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果てしなき旅路の果てに  作者: 左岸
第一章 貿易連合国編
26/38

026 我が正義の剣を見よ!(前編)

 突き抜けるような青空を、一本の鋭い風が横切った。ヒュッ、という甲高い音が、静かな木立に不協和音を投げかける。


「……!」


 咄嗟にガウルが動いた。身の丈ほどもある大剣が鞘を走り、飛来したものを一閃の下に打ち払う。勢いを失い、地面に落ちたのは一本の毒矢。それを合図にしたかのように、一行を取り巻く茂みが不穏にざわめき始めた。


「襲撃か……!」

「気をつけてください。その矢、毒が塗られています」


 三人は瞬時に戦いの構えを取る。ジグの手のひらには魔術の予兆が青白く灯り、ガウルの巨躯はバネのように引き絞られた。アルスもまた、フードの奥の鋭い眼差しで、茂みに潜む襲撃者の気配を捉えようとする。


 やがて、藪を掻き分けて一人の大男が姿を現した。


「ケッ……中々やるじゃねえか。今のを避けるとはな」


 不敵な笑みを浮かべたその男は、ガウルにも引けを取らぬ巨躯を誇り、その場を圧するような野卑な空気を纏っていた。


「お前ら……追いはぎか?」


 ジグが相手を睨み据えて問う。周囲の茂みからは、男一人ではない不気味な気配が幾重にも漏れ出していた。せわしない風のざわめきが、伏兵の正確な位置を巧妙に隠している。


「そういうことだ、察しがいいな。……でもって、お前らの前にこうして姿を見せるってことは、どういうことだと思う?」

「ふん……。勝ちを確信しているからだろうな」


 ガウルが不快そうに鼻を鳴らした。相手を侮り、なぶり殺そうとする輩は、彼が最も忌み嫌う手合いだった。


「ははは! その通りだデカブツ。脳みそは筋肉にならずに残ってるらしいな」


 大男が嘲弄を放つ。それを合図に、茂みの中からにやけ面を浮かべた野盗たちが次々と姿を現した。三人の周囲を囲むように弓を構える者、剣を抜く者。太陽の光を浴びた毒矢の矢尻は、不吉な鈍色に光っている。


 ガウルは大男の言葉には動じなかったが、その太い首筋を一筋の嫌な汗が流れ落ちた。彼らに遅れを取ることはないが、あの毒矢の物量は厄介だ。


(……アルス、俺が合図したら光で目潰しをしろ。その隙に散開する。二人は俺から離れろ)

(分かりました、ガウル)

(一気に畳みかけるしかねえな、これは)


 三人は小声で素早く打ち合わせる。アルスの法術で視界を奪い、その隙に有利な間合いを作る。ジグとガウルが足腰に力を込め、爆発的な踏み込みの準備を整えた。


「持ってるもん全部置いていきゃあ、命までは取らねえぜ」

「へ……っ、これだけ武装しておいて、よく言うぜ」


 ジグが鼻で笑った瞬間、男の眼光が殺意を帯びて鋭くなる。ガウルは左手をわずかに動かし、合図の準備を整えた。

 戦端が開かれようとした、まさにその時だった。


「そこまでだ!」


 張り詰めた殺気の中に、毅然とした、清々しいほどに凛とした声が響き渡った。


「あぁ!? 誰だ!!」


 不意の乱入者に、大男が周囲を警戒しながら怒鳴り散らす。

 すると、茂みの奥から一人の女騎士が静かに歩み出た。

 短めの金糸の髪を風になびかせ、白銀の鎧を太陽の光に輝かせるその姿は、まるで英雄譚から抜け出した戦乙女のようであった。一歩一歩の足取りには、祭典の儀式を司る王宮騎士のごとき優雅さと風格が漂っている。


「旅往く者たちを不当に襲う狼藉者たちよ! その蛮行、我が正義の剣が見逃さぬ!」


 女はそう宣誓すると、一振りの剣を抜き放った。見事な装飾が施されたその剣は、おとぎ話に語られる聖剣のごとき美しさを放っている。実戦向きとは言い難いほどに華美ではあったが。


