17. 見張り台の上のイブと、三人の夜
野郎二人のだけ冗談で書き始めイブにアップする事も考えたのですが、その後の部分のも書けてしまったので、新年のご挨拶に代えて掲載しておきます。
「なぁ、俺達、なんでここにいるんだっけ?」
「俺に聞くなよ。俺は、志願してここにいるんだからな。痴漢したお前と一緒にするな」
「痴漢てか夜這いってか、イブ一緒に過ごせないかアプローチしただけだっつーの。ずっと擬似ハーレム築いてたあんたには言われたかないね」
「あ、あれは・・・・」
「何か言い訳出来るのかよ?」
「リアルじゃ無理だって分かってた。だからゲームの中で挑戦したんだ。それが偽物だって分かっててもな」
「それが男のロマンだってのは、分かるけどな・・・」
「今頃、ナカスは・・・」
「今頃、Windの島じゃあ・・・」
そうして大の男二人、ごつい守護戦士の鎧に身を固めた沙夜とゴーレッドは、フォーランド最西端の物見台の頂上で寒風に吹きさいなまれながら縮こまっていた。
「沙夜、あんたよ」
「何だよ」
「誰か特定の人、好きだったりしねーのかよ」
「そうなってたら、もっと早くにバレて瓦解してたよ」
「そーゆー全体の話じゃなくてよ、誰かは好きだったんじゃねーのかって」
「いたとしてもな、言えないよ。性別詐欺してたのバレた後ならなおさら」
「男が女のキャラを、女がその逆で遊んでたりするのも、ゲームならではだろ。そこまで」
「それが女性専用のギルドのギルマスじゃなければね」
「まぁ、なぁ・・・」
ゴーレッドは魔法の鞄に入れてきた瓢箪を取り出し、ぐい飲みのような器を沙夜に手渡して中身を注いだ。
「飲めよ。いけなくもねぇんだろ?」
「あまり好きな方でもないけどね。こんな日にはいいか」
ぐいっと一口で飲み干した沙夜にお代わりを注ぎ足してから、ゴーレッドは自分のぐい飲みにも中身を注いで一息に干した。
「くあー!熱燗も悪くねぇけど、焼酎のお湯割りも悪くねぇよな!」
「オーク達が作ってるとか思えない味だよね」
「おぅ!オーク王の特に精鋭達が装備やら何やら揃えるのに必要な金策をな、大地人とも協力して始めさせたって」
「あの人もどこまでやるんだかねぇ・・・」
「誰もまだ見たことの無い景色を見る。まだ誰もやってないことをやる。いいじゃねぇか。男の本懐ってやつよ!」
「それ別に男に限った話じゃないぞ」
「こまけーこたーいーんだよ!もっと飲めや!」
「泥酔してたら見張りにならんけどな」
「堅い事言ってんじゃねーよ、<紅姫>の大将!おら、もっといけよ!」
「まぁ、もう少しだけなら」
ゴーレッドはぐいぐいと押しつけるように注ぎ続け、自らもためらう事無く杯を重ねていれば、瓢箪が空になるまでにそう長い時間はかからなかった。
二人がすっかり出来上がって呂律の回らない気勢を上げていると、頭上から女性の声が聞こえてきた。
「あらら、これは、来た甲斐が無かったという物ですね」
「どうせゴーレッドの奴が酒を押しつけたんだろうけど、にしても予想通り過ぎるというか」
沙夜とゴーレッドがふり仰ぐと、そこにはトナカイならぬグリフォンに引かれたソリに乗ったコスプレサンタの冷麗と弥生と、後部座席には大きな白い袋を抱えた余興が座っていた。
「れいれぇ天使様、降っ臨!」
「弥生ぃぃぃ、好きだぁぁぁっ!結婚してくれぇぇっ!」
酔っぱらい野郎共はジャンプしてソリに飛びつこうとしたが、グリフォンが前進して二人は危うく物見台の屋上から身投げしかけた。
「どうします、これ?」
「いちおう、来た分の何かは置いていかないと、かけてきた時間が無駄になっちまうからね。余興」
余興がプレゼント袋から、焼いた鶏の足二本と、白いホイップクリームと赤いイチゴに彩られたホールケーキを取り出すと、冷麗と弥生はさてどうやって渡すかと泥酔した二人を見下ろして考えたが、
