015 賢者の石、再び ②
「なるほど……。これは中々、凄腕の傭兵達が引き受けてくれたらしいね」
領地での休息を終え、東方への視察に赴いたカシム一行は、かつてジグたちが死闘を繰り広げた地下遺跡へと足を踏み入れていた。道中、小規模な魔物の群れを何度か退けたものの、人々の間に広がる不安の影を、カシムは敏感に感じ取っていた。
「これほど大型の魔物を二体も。しかもこの狭い空間で……」
「どんな人たちだったんでしょう。余程の場数を踏んでいなければ、こうも鮮やかには仕留められません」
ヴァレリアとエレナが、風化し始めた骸の痕跡を調べながら感嘆の声を漏らす。彼女たちとて一線級の武官ではあるが、この閉塞感漂う地下で、名もなき傭兵が成し遂げた戦果には驚きを隠せなかった。
「結局、街では行き違いになったからねえ。傭兵とは気まぐれなものだが、これほどの腕利きが野にいるとは……」
「若、こちらを」
ザイドの低い声に導かれ、一行は最下層、あの不気味な儀式の間へと辿り着いた。扉の隙間から漏れ出す冷気は、魔術の火が消えた今なお、かつてここで起きた「異常」を物語っている。
「私が開けましょう。カシム様はお下がりください」
エレナが緊張した面持ちで歩み寄り、ヴァレリアの援護のもと慎重に扉を押し開ける。
そこに広がっていたのは、床から壁一面に呪詛のような文字列だけを残し、効力を失った魔法陣が沈黙する、異様な光景だった。
「うわあ……予想以上に趣味が悪いですね」
「エレナ殿、足元に。割れた魔導具の破片が散らばっております」
ザイドが注意を促す中、カシムは部屋の中央へと進み出た。報告書通り、いや、それ以上に徹底的に「無力化」された部屋の様子に、彼は思案するように腕を組む。
「……カシム様、これを」
入口付近で屈んでいたヴァレリアが、魔法陣の一部を指し示した。
「この陣、つい最近まで生きていたはずです。ここ……一筋の切り込みで完全に回路が断たれている。何らかの物理的な衝撃、あるいは高密度の魔力による強引な介入によるものかと」
「へえ? これだけ大掛かりな術式を、一撃で打ち消したのか。実に面白いね」
カシムはその場に屈み込み、魔法陣の断面をなぞった。知略を巡らせる者として、その鮮やかな手際に知的好奇心を刺激されずにはいられない。
「若、こちらには何かを焼いた跡が」
「それにこの染み……最近の血痕ですね」
背後でザイドとエレナが新たな痕跡を見つける。カシムは二人のもとへ歩み寄り、灰の山と、壁に飛び散った乾いた飛沫に目を細めた。
「灰か。機密文書か、あるいは呪具を処分した跡かな。血痕もまだ新しい。ここで激しい戦闘でもあったか……」
「普通の傭兵なら、魔物を倒せばさっさと去るはず。わざわざ部屋中の魔導具や実験器具まで壊して回るなんて、手間がかかりすぎます」
「正義感の強い方たち、ということでしょうか?」
ヴァレリアの言葉に、エレナが目を輝かせて付け加える。
「はは。正義感か、それとも後腐れを嫌う慎重さか。いずれにせよ、ただの賞金稼ぎじゃない。ザイド、ギルドでの聞き取り結果は?」
「はい。赤髪の魔術師、顔を隠した法術師、そして抜きん出て大柄な戦士。その三名であったと」
「なるほど。顔ぶれを聞くだけでも愉快な旅の一行のようだ」
カシムは愉快そうに唇を歪めた。しかし、その直後、彼の瞳は次期諸侯としての鋭さを取り戻す。
「……ザイド、この場所の所有者を徹底的に洗わせろ。この規模の実験場、個人の道楽では済まないはずだ」
「直ちに、若」
一通りの調査を終え、一行が部屋を去ろうとした時、カシムの足が止まった。壁の一角。周囲の意匠に溶け込みながらも、ごく最近、何者かが手を触れたような微かな違和感。
「若、いかがなさいましたか?」
「いや、ちょっとね。ここの主は、隠し事が好きだったらしいよ」
軽口を叩きながら、カシムが壁の不可視の仕掛けを解く。
隠し戸が静かに開いたその先、そこにあったものを目にした瞬間。
カシムの瞳には、以前ジグがその奥底に宿していたものと同じ――嘆きと、慈しみ、そして深い哀れみが混じり合った複雑な光が宿った。
その猫には見覚えがあった。
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森林の街道を進む三人の旅人がいた。
木々が深く、陽光を遮るほどに生い茂る中を、ジグたちはあてもなく西へと進む。地下の遺跡という、およそ平穏とは言い難い場所で結ばれた三人だったが、彼らの絆は、不思議なことに日に日に深まっていくかのようだった。