「テメエ……、こいつらの仲間か!!」

「フッ……。窮地にあるもの、救いを求めるものすべてが、我が同胞といえよう!」


 女は野盗の怒号を柳に風と受け流し、清らかに答えた。陽光を受けて輝く彼女の清廉さは、周囲の野卑な空気と対比され、いっそう鮮烈に際立っていく。

 ガウルは困惑しながらも、その鎧の意匠を注視していた。かつて王国で目にしたことがあるような、そんな既視感が胸を掠める。


「……? ジグ、皆さんの様子がちょっと……」

「んん?」


 アルスの微かな声に、ジグが構えを解かずに周囲を見渡した。

 野盗たちは相変わらず得物を構えてはいたが、その視線は釘付けになったように女騎士へ注がれている。突如現れた異質な存在に、戦うことも忘れて見入ってしまっているようだった。


「我が王国の誇り……そして我が家名の再興のため、ここで成敗いたす!」


 女騎士は剣を胸の前で正し、高らかに宣言する。その佇まいは、神聖王国の聖堂で洗礼を受ける若き騎士そのものであった。


「ケッ……! 一人増えようが同じだ! やっちまえ!!」


 大男の怒鳴り声が静寂を破り、野盗たちが一斉に戦いへと転じた。

 しかし、その動きはどこかぎこちない。先ほどまでの圧倒的な威圧感が、彼女の光に中和されてしまったかのような、不思議な空気が漂い始めていた。


 不意の救援を得たジグたちも、戸惑いを拭えぬまま戦いの中へと踏み込んでいく。風に揺れる木々のさざめきまでもが、この女騎士の峻烈な輝きを際立たせる舞台装置となっているようであった。


 ----------


「来るがいい、下賤の者達よ! 我が名はアルトリス!」


 女騎士——アルトリスは、朗々と自身の名を戦場に響かせた。

 野盗の一人が、その眩しさに苛立ちをぶつけるように斬りかかる。だが、彼が剣を振り下ろすより早く、白銀の閃光が走った。アルトリスの剣は、舞踏の一節を刻むかのような華麗さで男の両腕を斬りつける。

 男は激痛に絶叫し、武器を落として崩れ落ちた。彼女はそのまま流れるような動作で剣を払い、姿勢を正す。その無駄のない美しさは、凄惨な戦場にあって異様なほどに優雅だった。


「チッ……ふざけやがって!!」


 別の野盗が毒矢を放とうと弦を引き絞る。

 しかし、その指が放たれる瞬間、アルトリスは既に間合いを詰めていた。優雅に振り抜かれた刃が木の弓を粉砕し、返す刀で男の両足を斬りつける。

 見事な剣筋……だが、アルスは妙な違和感を拭えなかった。野盗たちは彼女に触れる直前、まるで何かに捕らわれたかのように動きが硬直している。


「……? なんか、こいつら手応えがねえな」

「先ほどまでの殺気が霧散しています。おかしいですね……」


 アルスの放った光球が野盗の目を焼き、ジグが紫電を走らせながら漏らした。

 対峙した瞬間に感じた、あの練り歩かれた野盗特有の狡猾な気配が、今は見る影もない。


「ふん、倒しやすくて助かる」


 ガウルが、動きの鈍った野盗の首筋に手刀を打ち込み、鼻を鳴らす。

 何はともあれ、泥沼の消耗戦にならず、毒の脅威が去ったのは幸いだった。


「ぐ……っ、クソ! テメエ……毒でも仕込みやがったか!!」


 あの大男が、顔を真っ赤にしてアルトリスに吼えた。

 彼もまた、己の肉体が意に反して重く、何かに縛り付けられているような感覚に悶絶していた。首筋に浮かぶ太い血管が、その抗いの激しさを示している。


「フ……っ、案ずることはない。我が正義の剣の輝きにひれ伏し、動きを鈍らせた者は、お前たちが初めてではない!」


 剣先を突きつけ、聖画のごとき厳かさでアルトリスが宣言する。

 その時、アルスの鋭敏な感覚が捉えた。大男の四肢から、微かな光を帯びた、極細の「糸」のようなものが伸びているのを。


「ふ……ふざけんじゃ、ねええ!!!」


 大男が咆哮と共に、その「何か」を力任せに引きちぎるような勢いで襲いかかった。

 アルトリスが剣を構え直したその瞬間、ジグの紫電と、どこからともなく飛来した小刀が同時に男を捉えた。


 電流に焼かれ、肩を小刀で射抜かれた大男は、呪詛を吐き散らしながらその場に沈んだ。小刀には強力な麻酔が塗られていたのか、彼はアルトリスを睨みつけたまま、やがて深い眠りへと落ちていった。


