第35話 黄金
「しかし……20人前の高級中華で、10年間タダ働きって計算おかしくないか?」
大便の言葉に、チャンさんのナマズ髭がピクッと震えた。
「何がおかしいアルカ?」
「いやいや、普通に考えてみろよ。北京ダックだのフカヒレだのを20人前食ったくらいで、10年もタダ働きって……。どう考えても割に合わねえだろ」
大便は縄で両手を縛られたまま、心底納得いかないという顔を浮かべる。
するとチャンさんは、待ってましたとばかりに腕を組み、重々しく頷いた。
「もちろん、料理代だけなら10年も働く必要ないアルヨ」
「だろ?」
大便がホッとしたように笑う。
だが、次の瞬間――。
「迷惑料と利息が入ってるアル」
「利息が暴利すぎるだろォォォッ!! 闇金じゃねえかッ!!」
大便が思わず絶叫した。
「食い逃げしたヤツが言うセリフアルカッ!!」
チャンさんも負けじと怒鳴り返す。
「食い逃げじゃねえ! オレはアーマーが払うって聞いて食っただけだ!」
「そのアーマーさん本人が払わないと言ってるアルヨ!」
「じゃあ、アーマーに払わせろよ!」
「だから払わんと言ってるだろうがァッ!!」
横からアーマーが顔を真っ赤にして怒鳴りつけた。
「オレはお前の名前を勝手に使って高級中華を20人前も食った覚えなんかないぞ!」
「仲間だろ?」
「都合のいい時だけ仲間扱いするなァッ!!」
アーマーの怒声が宿屋の部屋に響き渡る。
そんな不毛なやり取りを眺めていたロジナスは、ベッドの端に腰掛けたまま、ジト目で大便を見つめていた。
「……つうかさァ。食い逃げした本人が、なんでこんな堂々と借金の金額に文句つけてんの?」
「細かいことを気にするなよ」
「細かくねえよ」
ロジナスが即答する。
すると、今度はボイスが分厚い伝票を改めて確認しながら、何かに気づいたように首を傾げた。
「……それにしても、この金額……」
ボイスがアーマーへ視線を向ける。
「アーマーさんって、そんなにお給料が安いんですか?」
「な、何だと!?」
アーマーの顔が引きつった。
「いや、だってこの程度の金額で『給料3か月分』なんですよね?」
「……うるさい」
「かなり厳しい生活をされているんですね……」
ボイスが少し気の毒そうな目を向ける。
「うるさいと言っているだろうがッ!!」
アーマーは顔を真っ赤にすると、突然ボイスへと詰め寄った。
「だったら貴様の給料を見せてみろッ!!」
「えっ?」
「自分のほうが稼いでいるみたいな顔をしやがって! 先月の給料明細を出せッ!!」
「……別に構いませんが」
ボイスは懐から折り畳まれた給料明細を取り出した。
それをアーマーに手渡す。
アーマーは鼻息を荒くしながら紙を広げ――。
「…………」
固まった。
「どうしました?」
ボイスが不思議そうに尋ねる。
「……これ、先月の給料だよな?」
「はい」
「…………」
アーマーは何度も明細を見返した。
そして、震える指で数字を指差す。
「……これ、オレの給料の二年分くらいあるんだが?」
「え?」
ボイスが目を丸くする。
ロジナスも明細を覗き込んだ。
「うわ……」
ロジナスは一瞬で口元をニヤリと歪めた。
「甲斐性なしのブタじゃん」
「誰が甲斐性なしのブタだァッ!!オレはキータのガーディアンズのトップだぞッ!!」
アーマーが必死に反論する。
するとホワイトが、なぜか誇らしげに胸を張った。
「アーマーよ。治安維持組織のトップたる者が、その程度の給料で満足しているとは情けないぞ!」
「ビキニ一丁の情けない格好の奴にいわれたくないわッ!!」
アーマーのツッコミが炸裂する。
「そもそも、オレたちキータのガーディアンズはミーナミのガーディアンズより給料が安いんですよ」
レンズが眼鏡のブリッジをクイッと押し上げ、淡々と説明した。
「規模や予算の違いもありますしね。ですからアーマーさんが貧乏なのは、本人の甲斐性だけが原因というわけではありません」
「ほら見ろ! オレだけの責任じゃないんだ!」
アーマーが勢いよく胸を張る。
「まあ、だからといってブタで甲斐性なしのブタであることには変わりませんけど」
