012 君、過ぎ去りし日の思い出に(前編)
「うえ……きもちわりい……」
潮風に揉まれ、断続的に突き上げる波の揺れに、ジグは船縁の一角で幽霊のようにうなだれていた。
活気溢れる港町に立ち寄り、いくつかの依頼を片付けて次なる目的地へ発とうとしていた矢先のこと。折よく港に戻り、威勢よく水揚げをしていた漁船の姿が、彼らの運命を狂わせた。
未知の乗り物である「船」を初めて目の当たりにしたアルスは、瞳を輝かせて興味津々といった様子。ガウルは過去に何度か経験があるようだが、ジグにとっても実物を見るのはこれが初めてだった。
「どういう仕組みで浮いているのでしょうね?」
「さあな……。魔力じゃなさそうだが」
珍しく抑えきれぬ好奇心に突き動かされたジグは、あろうことか船上での追加案件を引き受けてしまったのだ。内容は、近隣の離島への食材や資材の仕入れを手伝うという、至極簡単な護衛兼作業代行のはずだったのだが……。
「う……、うう……。断言する。俺は、もう二度と……これには乗らねえ……」
「大丈夫ですか、ジグ? 顔が真っ青ですよ」
絶え間なく続く不規則な揺動に、ジグの三半規管は完全に白旗を揚げていた。世の中にこれほどまでに苦痛な乗り物が存在することが信じられない、といった体だ。そして、何食わぬ顔で談笑している漁師たちや、けろりとしているアルスとガウルの神経さえ疑い始めていた。
「一度吐いちまえば楽になるぞ。ほら、こっちを向け」
「やだね……んな、かっこわりいこと……死んでも……」
「意地を張るな。見てるこっちが酔う」
「や……やめ、ろ……揺らすな……。……う、うう……っ」
魔術師としてのプライドだけは死守せんとするジグの背中を、ガウルの岩のように逞しい手が容赦なくさすり、半ば強制的に逆流を促し始める。
「ジグさん、本当に大丈夫でしょうか……」
二人が人知れず凄惨な攻防を繰り広げているのを他所に、一人の若い漁師がアルスに親しげに声をかけた。
「ええ、多分……今はそっとしておくのが一番ではないかと」
「これ、良かったら使ってください。酔い止めなんで、もう手遅れかもしれないっすけどね」
「ありがとうございます、カイトさん」
カイトと呼ばれた青年は、漁師らしく陽に焼けた肌と、波風に鍛えられた均整の取れた体つきをしていた。仕事の邪魔にならぬよう短く切り揃えられた髪が、潮風を受けて爽やかになびいている。
「でも、今回は三人に手伝ってもらって本当に助かりましたよ。先日の大雨であんなに島が荒れてるなんて思いもしませんでしたから」
「ガウルが頑張ってくれたおかげですね。私たちは見ていただけのようなものです」
資材の積み込みに訪れた離島は、先日の豪雨の影響で倒木が道を塞ぐなど酷い状態だったが、ガウルがその怪力で巨木を次々と撤去し、作業を大幅に短縮させたのだ。
ジグも本来なら魔術で貢献できたはずなのだが、その頃には既に「魔術どころではない」状態に陥っていたのである。
「いいから吐け。袋に全部出すんだ」
「嫌だっつってんだろ……絶対に、出さねえ……。う、……っ」
離れた場所では、依然として男二人の不毛な争いが続いている。
アルスがカイトから受け取った薬を届けようとした、その時だった。
背後――船の船尾の方から、パシャリと水が跳ねるような音と、場にそぐわぬ軽い物音が響いた。
「……? 何だろう。ちょっと見てきます」
カイトが不審に思って音の主へ向かい、アルスもその後に続く。
カイトが積み荷の陰に辿り着くと、そこには一人の少女が佇んでいた。幼い子供というわけではなく、かといって完成された大人でもない。その危うい境界に位置するような、透き通るほどに綺麗な少女だった。
「ほら、約束通り持ってきてあげたわよ」
少女はカイトの姿を認めるなり、勝ち誇ったような笑みを浮かべて右手を差し出した。
その白い掌の上には、陽光を弾いて七色に輝く、見たこともないほど美しい宝石が乗っていた。