「すまない。加勢したつもりが、逆に助けられてしまったようだね」


 アルトリスは優雅な所作で剣を鞘に収め、凛々しい笑みを三人に向けた。


「いえ、助かりました。ありがとうございます」

「……この小刀、一体どこから?」


 アルスが礼を述べる一方で、ガウルは周囲を鋭く探る。

 傭兵として長年戦場に身を置いてきた自分ですら、今の今まで気配を悟らせなかった者が潜んでいたという事実に、内心で驚嘆していた。


「はは、サジン、出てきて構わないよ。彼らは悪い人間ではないようだ」

「……御意」


 アルトリスの呼びかけに応じ、木々の影から一人の男が染み出すように現れた。

 音を立てぬ装束に身を包み、顔の殆どを隠したその佇まいは、熟練の忍びそのものだった。


「剣士と忍びか。珍しい組み合わせだな……というか、忍びなんて初めて見たぜ」


 ジグが素直な驚きを口にする。

 サジンと呼ばれた男には、一切の隙がない。彼がその気になれば、この場の賊など一瞬で物言わぬ肉塊に変えていただろう。


「お二人で旅をされているのですか?」


 アルスが尋ねると、サジンは無言でアルスを見つめ返した。自分と同じく顔を隠す法術師に、僅かな興味を抱いたようだった。


「そうとも! 我が故郷神聖王国を立ち、魔道帝国を経て、この連合国に至ったところさ」

「はあ……。なんでまた、そんな大層な旅を」


 ジグが呆れ半分に聞く。

 アルトリスの気品ある風貌は、どう見ても貴族のそれだ。サジンはその家系に代々仕える影なのだろう。

 風が吹き抜け、彼女の金糸の髪をなびかせる。


「よくぞ聞いてくれた!私の名はアルトリス・フォン・ローゼンタール! これは我が家系の誇りのため、そして我が家名の再興のため、世直しの旅をしているのだ!」


 白銀の鎧の胸に手を当て、神々へ誓うような清らかさで彼女は言い放った。

 ジグは「聞かなければよかった」と、自分の好奇心を少しだけ後悔した。

 降り注ぐ陽光に照らされた彼女の姿は、まるで天からの祝福を一身に受けているかのように、場違いなほど輝いていた。


 ----------


(ローゼンタール……?)


 アルトリスが口にした家名に、ガウルは腕を組み、深く思案にふけった。どこかで聞き覚えがある。自分がまだ王国の騎士団に籍を置いていた、若き日の記憶の断片だろうか。十七歳で国を捨て、傭兵として荒野を渡り歩いてきた彼にとって、二十年前の記憶をたぐり寄せるのは、容易なことではなかった。


「家名復興っつーと……」


 何となく、事情を語りたそうにしている彼女の空気を感じ取ったジグが、渋々といった体で言葉を繋いだ。


「もちろんだ。我がローゼンタール家が、再び誇り高い騎士の家系としてその名を轟かせるため、私はこうして諸国を渡り歩いている」


 アルトリスは静かに胸の前で右拳を握りしめ、己に言い聞かせるように断言した。護衛のサジンは腕を組み、目を閉じて微動だにしない。主君の言葉を、空気の一部であるかのように聞き流しているようでもあり、守護しているようでもある。

 ガウルは依然として顎をさすりながら、脳内の名簿を必死にひっくり返していた。


「……ということは、今は何か理由があって、その、家名が伏せられているのですか?」


 アルスの純粋な問いに、アルトリスの表情がわずかに曇った。その瞳には、一族の無念を背負って立つ者の孤独と、やるせなさが宿っているように見えた。


「我が父は、誇り高き騎士であった……。王国ならば、その名を知らぬ者などおらぬほどに。しかし……っ! 父は王宮に仕えるには、あまりに清廉潔白すぎたのだ。醜い派閥争い、卑劣な政争に敗れ、ローゼンタール家は理不尽にも領地を追われる身となった……!」


 悔しさを滲ませる彼女の言葉に、木々のざわめきさえも同調するように激しさを増す。


「ああ……」


 その時、ガウルの脳裏に一人の男の顔が弾けた。彼がまだ父と共に騎士団にいた頃、確かにローゼンタールという家名を持つ騎士がいた。剣の腕は、確かにそれなりに立つ男ではあったのだが。


(かなりの博打好きが祟って、金に困り騎士団の資金に手をつけて追放されたはずだが……)


 ガウルが内心でその事実を反芻していると、ふいにサジンと目が合った。忍びの鋭い眼光が、一切の感情を排したまま『その事実を口にしたら承知せぬ』と無言で語りかけてくるようだった。ガウルは、自分の判断が正しかったことに安堵し、静かに口を閉ざした。もし迂闊に真実を述べていたら、今頃は喉を掻き切られていたかもしれない。


