傭兵
林の中でシルヴァの隊は十六人だった。それが十日で三十人になり、ひと月で七十人を超えた。
増えたのは傭兵ではない。北境砦から逃げた者、南の隊から逃げた者、どこの隊からかも言わない者が、峡谷を出た川沿いの林に、一人二人と流れ着いた。行く先がないからだ。王都へ戻れば逃亡兵として吊るされる。ヴァルデンの側に寝返るには、寝返る相手がどこにいるのか分からない。林には水と、薪と、シルヴァの隊がいた。
「増やしたのはあんただ」
シルヴァはそう言った。焚火の前で兎の皮を剥いでいた。ナイフの入れ方に迷いがなく、皮が一枚の袋のように、裏返って外れた。
「あたしは増やしてない。あたしの十六人は、ずっと十六人だ」
「何もしていない」
「書いただろ。名前を」
書いた。最初に流れ着いた砦の兵が三人、林でエリアスを見て「墨」と言い、それから自分たちの名を言って、どこかに書いておいてくれと言った。書く物はなかった。シルヴァの隊の一人が、荷の底から紙を出した。粗い紙で、雇用の証文の裏だった。エリアスはその裏に、焚火の炭で三人の名を書いた。
それから、来る者は名を言った。言わない者もいた。言わない者には訊かなかった。
「名前を書かれると、人は落ち着く」
シルヴァは兎の腹を開いた。
「書いてある、と思うと、いなくなった気がしない。あんたが書いてるのは証文の裏で、王都に届くわけでもないのにな」
「届けるつもりだ」
「届けばいい。届いたら、あの紙に書いてある七十人は、逃亡兵の名簿になる」
エリアスは、その可能性を考えたことがなかった。シルヴァは兎の内臓を、後ろの犬に投げた。
「別に、書くなとは言ってない。あたしは雇われだから、どっちでもいい。ただ、七十人のうち何人が、あんたの紙が王都に届くと思ってるかは、数えといたほうがいい」
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肩の傷は、ひと月で塞がった。
塞がる前に一度、膿んだ。シルヴァが焚火で熱した小刀で開いて、膿を出し、林で採った何かの葉を噛んで貼った。噛んでいたのは、彼女がいつも噛んでいる黒い根だった。
「何だ、それは」
「知らん。ばあさんが噛んでた。痛みが鈍る。歯が黒くなる」
「村の」
「村の」
シルヴァは、それ以上は言わなかった。その晩ではなく、その次の晩でもなく、傷が塞がった頃の晩に、訊かれてもいないのに話した。
「あたしの村は、北の、峡谷の反対側だ。国境の向こう。八十年前の戦争のときは、こっちの国でも向こうの国でもなかった。どっちの王様も、あんな山の中の村は知らなかった。戦争のあと、国境の線が引かれて、村は線の向こうに入った。帝国の側だ」
「それで、帝国に」
「帝国は村を知らなかった。線を引いた奴らは、地図に村がないから、そこに村があると思わなかった。こっちの国は、線の向こうだから、もう自分の物じゃないと思った。それで村は、どっちの帳簿にも載らなかった」
シルヴァは、根を噛んだ。
「帳簿に載らない村がどうなるか、分かるか」
「……分からない」
「どうもならない。税も来ない。兵も来ない。道も直さない。病気が来ても医者は来ない。あたしが十二のとき、冬に熱が流行って、村の半分が死んだ。誰も来なかった。来る理由が、どっちの帳簿にもなかった」
彼女は焚火に枝を足した。
「だから、あたしは灰人とだいたい同じだと思ってる。違うのは、あたしには姓があることだ。誰も書かない姓だが、ある」
「聞いていいか」
「言ってやる気はない。書かれるから」
シルヴァは笑った。歯が、本当に黒かった。
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七十人を超えると、食べ物が足りなくなった。
兎と魚と、林の木の実で十六人なら食えたが、七十人は食えない。近くの村に買いに行くには金が要り、金は傭兵の証文の中にしかなかった。証文は、死んだ雇い主の名で書かれていた。
「あんたの家は金持ちか」
シルヴァは、雇い主にそう訊くときの顔で、エリアスに訊いた。
「記録院の総長の家だ。金持ちではない」
「屋敷は」
「ある。馬が三頭。四頭だったが、一頭は東へ行った」
「屋敷と馬が三頭。それで七十人を、ひと冬食わせられるか」
「無理だ」
「じゃあ、どうする」
エリアスが考えている間、シルヴァは待った。犬が彼女の膝に顎を載せた。
「王女派の本営を探して、この七十人を連れて行く。敗残兵ではなく、集まった一隊として。名簿を持って。そうすれば、逃亡兵の名簿ではなくなる」
「本営がどこにあるか知ってるのか」
「知らない」
「南は潰れた。北も落ちた。王都は摂政会議が握ってるが、ヴァルデンの兵に囲まれかけてる」
「東は」
