下:公爵、元婚約者と再会する
使用人たちはもちろん、仕える主人たちと食事は違う。屋敷によっては主人たちが残したものを出されることもあれば、恐ろしいことに古いパンとマーガリンだけしか与えられない屋敷だってある。
それで一日しっかりと働けると思っているのだから、本当に勘弁してほしい。
それを、文字通り身を持って知っている私は、キャヴェンディッシュ家の食事に心の底から満足していた。
この屋敷にいる階上の住人はノア様しかいないので、残り物ではなく私たちの為に作られた食事が並ぶのである。
それに、給仕係以外は主人の食事後ではなく、その最中でも階下の使用人ホールで食事をすることが許されていた。
まぁ、私はノア様の給仕係、というか常に背後に控えるように言われていたので、できないわけだが。
それでも、物によっては料理長が後から食事する給仕係たちのためにと、温めなおしてくれることさえある。
ノア様や屋敷が怖いなんて言って辞めていった使用人たちも、きっとこの食事のことだけは恋しく思っていることだろう。
バーティミアス様が滞在されて三日目の朝。
ようやく、二人は執務室から出られた。
この二日は本当に忙しかった。
執事長から私ばかりが名指しで手紙を届けるように言われたし、来客も普段の倍はいたと思う。
それを少ない人数で捌きって迎えた朝は、妙に静かで穏やかだった。
いっそ、嵐の前のような不穏さである。
そして、その嫌な予感というのは的中したらしい。
「公爵! 公爵様!! 私です!! あなたのかわいいリリィです!!」
甲高い声が廊下から響きわたっている。
しかも、その声はノア様の元婚約者、リリィ様の名前を騙っているようだ。
彼女は元婚約者なので、この屋敷を訪れる理由も、ノア様を訪ねる理由もないはずなのだが、その名前を騙るなんてどういうつもりなのだろう。
静かにノア様の後方に控えたまま、事の成り行きを見守る。
しかし、ノア様もバーティミアス様も一切何の反応も示さない。
「それで、国王陛下はなんと?」
「あぁ、第一王子は廃嫡なされるということだよ」
「やはり、聖女という後ろ盾だけでは難しかったか」
「教会もがんばったみたいだけどね。ほら、これ以上、教会に力を持たせたくないって貴族も多いからさ。色々なところから、抗議の声があがったんだよ」
「どうせ、それもお前の・・・・・・まぁ、いいだろう。やつらには【真実の愛】とやらがあるんだから、構わないだろうさ」
「じゃあ、どれくらいその【真実の愛】が続くか、賭けるかい?」
「賭事は好かん」
「相変わらず、お堅いねぇ」
二人は朗らかに談笑は続いているが、内容はあんまり朗らかではない。
しかも、王族の話題である。
屋敷の中であり、極々近しい者しか置いていないこの場ではあるが、あまりの不敬に落ち着かない。
思わず身動ぎしそうになるが、何とか耐えた。
しかし、ここで執事長が動き出す。
さすがに王族の話題は窘めるのだろうか、と思ったが二人を通り過ぎ、そのまま真っ直ぐに扉に向かっていった。
そして、ゆっくりと扉が閉められ、女性の怒号が完全に閉め出される。
「・・・・・・」
どうやら、あの女性の声は私以外にも聞こえていたらしい。
ノア様もバーティミアス様も反応しないので、幻聴かと思っていたところだ。
「これからの処分がどうなるか見物だ。でもその前に、国民の税金で聖女への貢ぎ物がされていたことが【なぜか】市井にもバレちゃっているんだって。いやぁ、人気商売の聖女は大変になりそうだよね」
バーティミアス様の言葉で、額に血管が浮かびそうになった。
税金で貢ぎ物!
道の大規模舗装があるからと、税が上がったばかりだというのに、その税を聖女様への貢ぎ物にされていたとは。
胸中に怒りが渦巻く。
私でこれなのだから、農耕地帯の者たちは余計に怒り心頭だろう。
「──公爵様! 離しなさい! この──」
甲高い声が扉越しに聞こえ、そのまま通り過ぎていく。
どうやら、元婚約者を騙る誰かがついに屋敷内に侵入したらしい。
方向的に、執務室へと向かっているのだろうか。
「・・・・・・」
執務室を知っているという事は、やはりリリィ様ご本人なのだろうか?