潮風を孕み、彼女の緩く波打つ青く澄んだ長い髪が、まるで海そのものが揺らめくように優雅に踊っている。
「え? 持ってきたって……君は?」
「なによ、まさか忘れたの!?」
少女はカイトの困惑した表情を見るなり、露骨に憤慨して手を引っ込めると、彼の方へずかずかと詰め寄った。その一歩一歩に、明確な機嫌の悪さが滲み出ている。
「五年くらい待っててねって、言ったじゃない!本当に忘れっぽいんだから!」
「あ、いや……。悪いけど、多分……人違いじゃないかな、って……」
あまりの剣幕に圧倒され、カイトは引き気味に言葉を返す。
二人の言い争う声の大きさに、異変を感じたアルスが、そっとカイトの背後から様子を覗き込んだ。
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「どうかしましたか? カイトさん」
アルスが、困惑する二人の間に割って入るように優しく声をかける。
「カイト……?」
少女は、その名に全く聞き覚えがないといった様子で不思議そうに反芻した。それから、改めてカイトの顔や全身をしげしげと、品定めでもするように眺め回す。
「なによ、あんたカイトって言うの?」
「え? ああ、そうだけど……」
カイトは彼女のあまりの勢いに圧され、曖昧に頷くしかなかった。そもそも、この大海原の真ん中で、いつの間に彼女が船に乗り込んでいたのか。そんな当然の疑問すら差し挟ませないほど、彼女の存在感は強烈だった。
「もう! ホントに紛らわしいんだから! 私の知り合いと似たような顔しないでよ!」
「そう言われてもなあ……」
「誰か、お探しの方でもいらっしゃるんですか?」
もはや完全に少女のペースに呑まれているカイトを助けるように、アルスが問いかけた。この短い時間の間にも、くるくると表情を変える彼女には、嵐の前の静けさと激しさが同居するような、不思議な魅力が宿っていた。
「そうよ! 『珍しい宝石を絶対持ってきてあげるから、五年は待ってて』って、あいつに言ったのよ!」
「五年も……ですか?」
アルスは驚きに目を見開いた。
しかし、彼女の指の隙間から零れ落ちる色彩は、その歳月を費やすに値する価値があることを雄弁に物語っていた。陽の光を吸い込み、内側から発光しているかのようなその石は、神の手による芸術品のようでもあった。
「そうよ。これは『海の涙』っていう、すっごく珍しいものなんだから! それなのに、あいつときたら、こんな日に限って漁に出てないなんて……!」
「漁師の方なんですね、探しているお相手は」
「ガレって名前よ。知らない?」
カイトは記憶の網を広げてみたが、心当たりはなかった。彼の住む街は漁師の数も多く、一度海に出れば数ヶ月は戻らぬ者も珍しくない。まだ若い自分には縁のない、年嵩の先達だろうか、と彼は考えた。
「まあいいわ。街に着くまで乗せてって。そこで探すから」
「……そういえば君、いつの間にこの船に?」
「さっきよ。泳いでたらあんたたちの船が見えたから」
当然のことのように言い放つ彼女に、カイトは絶句した。よく見れば、彼女の衣服は潮水に濡れた跡がある。この宝石を求めて深海へ潜り、浮上したところにたまたま通りかかったカイトの船を見つけ、そのまま乗り込んできたというのか。
(……自分の小舟が流されたか、最初から無茶な泳ぎをしてたのか……)
カイトは、荒れ始めた波を見やりながら、彼女の身の上の危うさに戦慄した。
「まあ……いいけど。なら、俺も街に着いたら探すのを手伝おうか?」
「そうですね。皆で探せば、きっと早く見つかるはずです」
二人の申し出に、少女――ネリアは、最初は獲物を狙う猫のような鋭い視線で警戒を見せた。しかし、二人の瞳に宝石への卑俗な欲望がないことを悟ると、ふっとその険を解いた。
「そう? まあ、すぐ見つかると思うけど。……私はネリア。よろしくね」