東に何があるのか、知って言ったわけではない。荷車が東へ行き、鹿毛の去勢馬が東へ行った。頭にある東は、それだけだった。
シルヴァは犬の耳を引っ張った。
「東ね。東には、あたしの雇い主はいない。だが、あんたが雇い主になるなら、話は別だ」
「金がない」
「屋敷と馬三頭がある。証文に書け。払えなかったら、屋敷を貰う」
「本気か」
「本気だ。雇い主がいないと、あたしらは食うために村を襲うことになる。まだやりたくない」
その夜、エリアスは証文の裏ではなく、表に書いた。傭兵隊長シルヴァ以下十六名を、記録官エリアス・ロートヴェルが雇う。報酬は王都ロートヴェル家の屋敷および馬三頭、あるいはそれに相当する金銭。期限は、王女派本営に到着するまで。
シルヴァはそれを読んだ。読めるとは思っていなかったので、エリアスは少し驚いた。
「屋敷を貰う気はない。あんたの親父が怖い」
「会ったことがあるのか」
「ない。だが、こんな息子を育てた男は、怖いだろう」
彼女は証文を折って、胸の札の裏に差し込んだ。
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七十人を動かすのは、書くのとは違った。
誰が先頭を歩き、誰が荷を持ち、誰が夜に起きているか。最初の三日、エリアスは決められなかった。決めようとすると、砦の兵は砦の兵で固まり、南の兵は南の兵で固まり、どこからとも言わない者は誰とも固まらなかった。
四日目に、シルヴァが言った。
「あんたが決めないなら、あたしが決める。あたしが決めたら、あたしの隊になる。それでいいか」
「駄目だ」
「じゃあ、決めろ」
エリアスは、名簿を出した。証文の裏。炭で書いた七十いくつの名。
「名簿の順で、十人ずつ組にする。組の頭は、その十人の中で一番先に名を書いた者。それだけだ」
「理由は」
「理由はない。理由を作ると、揉める」
シルヴァはしばらくエリアスの顔を見て、肩をすくめた。
組は七つできた。頭は七人。うち三人は砦の兵で、二人は南の兵で、二人はどこから来たとも言わない者だった。文句は出た。南の兵の一人が、名も言わない奴の下にはつかないと言い、それに三人が同調した。エリアスは名簿の順だと繰り返し、相手は聞かなかった。結局その四人は、シルヴァが「じゃあ、あんたらは飯の組だ。七つの組の飯を作れ」と言って引き取った。四人は飯の組になった。翌日には、名簿の順よりそのほうが得だったと分かったらしく、文句は止んだ。
鍋底の名は、その名簿になかった。砦から逃げた者に、エリアスは何度か訊いた。厨で見た、と一人が言った。鍋を振り回して、公家の兵を殴っていた、と。それが最後だと。別の一人は、そのあと厨から煙が出ていた、と言った。
「あの太った奴なら、煙の中でも飯を炊いてるだろうさ」
言ったのは飯の組の南の兵で、鍋底に会ったことはなかった。
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使者が来たのは、林を出て東へ歩き始めてから、十二日目だった。
王女派の本営から、散った隊を集めに出された騎馬が三騎。一隊が動いているという噂を追って、追いついたのだと言った。使者は若く、王女の紋の入った外套を着ていて、七十人の隊を見て、それが七十人であることに驚いていた。
「本営は、どこに」
「東です。灰原の手前、旧い城の跡に」
灰原。八十年前の、戦争の最後の場所だ。
「なぜ、そんな場所に」
「灰人の軍が、そこにいるからです」
使者は、それが当然のことのように言った。
「知らないのですか。ひと月前、東の灰人が蜂起して、司教区の修道院を三つ焼きました。三千を超えていると。その軍が、王女様に忠誠を誓ったのです。王女派の兵は、いま、灰人の軍と合わせて、五千を超えています」
シルヴァが、根を噛む口を止めた。
「誓ったのは、誰だ」
エリアスが訊いた。
「灰人の頭です。名は、ヨナ、と」
使者はその名を、王都の人間が灰人の呼び名を口にするときの、少し早い言い方で言った。
「姓はありません。灰人ですから。ただ、王女様は、その者の誓約を受けて、公文書に名を書かせたそうです。灰人の名が、王家の文書に書かれたのは、初めてだと」
シルヴァが横でエリアスの顔を見て、それから使者に言った。
「灰原の手前だな。何日だ」
「馬で四日。歩けば、八日か九日」
「食い物は」
「本営に着けば、あります」
「着くまでは」
使者は答えられなかった。シルヴァは、根を噛み直した。
使者が去ったあと、彼女はエリアスに、初めて名で訊いた。
「エリアス。ヨナというのは、知ってる奴か」
「屋敷の馬丁だ」
「馬丁」
「四頭目の馬に乗って、東へ行った」
シルヴァはそれ以上訊かなかった。犬を呼んで、先頭の組に歩けと言い、それからエリアスの塞がったほうの肩を一度叩いた。
「九日だ。歩け」




