017 賢者の石、再び ④
「これはまた……中々見事な墓地だね」
翌日、それぞれに準備を整えた一行は、連れ立って墓地へと到着した。
道中、かつて出くわしたような不死者の姿はなく、拍子抜けするほど静かな道のりだった。周囲は荒涼とした大地が広がっているが、おそらくはその「生」から見放された静寂ゆえに、ここが安息の地として選ばれたのだろう。眼前に広がる光景を眺め、カシムは感心したような声を漏らした。
「長い時間をかけて、少しずつ広がっていったという感じですね……」
「……墓地にも歴史あり、ってか」
ジグとエレナが、圧倒されるように呟いた。
近隣の農村すべての共同墓地として使われてきたのだろう。計画的に造られたというよりは、死者を慈しむ人の営みに合わせて、自然に膨れ上がったかのような広大さがある。人の手が入らぬ原始の森が、気の向くままに枝葉を広げていくかのように。
「……それで、アルス殿。何か感じられますか?」
「これだけ広大な土地ですと、そもそも空気が違いますね」
「……墓地の中心でしょうか。あのあたりから……」
そのあたりから、精霊たちの畏怖するような声が聞こえる――。その言葉を喉の奥に飲み込み、アルスはザイドとヴァレリアに答えた。アルスの傍らに立つガウルは、いつでも大剣を抜けるよう重心を落とし、鋭い眼光で周囲をねめつけている。
ザイドたちは馬を降り、墓地の入り口に待機させた。
七人は互いの死角を埋めるように警戒しつつ、墓地の深部へと足を踏み入れる。
中へ進むほどに、静寂は密度を増していった。カラスの鳴き声一つ聞こえぬ景色は、まるで世界から切り離され、時が止まってしまったかのようだ。
「特には……何かが出そうな気配はありませんね」
「残念。不死者の中にも美人はいるか見てみたかったのだがね」
「……見てどーすんだよ」
緊張に声を強張らせるエレナに、カシムが軽口を飛ばし、ジグが呆れたように応じる。もっとも、カシムの不謹慎な物言いは、怯える部下の緊張を解きほぐすための彼なりの気遣いでもあったのだが。
その時だった。
誰かが罠を踏んだわけでも、魔方陣を起動させたわけでもない。
突如として、真昼だというのに空に薄暗い靄が立ち込め始めた。どこからともなく地面から溢れ出した黒い煙が、瞬く間に七人を包み込み、周囲を夜の闇へと塗り替えていく。
そして、地面の至る所から、一人、また一人と「それ」が這い出てきた。
先日遭遇した獣と同じく、死霊術によって再構築された体は、もはや人としての原型を留めてはいない。
「……きゃっ! 本当に出ました!」
エレナが小さく悲鳴を上げつつも、即座に弓を構えた。恐怖心よりも、主君を守るという騎士としての使命感が彼女を突き動かしている。
「……っ! ジグ、この大地……」
「ああ、分かってる。魔法陣も何もねえ。この墓地の土そのものが、死霊術師の血で穢れてやがるんだ」
ジグとアルスも即座に得物を構えた。傍らのガウルは無言のまま、すでに抜き放った剣を低く構えている。
高位魔術の中でも、死霊術は他の術と違い、物理的な触媒を必要とする。多くは亡骸や血液だが、これほど広大な土地を汚染させるほどの血液を、一体どこから調達したというのか。
「やれやれ。せっかく夜を避けて訪問したというのに、随分な演出家だね」
「……若、我々の後ろに」
「これだけ大勢の不死者……術師は一人ではないのでしょうか」
カシムは不敵な笑みを崩さぬまま、背負っていた弓を手に取る。彼の前に進み出たザイドとヴァレリアは、流れるような滑らかな動きで剣を構え、主君の盾となった。
「……まーなんにせよ。こんだけの死霊術を回してんだ。今度はこの場にいないってわけにはいかねえはずだぜ。必ずどこかに潜んでる」
ジグが目を凝らし、術師の気配を探る。だが、急激に深まった闇の中で視界は最悪だ。アルスが即座に光の魔法を放ち周囲を照らすが、広大な墓地を隅々まで暴くには、その光はあまりに心もとなかった。
「そ、それで! こいつらの弱点はありますか!?」
「……心臓の場所に『核』がある。だな?」
「ええ!」
