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家事で世界を救う!?  作者: 安鼠
第一章 チーム結成編
19/23

眠れる狙撃手 ~無音の戦場~

 午前二時の山の中は、しんと静まり返っていた。


 その静寂の底で、俺は台所に立ち、最後の仕込みを終えていた。フライパンにたっぷりの油を張ってコンロにかけ、小麦粉を詰めた紙袋を小脇に抱え、証人のおっさんが「気晴らしに」と持ち込んでいた馬鹿でかい打ち上げ花火を、数本まとめて腰に差す。我ながら、どこの珍妙な戦士だよって格好だ。


 でも、これが俺の武器だ。包丁でも、ナイフでもない。台所にあるもん全部が、俺の得物になる。


「花火は、光と音。油は、足止め。粉は、目くらまし……。よし」


 背後のソファでは、花咲が半目のまま、身じろぎもせず眠っている。撃つことから逃げて、意識をどこか遠くへ手放したまま。


「安心して寝てろよ、花咲。お前が撃たなくても、俺がなんとかする」


 俺は、玄関の鍵をわざと開けた。さあ、いらっしゃい。歓迎はしないが、もてなしてやる。




    ◇




 最初の一人は、裏口から入ってきた。


 暗闇に慣れた足取り、消音器付きの拳銃。訓練された動きだ。だが、そいつがキッチンに一歩踏み込んだ瞬間――足を滑らせた。床一面に塗りたくった油に。


「うおっ!?」


 体勢を崩したところに、俺は小麦粉の紙袋を叩きつけた。白い粉が、ぶわっと部屋中に舞い上がる。


「粉塵ってのはな、舞い上がったところに火があると――こうなる」


 俺は、指で弾いたライターの火を、その白い雲に放り込んだ。ぼんっ、と鈍い音がして、閃光が走る。派手なだけで、大した威力はない。ないが、目の前で光が爆ぜれば、人間、誰だって一瞬固まる。その一瞬で十分だ。


 俺は、目を眩ませた男の顎に、下から掌底を叩き込んだ。脳が揺れて、男はそのまま崩れ落ちる。念のため、結束バンドで手足を縛って、口には布を噛ませておく。よし、一人。


「……ふう。掃除が大変だなこりゃ」


 舞い散った小麦粉を見て、俺は思わずため息をついた。せっかく綺麗にした床が台無しだ。まぁ、命あっての物種か。




 奥の部屋からは、証人のおっさんの「ひぃぃ……」という悲鳴が漏れてくる。まぁ、無理もない。目の前で高校生が油と小麦粉で人を沈めてるんだから。安心しろおっさん、あんたの命は俺が守る。掃除も俺がやる。だから、大人しく引っ込んでてくれ。


 二人目と三人目は、正面から同時に来た。


「そこにいるのは分かってる!出てこい!」


「はいはい、ただいま。あんまり騒ぐと、ご近所さんに怒られるぜ?」


 俺は、腰の花火を一本引き抜くと、導火線に火をつけて、玄関の外へ放り投げた。


 ――ヒュルルルル、ドンッ!!


 夜空に、馬鹿でかい花が咲いた。至近距離で打ち上がった花火の、目を焼く閃光と腹に響く轟音に、二人がびくりと足を止める。田舎の山奥で、真夜中に打ち上げ花火。近所迷惑にも程があるが、この際知ったこっちゃない。というか、こんな山ん中に近所なんてねぇーしな。


 俺は、爆音に紛れて音もなく間合いを詰めた。一人目の鳩尾に肘を叩き込み、そいつが折れ曲がったところを盾にして、返す動きでもう一人の膝の裏を蹴り抜く。二人まとめて地面に沈めると、その首筋に、七尾から貰った麻酔をひと吹きずつ。ゾウでも眠るってやつだ。人間なら、余裕でおやすみだろう。


「花火、あと三本。……大事に使わねぇとな」


 我ながら、あくどい戦い方だ。正々堂々のかけらもねぇー。でも、いいんだよ。俺は正義の味方じゃない。ただ、守ると決めたもんを守るために、使えるもんは全部使う。それだけだ。