彼女は短く自己紹介を済ませると、不敵に微笑んだ。
吹き抜ける潮風が再び彼女の青い髪を揺らし、その姿は一瞬、透き通るような幻影のようにすら見えた。
――その頃。
アルスたちの遥か後方では、ついにガウルの執拗な介抱(攻勢)に屈したジグが、限界を迎えていた。
船酔いの凄まじい吐き気と共に、今日の昼食も、男としての意地も、そして「魔術師」としての高潔なプライドも……すべてが等しく、袋の中へと盛大にぶちまけられていくところであった。
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「ネリアさんは、何故その宝石を探していたんですか?」
港へと帰還する船の上、飛沫を上げる波の音に混じって、アルスがふと問いかけた。
「海の涙」――その名に違わぬ神秘的な輝きを放つ石は、ただ海を泳いでいて見つかるような代物ではないはずだ。
「ガレって奴が、装飾品を作るのが好きなの。でも、あいつが作るのって地味なものばっかりでさ! 見ててじれったいから、私が最高に良い材料を持ってきてあげるって言ったのよ」
「装飾品かあ……。確かにこの街は、漁の合間にそういうのを作る職人も多いっすよ」
「ほんと、漁師をやりながら装飾品も作りたいなんて、欲張りなんだから」
そう語るネリアの横顔には、隠しきれない慈しみが滲んでいた。アルスはその表情を見て、彼女が五年の歳月をかけて手に入れた至宝をガレに見せ、彼が腰を抜かして驚く様を心待ちにしているのだと悟った。
その後、船は順調に風を捉え、一行を懐かしい活気に満ちた港町へと送り届けた。
ジグはといえば、吐ききった後も船酔いの余波で満身創痍。ガウルは「まだ胃に残っているんじゃないか」と余計な心配をして、親切心(という名の拷問)で彼の背中をさすり続けていた。
「……で、そのガレってのは、結局どんな面なんだ?」
「だから、さっきから言ってるじゃない。このカイトによく似てるわよ」
港に降り立ち、地面の揺れない確かな感触にようやく人心地ついたジグが、ネリアへ尋ねる。
離島で夜を明かして戻ってきたため、街はまだ朝の清々しい空気に包まれており、これから一日の喧騒が始まろうとしているところだった。
「似ている、だけではな……。人違いということもある」
「俺に似てる人……心当たりはないっすね。同年代の漁師はだいたい顔見知りなんですけど」
ネリアの漠然とした答えにガウルが低く唸り、カイトは困り果てたように首を振る。
「世界には自分に似た人間が三人いる」などという迷信を頼りに、この広い街から一人を探し出すのは、砂浜で一本の針を探すようなものだ。街には地元の漁師のみならず、交易の旅人や流れの傭兵たちが絶え間なく行き交っている。
「とりあえず、港の組合へ行ってみましょう。長年ここにいる方なら、知っているかもしれません」
アルスの提案に従い、一行は漁師たちが集う組合の詰め所へと足を運んだ。
しかし、あいにく今日は若い衆ばかり。彼らの口からは「ガレ」という名に心当たりがある者は一人も出なかった。
「明日になれば、離島の漁から年長者たちが戻ってくる。そいつらに聞いてみな」という言葉を残され、一同は肩を落として詰め所を後にした。
「街の奴らに聞いて回ったが、収穫なし、か」
「手がかりがカイトの見た目だけじゃ、致し方あるまいな……」
ひとしきり歩き回った後、潮風の吹き抜ける高台でジグとガウルは腕を組み、思案に暮れていた。歩き回ったおかげで、ジグの三半規管はようやく「陸の感覚」を取り戻し、元気を取り戻しつつあった。心の奥底で「二度と船には乗らぬ」という呪いのような誓いを刻み込みながら。
「ここが、カイトの家なの?」
行く当てのないネリアは、アルスに連れられてカイトの自宅で休息をとることになった。
「そうだよ。年中、漁に出てばかりだから、何もないけどね」