「お前さんのアレでいいんじゃないのかい?酔いも醒めるかも知れないしね」
「ああ、悪くないかも知れませんね。サモン・リッチ!」
ゴーストの超上級版、死霊使いビルドの最高峰従者の一つであるリッチが虚空から召還されると、冷麗が二人分のプレゼントをリッチに渡し、弥生はいたずら心を出して余興のかぶっていた赤いサンタハットをリッチの頭に被せた。
酔っぱらい達の目にリッチがどう映ったのかまでは冷麗にも弥生にも分からなかったが、その背後から二人が、
「どうぞ召し上がれ」
と声をかけると、泥酔片思い男達の理性は蒸発した。
「おれのおおおおおてんしいぃぃぃ!」
「おれんだばーーーろーーー!」
二人してリッチにむしゃぶりつくように抱きつき、その頬にキスしようとしたが、さしものリッチも怖気を催したらしく、ぺいっと振り払われて、そのまま地上十階分の高さから地表へと落下していった。
「魔法の防具類のおかげで二人でリッチの顔突き抜けてキスする事は免れたみたいですが」
「ざまぁないねぇ。だけど冷麗」
「なんです?」
「沙夜にはだいぶ惚れられてるみたいじゃないか」
「それ言ったら、弥生さんだって」
「あのバカはともかくとして、なるべく大勢を<紅姫>に引き留めたり、沙夜が放逐されないよう説得して回ってたって聞いたよ」
「後の事考えたら、そうするのが良いと考えたからです。それが間違ってたとも思いません」
「つまり、嫌な存在じゃあ無いんだろ?」
「ギルド時代に、沙夜さんが敷いてた鉄壁のルールは論理的に考えても整合性取れてて、みんなも守ってましたからね」
「メンバーのプライベート詮索禁止。オフで会うのも禁止」
「女性同士なら完全に安全なんて訳もありませんからね」
「沙夜の目的は別の所にあったとしてもな。しかし見張りの交代が来るまではあたしらでやるしかないか」
「ですね。まったく、はた迷惑な話です」
弥生と冷麗と余興は、ソリを物見台に降ろし、グリフォンを夜空に解放した。
弥生がそこに転がっていた酒臭い瓢箪とぐい飲みを鞄に納める姿を見て、冷麗は冷やかしてみた。
「弥生さんだって、まんざらじゃないんじゃないんですか?」
「もしそうだったら、Windの島に揃って住んでやしないよ」
「あー、二人でどっかに同棲ですか」
「いつ終わるか分からないんだし、余計に深入りするつもりも無いしね」
「だから、ツクシさんに今夜を譲ったんですか?」
「ツクシと、似亜蘭かねぇ。二人とも不器用だけど、相手も不器用ぽいからね」
「でしょうか?年上だし、こなれてそうな感じもしましたけど」
「遊び慣れてるって風じゃないし、かといって妻帯者とかバツいくつとかって雰囲気も無い。それだけ、いろいろあったんだろ」
「あー・・・、臆病になってるとか?」
「悪い意味で、わきまえてるんだろうさ」
「悪い意味でって」
「あんたもそのうち分かるようになるさ」
「ですか」
弥生はシャンパンやワインのボトルを魔法の鞄から出し、見合うグラスや料理も取り出して他の二人と、交代要員が来るまでの間を賑やかにやり過ごした。
ゴーレッドと沙夜が情欲に駆られて身投げしたのと同じ頃、Windの島では戦いが始まろうとしていた。
「似亜蘭さん、覚悟は変わりませんか?」
「ツクシさんこそ。私は、退かない。退けない」
「ふふ、では、恨みっこなしで」
「ああ。他の者達は気を遣ってくれてか、この島にはいない。あの人を除いて」
「弥生さんはトナカイならぬグリフォン提供要員として。余興さんはソリを浮かせるエア・エレメンタル提供要員として。ヒヅメさんは<三洋商会>炊き出しのお手伝いに。グレンボールさんは漁師さん達と遠洋漁業に」
「そしてゴーレッドのバカはフォーランドの物見台に」
