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第三章 全ては理想のために 後編

―さて…そろそろ頃合いか。

ネレスは空を飛びながら下方のカーラ達を見下ろし、続けてガナシアの町を見た。三十分以上飛び続けたためガナシアの町はもう点にしか見えず、十分な距離を引き離したと言えた。

ネレスは少し高度を下げはじめ、カーラ達の数メートル上空にまで落ちると大きく高笑いをした。

「フハハハハハハハハハハハハ!」

高笑いが止むと突然ネレスの体が炎に包まれ、全身を包み込んだかと思うと次の瞬間に消え去った。それは突然の出来事であり、思わずカーラは軍を止まらせ、辺りを散策させたがネレスの姿はおろかその痕跡すら見つけることが出来なかった。


ジュドーがフランの部屋に戻るとそれをフランが慌てた様子で出迎えた。

「ネレスさんが出て行ってたわ。止めたんだけど聞いてくれなかったの」

「知っている。おかげで一人の命が救われた。彼はあの二人とその部下を引き付けてここを出て行った。」

「おい、それはどういうことだ?」

ソファーで寝そべっていたガルバスは体を起こすとジュドーに詰め寄った。

「落ち着いてくれ。彼は必ず連れ戻す、だから落ち着いて待っていてくれ」

「その……必要は……ない……」

息切れした声が聞こえ、振り返ると部屋の入口にネレスが立っていた。その顔には玉の様な汗が浮かんでおり、疲労困憊であることは明らかであったがジュドーに近づくと言った。

「ジュドー……何が素晴らしい世界を広げるだ? たった一人によって崩れてしまいかねない脆い世界を誰が望んでいる?」

ネレスの言っている事はあの軟体種の男の子のことだった。あの時ジュドーは男の子のことを見捨てようとしていた。あそこで男の子を庇い、クルスとカーラの反感を買ってしまった場合には言い訳する事は不可能だった。

「選択の時だジュドー。この世界を守るために戦うのか、成す術もなく壊されるのか。選べ。お前はこの選択から逃れられない。もう後三十分もすれば奴等が戻ってくる。それまでに決めるのだ。僕と共に戦うのか、蹂躙されるのかを…」

荒い吐息の混じったネレスの言葉にジュドーは沈黙してしまった。

「真にやりたいことがあるのなら今までの全てを投げ打ってでもやらねばならない。例え失敗したとしてもその火種は残された者達の中に宿る。そして時を経て大きく燃え上がるのだ。さあ、答えろ!」

「…私に妹達と殺しあえと言うのか?」

「それだけではない。全てだ。世界を敵に回せ、今僕等を取り囲んでいる世界と戦え、この理不尽な世界を壊し、屈服させ、新しく作り替えろ。そうしなければお前の美しくも儚い世界は飲み込まれてしまうぞ?」

「……」

ジュドーは言葉に詰まった。世界を敵に回す。それはあまりにも無謀すぎる事だった。一つの町を治めているとはいえその兵力はせいぜい千人程度、ここ北方の主要都市ルーブクスの十分の一であり、帝国本土と比べた場合にはその一割にも満たない兵力だった。

「僕はそれをやろうとした。無謀であることは承知の上だった。だが、やらねばならんのだ。誰かが改革せねばこの世界は変わらない。だから、僕はやったのだ! 失敗し、国を追われてもなおこの命が尽きるまで何度でもやり続ける。お前に守りたい者は無いのか? お前は彼女を本気で愛していないのか? 本気で愛しているのならばその命を差し出せるはずだ。彼女が笑って過ごせる世界を作るために!」