「この装飾品……カイトさんが作られたのですか?」
アルスは、質素な壁に飾られたいくつかの細工物に目を留めた。
都会の商人が扱うような洗練された美しさはない。だが、一つ一つの継ぎ目に、作り手の体温が宿っているような、不思議な温かみを感じさせる品々だった。
「……そいつは、母さんが作ったやつだよ。今は病気がちで、父さんと一緒に別の街で静養してるんだ。空気の綺麗な街の方が、体にはいいって話でさ」
カイトは、今はいない母の面影を追うように壁の装飾品を見つめて言った。
彼の母は、夫や息子が海へ出ている手持ち無沙汰な時間にこうした細工を作り、時には街の市場へ出しては、ささやかな喜びとしていたのだという。
「ふーん、結構いいじゃない。カイトは作らないの?」
ネリアも二人に並び、興味深げにそれらを眺めた。
こうして好奇心に瞳を輝かせる彼女を見ていると、アルスには彼女が、海から迷い込んできた珍しい生き物そのもののようにも思えた。
「いや、俺は……手先が器用じゃないから」
「ガレだってそうだったわよ。諦めなさいって何度も言ったのに、あいつ、指を傷だらけにして練習して……見てるこっちが嫌になっちゃうくらいだったわ」
カイトが少し照れくさそうに頭を掻くと、ネリアは遠い日を懐かしむように語り始めた。
ガレの話をするときの彼女は、いつにも増して表情が豊かに揺れ動き、その可憐な容姿にいっそうの輝きを添えていた。
やがてジグとガウルも合流し、高台の小さな家を囲む空気は、次第に濃い夜の色に染まり始めていくのだった。
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翌朝、ネリアは昨日ジグとガウルが佇んでいた高台にいた。
「ネリア、ここにいたんだ」
街を俯瞰する彼女の背後から、カイトが声をかける。
朝の光を浴びて、潮風に遊ぶ彼女の青い髪は、やはりこの世のものとは思えないほど透き通った美しさを湛えていた。
「なーんか……五年経っても、あんまり変わらないわね、この街」
「はは、五年じゃなかなか変わらないよ。石造りの家ばかりだしね」
カイトは彼女の隣に並び、共に眼下の景色を眺めた。
五年前はまだ両親と共にこの家で笑い合っていたことを思うと、胸の奥に懐かしさと、少しばかりの寂寥感がせり上がってくる。街を行き交う人々や、沖へと向かう漁船の群れは、あの日から何一つ変わらぬリズムで今日という日を刻んでいた。
「少し前まで、大きな祭りがあったんだろ?」
ジグが気だるげに言葉を投げながら、二人のもとへ歩み寄ってきた。
彼らがこの港町に足を踏み入れる直前まで、ここでは大漁を祈願する盛大な祭りが行われていたのだ。一行は宿でその話を聞き、「せっかくなら見てみたかったな」と肩を落としたものだった。
「そうなの? ガレもよく祭りに駆り出されてたわ。私も見たことあるわよ、ここの祭り」
「ネリアさんは、どちらにお住まいなんですか? 街の方ではないんですよね」
ジグに続いて現れたアルスが、素朴な疑問を口にした。ガウルもその大きな身体を揺らしながら、静かに彼女の答えを待つ。
「この辺りよ。街の中にはめったに来ないけど、海沿いの方にね」
「結構いいお祭りやるのよ、ここ。派手だったし、賑やかで」
「……うーん、そう言ってもらえると嬉しいけど、そんなに大層なもんでもないよ」
過去の祭りを思い出し、慈しむような目を細めるネリア。その表情は、当時の喧騒を目の当たりにしているかのように生き生きとしている。
カイトは自分の故郷の祭りに誇りを持ってはいたが、王都のような大都市の華やかさに比べれば見劣りすると自覚していたため、彼女の過分な評価に少し照れ、謙遜してしまうのだった。
「さて、年長者の連中が戻るのは夕方だそうだが……それまで街で聞き込みでもするか?」
ガウルが誰に問うでもなく、重々しい声で提案した。
