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第76話 接待


赤いカーペットの上で、ボイスが気絶している。

胸は上下している。生きている。


シルヴァン・メルクリウスは、引きつった笑顔のまま、冷や汗を一滴、顎から落とした。

足の位置は、さっきから変わっていない。


「僕が、お相手をします」


レンズが前に出た。

眼鏡だらけの鎧が、一歩ごとにカチャカチャと鳴った。

眼鏡の数を数えようとして、やめた。

数えても意味がない。


「おや……私と同じ、紳士の佇まいですね」


シルヴァンが、ハンカチで額を押さえながら言った。


「ふふ、服装は眼鏡だらけの鎧で、悪趣味ですが」


「胡散臭い紳士と、笑顔のサイコパスか」


オレは言った。


「絵面が最悪だな」


シルヴァンは、オレの発言を聞かなかったことにした。

聞かなかったことにする、というのは、紳士の技術だと思う。


「では、おもてなしを始めましょうか」


唇が動いた。

囁き声だった。


「『葬送の礼服(ファンタズム・ドレスアップ)』……さあ、お着替えの時間ですよ」


三秒が過ぎた。

レンズは立っていた。

眼鏡を押し上げた。

それだけだった。


「いつも通りじゃん」


ロジナスが言った。


「どこが変わったんだ?」


バウンスも言った。


「おかしいですね……」


シルヴァンの声が、半音上がった。


「で、では……まず、お連れ様を、斬っていただきましょうか」


レンズが、ゆっくりと振り向いた。

笑顔だった。

いつもの笑顔だった。

いつもの笑顔で、レンズはシルヴァンを見た。

頭のてっぺんから、靴の先まで見た。

値札を確認する人間の目だった。


「お断りします」


「……は?」


シルヴァンの笑顔が、止まった。


「それより、先ほどのおもてなしの、お礼をさせてください」


「私の人形が、主人に……!?」


シルヴァンが、一歩下がった。

一ミリではなかった。

靴一足分だった。


「あ、足動いた」


ロジナスが言った。


「一ミリもずれなかったのに」


「ふふ……お客様は、お足元までよく見ていらっしゃる」


シルヴァンの笑顔が、ほんの少し、曲がった。


「ていうか、なんでレンズには効いてねえんだ?」


オレは言った。

ボイスには、確かに効いていた。

剣を抜いて、エクスカリバーしか言わなくなっていた。


「僕の欲望は、普段から全開ですので」


レンズが、眼鏡を押し上げた。


「解放していただいても、何も変わりません」


「胸張って言うことじゃねえだろ」


オレは言った。


「あー、元から解放されてるタイプか!」


ロジナスが、納得した顔で頷いた。


「納得した…。」


バウンスも頷いた。

全員が、頷いた。

頷くのが早すぎた、と思う。


「そ、そんな……欲望を解き放っても、変わらない人間が、存在するとは……」


シルヴァンが、ハンカチで額を押さえた。

ハンカチは、すでに湿っていた。

レンズが、懐に手を入れた。

どこから取り出したのか、一本のボトルがその手にあった。ラベルは金色だった。

ラベルが金色のワインは、たぶん、高い。


「こちら、お礼の品です。毒は入っていませんよ」


グラスが二つ、どこからか現れた。

レンズは一つのグラスに赤い液体を注ぎ、自分で飲んだ。喉が、一度動いた。


「ほら」


もう一つのグラスにも、同じ液体が注がれた。レンズはそれを、シルヴァンに差し出した。


シルヴァンは、グラスを見た。

レンズを見た。

グラスを見た。


「……お客様からの贈り物を断るのは、無作法ですので」


受け取った。

一口、飲んだ。


「おや……」


シルヴァンの目が、見開かれた。


「これは、美味い。ふふ、素晴らしい味わいですね」


喜んでいた。

心の底から、喜んでいた。

三秒後だった。


シルヴァンの口から、

赤いものが噴き出した。

膝が、カーペットに落ちた。赤い上に、赤。

血とカーペットの境目が、見えなかった。

ホワイトが、胸を押さえて体を起こした。

傷は、浅かったらしい。


「レンズもワイン飲んだのに、シルヴァンは吐血?」


「この高級ワインには」


レンズが、空になった自分のグラスを揺らしながら言った。


「六十歳以上の方にとって、毒になる成分が入っているんです」


「おぢじゃなくて、ジジイじゃん!」


ロジナスが言った。


「……ジジイ、というのは、些か……お言葉が……」


シルヴァンが、血を吐きながら、まだ丁寧だった。

紳士というのは、そういうものらしい。


「接待で潰す方法、悪質すぎるだろ」


オレは言った。


「接待は、相手を潰すためにするものですよ」


レンズが、笑顔のまま答えた。


「ようやく隙できたじゃん、おぢ……じゃなくて、ジジイ」


ロジナスが歩いて近づいた。


「殺さないでくださいね」


レンズが言った。


「情報を吐いていただくので」


「分かってるし」


首に、手刀が一閃した。

音は、小さかった。

シルヴァンの体が前に傾き、赤いカーペットに沈んだ。気絶していた。


「後で、尋問用の薬を打ちますね」


レンズが、にこやかに言った。


「イケオジ、ほんとヤバい奴よな」


ロジナスが、三歩下がった。

三歩、というのは、オレの目測だ。

そのとき、奥で音がした。


扉が、ゆっくりと開いていた。

木製で、高さは二メートルを超えている。

蝶番が鳴った。

低い音だった。

空気が、変わった。

電球の光が、ほんの少し、暗くなった気がした。

気のせいだと思う。


ナンバー1だ、と誰かが言った。

オレだったかもしれない。

オレは、エクスカリバーの柄に手を置いた。

置いただけだった。抜く気は、ない。


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