不安げに問うエレナにガウルが短く応じ、アルスが力強く頷く。その間にも、不死者たちは冬眠から覚めた獣のように、餓えた動きで一人、また一人と土を撥ね除け這い出してくる。
「なるほど、分かりやすくていいね。……聞いた通りだ。術師を探しつつ、互いに守りながら戦おう。……見たところ、美人な不死者はいないようだしね」
「へっ……! いたとしても、倒しづらくなるだけだろうがよ!」
カシムの号令とともに、七人は背中を預け合いながら散開した。
死霊術が支配する闇の結界の中で、熾烈な戦いの幕が上がった。
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闇の中を刃が煌めき、不死者の心臓を貫く。
ザイドの剣が胸を穿つ横で、ヴァレリアもまた流れるような所作で別の不死者の核を突く。その彼女の肩越しに、エレナの放った矢が風を切り、奥に控えていた個体を射抜いた。さらに間髪入れず、カシムの放った矢が別の敵を貫く。
「なるほど、これは中々、大掛かりな催しのようだね」
「若、油断なさいませんよう」
次の矢を番えながら、あくまでもいつもの調子で軽口を叩くカシム。その傍らで油断なく構えるザイド。四人の連携は、昨日今日で出来上がったものではないことを示す、鮮やかで無駄のないものだった。
「きゃっ!」
突然、エレナの足元の土が弾け、這い出てきた不死者が彼女の足首を掴んだ。バランスを崩し地面に倒れ込むエレナ。腐臭を放つ怪物がそのまま彼女に覆い被さろうとしたその瞬間、アルスの放った光球が目前で炸裂し、不死者を仰け反らせる。その隙を見逃さず、エレナは腰の護身用短剣を素早く引き抜き、渾身の力でその心臓を貫いた。
「ありがとうございます、アルスさん!」
「気を付けてください……! まだまだ出てきます!」
エレナが体制を立て直しつつ弓を構え、礼を言う。アルスは身を翻して敵の攻撃を避けつつ、鋭い感覚を研ぎ澄まして術師を探すが、これほどの大群の中から個体を特定するのは困難を極めた。周囲は死霊術の結界に覆われ、真昼だというのに夜の静寂が支配し始めている。
少し離れた場所では、ガウルが一人で複数の不死者を引きつけていた。
襲いかかる敵を大剣の一突きで仕留め、刺さったままの敵を蹴り飛ばして剣から引き抜くと、返す刀で次の敵を心臓ごと一刀両断にする。背後から飛びかかってきた敵には、カシムの放った援護の矢が頭を貫き、怯んだところをガウルが背後も見ずに斬り伏せた。
「へえ……、これはまた、かなりの凄腕のようだ」
遠くのガウルに大丈夫かと片手を挙げて合図を送ると、ガウルもまた礼を込めて短く手を挙げた。
「一人でこれだけの数を相手にできるとは、驚きですね」
「大型の魔物と対峙した実力、伊達ではないということでしょうな」
ザイドとヴァレリアが、さらに数体を片付けながら遠くの重戦士に感嘆の眼差しを向ける。ジグやアルスといる時の少しだけ穏やかになった雰囲気は影を潜め、今のガウルは戦場を喰らう傭兵そのものであった。
「キリがねーな! こいつら!」
ジグが悪態をつきながら、練り上げた魔術を放つ。
既に風化しきった古い亡骸も使われているのだろう。死霊術の核が露出しているような脆い敵に対しては、ジグはあえて術を特定の形に固定せず、広範囲に強力な雷撃を放って核ごと焼き切っていく。
(なんとかして……術を操る者を見つけないと……)
風が舞うかのような足捌きで敵を翻弄しながら、アルスは焦りを感じていた。どうにも術師の所在が掴めない。まるでこの空間には、自分たち以外の生者が存在しないかのような錯覚さえ覚える。そこで、アルスは決断した。ジグに止められてはいるが、背に腹は代えられない。
「……ジグ! 私が今から、死霊術師を探して貰います」
「……チッ、仕方ねえな。魔術を使ってるフリをしろよ」
「はい!」
ジグの側へ駆け寄ると、ジグはアルスを護るように位置を変える。
アルスは即座に深い集中へと入り、古の友、精霊たちへと意識を向けた。
(……精霊よ……闇を司る精霊よ……。夜を駆ける貴方たちの眼を、私に……!)