「……では、お父様の無念を晴らすためでもあるのですね」

「当然だ。それに、父の剣術が世に埋もれたままなど、王国……いや、世界の損失に他ならないからね」

「まあ……、理由としちゃあ、立派なもんだな……」


 裏事情など露知らぬアルスは、健気な決意に感心したように言い、ジグもまた、それなら仕方ねえなと頷いた。父を語るアルトリスの輝きは増すばかりで、彼女が父親を心から尊敬していることが痛いほどに伝わってくる。


(……あの男、確か短剣の二刀流だったはずだが。今の彼女は長剣一本だな……)


 ガウルは、二人の感心と彼女の夢を壊さぬよう、腕を組んだまま、一人静かに胸の内で思う。その様子に気づいたのか、サジンがまたしても鋭い視線を彼に送った。


「あ、兄者ぁぁ!!」


 その時、茂みの中から野太い声が響き、粗野な風貌の男が這い出てきた。

 しまった、とガウルは意識を切り替えた。記憶を辿ることに夢中になり、先ほど倒した賊を縛り上げるのを失念していたのだ。

 慌てて視線を走らせるが、そこには既に、手際よく縄で拘束された男たちが一塊にまとめられていた。自分が思案にふけっている間に、サジンが片付けたのだろう。


 忍びの底知れぬ実力に、ガウルは内心で舌を巻いた。サジンは何もなかったかのような佇まいで、腕を組んだまま、新たに現れた男を冷徹な眼差しで観察している。


「まだ仲間がいやがったか」


 ジグがすかさず魔術の光を指先に灯すが、アルトリスがそれを白銀の手甲で制した。


「フ……ここは私に任せてもらおう。ちょうど、皆にも今一度、父直伝の剣術を披露したいと思っていたところだ」


 前に進み出る彼女の威圧的なまでの「主役感」に押され、ジグは呆気にとられて後ずさる。旅の理由は立派だが、この、常に舞台の上にいるかのような振る舞いは一体どうしたものか……。


「テメエらか……! 俺の兄者と仲間をやりやがったのはぁ!!」


 男はアルトリスの華美な態度が余計に癪に障ったのか、激昂しながら刃を抜き放った。一触即発の空気が、再び森を支配した。


 ----------


「安心したまえ。命までは取っていない。それに、今日の日を感謝する時がいずれ来るだろう」

「な、なんだァ……テメエ……っ!」


 男が放つ血の滲むような殺気など、欠片も届いていないかのようだった。アルトリスは朗々と、まるで舞台の幕開けを告げるかのように口上を述べる。


「仲間たちと一時の間、牢に入り、更生の道への第一歩を踏み出す……。我が剣は正義の刃であると共に、迷える魂を導く慈悲深き剣でもあるのだ!」


 豪奢な装飾が施された剣を天に掲げ、そう宣言する彼女は、まさしく天の使いのような勇ましさを放っていた。もっとも、ここが人通りの稀な森林街道であることを除けば、だが。


「な、な……舐めやがってぇええ!!!」


 ついに理性の限界を突破した男が、獣のような咆哮を上げて斬りかかる。アルトリスは蝶のように華麗な身のこなしで後ろへ飛び退き、剣を正中へと構えた。

 ガウル、ジグ、アルスの三人は、もはやどう手を出したものか分からず、ただその光景を眺めていた。さながら、最前列で歴史劇を観劇する観客のようである。護衛のサジンもまた、腕を組んだまま微動だにせず主を見守っているが、その指先だけは、獲物を狙う蜘蛛の足のように微かに動いていた。


「よかろう……っ! 我がローゼンタール家の剣術、その身に受けるがいい!」


 男が得物を力任せに振り上げたその瞬間、アルトリスの剣が鋭い一閃を放った。男の両腕を瞬時に裂いたかと思うと、彼女は重力さえ無視するような流れる動作で、その両足をも斬りつける。

 男の四肢から、散る花のように鮮血が舞った。激痛に顔を歪めた男は武器を落とし、糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。


 アルトリスの剣技は、確かに見事なものだった。……が、やはり不自然さは拭えない。相手が彼女に襲いかかる直前、まるで磁場に捕らわれたかのように動きが鈍くなっているのだ。

 ジグが目を凝らして男を観察すると、先ほどアルスが捉えたものと同じ、陽光に透けるような極細の「線」が男の体から数本伸びていることに気づいた。そしてその線を辿れば、サジンの指先へと収束している。


