姿があった。逆光となる激しい太陽の光に遮られ、その正確な容貌までは窺い知れないが、激しい風に豪奢なマントの裾をはためかせ、不敵に腕を組むその姿は、いっそ滑稽なほどに威風堂々としていた。
「な……なんだ? あいつは……」
あまりの事態に、開いた口が塞がらぬといった様子で当惑の声を漏らしたのは、野盗ではなく、他ならぬジグの方であった。
白昼堂々、わざわざあのような足場の不安定な木の上によじ登り、芝居がかった口上を述べるなど……。一体どこの大陸からいかなる変人が迷い込んできたのかと、彼は己の目を疑わざるを得なかった。先ほどまで枝にとまっていた小鳥は、この場に満ち始めた異様な精神的危機感を本能的に察知したのか、羽音を立ててさっさと虚空へ飛び去ってしまった。
「次から次へと……、一体何なんだよテメエは! 邪魔をするなら容赦しねえぞ!」
「問・答・無・用! 悪人に名乗る名など、ないっ!」
大樹の上の男はそう断言するや否や、依然として腕を組んだままの姿勢で、躊躇なくその最天頂から飛び降りた。重力の理をあざ笑うかのように、男の身体はあたかも静水の一面にふわりと着水する木の葉の如く、滑らかに地上へと舞い降りたのである。
(こいつ……魔術を操っているのか? いや、だが……)
ジグは眼前に着地した正体不明の人物から、目を離すことが出来なかった。
それは野盗も同じであり、突如として乱入してきた奇妙極まる魔術師の存在に、完全に毒気を抜かれ、戸惑うばかりであった。
「フハハ……! 貴様のように私欲のために大地の調和を乱す性根の腐った輩は、我が大魔道の一撃にて、その魂ごと叩き直してくれるわ!」
着地してもなお、頑なに腕を組んだままの男が傲然と言い放つと、男の足元から突如として局所的な突風が巻き起こり、彼の手入れの行き届いたマントを激しく翻させた。
そして男が、天高くその右腕を掲げた瞬間――。その掌のただ中に、凝縮された魔術の光が燦然と、周囲の陽光を隠すほどに煌めいた。
「氷牙暴風弾!!!」
男が、朗々とその忌々しいほどに長い呪文の名を叫ぶ。
刹那、それまで周囲に穏やかに漂っていた風が、一瞬にしてすべてを圧殺するほどの猛烈な極低温の嵐へと変貌を遂げた。同時に、虚空から生み出された魔術の氷の礫が、飢えた狂獣のような唸り声を上げて、野盗の身体へと容赦なく襲い掛かったのである。
防ぐ術を持たぬ野盗は、暴風の衝撃によってあえなく数歩吹き飛ばされ、激しい氷の追撃を全身に浴びてそのまま昏倒し、地面へと倒れ込んだままぴくりとも動かなくなってしまった。あまりにも鮮やかで、そして必要以上に大がかりな、一撃必殺の魔術であった。
(信じらんねえ……こいつ……)
ジグは完全に開いた口が塞がない様子で、硬直したまま目の前の男を凝視していた。
自らが放つ魔術に、わざわざ長ったらしい名前をつけ、あろうことかそれを戦場で高らかに絶叫する魔術師など、聞いたことが無かった。せいぜい魔術の初歩を学びたての子供が、秘密の空き地でやる遊びの領域だ。ジグも子供のころ、人知れずそうした遊びをしていた。大人になるにつれ、自然とやらなくなっていったのだが、それをこの男は、白昼堂々とやっているではないか。
「ガハハ、他愛もない」
「あんた……、魔術師なのか?」
豪快すぎる笑い声に、ジグは夢から覚めたかのように気を取り戻し、引き攣った声を絞り出した。
「無論! ワシこそが稀代の大魔術師、ガイストである!」
「はあ……。けど、その恰好……。拳闘士もやってんのか?」
ジグはガイストの服装を見ながら、その奇妙さを検分した。
首元に翻るマントこそ、いかにも魔術師が好みそうな豪奢な一品だが、肝心の胴着は魔術師の常識からは完全に逸脱していた。とにかく布地が少なく、無駄に露出度が高い。そこから剥き出しになった、岩石のように逞しい胸筋や丸太のような腕っぷしが醸し出す雰囲気は、どう見ても呪文を唱える側ではなく、物理的に拳で語り合う拳闘士のそれだった。