「ぐっ……」

言葉に詰まったジュドーはフランを見た。フランはおどおどとしていたが何も答えてはくれなかった。

「…そうか。お前には勇気がないんだな? ここで朽ちるがいい。お前の世界は私がいつか別の場所で作り上げてやろう。ガルバス、行くぞ」

「え? いいのか?」

「ああ。ここにいたらまたあいつらに見つかりかねないからな」

「待て……」

ジュドーがまっすぐネレスを見た。その目はギラギラと輝き、燃えていた。

「やってやる。私はこの世界を……フランと共に歩む世界を守りたい。力を貸してくれ」

「いいのか? さっきも言ったように世界の全てを敵に回すぞ?」

「ああ。やってやるさ」

ジュドーはいつの間にか笑っていた。それは呆れた笑みでも、自暴自棄になった笑みでもなく、覚悟を決めた者が見せる恐怖を打ち消した笑みだった。

「よし、よく言った。なら今すぐ指令を出せ。奴等に再びこの町の土を踏ませるな」

「分かっている。兵士の指揮は私に任せろ」

ジュドーは叫ぶと同時に部屋を出て行った。

「何か凄い事になっているが何が起こるっていうんだ?」

「何かって? 決まっているよ。戦争だ」

ネレスは先ほどジュドーが見せた笑みを浮かべながら言った。

「行こう。僕等にもやるべきことがある」

ガルバスの手を取るとネレスはジュドーの後を追って部屋を出た。一人残されたフランは左手を胸の前でギュッと握るとただ一言つぶやいた。

「ジュドー……」

それは愛しい人の名前だった。



「門を閉めに行け! 今すぐにだ! 奴等をこの中にいれるな!」

兵舎に入るなりジュドーはそこにいた兵士達に大声で指示を出した。

「え? どういうことですか?」

突然の指示に兵舎の中に隠れていた獣人の兵士は驚き戸惑った。

「いいから早くしろ! 鳥獣種や足の速い物はすぐに門番達に伝えに行け! 残りの者は戦闘準備をしろ!」

「はっ、はい!」

ジュドーの剣幕に押された様々な人種の兵士達は言われるがまま与えられた役割を果たし出した。鳥獣種と馬の半獣種達は一斉に兵舎を飛び出し、門を越えて四つある門の元へと消えていった。

「敵はまさかとは思いますが……」

「決まっている! 私の妹達だ! だが遠慮はいらん! ぶち殺せ!」

その言葉に残っていた兵士達は手を止めてしまった。

「奴等はギルト神話を信じている。獣人の事をただの虫けらとしか考えていない屑共だ! 遠慮はいらん! 殺せ!」

「で……ですが妹君を殺すのは……」

「分かっている。だが殺しても咎めはせん! これは戦争なのだからな。それも我々の世界を守るための決して避けられない聖戦だ!」

「……分かりました!」

ジュドーの覚悟を読み取った獣人達は一斉に声を上げると今までの迷いを捨てて的確に行動を開始した。

「ジュドー様! 西門封鎖完了しました」

一人の鳥獣種がジュドーのすぐそばに降り立つと報告した。

「よし、君も戦闘準備をしてくれ」

「はっ!」

鳥獣種は翼で敬礼をすると兵舎の奥に消えていった。

「ジュドー様……いよいよですか……」

あの四つ目の獣人がいち早く準備を終えてジュドーの元に立った。

「そうだ。ゾナーお前には私の片腕として戦ってもらうぞ」

「分かっています。あなたに救われてから私はあなたのためならばこの命を差し出す覚悟です」

ゾナーは背筋を伸ばして敬礼した。

ゾナーは未だに明確な分類がされていない魔獣種と呼ばれる獣人であり、その特徴として二つ以上の獣人の特性を兼ね備えていた。腹足種の一種である多眼に加え、牙獣種の濃い体毛と突き出す獣の耳を有していた。

獣人の中でもその特異な姿のせいで魔獣種は獣人の中でも浮いた存在であり、激しい迫害の中で左腕を失い、死にかけていた所をゾナーはジュドーに救われたのだった。

「北門封鎖完了しました!」

「東門封鎖完了しました!」

「南門封鎖完了しました!」

ゾナーの準備が終わったすぐ後に全ての門が封鎖し終えたことが報告された。

「よし、準備が出来た者から西門へと向かえ! 道中で町の皆に戦闘の事を知らせ、避難させろ! 場所は私の屋敷の敷地内を解放してあるからそこに全員避難させろ!」

「「了解しました!」」

一斉に返事が返り、二十を超える兵士達が馬に乗って兵舎を出て行った。

「ゾナー、お前も行って皆に指示を出してやれ」

「了解です!」

ゾナーはまた一度敬礼すると馬に乗って先ほど出て行った者達の後を追って兵舎を後にした。

「ジュドー準備の方はどうだ?」

「……ネレスか。大丈夫だ。問題はない、こちらは全員で千の兵士がいる。流石に全部を使う訳ではないが全員を殺すには十分な量だ」

不意に後ろに現れたネレスに驚くことなくジュドーは淡々と自分の勢力を伝えた。

「……ジュドー。全員を殺してはならない、十人ほどこの事を知らせるために逃がした方がいい」

「何故だ? 次の戦いに勝つためにもここで敵を全滅させておかなくてどうするというのだ?」

「ここで全員を殺すことは簡単だ。だが僕等にはまだあの二人だけでなくルーブクスを相手にしなければならない。それに対して宣戦布告も無しに行くのはまずいだろう? 僕等の宣戦布告を知らせるためにも数人は逃がしてこの事を伝えさせなければならない」