それは、寄る辺なき孤独を共有する者ゆえの、共鳴だったのかもしれない。
「……二人とも、その……」
大柄な戦士、ガウルが少し言い淀むように口を開いた。二人と旅を共にするようになってからというもの、この寡黙な傭兵は、少しずつ自らの思いを言葉にするようになっていた。それは仲間を得たことによる、心の中の孤独という氷が溶け出した証だったのだろうか。
「なんだ?」
「どうしました、ガウル」
歩を緩めぬまま、ジグとアルスが聞き返す。
周囲には木々のさざめきと、時折響く鳥のさえずり以外に物音はなく、静謐な道のりが続いていた。
「いや……その、少し頼みたいことがあってな……」
ガウルは、なおも言いにくそうに言葉を濁す。二人は、その様子をどこか不思議そうに眺めた。
ガウルが意を決して何かを告げようとした、その時である。
茂みがガサリと音を立て、何かが這い出てきた。
それは野生の狼の成れの果て、のようにも見えた。しかし、酷く爛れた体はその獣を異様な姿に変質させており、もはや元の生き物の面影を留めてはいない。傷口から滴り落ちる濁った液体は、この化物の血液なのだろうか。
「……っ!」
獣がこちらを認識するより早く、ガウルの指が動いた。放たれたナイフが吸い込まれるように獣の首筋を貫く。不快な鳴き声を上げて倒れ伏した獲物へ、ガウルは警戒を解かぬまま歩み寄ろうとした。
「……待ってください! まだいます!」
「…チッ! いつの間にこんなにいやがった」
アルスの鋭い警告に、ジグが即座に構える。周囲の闇から、さらに三匹の奇怪な獣たちが姿を現していた。
ガウルが背の剣を引き抜いた瞬間、先ほど絶命したはずの獣が、ぎこちない動きで立ち上がった。
「こいつ……まだ息があるのか?」
襲いかかる獣の腹を、ガウルの剣が鋭く切り裂く。だが、臓物をぶら下げながらも、獣は何事もなかったかのように再び牙を剥いた。
「こいつら……不死者か!」
ジグが悪態をつく。
致命傷を負っても活動を止めぬ異形。それは自然界には存在し得ぬ、呪われた命。ならば、答えは一つしかない。
「ガウル! 不死者なら、心臓のあたりに魔術の核があります!」
「なるほど……分かりやすくて助かる!」
アルスが光球を炸裂させ、獣たちの視界を奪う。その一瞬の隙を突き、ガウルの大剣が狙い心臓の核を粉砕した。
ガウルは剣を引き抜く勢いのままナイフを放ち、別の一匹を怯ませてからその心臓を貫く。ジグもまた、凝縮した光の槍を練り上げ、一匹の核を正確に射抜いた。魔術で一点を貫くには武器の形に固定せねばならず手間はかかるが、ジグの手際に淀みはない。
残る一匹が呪文を準備中のジグへ飛びかかろうとしたが、アルスの光球が再びその目を焼き、ガウルがトドメを刺した。
ほんのひとときの交戦。しかし三人の間には、既に中々の連携が出来上がっていた。
「まーた厄介なのが出てきたな……」
ジグは溜息をつきながら、不浄な亡骸を調べるべく腰を下ろした。核を壊された不死者は、みるみるうちに崩れ、灰へと変わっていく。
「ゾンビ、というやつか。昔、やりあったことはあるが……」
ガウルは、苦い過去の記憶を呼び覚ましていた。かつて不死者に襲われた村を救うべく駆けつけたことがあるのだ。正直、二度と相対したくはない相手だった。当時は闇雲に斬り伏せるしかなかったが、核を壊せばいいという知識があれば、あのような苦戦はしなかっただろう。
「ジグ……不死者ということは」
「ああ、死霊術だよな。術師はまだどこかに潜んでるはずだ」
またもや面倒事が舞い込む予感に、ジグは乱暴に頭を掻いた。あの地下遺跡の術師とは結局出会えなかったが、この不浄な輩を作り出した人物も、同じ根を持つ存在である可能性は高い。
「近くに農村がある。聞き込みでもしてみるか?」
「仕方ねえ……歩いてるだけでいきなり襲われるのも御免だからな」
気乗りしないジグを連れ、三人は近くの村へと足を向けた。
森林は、この地に這い出した不浄な者たちのことなど知らぬように、今日も変わらぬ静かなさざめきを響かせ続けていた。
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「手がかりなし、だったなぁ……」
焚き火の爆ぜる音に混じって、ジグが重い溜息を吐き出した。
結局、立ち寄った農村で得られた収穫は無きに等しかった。村人たちは平和そのもので、不審な術師の影はおろか、家畜が消えたという話すら出ない。唯一の情報といえば、村から一日ほど歩いた荒野の果てに、古くから使われている墓所があるということくらいだった。