「奈良さん達は元<勝利の羽根>メンバーのパーティーにお出かけして不在ですし」
「邪魔が入らぬ内に」
「ええ、決着を」
ツクシと似亜蘭は、それぞれサンタコスと言って良い衣装に身を包んでいたが、意匠はそれぞれに違った。
ツクシはロングスカートに、コートも羽織っていたが、インナーの胴体部分は赤い布を緑の紐のコルセットで締め、肩から胸元は大胆に開かれて白いふわふわに縁取られていた。
大人っぽい。女性らしい、というのが似亜蘭から見た印象だった。
翻って似亜蘭は、エルファと同じ170近くあるすらりとした体を下半身はミニスカート、ツクシに比べると寂しい胸元は赤い幅広の布で巻いて留め、白いふわふわで縁取り、サンタコスでありながらクノイチの雰囲気も醸し出す意欲作で、肩も腕もお腹も太股なども覆われていなかったが、衣装の裏地には余興に対冷耐性の刻印を刻んでもらい寒風対策にもぬかりは無かった。
ツクシから見れば、自分よりも長身ですらりとした肢体を、若さを含めてアピールしている似亜蘭の姿はやはり強敵として映った。
二人は、それぞれに自分で作れる最大限の手料理とワインやシャンパンなどを魔法の鞄の中に携え、エルファの起居するコテージへと向かい、二人揃ってドアをノックした。
二人は最高の笑顔を浮かべてエルファの出迎えに応えようと待ちかまえたが、しばらく待っても、再度ノックしても、エルファは出てこなかった。
「灯りはついてるし」
「ゾーンにはいますね」
「じゃあどこか散歩してるとか」
「神社で考え事してるとか」
「一人でお風呂入ってるとか・・・?」
二人はきっと向かい合うと、
「「これは早く見つけたもの勝ちパターン!?」」
とハモって別々の方向に駆け出そうとしたが、不意にエルファからパーティーにインバイトされ、足下がふわりと地表から浮き上がり、
「ちょっと、しばらく、そのままそこで待機してて」
とパーティーチャットでエルファの声が聞こえてきた。
「どうして待機なんですか?今、何か起こってるんですか?」
ツクシが問いかけたが答えは無かった。
「歌の効果が届いているという事はすぐ近くにはいる筈だ」
似亜蘭がエルファのコテージのベランダの先の海面を見つめると、そこには普段着姿で<歌う風の剣>は腰に下げたままのエルファが海面の上に浮きながら、同じく海面に浮いてる人魚の様な生霊に見える何者かと対峙していた。
「あれは、セイレーンですかね。ノーマルランクのレベル78。でも」
「時々表示がぶれて覗く名は、<色情の典災>エヴィルキュラ。一人で戦おうなんて無茶だ。すぐに増援を呼ばないと」
「待って下さい、似亜蘭さん。もしそうならエルファさんはとっくにそうしてる筈です」
「イブの夜に<色情の典災>か。連中は人間を学びつつあるのか。だとしても」
「ええ、はた迷惑にもほどがあります」
「この移動補助歌が起動したままという事は、戦闘状態になっていないという事でもある。しばらくは、様子見か」
「エルファさんが何か話しかけてやり取りしてるみたいですしね」
二人は、衣装はまだそのまま、しかし魔法の鞄からいつでも武器は取り出せるよう身構えて待機した。いやしようとしたのだが、薄衣だけを纏ったセイレーンがエルファに歩み寄り、その体にしなだれかかると、二人は揃って海面へと駆け出していた。
「典災なんかにっ」
「邪魔は、させないっ!」
ツクシはメイスを振りかぶり、似亜蘭は半刀を典災の脇腹に突き込もうとしたが、戦闘状態に入り移動補助歌の効果が切れた事で二人は海中に没落した。
暗い海面からは気が付けなかったが、海の中には数え切れないくらいのセイレーンが泳いでいて、海面に戻ろうとする二人は取り巻かれて逆に海の底へと引き戻された。
まずい、このままだと、息が!