「…お前はそれを正気で言っているのか? 明らかに戦力に差があるルーブクスに正攻法で挑んで勝てる訳がないだろう。奇襲をせずにどうやって勝つというのだ!」

「ジュドー、お前は目先のことしか見えていない。勝利することは容易いが征服することは難しいのだよ」

「どういうことだ?」

訳が分からなかった。

「いいか? ルーブクスはこの帝国の北方で一番人口の多い場所だ。故に兵士の数も多いが同時に民の数も多い。奇襲という汚い方法で侵略してきた奴等に民は心を開くか? 正当な勝利を持ってしてその心を掴まなければ彼等に僕等の掲げる世界を理解させることは出来ないんだよ」

「…なるほど。確かにそうだな」

「分かったか?」

「ああ。だがどうやってルーブクスに対して正攻法で勝てると言うのだ? 兵力は十倍なのだぞ?」

ルーブクスにはジュドーの兄ランバがおり、その勢力はジュドーのものよりも強大だった。

「大丈夫。そのために僕がいるんだよ」

ネレスはニヤリと笑った。



炎に包まれ消えたネレスを見失い、ガナシアに戻ってきたカーラ達が見た物は固く閉ざされた門だった。

「これは……どういうことだ?」

「分かりません……」

「おい! そこの門番! 門を開けろ! 私はアルバトリア家の長女、カーラ・アルバトリアだぞ!」

カーラは部隊から一人離れ、門に近づくと叫んだ。しかしカーラの叫びを門番は無視すると梯子を降りて門の向こう側に消えていった。

「どういうことだ? 何故門は開かない」

「もしかすると仲間の牙獣種を逃がさないために門を閉じているのかも知れません」

「その可能性はあるな」

カーラは部隊に戻るとしばらくクルスと話し合ったが門が閉まっている真の理由に行き当たることはなかった。二人が待機し始めて五分がたった頃だった。一人の人影が門の上に見えた。それは見た事もない黒い鎧を着ていたがその人物は間違いなく二人の兄ジュドーだった。

「兄さん! これは一体どういうことですか? 門を開けてください!」

「聞けい! 妹達とその部下よ! 今から私はお前達に宣戦布告をする! 命の惜しい物は今すぐ去れ!」

ジュドーの言葉に二人だけでなく二人の部下である兵士達も耳を疑った。

「我々はこれより差別なき世界のために戦う! そのために邪魔なお前達を今ここで排除する!」

ジュドーの言葉が終わると同時に門が音を立てて開いた。そして現れたのは真っ黒な鎧に身を包んだ獣人、人間の入り混じった大量の兵士達だった。

「我々は本気だ! 死にたくない物は今すぐ去るがいい!」

「……馬鹿な」

カーラの呟きはクルスにしか聞こえなかった。兄がまさか自分に敵意を向けることなど考えもつかなかったからだ。何よりも和を重んじたジュドーがそんなことをするなどとは信じたくもなかった。

「五つ数える。今すぐ去れ! さもなくば掃討する! 五、四、三……」

「全員槍を構えろ!」

叫んだのはクルスだった。

「奴等は獣人でありながら武装している! これは帝国への反逆を企てていると見て間違いない! 奴等は敵だ! 殺せ!」

クルスは言い終わると同時に馬を走らせていた。

「行け! 皆の者! 敵を掃討せよ!」

ジュドーは叫ぶと同時に縄を使って塀を滑り下りると地面に突き刺していた槍を抜き、待たせていた馬に乗って味方の兵士に紛れて走り出した。

後にガナシアの狼煙と呼ばれる戦いが今ここに始まった。

「行けえ! 一兵も中に入れるな!」

ガナシアの兵は門を出ると一斉に横に広がり、クルス達を取り囲むように布陣を広げた。対するクルス達は包囲されまいと後方の部隊を広げ、三角形の形を取ってガナシアの門に向かって突き進んだ。

黒と白の兵士が入り乱れるのをネレスとガルバスはすぐ上の塀の上で見ていた。

「お前は行かなくていいのか?」

「ん? 何故だ?」

「お前がレッドドラゴンになればあれくらい一撃だろう? 何故それをしない?」

「確かにそうすればこちらの被害は限りなく少なくなるがそれでは彼等の結束は強まらない。彼等には自分の力で勝利することで自信をつけて貰わねばならないんだ。……まあ少しだけなら加勢するがね」

