中:婚約破棄された公爵、企む
午前六時、起床。
ベットでググッと身体を伸ばし、欠伸をする。
メイドの朝は早い。
一番最初は狭い屋根裏で、一番オンボロで鍵もかからないような、八人の相部屋だった。
ベットしか置けない上に、その内二人は異国からやってきていたらしく、言葉さえ分からない。しかも、メイド長に注意されるまでは、深夜によく分からない打楽器を叩き続ける始末である。当然、寝不足になった。
その上、鍵がないし下っ端の集まりなので、時折フザケたブーツ・ボーイやランプ・ボーイが部屋を間違えたフリをして、入ろうとしてきたものである。
そのとき、私が誰かに物を言える立場になったら、下っ端の部屋でも絶対に鍵をかけれるようにすると固く誓った。
ついに恐怖の八人部屋から脱出し、二人部屋、しかも鍵付きになったときには思わずその場で飛び跳ねそうになった。
しかも、同室は入った時期も年齢も近いローズ。
初めて二人部屋をもらった夜は、キッチンから少しだけ拝借してきたシャンパンで乾杯し、二人でお祝いしたものだ。
寝ているローズを起こそうとして、辞める。
ローズは今日、休みを貰っていたのだった。
確か、町へ降りて恋人に会うとか言っていた気がする。
恋多き女なのだ。
ローズはそのままにして、メイド服に着替える。
公爵のお母様が生きておられたときは、レディーズメイドとして、そこそこよいドレスに身を包んでいた。
だが、レディにつかない上、メイドの数が足りない今の状態では、そんな服を着ても邪魔になるだけである。
ローズも元々レディーズメイドであり「公爵に奥様ができれば二人でまたレディーズメイドになるのもいいよね」と言い合っていたのだが、それはどうやら叶わぬ夢になりそうだ。
あの人相とデカすぎる態度では、そもありなんという感じである。
公爵の妻はユーテミスの熊みたいな女性でないと務まらない気がする。
いや、もう、いっそ、熊を妻に迎えればいいんじゃないだろうか。
エプロンを纏い、ゆっくりと部屋から出る。
晩餐室や図書室、応接室や居間の暖炉を掃除して火をおこすさなければいけない。
そうして、朝食の時間まで掃除をするのが、ここ最近の日課である。
この前まではここまでではなかったのだが、ハウスメイドが何人も首にされてしまったのだから仕方がない。
というのも、ハウスメイド数人が公爵の元婚約者と間男の逢い引きに協力していたらしい。
手紙を渡すのを手伝っただとか、公爵の出掛ける日時を伝えて、はち合わせないようにしていたのだというのが、メイド長の談である。
それが本当で、公爵のスケジュールを外に漏らしていたならば、かなりの大事だ。
公爵を狙う人間は少なくない。
なにせ、あの鬼の騎士様だ。
真っ向勝負では適わないので、暗殺してやろうという悪い輩もいる。
それこそ、この屋敷に使用人が居着かない理由の一つになるほどだ。
つまり、公爵は元婚約者のせいで、命の危機でもあったわけだ。
元婚約者に名誉を傷つけられた上に、命の危機でもあった公爵は当然、怒り狂った。
そして、そのハウスメイドたちの首を揃って切ったわけである。
これについては、物理ではなくてよかったね、としか言えない。
いや、本当に物理で切りかねない事態だし、勢いだったのだ。
しかし、このハウスメイドたちはどうも、悪意などなく「真実の愛」という言葉に多大な夢を見てしまっただけだったらしい。
私としてはちょっと夢見がちでも、共に働いた仲間ではあるので、職を解かれただけだったのは安心した。
けれども、疑問なのは、ハウスメイドだけが共謀したのだろうか、という点だ。
首を切られたのはハウスメイドだけらしいのだが、公爵のスケジュールを漏らしたのもハウスメイドなのだろうか。
ハウスメイドは掃除が仕事である。
公爵のスケジュール管理などはしないものだ。
・・・・・・まぁ、ハウスメイドが掃除するときに、スケジュールを覗き見することができたのかもしれない。
暖炉の燃え残りと灰を掻きだし、鉄の部分に黒鉛を塗って磨き立てる。
暖炉の個数は多いし、一つ一つが無駄に大きい。
なかなかの重労働である。
これが、朝一番の仕事なのだから堪らない。
だが、掃除しなくてはいけないのは暖炉だけではない。
しっかりと、けれど、手早く作業を進める。
「やぁ、エリナ!」
暖炉に頭を突っ込んで掃除していたら、後ろから勢いよく声を掛けられて大きく噎せる。
噎せれば噎せるほどに、灰が舞い上がって、メイド服とエプロンが汚れていく。
「おやおや、可哀想に。大丈夫かい?」
声色と台詞だけは優しいが、足音と気配を消して忍び寄り、大きな声をかけたのはこの男である。
そして、こういうちょっかいは一回や二回ではない。
咳が落ち着いてきたが、まだ口内が苦くて粉っぽい。
苦々しい顔を隠しもせずに振り返ると、見覚えのある、いや、ありすぎる男性がいた。
「・・・・・・バーティミアス様」
バーティミアス・グウェン。