 残りは、外に四人。それと、稜線の上に一人。




    ◇




 外に飛び出すと、風が頬を撫でた。稜線の方角、六百メートル先。あそこに、敵の狙撃手が伏せている。花咲が昼間、スコープだけを撃ち抜いた、あの相手だ。


 問題は、そいつだ。


 地上の連中は、なんとかなる。家事の応用で、光と音と煙で撹乱して、一人ずつ片付ければいい。でも、六百メートル先から俺を狙う狙撃手だけは、どうにもならない。俺の投げナイフが届くのは、せいぜい数十メートル。花火も届かない。あの距離の敵を無力化できるのは――同じ、狙撃手だけだ。


 ポケットのスマホが震えた。海斗からだ。


《ツッキー、上から見てるけど、まずいよ。稜線の狙撃手、もうツッキーに照準合わせてる。次に外に出たら、確実に撃たれる》


「見てるって、お前どこから……いや、いい。分かった」


 ドローンでも飛ばしてやがるのか、あいつは。まぁ、情報はありがたい。つまり、俺はもう、この物陰から一歩も動けないってことだ。動いた瞬間、頭に風穴が空く。


 地上の残り四人は、じりじりと包囲を狭めてくる。稜線の狙撃手は、俺が出てくるのを待っている。挟み撃ち。詰みかけてる。


 ――やっぱり、あいつがいないと、どうにもならないか。


 俺は、ログハウスの中で眠る、相棒の顔を思い浮かべた。




    ◇




 俺は、物陰を這うようにして室内へ戻り、眠る花咲の傍に膝をついた。


「花咲。起きろ」


 揺すっても、反応はない。半目の奥の瞳は、うつろに宙を見ている。撃つことの記憶から、必死に逃げている。


 ――そして。眠りの底で、花咲亜貴は、遠い夢を見ていた。




    ◇




 おれには、名前がなかった。


 物心ついた時には、もう銃を握らされていた。番号で呼ばれ、引き金の引き方だけを、来る日も来る日も叩き込まれた。どこの国かも、何のための戦いかも、教えてもらえなかった。教官は、いつもこう言った。「銃を撃つのに、言葉はいらない。国境も、名前も、いらない。ただ、引き金を引けばいい」と。


 おれには、才能があったらしい。どんなに遠くの標的でも、外さなかった。風を読み、息を止め、静かに引き金を引く。それだけで、褒められた。褒められると、その日の飯が、一食だけ増えた。だから、おれは撃った。何も考えないように、心を殺して、ただ撃った。


 ……いや、違う。本当は、褒められたかったわけでも、飯が欲しかったわけでもない。


 同じ部隊に、おれより小さい子供が、何人もいた。名前のない、番号だけの子供たち。おれが的を外せば、あいつらが死ぬ。おれが撃てば、あいつらは今日の夜も生き延びられる。だから、おれは引き金を引いた。夜になると身を寄せ合って眠る、あいつらの、あったかい寝息を守るために。何度も、何度も、何度も。


 ――でも、ある日。


 激しい銃撃の中で、おれはただ前だけを見て、撃ち続けていた。前から来る敵を、一人、また一人。守っているつもりだった。守れていると、思っていた。


 だけど、煙が晴れた後。振り返ったおれの背中側で、いつも身を寄せ合っていた、あの小さな寝息たちは――全部、消えていた。


 おれは、前ばかり撃っていた。守りたかったものが、後ろで、静かにこぼれ落ちていくのに、最後まで、気づけなかった。


 その日、おれは知ってしまった。


 引き金を引くことは、守ることじゃなかった。撃てば撃つほど、おれの手のひらからは、大事なものがこぼれ落ちていくだけだった。おれの才能は、誰かを守るためのものじゃなく、ただ、命を奪うためだけのものだったんだ。


 だったら、もう、撃ちたくない。


 目を閉じれば、引き金を引かなくて済む。眠っていれば、もう二度と、誰も殺さずに済む。あの、あったかいものが消える瞬間を、見なくて済む。


 だから、おれは、眠ることにした。ずっと、ずっと、眠っていよう――と。




    ◇




 うなされる花咲の額に、うっすらと汗が滲んでいた。何を見ているのかは、分からない。でも、なんとなく、想像はつく。


 国境も名前もいらない、ただ引き金を引けと教わった。そう言ったこいつの声には、憎しみも、誇りもなかった。ただ、疲れ切っていた。きっとこいつは、誰かを守るために引き金を引き続けて――それでも守り切れなくて、撃つのをやめたんだ。