物理的ダメージとは別に、水中では溺れ判定が発生。約一分ほど経っても息継ぎ出来なければ、数秒で一割ずつHPを失って溺死する。
二人はまとわりつくセイレーン達を攻撃し振り払おうとしたが、水中では思うように武器を振るえずろくなダメージを出せなかった。
だが、一分を過ぎても呼吸が苦しくなる事は無く、二人はいつの間にか水中呼吸の援護歌をかけられている事に気づき、海の底に足を付けてからはまとわりついた敵を屠る事も出来たが、やはり海中に落ちてきたエルファとの間は分厚い敵の層で遮られ、典災とエルファの間には割り込めそうになかった。
「焦らないでいいから」
エルファからパーティチャットでそう聞こえてきたのと、典災からの声が脳内に直接響いていたのは同時だった。
「我、<色情の典災>なり。汝ら冒険者たる人間よ。互いを欲し劣情を貪りあわずにはいられない哀れなる種よ。その本懐を遂げるがいい」
赤光が水中を走り、ツクシと似亜蘭を貫いた。エルファと典災達との間を塞いでいたセイレーン達は道を二人に空けた。
ツクシは、職場で受けたセクハラや、手に入るかに見えて自分をすり抜けていってしまった夫との生活の思い出を振り払うように、コートは脱ぎ捨ててエルファの方へ泳いで行った。そこでなら求めている何かが手に入ると思って。
似亜蘭は、あまり恋愛経験が多いとは言えなかった。それなりの外見だとは思っていたが、同じくらいかより低い背の意中の人にはそんなに背が高くなければなとふられたり、自分より高い背丈の人は自分よりずっと背の低い人を選ぶ傾向があった。
それでもぱっと見にはおとなしそうな女子として見られるせいか通学の電車では良く痴漢に狙われ、捕まえられた相手は残らず駅員につきだしてきたが、お前みたいのを触ってやったんだからありがたく思えと逆ギレしてきたり、抵抗して取り押さえようとしたら暴力を振るってくる相手までいた。そんな時、周りに助けを求めても無視される事は珍しくなかった。むしろ声を上げて助けてくれる人の方が珍しく貴重な存在だった。自分からは暴力を振るえない理不尽さから、似亜蘭はエルダー・テイルを、圧倒的な暴力を叩き出す暗殺者をプレイし始めたのだと思う。
エルファが、この異世界やギルドのメンバー達に、そういった事を求めていないのは分かっていた。でも、あれだけいろんな事を放っておかない誰かと一緒に歩けたら、どんな光景を見れるのだろうかと興味があった。その他大勢の仲間としてではなく、特別の誰かとしてというのは、欲張りなのかも知れないと自覚してはいた。
だからこそ、ツクシから一歩遅れて泳ぎ始めた似亜蘭は、見た。今まで一方的にしなだれかかられていたエルファがセイレーンを抱きしめ返し、典災の耳元で何かを囁いた。
とっさに殺意が沸いたが、典災はエルファから離れると、周囲のセイレーン達を巻き込む範囲攻撃を展開。セイレーン達は驚いてはいたが反撃を開始。軽く百体はいたセイレーンに渦の様に取り囲まれてみるみるHPを減らし続けても典災はセイレーン達への攻撃を止めなかった。
「何が、どうなって?」
エルファは、自分の元にたどり着いた二人を典災から引き離すように両脇に抱きかかえ水面へ。
「二人は、コテージで待ってて」
「でも、戦闘になるなら」
「もうならないよ。このまま、終わらせるから」
「分かった。ツクシさん、戻ろう」
「・・・・分かりました」
二人を見送ったエルファが水中に戻ると、冒険者には有効だったかも知れない攻撃を連発して空振りに終わる典災が息絶えつつあった。
最期はエルファに笑顔を向けつつ虹の泡として典災が海中に消えると、まるで憑き物が落ちたかのようにセイレーン達は呆け、なぜ自分達がここにいるのか分からないといった風体で、おそらく元居たどこかの海へと次々に帰っていった。
エルファがコテージに戻ると、乾いたタオルや焚き火を用意したツクシと似亜蘭が出迎えてくれた。
「お帰りなさい、よくご無事で」
「ありがとう。二人とも、巻き込んじゃってごめんね」
「いいや!謝られるような事は何も無い!というか典災を一人で相手しようとしていたのか?」
「名前とタイミングから言って、一人のが相手しやすそうだったし、あんなのがナカス沿岸に入り込んでたら、何が起こってたか分からなかったからね」
「でもナカスなら衛士が」
「その衛士も絶対な存在じゃないよ。ミナミでは濡羽一人に籠絡されたし、今のアキバを騒がせている殺人鬼も衛士だそうだ。菫星さんから相談を受けて、ナカスでは衛士の鎧が悪用されないよう手は打ったけど、典災に取り込まれてたら余計に被害が広がってた可能性もあった」