金髪碧眼、その優しい甘いマスクから、民衆の人形劇なんかでは「主人公を助ける良い貴族役のモデル」にされている事も多い。
だが、その実、この男は腹に一物も二物も抱えたとんでもない腹黒なのである。
ちなみに我らが公爵、ノア・キャヴェンディッシュは「主人公をハメる悪役または、悪役側貴族と手を組んでいる貴族のモデル」にされることが多い。
しかも、割と脳筋のお馬鹿に描かれていることが多かったりする。
軍人貴族って脳筋のお馬鹿に見えるものなのだろうか。
私からしてみれば、戦術を考えたりする為にかなり脳を使うイメージがある。
それとも、民衆に馴染みのある他の軍人貴族は、肉体言語派ということなのだろうか。
だとすれば、私もこの公爵家にお仕えしすぎて、庶民の感覚というものが失われてしまったのかもしれない。
「ノア様を呼んできましょうか?」
「いや、大丈夫大丈夫」
一応尋ねてみるが、すぐに断られた。
「それにしても、すごい煤だらけだねぇ。可哀想に真っ黒じゃないか」
「・・・・・・」
お前のせいである。
北の辺境を治めるノア・キャヴェンディッシュ公爵、南の辺境を治めるバーティミアス・グウェン公爵。
年齢が近く、同じ公爵の子息であった二人は幼なじみ、というものらしい。
だからこそ、なんの前触れもなく此方の公爵家に現れたりする。
北と南、距離があるのに、なぜこんなにも高頻度で行ったり来たりができるのだろう。
その手段は分からないし、ノア様と同じ立場なのに、どうやってその時間を捻出できるのかも分からない。
「え、り、な~」
グイッとバーティミアス様の手が私の頬を摘む。
「おいおいおいおいおい、エリナ」
「やめへくだはい~」
バーティミアス様の手を払おうとしたが、自分の手が煤で汚れているのを見て手を引っ込めた。
バーティミアス様の服がいくらするのかは知らない。
だが、ここで彼の服を汚して、その金額を確かめる気にはならなかったのだ。
「君が、俺に失礼な事を考えているのは分かっているんだぞ? うん?」
「いひゃいいひゃい」
「君の考えていることはね、全て顔に出ているんだよ。分かる?ぜぇんぶ、書いてある」
「やめひゃやめへ」
「ほぅら、誠心誠意俺に謝罪し許しを乞えよ、エリナァ?」
「ご、ごへんにゃしゃい~」
ついにグイグイと両頬が引っ張られる。
このままでは両頬が伸びに伸びて頬袋ができてしまう。
「り、りしゅになってしまう~」
「ほぅら、謝れ謝れ、無様をさらしてるぞぉ」
バーティミアス様の無遠慮な指が私の頬の可動域を広げていく。
「おい、バーティミアス」
背後から聞き慣れた冷たい声がした。
「おい、何をしている」
「おやぁ?」
バーティミアス様が楽しそうに私の背後を見上げた。
今、気がつきましたと言わんばかりの表情だが、位置的には声がかかる前からその姿が見えていたはずである。
私も少し首を動かして背後をみる。
ノア・キャヴェンディッシュ、我らが公爵である。
「俺のメイドに何をしているんだ、お前は」
「ははは、いいじゃないか、久々の感動の再会だ。俺とエリナの仲だからな、コレくらいはするさ」
「・・・・・・そもそも俺のメイドなんだ。好き勝手してくれるなよ」
「はいはい、分かっているさ、ノア」
漸く、バーティミアス様の手が私の両頬から離された。
「あ~」
両頬を押さえて撫でる。
ヒリヒリする。
絶対に伸びた。
もう、私の頬はビロンビロンである。
「・・・・・・お前も、なんでそんなに真っ黒なんだ」
バーティミアス様を散々と呆れた瞳で見つめた後、ノア様の視線がそのまま私に落ちてきた。
その瞳に映っているのは、綺麗に洗濯されたメイド服に身を包んでいる私、ではない。
煤まみれで真っ黒になった無惨な私の姿である。
「バーティミアス様のせいです」
私はバーティミアス様を指さしながら、即答した。
「・・・・・・お前は、また」
ノア様が呆れかえった顔を再びバーティミアス様に向ける。
「まぁまぁ、ほら、今日は悪巧みの日だろ?」
バーティミアス様は、へらりとその冷たい視線を笑って流した。
もしも、このノア様の眼差しを元婚約者とその恋人が受けていたら、その場で失神していたくらいには凄い眼力である。
それに耐えられるのだから、バーティミアス様の胆力は相当なものだろう。
いや、もしかすると、幼なじみ故の慣れなのかもしれないけれど。
「エリナ」
「はい」
ノア様に名前を呼ばれ、思考を止める。
「今日は客人と執務室に籠もっているから、人払いをしておくように」
「分かりました」
「食事も執事長に持ってこさせろ」
「伝えておきますね」
それだけ言い終わると、もう用はないとばかりにノア様は踵を返した。
「それじゃあね」
それにバーティミアス様も続いていく。
二人の背中に礼をして見送り、少し間をおいてから頭を上げる。
「・・・・・・今、悪巧みって言った?」
ボソリと呟いた言葉を拾う人間はもういなかった。