門番も男性の使用人も居ただろうに、その妨害を受けてここまで入ってくるとは思えないのだが。
妖精のような可憐な容姿と思っていたが、見かけによらずお強い方なのかもしれない。
だが、本人だとすれば、性格は容姿通りに可憐とはいかないようだ。
まぁ、愛人を作って婚約破棄する人間なのだから、元々可憐とはほど遠いか。
いや、使用人たちも貴族令嬢なうえに、主人の元婚約者なので、手を出しにくいのかもしれない。
ならば、同じ女性である私も手伝った方がいいのだろうか。
だが、まさか主人が食事中なのに離れるわけにもいかない。
それにしても【あなたのかわいいリリィ】だなんて。
まさか、公爵がそう言ったのだろうか。
いや、それはない。
公爵は口下手であり、愛情表現が皆無な男である。
そんな台詞を吐くはずがない。
きっと、それを言ったのはあの愛人だろう。
愛人だろうけど、公爵を捜しながら『あなたのかわいいリリィ』なんて言うと、公爵がそう言ったように聞こえてくる。
「・・・・・・」
あ、駄目だ。
爆笑しそう。
いやいや、こんなところで爆笑は止めよう。
主人の食事中だ。
しかも、今は来客中でもある。
ちなみに、来客とはバーティミアス様のことであり、リリィ様のことではない。
「公爵様!!」
執事長が閉めていたはずの扉が開け放たれた。
そこに現れたのは、ふわふわの金髪に青い瞳の妖精のごとき少女、公爵の元婚約者リリィ様である。
走り回って暴れたせいか髪もドレスも乱れているが、間違いない。
やはり、本物だったらしい。
「あなたのかわいいリリィが参りました!!」
彼女は満面の笑みを浮かべてそう言い放った。
「ンフッ!!」
思わず変な声が出た。
いくらなんでも、不意打ちすぎる。
執事長がジトリとした瞳で私をみたので、慌てて口元を引き締めた。
「私、ようやくあなたに愛されていたって気が付いたの!」
リリィ様はそう言いながら、大股で食事中のノア様とバーティミアス様の元へとやってきた。
「ミカエルは・・・・・・あの男は私を騙そうとした悪魔だったの! 私は騙されたのよ!」
「どうやら、思ったよりも、真実の愛ってやつは脆そうだね」
始まった演説にバーティミアス様が肩をすくめながら、茶々を入れる。
「大方、家から勘当されたか、金持ちのジジイに売られるか選ぶ羽目になって泣きついているんだろうな」
「そんなことはありませんわ!」
続いたノア様の辛らつな言葉にリリィ様が叫ぶ。
「それじゃあ、相手の貴族が家から勘当され平民になって「平民になっても、僕たちは真実の愛があれば、やっていけるさ」と言われたから、逃げてきでもしたのかな」
更に追求するバーティミアスの言葉に、リリィ様の顔が誤魔化せないほどに引き攣った。
どうやら、そちらが正解らしい。
妙に詳しいが、もしかして、バーティミアス様は知っていたのだろうか。
いや、そもそも、ノア様もバーティミアス様もリリィ様が屋敷に侵入してきたのに落ち着きすぎだ。
──それこそ、まるで知っていたかのように。
まさか、これは【悪巧み】に関係があるのだろうか。
「こ、公爵様こそが、私の【真実の愛】の相手だったと気が付いたのです! 少し、回り道をしてしまいましたが、大丈夫! まだ間に合います!」
真実の愛というのは、ずいぶんと変わり身が早いようだ。
それにしても、愛人を連れてきて婚約破棄したというのに「まだ間に合う」だなんて、よく言えるものだ。
「大体! 公爵様が悪いのです! あなたが私をみてくれない上に、メイドなんかが愛人だなんて噂までたてられて! 私はそのせいで、傷ついて、あんな男につけ込まれることになってしまったのです! つまり、全ては公爵様のせいなのですから、責任をとってくださいまし!!」