「なるほど……。こいつは中々すげえな」


 ジグはサジンを眺め、その裏方の「仕事」の完璧さに、一人感心したように呟いた。


「……ふむ。仲間がいたということは、この辺りに根城があるか?」


 ガウルは抜いた剣を収めぬまま、警戒を緩めず周囲を見回した。

 もし彼らの本拠地が近くにあるのなら、このまま放置して立ち去るのも、背後を脅かされる危険があり厄介だ。


「ガウル、あちらの方向から……」

「ん? 向こうか?」


 ガウルはアルスが指し示す方角を見やった。

 木々が折り重なる森の深奥、光さえ届かぬ薄暗い道の先。ガウルの目にはただ静まり返った原生林が続いているようにしか見えない。


「俺は何も見えないが……。何か、その……感じるのか?」

「ええ。この道の先に、多くの人々の気配があるように思います」


 周囲にアルトリスたちがいるため、アルスは「精霊」という言葉を慎重に避け、表現を濁した。ジグが普段から口を酸っぱくして言い聞かせているおかげか、アルスもこうした世俗の「誤魔化し」に随分と慣れてきているようだった。


「仕方ねえ。逆恨みされて追われても面倒だしな。少し様子を見ておくか」


 ジグが背後から二人に近づき、低い声で同意する。


「仲間をやられた恨みで、関係のない旅人が襲われても不憫だからな……」

「そういうことなら、私も加勢させてもらうよ!」


 ガウルが微かに口角を上げてジグに頷くと、待ってましたとばかりにアルトリスが会話に割って入ってきた。

 一瞬たりとも凛々しさを失わないその佇まいは、もはや正義の執行こそが己の天命であると信じて疑わない者のそれだった。


「んん……けど、これは俺たちの問題で……」

「案ずることはない! 悪を見過ごすことは私の美学に反するからね。このサジンも手伝ってくれる。大船に乗ったつもりでいてくれ!」

「はあ……、そうっすか……」


 ジグは観念したように息を漏らした。

 かつて両親は王国の貴族だったという彼女の、あまりに迷いのない正義。育ちというのはこれほどまでに抜けないものなのかと、彼は半ば呆れ、半ば感心しながら思うのだった。


 ----------


 五人は手際よく悪党どもを街道脇へと並べ、ジグが伝言を持たせた幻獣の鳥を空へと放った。これで、近いうちに街の守備隊が彼らを回収に現れるはずだ。


 本来なら事後処理は彼らに任せるのが定石だが、もし見逃された端くれが別の旅人を襲うようなことがあればやはり寝覚めが悪い。一行は、自らの手で根城を叩くべく森の深奥へと足を進めた。


「……何用か?」


 ガウルとアルトリスが先行し、その後ろを歩いていた時、サジンはジグの射抜くような視線に気づいた。隙のないその佇まいは、森の静寂に溶け込み、周囲の気温を一段下げているかのようだ。


「あんた……変わった術を使うよな。あんな細い糸で、相手の自由を奪うなんてのは初めて見たぜ」


 ジグが指先を顎で示しながら、素直な感心を口にする。

 その瞬間、サジンの鉄面皮に僅かな動揺が走った。

 自身の「影の仕事」を一目で見抜いた者に初めて出会ったのだ。彼は反射的に拳を握り、器用な指先を隠すようにした。


「ええ、魔術であれだけの細い線を作るのは、かなりの修行が必要だと思います」


 隣を歩くアルスもまた、何の他意もない純粋な称賛の眼差しを向ける。

 サジンは居心地が悪そうに視線を泳がせた。もともと極端に人との関わりを断って生きてきた忍びにとって、真正面から術を解剖され、褒めちぎられるという事態は、いかなる伏兵の強襲よりも彼を狼狽えさせた。


「せ……拙者には、何のことか分からぬ。別に主が敵を倒しやすいよう、影から拘束などしてはござらん」


 サジンは努めて冷静を装い、いつものように腕を組んだ。しかし、その言葉はどこか、子供の言い訳のようにしどろもどろだ。


 主であるアルトリス以外の人間と、まともな会話を交わしてこなかった弊害がこんなところで出るとは……。図らずも自白する形となったサジンは、己の未熟さを呪い、心の中で滝に打たれる修行を再開するのだった。


(相手の方から寄ってこられると弱いタイプだな……)


 ジグはそう思いつつ、どこか人間味の残る熟練の忍びに好感を持つのだった。

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