療養と気付き
別荘に戻ると、既に連絡していたのかわざわざ本家から医師が派遣されてきて、ほのかの手を診られた。
「大袈裟だってば。魑魅魍魎胎児のときは、これくらいの傷……」
「お嬢様、いくら朱明の家系が帯刀主義とはいえど、そんな無鉄砲な戦い方を是と取らないでください」
ほのかを幼少期から診ている医師に、厳しく叱られた。それを見ながら、黒斗は問う。
「それで……ほのかの怪我はどれくらいで全快する?」
「筋は切れておりませんから、ひと月はかからないかと思います。ただ」
「ただ?」
「……おそらくそれまではご本家もお待ちでしょうが、それ以上は。既に他の夫婦は懐妊やそれに準じる傾向が見られますから、それ以降になりましたら、お嬢様の容態のことを訴えても厳しいかと存じますよ」
同期たちの動向が生々しく聞こえ、途端にほのかはげんなりするが。黒斗は医師をじっと見つめた。
「いくら包めば誤魔化せる?」
「ちょっと黒斗! なに言ってるの!」
「ただでさえ俺とほのかの相性はよろしくない中、麒麟の巫女の占いにより婚姻している身だ。いくら麒麟の巫女の占いとはいえど、そう易々飲めるものではないし、彼女に無理強いもできない。いくら包めばいい?」
「そりゃそうなんだけど! うちの主治医にそんなこと言わないで!」
思わず利き手じゃないほうの手でバシバシと黒斗の背中を殴るほのか。それに医師は「ハハハ」と笑った。
「お嬢様が玄冥様と仲睦まじいようでなによりでした。旦那様からは特に仰せつかっておりませんから、別に包まずとも、こちらも告げ口するつもりはございませんよ。ただくれぐれも注意あそばせ」
医師は診察道具を片付けながら告げた。
「五行の一族も数を減らしておりますし、異形の力は増しておりますから。そう長いこと待ってはくれませんよ。なによりも、五行の女性を欲しているのは、なにも陰陽師だけではございませんから」
そう警告をすると、そのまま医師は本家へと帰っていった。
残されたほのかは、やはり利き手じゃない手でポカポカと黒斗を殴っている。
「馬鹿ぁ、馬鹿ぁ。あたしの小さい頃から知ってる先生に変なこと言わないでったら!」
「……金で動かないか。まあ、朱明の家系の人間なら当然だろうが。だが本家もなにをそこまで焦ってる?」
「……陰陽師が死にやすいから?」
そもそも既に文明開化の時代から数十年は経過してもなお陰陽寮が存在感を保ち、各地で陰陽師や拝み屋が戦っているのか。それは魑魅魍魎よりも、怨霊よりも。異形の存在が大きい。
異形は陰陽師が濃過ぎる血縁統制を敷いたのが原因で生まれてしまった存在だ。それは人を襲い、魑魅魍魎や怨霊を取り込み蠢き、今もなお脅威となっている。それが原因で陰陽師がどれだけ死んだのかがわからない。
ほのかの問いに「ああ……」と黒斗が頷いた。
「……異形が陰陽師の、それも五行の一族の女を狙っているなんて話、今初めて聞いたんだが」
それにほのかは苦虫を噛みつぶしたような顔になった。
元々、麒麟の巫女の占いにより婚姻相手が決まり、その相手の子を産むようにと育ったのが五行の女だが。異形に拐かされて異形の子を産めなんていう話は聞いたこともないし、もしこれが本当だとしたら。
「……馬鹿にしてるの?」
憤りたくもなる。
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利き手をやられているせいで、食事は当然ながらほとんど食べることができない。かろうじてお椀に入っているすまし汁は飲むことができるが、箸どころか匙すら持てないのだ。なんとか利き手じゃない方で持とうとするが、まともに掴むことができず、刺し箸をするしかなかった。
「うーうーうーうー……」
「あまり汚い食べ方をするな」
「だって! お腹空いてるし、食べないと治るものも治らないでしょうが」
「そりゃそうだが。ちょっと待て。今食べ終わる」
黒斗は自身のお膳のものを全て平らげると、ほのかのお膳のものを取り上げた。
「なにするの」
「いいから、口開けろ。あーん」
「……あーん?」
小さく口を開けると、黒斗が自身の箸で取ったものを食べさせられる。まるで給餌だ。最初はかき氷しか食べてない中で魑魅魍魎と対峙していたために、空きっ腹で好きにご飯を食べるのがよかっただけだが。だんだんほのかの顔が赤くなってくる。
「……いいよ、悪いよ」
「駄目だろ。それに今日は湯浴みだってできないし、ちゃんと拭かないと」
「体拭くくらいは利き手じゃなくてもできますけど!?」
「そもそも包帯巻き直さないと駄目だろ。お前のところの医師が薬と包帯置いていってくれたんだから」
「うーうーうーうー……」
気恥ずかしさと後ろめたさで、だんだん顔が火照ってきたが、あまりに黒斗がいつも通りだったがために、だんだんほのかは腹が立ってきた。
(なんで、なんであたしばっかりこんな気持ちになるの……!)