数日前の豪雨が嘘のように空は晴れ渡り、眼下の街には、蟻のように忙しなく人々が行き交う活気が満ちている。
一行は誰が先導するでもなく、示し合わせたようにゆっくりと歩き出した。
ネリアが五年越しの約束を果たすべき相手――「ガレ」という男の影を追って、彼らは再び、潮の香る雑踏の中へと消えていった。
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五人は連れ立って街を練り歩き、ガレの手がかりを探したが、特に何ら収穫を得ることはできなかった。五年前に彼が住んでいたという場所も、引っ越してしまったのか今は別の建物となっていた。
いつの間にか捜索はアルスとネリアの観光へと姿を変えていた。案内役を引き受けたカイトが、人々にガレの名を尋ねて回る傍らで、一行はこの街の素朴な民芸品などを見て回ったのである。
「……結局、なんも分からなかったなあ……」
「そうだな……」
歩き疲れたジグが、凝り固まった体を伸ばしながらガウルに漏らし、ガウルもまた太い腕を組み、思案げに頷く。
「街を出たのかしら……。必ず見つけてきてあげるって言ったのに。……薄情な奴」
ネリアが街を行き交う人々を眺めながら、どこか寂しげに零した。その手には「海の涙」が固く握られたままだ。
「まだ分からないよ。その人も漁師なんだろ? 遠出をしていて、まだ帰ってきていないだけかもしれないし」
「……あ、あそこに。昨日は見かけなかった船が戻ってきているようです。話を聞いてみましょう」
カイトがネリアを気遣うように声をかけている横で、アルスが遠くの港に見慣れぬ船影を認めた。おそらく、昨日は不在だった年長者たちの船なのだろう。
ネリアは「そうね!」と気を取り直した様子で、再び漁師の集まる組合の方へと歩き出した。
「ガレ、なんて奴あ、知らねえなあ……」
戻ってきたばかりの年長者たちを捕まえて聞いて回ったものの、やはり彼を知る者は誰一人としていなかった。ネリアの話によれば、年齢はおそらく三十歳ほど。五年が過ぎた今なら三十五歳あたりか……。それほどの若者なら、働き盛りの漁師として界隈で名が通っていても不思議はないのだが。
「五年前には確かにいたのよ! 凄く大きなお祭りをしていた時、あいつったら、自作の装飾品を夜店で売っていたもの」
「五年前の、祭り……?」
ネリアは記憶を懸命に手繰り寄せながら訴える。
「ええ、凄く盛大なお祝いをしていたじゃない。偉い人も大勢来ているって、ガレが言っていたわ」
「五年前か……」
カイトもまた記憶を遡る。祭りは毎年行われるが、果たして首都から貴族や領主が列席するほどの規模だっただろうか。
ジグはそんなネリアを注視しながら、何事かを深く考えている様子だった。ガウルとアルスも周囲を見回し、それらしき人物がいないか探りを入れる。
「偉い人も来た、って……。嬢ちゃん、そりゃあ五十年前の、この街の開都五百周年を祝った時の祭りのことじゃねえのか?」
「……五十年前?」
ガウルが思わず聞き返した。
一人の漁師がようやくの思いで記憶の底を浚い、彼女が語る祭りの正体に辿り着いたのだ。
この漁師がまだ幼子だった頃、街の繁栄を祝う特別な催しがあった。盛大を極めたあの祭りには、確かに周辺の街や首都から有力者たちがこぞって祝いに駆けつけていた。
「毎年の大漁祈願じゃ、偉いさんなんて来やしねえからな……」
「ですが……だとしたら、それは……」
「五年が、五十年、って……」
アルスとカイトが、事の次第を飲み込みかねて困惑の声を上げる。一体、この埋めようのない食い違いは何だというのか。
彼らの背後で、ネリアは大きく瞳を見開き、「海の涙」を胸の前でぎゅっと強く握りしめた。
「…………うそ…………」
彼女が震える唇から零した言葉は、そのまま、波の下へと消えていくかのようであった。