「でも、典災に一人で立ち向かおうなど、無謀だったのではないのか?」
「無謀というか、試しておかないといけない事もあったから、ちょうど都合が良かったんだ。悪くても殺されるくらいならね」
「でも、それじゃ!」
「そうです、せっかく私たちが!」
「ああ、ごめんね。せっかくの衣装もびしょ濡れになったり。余興がいれば熱いお風呂も用意出来たんだけど。二人とも風邪引かないよう」
「違う!そんな気遣いは無用だ!」
「私たちは、エルファさんと、この特別な夜を過ごしたかったんです。だから」
エルファは、タオルで大雑把に体を拭うと、火の傍に腰を降ろし、リュートを鞄から取り出して爪弾き始めた。
「楽器、弾けるんですか?」
バードのエルファにいまさらな質問ではあったが、ツクシは以前否定的な話を聞いた気がしていたし、似亜蘭にしてもエルファが戦闘時や移動時以外に楽器を手にしている姿は目にした事が無かった。
「ピアノは、子供の頃少しだけ習ったけど、今じゃ音符は読めないし、何かの曲を正確に演奏しろって言われたら、出来ないだろうね。だけどそれは、楽器が弾けない事にはならない」
サブ職業のスキルが無ければ元の世界でスキルがあっても失敗する。ただし、メイン職業の補助があればどうか。しかしそんな事には関係無く、エルファは適当に気の向くまま弦を爪弾き、それは曲としての体裁は成していなかったかも知れないけれども、耳にしていて心地よい旋律ではあった。
似亜蘭が鞄から飲み物や食べ物を取り出し、ツクシも同様にはしてみたものの、エルファが時折手を休めて飲み物を口にする時に合わせてワインを飲むくらいで、むしろ、旋律に合わせてハミングしてみた。カラオケの様な場ならともかく、名も知れぬ曲とも言えぬ音楽への伴奏としてなら、そうするしかないというか、そうしたかったからそうした。
足でリズムを取っていた似亜蘭は、気恥ずかしくてハミングは出来ないようだったが、それでも、少しずつ、さりげなく、座る位置をずらしてエルファの近くへと移動していた。
ツクシも同じようにする事を考えないでも無かったが、その前に、訊いておかなければいけない事を訊く事にした。
「あの、エルファさんて、元の世界で、特別な、誰かがいたりするんですか?」
「いないよ」
あっさりと答えられて拍子抜けするほどだった。
「じゃあ、この世界では・・・?」
似亜蘭の問いかけにエルファはしばし考え込んでから答えた。
「いない。そういう意味のでなら、たぶん、戻れる方法というか、ちゃんと向こうに戻っても続けられる可能性が確立してからでないと、そういう相手は作りたくない、かな・・・」
「記憶が、無くなってしまうかも知れないからですか」
「完全に無くなるのなら、それも嫌だけど、まだしも、部分的に残ったり変に尾を引いたりして中途半端に引きずる事になったりしたら、たぶん、それは不幸な事になりそうな気がするんだ」
「でも、そんな方法が確立するかどうかなんて、分からないのに」
「そうだね。でも、たぶんもう元の世界に戻った人は出始めている」
「えっ!?」
「本当、ですか!?」
「うん。まだ広めないで欲しいけど、名簿の作成は、その目的も兼ねていたんだ」
エルファは実際には他の複数種類の方法の掛け合わせでこの世界から消失したと思われる確証を得ていた。
「でも、元の世界に戻れて、記憶を維持していたのなら、この世界に連れ込まれて取り残されている他のみんなをどうにかしようとしてる筈なんだよね。
エルダー・テイルというゲームそのものをプレイしていた人全員が巻き込まれた訳じゃない。時間帯にもよるけど、おおよそ半数未満。日本はちょうど拡張パックが適用されるタイミングだったから、三万人ほどと推測される。もしそれだけの人数のプレイヤーが意識不明なり肉体消失なりしてれば、社会的にも大きな関心を呼んでる筈さ。世界中だとおおよそその十倍くらいは消えたりしてる筈だから。
だとしたら、戻れた人の話は注目されて、何らかの対策は取られてる筈。ゲーム会社を通じても、他のあらゆる手段を講じてでも。でも、元の世界とこちらは断絶したままだ。
一つには、元の世界が滅んでいて、たまさか<航界種>に救い出されたエルダー・テイルのプレイヤー達だけが別世界に救済されたって可能性もある。だけどその場合、元の世界への帰還を取引材料にはしてない筈だし、記憶や意識を維持出来ているその事自体が生存しているという証になるかも知れない。