仕舞いには、なぜかリリィ様の方こそが被害者のような顔をし始めてしまった。
大きな瞳を潤ませているその様子はまさに悲劇の主人公である。
それにしても、メイドの愛人なんて噂があるのか。
初耳である。
メイドかぁ。
あのノア様に、そんな噂がたてられるような仲のメイドはいただろうか。
大半はあまりの威圧感に目も合わせられず、この屋敷を辞めるというのに。
「そして、このメイドを首にしてください!!」
リリィ様が真っ直ぐに私の方を指さして、睨みつけてきた。
「・・・・・・?」
そう、私である。
ノア様でも、バーティミアス様でも、メイド長でも、執事長でもなく、私。
念のために、振り返ってみる。
もちろん、私の背後には誰もいない。
「・・・・・・?」
リリィ様の発言が脳内で繰り返される。
メイドなんかが愛人。
首にしてください。
「・・・・・・愛人のメイドって、私のことか・・・・・・」
「そうよ! あなたが、公爵様を誘惑して、婚約破棄させたんでしょう!!」
ようやく理解が追いついて、唖然と呟く私にリリィ様が噛みついてきた。
「いや、私は愛人ではないんですけど・・・・・・そもそも、婚約破棄はリリィ様の方からしましたよね・・・・・・?」
「だから、それは、あたなのせいだって言っているの!!」
「えぇ・・・・・・」
すごい、難癖の付け方である。
とにかく自分は悪くない、誰かに責任を押しつけたくてたまらない、といった感じだ。
「あなたが全部悪いのだから、私にも公爵様にも謝罪しなさい!!」
「えぇ・・・・・・」
ついには、リリィ様に謝罪まで要求された。
自分は頭を下げず、無関係の平民の謝罪で事を納めようというわけだろうか。
「それ、いいね」
バーティミアス様が明るい声を出した。
「そうですよね! 全てこの女が悪いのですから、首にするのがいいですわ!」
バーティミアス様の言葉に背中を押されたを感じたのか、リリィ様が勢いづく。
「主人を誘惑するメイドなんていりませんもの! さっさと追い出してしまってください!!」
その瞳は爛々と光り、獲物を嬲る猫のようだ。
「ノア、君、エリナと結婚しなよ!」
「は?」
しかし、続くバーティミアス様の言葉に低い声を出した。
「そうだ、それがいい。だって、君、エリナのこと気に入っているしね。一度、エリナを僕の養子にして、君に嫁がせよう!」
「は?」
そのまま、名案だとばかりに語り続けるバーティミアス様に、リリィ様が更に低い声を出す。
「これで、君の婚約問題も解決したな!」
「は?」
もはや、輝かんばかりの笑みを浮かべるバーティミアス様に、リリィ様が地獄から出しているかのような声を響かせた。
「なるほど、確かにそれはいい考えだな」
「は?」
ついにはノア様までもがそんな事を言い始める。
室内の温度がグッと下がった。
正直、私だけでもこの部屋から逃げ出したい位である。
「ふざけないで、私を馬鹿に──」
リリィ様がついに爆発するかに思われたが、その直前に部屋に三人の男性が入ってきた。
いや、入るというよりはもはや、押し入るといった表現の方が正しいかもしれない。
乱暴ともいえる勢いである。
「不審者はどこですか!」
どうやら、騎士らしい。
身につけているのは皮の胴鎧だけだが、帯剣し、鋭い眼差しで室内を睨みつけ、その「不審者」を捜しているようだ。
一体、誰が呼んだのだろう。
リリィ様が侵入してきたから、使用人の誰かが呼びに行ったのだろうか。
だが、リリィ様が屋敷に侵入し、廊下を駆けていったのはつい先ほどのことだ。
あまりにも到着が早すぎる。
もしかして、リリィ様がこの屋敷を訪ねて来た、その瞬間に騎士を呼んだのだろうか?
・・・・・・令嬢が一人で訪ねてきただけなのに?