ネレスはそう言うと掌の上に巨大な火の玉を作り出した。

「僕はこれで上から狙い撃つ。君の戦いたいのなら下に行って混ざるがいいさ」

「そうさせてもらう。私には殴り合うしか能がないからな」

ガルバスはそう言うと短く助走をつけて塀の上から飛んだ。そしてクルスの部下の頭を踏みつけると跳ねるようにその上を渡り、あっという間に人ごみの中に消えていった。

「全く……無茶をするんだから」

ネレスはそう言いながらも火の玉を兵士達に向けると弾けさせた。小さな無数の火の玉になったそれは兵士に触れると同時に瞬く間にその体を覆いつくし、一瞬のうちに戦闘不能に陥れた。

「まあ後二十ほど減らせば十分だろう」

そう言うとネレスはまた新しく火の玉を作り出すとそれを弾けさせた。その火の玉が全て兵士を燃やすとネレスは塀の縁に腰かけ、その下で繰り広げられる戦いを静かに観察することにした。

「行け! 敵を包囲せよ! 一人で戦おうとするな! 数を生かせ!」

ジュドーは槍で目の前の兵士の喉を突き刺しながら兵士に指示を出していた。それに応えるかのように周りから声が上がったがそれが誰なのかを確認する暇はなかった。そして気づけば目の前でカーラが白い槍を味方に突き刺し、赤く染めているのが目に入った。

「カーラアアアアアアアアアアアア!」

気付けばジュドーはその後ろ姿に向かって突進していた。その大声に気付いたのかカーラは手綱を引いて馬の向きを変えると突き出されたジュドーの槍をギリギリの所で払った。

「兄さん! どうしてこんなことをするのですか!」

「黙れ! お前を殺す!」

ジュドーは払われた槍を持ち直し、素早く振り下ろした。それをカーラは槍の柄で受け止めた。だがそれはジュドーも予測しており、カーラには決してできない戦法でその無防備な腹に向かって攻撃する準備を完了させていた。

槍を持っていない右手に魔力を集中させ、球体にするとそれを槍を防ぐことで腕は上がり、それによって晒されている無防備なカーラの腹部に向かって発射した。その球体は直径にして僅か五センチ程度の小さな物であったがその大きさとは不釣り合いなまでの膨大なエネルギーを有しており、カーラの鎧に触れた瞬間凄まじい炸裂音と共に爆発しカーラを馬上から転落させた。

「取ったぞ!」

ジュドーは槍を構えなおすと地面に転がったカーラに向かってそれを突き刺そうとした。だがその槍は横から伸びてきた黒い槍によって阻まれた。

「クルス……そこをどけぇ! そいつを殺せないだろうが!」

「兄さん……血迷うのもそのくらいにしたらどうなの? 何をしているのか分かっているの? 獣人に鎧を着せさせるなんて狂っているわ」

「何故だ? 何故それだけのことで狂っていると判断されるのだ? お前の方が狂っている!」

ジュドーはクルスの槍を払いのけようとしたがクルスの槍はまるで磁石の様にジュドーの槍にくっつき、離れることはなかった。そうこうしている間にカーラは起き上がると再び馬に跨り、ジュドーに向かって槍を構えた。

「皆! ジュドー様が危ない! 至急援護にあたれ!」

二対一の状況にジュドーが陥るのとほぼ同時に少し後ろの方から声が上がり、一斉に黒い鎧を着た兵士達がジュドーを目指して移動を開始した。その数は少なくとも五十を超えており、圧倒的に不利な状況であることを理解したカーラは叫んだ。

「撤収! 撤収だ! 皆戦いを止めて撤収せよ!」

「姉さま……ここで引いてしまっては……」

「クルス、周りをよく見ろ。ここは逃げねばならん!」

気が付けば戦場のほとんどを黒が塗りつぶしており、圧倒的に不利だった。

「撤収! 撤収だ!」

クルスは魔法によって声を大きくして生き残っている兵士にそれを伝えるとカーラの先に立って走り出した。何人かは逃す様に言われていたガナシアの兵士達はクルスを見送ったがその後ろを走るカーラに対しては執拗な攻撃を加えた。四方八方から襲い来る槍の雨をカーラは卓絶した槍さばきで防ぎきり、既に戦場を逃げ出しているクルス達に合流すると地平線の彼方に消え去った。

「オォーッ! オォーッ!」

敗走するその後ろ姿を見送りながらガナシアの兵士達は勝鬨の雄叫びをあげながら武器を空高くに掲げた。かくして最初の戦いは圧倒的な勝利の元に終わりを告げた。


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