いくら仲がいいと親友に言われようとも、いくら相性がいいと麒麟の巫女である撫子に太鼓判押されようとも。ふたりは互いが好敵手だった時間が長過ぎた。そもそも婚姻は占いで決めるものだったから、市中にあるような惚れた腫れたの物語のようなものとはとんと縁がないほのかは、自分の思いを形にすることができないでいる。
ただ黒斗がなにを考えているのかがわからない。なにをそこまで悩んでいるのかがわからない。そしてどうして本当のことを言いたくないのかが、彼女は一番理解ができていなかった。
結局はほのかが「嫌だ」「やめて」「使用人さんにやらせる」「やめて」を連呼しても、聞き入れられることがなく、服を剥かれて体を拭かれた。挙げ句に包帯も剥かれて消毒された後に新しい包帯を巻き直された。ほのかはとうとう布団の上で倒れてしくしくと泣いていた。
「もうお嫁に行けない」
「……そうか」
若干黒斗の声が低かったが、ほのかは知らんぷりしていた。
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ほのかがさんざん「やだ」「やめて」「恥ずかしい」「無理」「駄目」を言い続けても、黒斗はずっとほのかの面倒を見続けた。
それのせいで、とうとう普段なら鍛錬の時間になる日の出直前には目を冷ますと、別荘の勝手場に立てこもるようになってしまった。
釜戸で料理をしている人々がじっとりと見守っている。
「……よろしいんですか?」
「恥ずかしいから、やだ」
「いえ、一応はご夫婦ですし……」
「こらっ」
相性の問題で、全く許してないことは、既に別荘で働いている全ての人は知っていた。その仲で煮炊きをしていた使用人のひとりがおずおずと口を開く。
「ですけど……玄冥様、かなり献身的でしたし……ご本家からもお守りくださっていたみたいですから……」
「……なにそれ、今初めて聞いたけど」
思わずほのかが顔を上げる。女性の使用人は「馬鹿っ」「口封じされてたでしょ」「馬鹿」と周りから責め立てられているのに、「いいから! あたしが今聞いてるから!」と慌てて間に入っていった。
「どういうこと?」
「……ご本家が、いい加減に子作りができない場合、分家から人を派遣すると」
「……それ、あたしに?」
「……はい」
それにほのかは喉を鳴らした。
前だったら、「そんなもんか」と諦めがついていた。でも今はなんだ。
彼女は五行の一族の本家の人間だ。朱明は朱明の血筋が欲しく、玄冥は玄冥の血筋が欲しい。それぞれがそれぞれの血族を残すために、子作りしなければならないとは当たり前に教えられてきていた。だが、今は。
「……やだ」
「あら」
「黒斗以外、嫌だけれど……黒斗に迫られても、多分あたしは逃げる」
「……朱明様、それはどういう意味で……」
「あいつが欲しいのは、あいつの血筋だから……」
彼女が市井の人間だったのなら、せめて市井の拝み屋である南雲が近くにいたらすぐに諭しただろうが。彼女は自分が欠落している自覚すらない。
それは恋の痛みだと、彼女は気付きもしないのだ。