小さな農村ゆえに宿場もなく、三人は村外れの安全な場所で野営をすることに決めた。不意の夜襲に備え、獣避けの香を焚き、交代で見張りを行う。これならば、たとえあの不浄な獣たちが再び現れても後れを取ることはないだろう。
「ガウル、昼間に言いかけたお話は、なんだったんですか?」
アルスが、焚き火の揺らめく炎越しに問いかけた。夜の闇と火影に照らされた彼の横顔は、昼間とはまた違う、静謐な銀細工のような輝きを放っている。
「ん……、んん…………」
ガウルは喉の奥で唸り、視線を落とした。いざ話す機会が訪れると、言葉というものは存外、重く喉に支えるものらしい。
「遠慮しなくったっていいじゃねーか。減るもんじゃなし」
ジグもまた、薪を突きながらガウルを促した。火に照らされた彼の赤髪は、まるで意思を持つ炎そのもののように鮮やかに燃え上がって見える。
焚き火が何度か風に煽られ、パチリと大きく爆ぜた。それを合図にしたかのように、ガウルはぽつりぽつりと、重い口を開き始めた。
「その……魔術を、教えてはもらえないだろうか」
「魔術を?」
「……ああ」
「例えば、どんなのだ?」
自分よりも遥かに若く見える者たちに教えを請うことに、ガウルは居心地の悪い気恥ずかしさを感じていた。もっとも、ジグは七十年ほど生きているので、ガウルより歳上ではあるのだが。
「……何も分からん。才能が無いと思って、学ぼうともしてこなかった」
ガウルは耳の付け根が熱くなるのを感じた。それが焚き火の熱のせいなのか、それとも己の無知をさらけ出す羞恥のせいなのか、彼自身にも分からなかった。
「なら、最初からだな」
「ええ、喜んで。私たちで良ければ」
てっきり鼻で笑われるかと思っていたガウルは、意外そうに顔を上げた。
二人がそんな不作法な真似をしないことは分かっていたはずなのだが、かつて王国で「魔術を使えぬ不器用な男」と揶揄された記憶が、今なお彼の胸の奥に澱のように沈んでいたのだ。
「いいか。ただ火を出すとか、氷をぶつけるとか、そういう現象そのものは初級だ」
「ええ。そして、それらを武器や防壁の形に固定させて、実戦に耐えうる強度にするのが中級ですね」
「そんでまあ、山を吹き飛ばすような大爆発とか、バカでかい龍の形にして暴れさせるのが上級だ」
「……そうなのか」
ガウルは、二人が自分に分かりやすいよう、言葉を噛み砕いてくれていることを即座に理解した。彼らのこういう、押し付けがましくない優しさが、命を拾ってくれた後も、共に行こうと決めた理由の一つだった。
「それで……今日遭遇したような死霊術や、先日ガウルが受けた精神を焼く炎。ああいう世界の理を歪めるようなものは、高位魔術と呼ばれています」
「こんなポンポン高位魔術を使う物騒な奴が、そう何人もいてたまるかってんだがなあ……」
アルスが引き続き解説を加え、ジグは不機嫌そうに鼻を鳴らした。焚き火の炎は三人の真ん中で、まるで彼らの心を繋ぎ止めるように激しく揺れている。
「……俺にも、使えるようになるだろうか」
意を決して、ガウルは聞いた。
ずっと背を向けてきたもの。けれど、今は少し向き合ってみたいと思える。王国のこと、父との約束……その停滞した運命を動かす一歩として、魔術を学んでみたいと思ったのだ。
「うーん……魔力自体は、あんたの体の中にちゃんとあるな」
「俺の中に、か?」
「はい。清らかな、力強い魔力がありますよ、ガウル」
かつて「魔力まで筋肉に変えてしまった男」とまで言われた自分の中に、まだそんなものが残っていたとは。ガウルは信じられない思いだった。
「派手な呪文は難しいかもしれねえが……アルがやってる目眩ましや、自分を守るくらいの防御術なら、どうにかなるかもしれねえ。まあ、何かあんたに合うやり方を考えておく」
「そうですね。私もガウルにぴったりの術を考えてみます」
「……そうか。すまないな」
変わりたいという自分の秘めた決意を知ってか知らずか、当然のように手を貸してくれる二人に、ガウルは胸の奥が熱くなるのを感じた。
「……俺が魔術を扱えるかもしれんとは、夢にも思わなかったな」
「へっ、高位魔術をまともに食らって、なおピンピンしてるんだぜ? ただの人間なわけねーだろ」
「はは、違いない」
三人の間に、柔らかな笑い声が広がった。
虫たちは夜の闇でささやき合い、夜風は優しく吹き抜けて、焚き火の炎を暖かく揺らし続けていた。