「ガハハ! 何を言っておる! 大地のエーテルをその身で存分に感じなければ、大魔術など使えんだろう!」
「いや……、間違っちゃ、いねえが……」
(……もしかしたら関わらねえ方が良かったのでは……)
ジグの野生の勘が全力で危険信号を発したが、時すでに遅し。ガイストは、ジグが自分と同類――魔力を宿した魔術師であることを見抜くと、興味深げな視線を寄せてきた。
「時にお主……名はなんという?」
「え、あ……。ジグだけど……」
白く見事な顎髭を、およそ呪文を詠唱するとは思えない太い指先で撫で回しながら、ガイストはしばし値踏みするようにジグを観察した。すると、おもむろに距離を詰め、ジグの二の腕を肉の塊でも確かめるかのようにガシッと掴んできた。
「な、なんだよ」
「フム……! 素晴らしい、中々に見所があるではないか!こうして二の腕を剥き出しにしておるのも、ワシと同じく筋肉でエーテルを感じる必要性を理解しておるからか!」
ガイストはジグの二の腕を容赦なく揉みしだき、パンパンと叩きながら大声で感心し始めた。体格も申し分なく、筋肉の付きやすそうな体をしているな、とガイストの胸の内は急速に熱を帯びていく。これほど魔術を宿すに相応しい剛健な肉体を持った若者がいようとは。
「いや、これは動きやすいからで……」
「多くは語らずとも良い! ジグ君、お主がワシの弟子になりたい事はよく分かっておる!」
先ほど魔術を放った瞬間から、ジグが困惑で激しく目を見開いていた熱い視線を、ガイストは「自らの大魔道に感銘を受けた若者の羨望」と受け取っていたのだ。
自らの術を披露した際、その姿に人々が注目することは珍しくないが、ここまで純粋に魔道の可能性を察知し、言葉を失うほどの逸材に出会えるとは。ガイストは熱い感動を瞳に宿し、ジグを見つめた。もっとも、人々が彼に注目するのは、その服装も含めた破天荒さゆえなのだが……。
(何で、そうなっちまうんだ……)
ただ賞金首を狩りに来ただけなのに、なぜか謎の筋肉魔術師の弟子に任命されてしまった己の理不尽な境遇に、ジグは天を仰ぎたくなった。
だが、目の前でこれでもかと無垢な期待の眼差しを向けてくる老練な魔術師を前に、はっきりと拒絶を突きつけることもできず、彼はただただ、喉の奥で言葉を詰まらせるのが精一杯であった。
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「ガウルは、以前お会いした方のように、剣技に名前をつけたりはされないのですか?」
ジグが独り街を出て、正体不明の魔術師に絡まれている頃。
カシムの邸宅の奥、陽だまりの取り残された一室では、アルスとガウルが静かに言葉を交わしていた。
無骨な傭兵の自分と時を分かち合ったところで、この清廉な法術師を退屈させるだけではないか――ガウルは内心でそう考えていたのだが、意外なほどに二人の会話が途切れることはなかった。まるで幾星霜もの時を共にしてきた古くからの友人のように、彼らは互いの歩んできた道について、穏やかに話し続けていたのだった。
「そうだな……。いくつか、ある。もっとも、実戦向きではないから、使ったことはないが」
ガウルはそう言いながら、横たえていた己の巨躯をゆっくりと引き起こし、背を伸ばした。
鋼のような腹筋を伸ばしても、かつて身を灼いたあの裂傷の痛みは、もはや殆ど感じられない。旅の再開は、もう間もなくのところにまで迫っていることを、傷癒えた肉体が告げていた。
「興味があるなら……、見るか?」
未だ完治しきらぬ傷口を労わるように、分厚い掌で自らの腹をさすりながら、ガウルがアルスへ視線を向ける。
今、この広大な邸宅の者たちは皆、公務のために殆どが出払っているらしく、周囲は深い森林のただ中にいるかのように静まり返っていた。
「いいのですか? 是非、拝見したいです」