 その気持ちは、痛いほど分かる。俺も、たった一人を守るために、三十人以上を「解体」した。守れた。でも、返り血まみれになった自分は、もう二度と、元には戻れなかった。


 守るために、線を越える。越えた先で、自分が壊れる。――俺とお前は、同じだよ、花咲。


「だから、これは命令でも、頼みでもない」


 俺は、眠る花咲の耳元で、静かに言った。


「お前に、人を撃てとは言わねぇ。二度と、言わねぇよ。……でも、昼間、お前は敵のスコープだけを撃ち抜いたよな。人を殺さずに、道具だけを壊した。あれができるお前は、"人殺しの狙撃手"じゃない。"誰も殺さずに、守れる狙撃手"だ」


「…………」


「起きろ、花咲。引き金を引け。ただし――誰も、殺すな。それが、お前にしかできない守り方だ」


「…………」


「お前の手は、命を奪うためだけのもんじゃない。お前がそう決めつけてるだけだ。……守れなかった過去は、変えられねぇーよ。でも、これから何を守るかは、お前が決めていい」


 返事は、ない。ただ、うつろだった半目の奥に、ほんの少しだけ、光が戻ったような気がした。


 俺は、もう一度だけ、静かに言った。


「――今度は、後ろも、守れ。お前の背中は、俺が守る」


 花咲の、閉じかけていた半目が。


 ゆっくりと、開いた。




    ◇




「……そんな撃ち方、教わってない」


 掠れた声で、花咲が呟いた。


「なら、今から覚えろ。お前は、頭がいいんだろ。テストの数学と理科、満点だったじゃねぇか」


「……無茶を言う」


 そう言いながらも、花咲はのそりと身を起こし、ライフルを手に取った。窓際に伏せ、頬付けし、スコープを覗く。その手は、もう震えていない。標的を「殺すべき人間」ではなく、「壊すべき道具」として見ているからだ。息を、ゆっくりと吐く。


「……月見」


「ん?」


「おれが撃ったら、合図だ。……お前は、地上を頼む」


「おう。任せろ」


 俺は、腰の花火に手をかけて、玄関の前に構えた。ここからは、二人がかりだ。眠り姫はもうおしまい。叩き起こしたからには、しっかり働いてもらうぜ。


 花咲が、息を止めた。


 その瞬間、こいつの世界から、音が消えたのが分かった。風の音も、俺の呼吸も、全部が遠ざかって、ただ六百メートル先の一点だけが、鮮明になる。無音の戦場。狙撃手だけが立てる、静寂の頂。


 ――パンッ。


 乾いた一発。稜線の上で、敵の狙撃手が構えていたライフルの、その機関部が、正確に撃ち抜かれて弾け飛んだ。指一本、掠らせもせずに。武器だけを、確実に、無力化した。


「――上出来だ、花咲!」


 俺は、弾かれたように玄関から飛び出した。稜線の狙撃手という最大の脅威が消えた今、地上の四人は、もう俺を止められない。


 残った花火を続けざまに打ち上げて、光と音で目と耳を潰す。ひるんだところに煙玉を投げ込んで視界を奪い、白い煙の中を縫うように走って、一人ずつ確実に沈めていく。投げナイフで銃を弾き、掌底で沈め、麻酔で眠らせる。家事で鍛えた身体は、こういう時、嫌になるくらいよく動く。一人、二人、三人――


 二階の窓から、花咲がおれの死角を見張ってくれているのが分かった。「右、木の陰」「後ろ、来てる」。短い声が、的確に飛んでくる。撃たずに、声だけで。それでも、こいつの援護は、百人力だった。


