呼び出しと玄冥本邸
なかなかほのかの手の怪我も戻らず、彼女が泣いて嫌がっても相変わらず手当てと全身拭かれる行為は終わらず、ほのかは拗ねていた。
彼女はなんとか着物を着たものの、黒斗はどこ吹く顔で着流しを着ていた。
「スケベ、変態!」
「誰がスケベで変態だ。そんな訳あるか」
「あたし嫌がったのに、全然人の話を聞いてくれなかった!」
「……他のにさせたくない。今日は少々陰陽寮から呼び出しを受けているから出かけてくるが。ほのかはここでじっとしていろ。あと」
黒斗は一瞬中庭に視線を向けたあと、すぐに視線をほのかに戻した。
「……本家からなにを言われても、絶対に出るな。俺が帰ってきたら話を応じるから」
「……うん」
勝手場で使用人たちから聞いた話を思い返し、ほのかは複雑な心境になりながらも頷いた。
(……黒斗は本家から相当絞られているみたいだけど……でもあたしに言わずにずっと塞き止めてたみたい。これ以上本家にとやかく言われたら、怒られない?)
彼がなにを考えているのかがわからない。ほのかは部屋で座り込む。普段であったのなら、気を紛らわせるために刀を振るって鍛錬に励むところだが、今は刀を握ることすら怪しい手だから、それすらもできない。
仕方がなく、ほのかは使用人に頼んで本を見繕ってもらい、それを読んで過ごすことにした。そうは言っても流行本のほとんどは買いに行くには難しく、古典小説ばかりになってしまったが、彼女の暇つぶしにはちょうどよかった。
それらをパラパラ捲って読み耽っている中、使用人から声がかかった。
「あの、朱明様」
「なに」
「……玄冥家から朱明様へと」
「……今、黒斗は留守だけれど」
「はい、ですから朱明様へと」
陰陽寮の会議に黒斗が出ていることは、本家であったら察していることだろう。わざわざ黒斗が留守の内にほのかに電話をかけてきたということは。
(これは……あたしの呼び出しだよなあ……)
普通に考えれば「いい加減に世継ぎを産め」「子作りしろ」「麒麟の巫女に言われたのだから問題ない」と説教を受けることが目に見えているし、わざわざ黒斗はそれを塞き止めていた。
報告に来てくれた使用人は、見るからに脅えてしまっている。大方黒斗n取り次がないように言われていたものの、玄冥側の人間に相当絞られた末に、板挟みになって疲弊してしまっているのだろう。
(……あたし、皆にずっと守られたんだな。それじゃ駄目だ)
使用人にできる限り優しく声をかける。
「ありがとう、ずっと無視してくれてて。でもこれはあたしの問題だから。黒斗が帰ってきたらあたしが怒られるから。電話出てくるね」
「も、申し訳ございません、朱明様!」
相当脅えてしまっているのを見ながら、ほのかは電話を取った。
「もしもし、お電話替わりました。朱明ほのかです」
『朱明の。まだ黒斗の子を成さないのか』
「……お久し振りです。玄冥の方」
思わずほのかは声を震わせた。わざわざ電話をかけてまで揺さぶってきたのは、よりによって玄冥の現当主であった。元旦の挨拶などでしか顔を合わせたことがないが、真っ白な髪の黒斗とは似ても似つかぬほどに渋さを極めた御人だったはずだ。
狩衣を着て、情という情を削ぎ落としたようなひどく酷薄な表情をした、黒斗の父、黒耀。
『黒斗本人になにを聞いてものらりくらりと躱すのでな。いい加減言い訳ばかりでこちらも苛立ってきた。さしあたって、朱明のを呼び出したのだが』
「……っ、大変申し訳ございません。あたしは現在体調不良にて、別荘からそちらへ参ることはできません」
『そもそも、婚姻制度の過程で、勝手に魑魅魍魎退治ばかりに精を出し、肝心の一番の仕事をし損じているのはそちらであろう? 周りも懐妊の話で沸き立っているのに、これではいつまで経っても祖先に顔向けできん。それは朱明でも同じであろう? ああ……そうか。そういえばそちらの母は、一介の拝み屋であったか。では、そのような気質に欠けていても仕方はないのか』
「……っ、母は関係ございません。そしてこれ以上黒斗を追いつめるのはどうかお控え願えますか、玄冥の方」
『あまりに自分の立場をわかってないのであれば、あれに媚薬を吸わせた上で別荘に捨ててもいいのだぞ』
「あなたは……黒斗を種馬かなにかとお思いですか!?」
『いい加減にしろ。立場というものを弁えよ。俺は言ったぞ、来いと。これは懇願ではない』
言いたいことだけ言って、電話は切られてしまった。ほのかはほとんど投げ捨てるような形で電話を切りつつ、頭を掻きむしる。
(これ、あれだ……もしこれ以上子作りをしなかったら、あたしか黒斗か、はたまたどちらかに無理矢理薬を飲ませてでもさせるって、そう言ってるんだ。まあ言うよねえ、あのクソ親父だったら言うよねえ……!!)
黒耀はお世辞にも評判のいい人間ではない。五行の一族の集まりで、女性陣からほぼ悪口しか聞かない人間であった。だが、あんなのでも黒斗の父親なのだ。
そして呼び出しを受けている。
黒斗には絶対に別荘で大人しくしていろと言われたが。今は黒斗がどこにいるのかわかった上でわざわざほのかに呼び出しの電話をかけてきて、薬の存在を匂わせてくるのだから、質が悪いにも程がある。
ほのかは自分の高く結った髪の中に手を突っ込んで考え込む。
(薬を盛られた場合……黒斗に盛られるよりもあたしに盛られたほうが、まだマシじゃないか? 少なくとも、黒斗は傷付かない。あたしは……)
本気で嫌だとは思っているが。それが原因で黒斗に変なものを盛られるくらいならば。
ほのかは仕方がなく、立ち上がった。持てないのはわかっていたが、護身用に刀を提げ、使用人たちに言う。
「……玄冥の本家に行って参ります。黒斗が戻ってきたらよろしく伝えて」
「……ですが、玄冥様は」
「多分これ、あたしが一度行かないと治まらないと思う」
彼があの親に不必要に傷付けられるくらいならば、自分が傷を負おう。そう思いながらほのかは車に乗り込んだのだった。
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玄冥邸の周りに張り巡らされている結界は、一分の隙もない。術式が精彩に編み込まれていて、ここが術式の強さで五行の一族と呼ばれるまでにのし上がってきたのだとよくわかる。
ほのかは元々術式は不得手だが、それくらいの知識は併せ持っているため、それをぼんやりと眺めている間に、車が玄関の前に到着した。
運転手は心配そうにほのかを見る。
「……本当によろしいのですか? 玄冥様が」
「黒斗によろしく伝えておいてね。あのクソ親父とちょっと話をしてくるから」
「……玄冥の現当主は、やり方が、その……」
「なんでこんな人でも儀式を行えたんだろうね。とりあえず行ってくるから」
ほのかはさんざん文句を言ってから、玄冥の玄関を潜り抜けた。
途端に肌触りが替わる。どう考えても玄冥邸の敷地に入った途端に異界へと切り替わったのだ。
(……そこまで力を持っている家なら、なおのこと世継ぎを残したいってことなんでしょうけど……これ背負わされている黒斗の身にもなってみろってのよ。あり得ないでしょ。家を全部異界に収納しているなんて)
ほのかは苛立ちを押し込めながら、ひとまず黒耀を探しに歩きはじめたのだった。