「おや? あれは魔術か……? 今日は知らないことが多いね」
カシムが戦いながら、興味深そうにその様子を観察する。
アルスが精霊たちに祈りを捧げると、その脳裏に鮮烈な光景が結ばれた。
この墓地の少し北側――古びた廟の影。そこに、一人の歪んだ影が佇んでいる。
「……! 見えました、ジグ! あそこです!」
「よし! 頼むぜ、ガウル!」
集中から覚めたアルスがその方角へ向けて光球を放つ。闇を切り裂くその光が術師の姿を露わにすると同時に、炸裂して目を眩ませ、追い打ちをかけるようにジグの雷撃が術師の四肢を縛りつけた。
ガウルはジグの怒声が響くや否や、弾かれたように駆け出した。不死者の群れを力任せに突破し、一気に距離を詰めると、その大剣を術師の身体深くへと突き刺した。
その瞬間、地を埋め尽くしていた不死者たちは糸が切れた人形のように崩れ落ち、元の静かな土へと還っていった。
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「……?」
ガウルは、死霊術師の身体に深く沈めた剣から、奇妙な手応えのなさを感じていた。
確かな命を断ち切った感触がない。まるで、実体のない空を斬ったかのような――。
術師の身体が細かく痙攣し、「ゲ……、へへ……」と、地獄の底から響くような呻き声を漏らす。ガウルは本能的な危うさを察知し、即座に剣を引き抜いてその場を飛び退いた。
「そんな、確かに身体を貫かれたはずでは……」
「どういうことなのでしょう……?」
「これ以上の演出は、もうお腹いっぱいなのだがね」
「若、様子がおかしいです。構えを解かないでください」
駆けつけたカシムたちが、険しい表情で再び武器を構える。一人で大群を相手にしていたガウルの額からは、大粒の汗が滴り落ちていた。その身体に刻まれた無数の細かな擦り傷を、アルスが油断なく周囲を警戒しながら、静かな法術で癒していく。
「あんだけ深く刺されて生きてるって……。まさか、こいつも不死者なのか?」
ジグは信じられない思いで吐き捨てた。
自らを不死者に変える死霊術師など、聞いたこともない。だが、目の前の存在は、常世の理から完全に逸脱していた。
「……ジグ、この者からは……」
「ああ、分かってる。生きてる気配が微塵もしねえよ」
アルスの囁きに、ジグは必死に思考を巡らせる。古今東西の魔術知識を紐解いても、これほどの異常は例を見ない。一体、何が起きているというのか。ガウルは二人の会話を背中で聞きながら、目の前の「モノ」がもはや言葉の通じる相手ではないことを悟り、剣を握る手に一層の力を込めた。
「へ……、へ、へ……。お……お……」
七人の困惑を嘲笑うかのように、術師が奇妙な音を漏らし始める。それはもはや言葉というより、壊れた笛から漏れ出る不協和音のようだった。
「お……お、おお……ほ、う……ぎょ、く、かみ、の……」
その濁った瞳に、暗く禍々しい光が宿る。
「『神の宝玉』……だと!? こいつ、今そう言ったのか」
「なぜ……あの者がその言葉を……」
「二十年前の元凶。なぜ今、ここで……」
「なるほど……一筋縄ではいかないらしいね、これは」
その一言に、一行の間に戦慄が走った。
ジグは翠の民の伝承を、アルスは女神の警鐘を思い出す。カシムとヴァレリアもまた、二十年前の大動乱の影に潜んでいた禁忌の言葉に、拭い難い不穏を感じ取っていた。
闇の霧が晴れたはずの墓地に、再び澱んだ空気が重くのしかかっていく。
「……! 気をつけろ、何かおかしい!」
「もうずっと、おかしいことだらけですけどね!」
「若、どうかお下がりを!」
術師が呻きとも笑いともつかぬ声を上げながら、その懐へ手を差し入れた。影と肉の境目も定かではないその足元には、どろりと黒い血が滲み広がっている。それがガウルの一撃によるものか、あるいはもっと以前から流れていたものか。
「へ……ひ、ひひ……やみ……を、ま……く、く……、も、もの……よ……」
闇を撒くもの――。
術師は誰に聞かせるでもなくそう呟き続けると、懐から一点、禍々しく赤く輝く石を取り出し、ゆっくりと天へ掲げた。
「あいつ、……『賢者の石』じゃねえか!」
「あれが……。なるほど、確かに例の宝玉に少し似ているね」
驚愕するジグの隣で、カシムもまた忌まわしきものを見るような目を向けた。
「あ……! ひ、ひひ……。き、た、れ……わが……もと、に……!」
死霊術師はその枯れ木のような指で、天に掲げた石を力任せに握りつぶした。その目にはもはや、七人の姿など映っていない。いや、最初から何も見ていなかったのかもしれない。
石が砕け散った瞬間、おぞましい赤色の霧が術師を包み込んだ。その霧の中から、畏怖とも歓喜ともつかぬ、地響きのような唸り声が響き渡る。
「これは……そんな……」
信じられない思いで凝視する一行の前で、術師の身体は見る影もなく変質していった。
人であった過去を塗りつぶし、その肉をただの「材料」として、新たな悪意ある生命が再構築されていく。それは、神の摂理を嘲笑う、禁断の変生であった。
霧が晴れた後に姿を現したのは――。
巨大で、おぞましくも禍々しい、漆黒の獣であった。