駄目だ。頭が混乱してきた。
「この女性です」
そんな彼らの登場に全く驚いた様子のないバーティミアス様が、リリィ様を指し示す。
動揺は微塵もみられない。
最初から、そうすると決めていたかのような、台本でもあるかのような滑らかさだった。
「は!?」
「・・・・・・この貴婦人が?」
それにリリィ様が目を見開く。
そして、騎士たちは「こんな可憐な女性が、不審者?」というあからさまに戸惑った反応になっていく。
きっと「不審者」と言われて、屈強な男や賊を想像していたのだろう。
そして、そういう賊が何度も侵入を試みているのが、この屋敷である。
「そんなわけないでしょう!」
リリィ様が髪を振り乱して叫ぶ。
「ほら、最近巷で流行っている「真実の愛」の患者様さ」
だが、バーティミアス様は、そんなリリィ様に構わずに言葉を続けた。
「この女性は「真実の愛」で婚約破棄した後、実家に公爵閣下がどれほど支援してくださっていたか知って、正気に戻ったみたいでね」
「そんな・・・・・・!!」
続くバーティミアス様の言葉に、リリィ様が歯を食いしばる。
怒鳴りつけてやりたいが、彼の言葉通り【公爵閣下の支援】を期待してここに戻ってきたから、言葉に詰まってしまったといったところか。
それがなければ、彼女の家は爵位を返上するだけではすまないだろうから、支援は欲しいに違いない。
「あぁ・・・・・・最近多いんですよね。騒ぎを起こす元婚約者様が・・・・・・」
その言い分に騎士たちは納得したらしい。
一人などは、あからさまに面倒くさそうですらある。
「お前ら、連れて行け!」
真ん中の男が脇の二人に指示を出す。
二人は今度は迷いなく、リリィ様の両脇につき、その手を掴んだ。
「は!? ちょっと、私は公爵様の婚約者なのよ!!」
「はいはい、皆そう言うんだよ」
「大人しくしてれば、すぐにご両親が保釈金払ってくれますよ」
「やめなさい! 私を誰だと思っているの!!」
「わかった、わかった」
リリィ様が為すすべもなく、扉まで引き摺られていく。
「公爵様! 助け──」
最後に、二人に指示を出した騎士が頭を下げて、扉を閉めた。
半ば唖然として彼らを見送っていると、バーティミアス様が手を叩く。
「さぁ、食事を再開しようか」
やはり、動揺というものが微塵もみられない。
リリィ様が今日屋敷に乗り込んで来ることも、その理由もわかっていたのだろうか。
そうだと思わなければ、タイミングが良すぎる。
騎士も最初から呼んでいたという方が、まだ納得がいくのだ。
それにしても、あの、騎士。
騒ぎを起こす元婚約者が多い、と言っていなかっただろうか。
手紙を出したり、減ったハウスメイドの代わりをするのに忙しくて、周りに注意を払っていなかったのだが、もしかすると、最近の貴族社会や市井は、かなりの修羅場が起こっているのかもしれない。
不謹慎だが、次のパーティーが楽しみだ。
一刻も早く他の使用人たちと情報交換がしたい。
きっと、公爵家の婚約破棄のことも詳しく聞かれるだろうし、せっかくならば、こちらも面白い話をたくさん仕入れたいのだ。
「ところで、さっきの話だが」
ノア様が静かに声を上げる。
「あぁ、あちこちで起きてる【真実の愛】騒動かな? 真実の愛に目覚めた人間たちが元婚約者に縋ることになる、なんていうの、珍しくないみたいだよ。あの第一王子も──」
「いや、そっちではない」
ノア様がよく回るバーティミアス様の口を煩わしげに睨む。
どうやら、他人の色恋沙汰には興味がないようだ。
私は興味があったから、もう少し聞いていたかったのに。
「俺とエリナの結婚式の日程についてだ」
ノア様の言葉に部屋の空気が固まる。
口から生まれたと言っても過言ではない、あのバーティミアス様ですら無言だ。
「・・・・・・いや、結婚を了解してもないし。結婚を申し込まれてもねぇよ」
思わず、小さくツッコミを入れたのだが、その言葉は思いの外、よく響いてしまった。
メイド長の肘が腕に刺さって、物理的に私を咎める。
「うっ・・・・・・」
痛くはないのだが、思わず小さく呻いてしまった。
「・・・・・・いや、君、乗り気だったのかよ」
バーティミアス様のツッコミは、おそらくこの部屋の人間の全ての心を代弁していただろう。
あの言葉はリリィ様の気を逸らすための言葉だと思っていたのは、絶対に私だけではないはずだ。
「? お前も俺がエリナを気に入っていると、分かっていたじゃないか」
「いや、気に入っているのは分かっていたんだよ。分かっていたけど、そういう気に入っているだったとは・・・・・・」
バーティミアス様が押されているのは珍しい。
そして、幼なじみの彼らが互いのことを読み違えるのもまた、珍しいことだった。
公爵。
公爵様。
私も、彼に気に入られているとは思ったが、好かれていたとは思わなかった。
正直、彼が好きか嫌いかなんて考えたことがない。
敢えて言うなら「おもしれぇ男」位の感想である。
本当にうちの公爵様は愛情表現が下手どころか、壊滅的だったようである。