だから、元の世界は滅んでないと自分は考えてる。
となると、元の世界との通信なり干渉なりを妨げている存在がいて、それがこの世界を構築し自分達、限定された条件の人間をこの世界に召還というか拉致してきたと考えられる。
それが航界種だという推論はもちろん有効だ。なにせ、その妨害をどうにかして彼らは排除して、人間を元の世界に戻せるというんだからね。記憶という資源を無理矢理には引き剥がせず合意というプロセスを必要とするから、その舞台と成りうる世界を構築したとか」
イブの夜にふさわしい睦まじい甘やかな言葉では無かったが、今の自分達にこれ以上ふさわしい会話は無いとツクシも似亜蘭も話に引き込まれていた。
「我々が一種の精神的な存在になっているとして、元の世界との通信が不可能なままになっているのは」
「そうされたら不都合な存在がいるから、が答えだとは思う。航界種が犯人だとしてもそうでないとしても、自分達を介さずにもしも帰還が可能になってしまえば、彼らは彼らに必要な資源を取りはぐれてしまう事になる訳だし」
「元に戻せるくらいなら、通信させるくらいは、出来る筈ですよね」
「そして元の世界に戻した冒険者からはこちらにいた間の記憶を全て奪えば、自分達の立場は揺らがない。資源の取りはぐれも起きない」
「じゃあ、やっぱり、敵なんですか?」
「もし本当にそうだったとしても、彼らだけが帰還の鍵だとしたら、やはり協力関係にある事の方が望ましいとは思うけどね」
「だから、帰還方法というか、記憶を維持したまま戻れない限り、特別な誰かは作らないと」
「逆に考える人たちもいるだろうけどね。自分は、それじゃ悲しいから」
エルファは、夫婦関係にあるニライとカナイからもっと踏み込んだ話も聞いてはいたが、目の前の女性二人に開陳する勇気はまだ持てなかった。
「私だって、そうだ!・・です!」
「タメ語でいいですよ」
「いや、そんな訳には」
似亜蘭が思い切って言ったのとは正反対に、ツクシは考え込んでいた。
人は、結ばれても、結婚という形で家庭を持っても、それで終わりではない。エルファから既婚者の雰囲気は感じなかったが、むしろ、そのより長い困難な道のりを知っていて、控えているような、身を慎んでいるような印象を受けた。
自分にしても、もし記憶を保ったまま元の世界に戻れたとして、現在の夫との関係を全て精算して、実際には一度も会った事の無い男性と一緒になる決断が出来るかと言われれば、やはり熟考を必要とした。
それが、当たり前な事で、だから、エルファはその当たり前な事をしているに過ぎない。でも、当たり前な事を当たり前の事として出来る人は、そう多くない。自分と婚姻関係を結んだ相手もそうだったろうし、自分に身勝手な妄想を押しつけてくる相手は論外だが、自分はどうなのだろうか、出来ているのだろうかと省みたが、それでも、言っておかなければならない事があった。
「もし、元の世界に、記憶を保ったまま戻れたとして、また、会って頂けますか?」
「喜んで」
似亜蘭も、負けじと何か言って肯定的な返事をもらってはいたが、その内容は気にならなかった。むしろ、
「失望させちゃわないかどうか、怖いけどね」
とつぶやかれた事の方が、響いて後に残った。
「そんな、そんな事を言ったら私だって!」
似亜蘭は、真っ直ぐに切り込んでいたが、エルファはまた楽器を爪弾き始め、それは不意にもう一つの楽器の伴奏を受けて厚みを増した。
「奈良・・・さん」
「いつから・・・?」
「さあ?」
奈良はとぼけて、似亜蘭と逆側の隣に座り、ただエルファの奏でる旋律に音を重ね合わせ連ね続けた。
似亜蘭は負けじとエルファのすぐ傍らに位置を移したが、ツクシは、相手をほぼ正面に見られる位置のままでいた。
穏やかな時間は、やがて戻ってきた弥生や冷麗や余興、ニライとカナイとヒヅメ、藍姫とららりあ、そしてゴーレッドや沙夜、グレンボールとその仲間の漁師達が加わるに連れて賑やかな宴会と化していき、<紅姫>や<和冦>や<薩摩隼人>やWoof繋がりの人やアデルハイドやランディクまでいつの間にか加わり、狭い志賀島を立錐の余地も無いくらいぎゅうぎゅう詰めにさせた、あちこちで魚や肉や野菜が焼かれ、酒を満たした杯が打ち付けられ、楽器の音や音程が外れた歌声が響き合った誰もが楽しんだパーティーは朝まで続いてからお開きとなった。