「悪ぃな。うちの相棒が、お前らを殺したくねぇーってさ。優しいだろ?」


 最後の一人を眠らせて、俺は大きく息を吐き、夜空を見上げた。花火の煙が、月に薄くかかっている。


 ――誰一人、殺さずに。守り切った。花咲の手を、汚さずに。




    ◇




 空が白み始める頃には、全部が終わっていた。


 縛り上げた連中は、海斗が手配した警察と、証人の会社の顧問弁護士とやらに引き渡した。稜線の狙撃手も、ライフルを失って逃げるしかなかったらしい。証人のおっさんは、無事に告発の日を迎えられる。めでたし、めでたし――と言いたいところだが、俺はへとへとだ。花火と粉まみれの床、掃除するの誰だと思ってんだ。俺だよ。


「……月見」


 ログハウスの縁側で、朝日を浴びながら、花咲がぽつりと言った。いつもの半目に戻っているが、その横顔は、どこか憑き物が落ちたように見えた。


「なんだ」


「おれ、ずっと、自分のこの手が、嫌いだった。人を殺すことしか、できない手だと思ってた。だから、寝てた。起きてたら、また、誰か殺しちまう気がして」


「……」


「でも、お前は、"殺さずに守れる"って言った。……初めてだ。この手を、そんな風に言われたの」


 花咲は、自分の右手を、じっと見つめていた。引き金を引くための、その手を。


「なぁ、月見。お前も、同じだろ。人を壊せる目をしてる。なのに、飯を作ってる。……お前は、なんで、そっちを選んだ?」


 俺は、少し考えて、答えた。


「……前から思ってんだけどよ。料理をする人間にとっての一番の喜びってのは、作ったもんを、誰かが幸せそうに食う顔を見ることだと思うんだ。……人を壊したって、誰も笑わねぇー。けど、飯を作りゃ、誰かが笑う。だから、俺はそっちを選ぶ。それだけの、単純な話だよ」


「……単純で、うらやましい」


「はは、なんだそりゃ」


「……そうか」


 花咲は、ふっと、初めて見る笑みを浮かべた。眠そうな半目のまま、それでも確かに、笑った。


「お前は、おれの戦友だ。……いや、違うな。戦わずに済ませてくれる、初めての奴だ」


「照れくせぇーこと言うなよ」


 俺は、頭を掻いた。柄にもねぇーな、こいつも。




 その日、俺はようやく、花咲亜貴という男が、少しだけ分かった気がした。


 あいつは、俺の鏡だ。誰かを守るために線を越えて、その先で壊れかけた、俺と同じ人種。だから、こいつの前だと、俺は妙に落ち着かない。俺がずっと目を逸らしてきた「解体屋」の自分を、こいつの背中に見てしまうから。


 いつか、俺も、向き合わなきゃいけないんだろうな。花咲が、自分の手と向き合ったみたいに。ドバイで、あの女性に向けられた恐怖の視線。封印したはずの、黒いケース。……逃げ続けられるほど、俺の過去は甘くない。


 その予感が、そう遠くない未来に現実になることを、この時の俺は、まだ知らずにいた。


 ――ただ、今はまだ、いい。




    ◇




 結局、その朝の飯は、二人で作った。


 花咲は、包丁の使い方はまるでなってなかったが、言われた通りに卵を溶き、皿を並べ、律儀に手を動かした。荒事にはあれだけ慣れてるくせに、だし巻き卵一つで四苦八苦してる姿は、なんだか可笑しかった。


 出来上がった飯を、花咲は、今日は一口ごとに、味わうように食っていた。


「……あったかい」


 ぽつりと、こぼすように、こいつは言った。


「そりゃ、作りたてだからな」


「違う。……そういう意味じゃ、ない」


 俺は、それ以上は聞かなかった。ただ、こいつの空になった茶碗に、黙って飯をよそってやった。あったかい飯を知らないまま、引き金の引き方だけを覚えさせられた男。そいつが今、湯気の立つ飯を「あったかい」と言って、食っている。……それだけで、この馬鹿みたいに疲れた実習も、まぁ、悪くなかったと思えた。


 守り切った朝の飯は、きっと、いつもより少しだけ、美味い。飯を頬張る花咲の、その静かな横顔が、そう言っているみたいだった。


ここまで読んでいただきありがとうございます。


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