「演舞のようなものだからな……。あまり大きな期待はしないでくれ。……この訓練用の木刀なら、身体を慣らすにはちょうどいい」
ガウルは部屋の隅に立てかけられていた一本の木刀を手に取ると、刃の重みを確かめるかのように、軽く何度か虚空を振った。
室内という密閉された空間だというのに、木刀が鋭く風を断ち切る音が、小気味よく耳に響いてくる。
「すぐそこに、訓練場がありますよ。ガウル」
「そうだったな……。あそこを使わせてもらうとしよう」
二人は穏やかに微笑を交わし合いながら、陽光の差し込む部屋を後にした。戦士たちの束の間の平穏が、そこには確かに流れていた。
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「……で、ガイストさんだっけ。あんたはここで何をしてたんだ?」
有無を言わさぬ傲然たる勢いで弟子にされてしまったジグは、青空の下、いまだ戦いの余韻に浸るガイストへ諦念混じりの問いを投げかけた。
「決まっておる。魔術師ならば、さらなる高み、研鑽を求め、日々これ修行よ」
「まあ……、大体の魔術師はそうだろうがな……」
ジグは疼くような頭痛を必死に押し殺しながら、ガイストの相手をしていた。
彼の一族には、これほどまでに己を主張する変人など存在しなかった。人間という種族の持つ底知れぬ多様さは、どうにも理解が追いつかない――彼は心の中でそう毒づいた。
二人がそんな奇妙な対話を交わしていた、まさにその時。
先ほど昏倒したはずの野盗が、いつの間にか意識を取り戻していたらしい。地を蹴り、鬱蒼とした草むらへと走り去ろうとする微かな足音が、静寂を破った。
「あ、しまった……! 縄で拘束しておくべきだったな」
「ジグ君、案ずるな。ここはワシに任せい!」
うっかり不覚を取った己の甘さを呪うジグの前に、ガイストが不敵な笑みを浮かべて傲然と歩み出る。
「反省の足りぬ小僧め! 大人しくお縄につけ!」
ガイストが太い手をかざした瞬間、大地を巡るエーテルが、目に見えぬ震えを伴って激しく舞い上がるのをジグは確かに感じ取った。この男が、常人ならざる圧倒的な実力を秘めていることだけは確かなのだが――。
「くらうがよいわ! 地霊縛封陣!!!」
またしてもガイストが、その忌々しいほどに響く名を高らかに叫ぶ。
刹那、エーテルの脈動は目に見えぬ風のうねりとなり、大地そのものが野盗に向かって牙を剥いた。まるで大蛇が得物を絡め取るかのように土塊が彼の足を捕らえる。狼狽する野盗の両手足へ、さらに不可視の魔術の縄が容赦なく絡みつき、その自由を完全に奪い去った。呼吸を塞がれた野盗は、短い悲鳴をあげる暇もなく、再び泥のような意識の底へと沈んでいった。
「ムハハハ! ワシの眼光から逃げようなどと、言語道断よ」
「確かに……凄い術だけどな。なんつーか……」
風と土、相反する二つの属性の魔術を同時に、しかも何ら淀みなく操ってみせるこの男の術理は、間違いなく一流のそれであった。
だが、相変わらず恥ずかしげもなく自らの術に名を冠し、それを戦場で絶叫するその姿には、どうしても素直な称賛を拒ませる決定的な何かが存在していた。
「フム、こやつはこのくらいで良かろう。ジグ君、次の獲物の書状を見せたまえ」
「え、あ、おい……!」
戸惑うジグの制止も聞かず、ガイストはジグの指先から依頼書を無造作にひったくり、舐めるようにその文面を確認した。
「成程……。中型の魔物か。お主の次の授業の相手としては、悪くない手合いだ。行くぞ、ジグ君!」
ガイストはそう言い放つや否や、ジグの腕を鷲掴みにし、半ば強引に次の標的が潜むであろう山奥へと歩を進め始めた。ガイストの腕力はその見掛け通り、岩石のように冷酷で力強く、ジグはただ引きずられるようにして、その背を追うしかなかったのである。
またしても、厄介な事に巻き込まれてしまった――。
ジグは独りで街を出てきた己の選択を、激しい後悔と共に振り返っていた。