「フォローしてから落とすな!ブタで甲斐性なしのブタって甲斐性なしをブタでサンドイッチしてる!!」
部屋中にアーマーの悲鳴が響き渡った。
そんな中、ボイスはしばらく考え込んでいた。
やがて、何かを決意したように大便へと向き直る。
「……大便さん」
「ん?」
「僕が今回の中華料理代を立て替えます」
「マジで!?」
大便の目が一瞬で輝いた。
「ただし――」
ボイスは真剣な表情で続ける。
「その代わり、大便さんにお願いがあります」
「…………」
大便の顔が、妙にニヤつき始めた。
「ほう……?」
そして縄で縛られたまま、ボイスへと意味深な視線を送る。
「ボイス……お前、もしかしてオレにケツを貸せとか言うんじゃねえだろうな?」
「何でそうなるんですかッ!!」
ボイスが顔を真っ赤にして叫んだ。
「僕は確かに『男は男らしく、硬派に生きる』と普段から言っていますが、男色の趣味はありませんッ!!」
「男らしさアピールしてるから、てっきりそっち方面かと思ってよ」
「どういう理屈ですか!!」
ボイスが頭を抱える。
ロジナスはそんな二人を見ながら、呆れたようにため息を吐いた。
「朝から何の話してんの……」
「で、お願いって何なんだ?」
大便がようやく真面目な顔に戻る。
ボイスは表情を引き締めると、ヒガーシの方向へ視線を向けた。
「先ほどお話しした通り、ヒガーシには僕たちだけでは手に負えないほどの凶悪な連中がいます」
「なるほどな」
「だから――」
ボイスは大便をまっすぐ見つめた。
「大便さん。あなたにも、ヒガーシの事件解決に協力していただきたいんです」
「……オレに?」
大便が目を細める。
その瞬間、ボイスの脳裏には、昨夜聞かされた話が蘇っていた。
凶悪犯罪者が集まるギルド酒場。
そこにいた屈強な男たちを、たった一人で全滅させた謎の男。
そして――。
「大便さんなら……きっと、ヒガーシの連中にも勝てます」
ボイスは確信に満ちた目で言った。
「僕は、あなたが想像している以上の実力者だと思っています」
「…………」
大便は黙り込んだ。
そして――。
ニヤリ。
口元に、不敵な笑みを浮かべた。
(……なんか勝手にめちゃくちゃ強いヤツだと思われてるな)
大便は心の中でほくそ笑んだ。
(このまま利用させてもらうか)
「いいぜ」
大便は、いかにも余裕のある男のように頷いた。
「ヒガーシの連中を片付けるくらいなら、協力してやるよ」
「やはり……!」
ボイスの目が輝いた。
「ありがとうございます、大便さん!」
「立て替えてくれたお礼に、今からヒガーシで暴れる前の準備運動するか…」
大便は、ふと思い出したように自分の背中へ視線を向ける。
そこには、これまでずっと背負っていた黒い筒があった。
「チャンさん。ちょっと頼みがある」
「何アルカ?」
「オレ、実は金を持ってたんだよ」
「何!?」
チャンさんの目が見開かれる。
「じゃあ、最初から払えばいいアルヨ!!」
「いや、今まで完全に忘れてたんだよ」
「そんな都合のいいことあるアルカッ!!」
大便は縛られているため背中へ手を伸ばすことができない。
そこで、チャンさんに顔を近づけ、小声で囁いた。
「悪いけど、そこの筒をちょっと開けて、中の金を取ってくれよ」
「分かったアル!」
チャンさんは大便の背負っていた黒い筒へ手を伸ばす。
「これを開ければいいアルネ?」
「ああ。ちょっとだけでいい」
チャンさんは筒の蓋に手をかけた。
そして――。
カチャッ。
ほんの少しだけ蓋を開ける。
「……ん?」
チャンさんが筒の中を覗き込んだ。
その瞬間だった。
「…………」
チャンさんの顔が固まった。
「……?」
大便が首を傾げる。
次の瞬間――。
「う……」
チャンさんの顔から血の気が引いた。
「うおおおおおおおおッ!!」
バッ!!
チャンさんが慌てて筒の蓋を閉じた。
「な、何アルカ、この異臭はァァァッ!!」
「え?」
ボイスが驚いて振り返る。
チャンさんは鼻を押さえながら、ふらふらと後ずさった。
「く、臭すぎるアル……!!」
「大丈夫か?」
大便が心配そうな顔をする。
だが――。
「……う」
チャンさんの目が白目を剥いた。
「バタッ」
そのまま床へ倒れ込んだ。
「「「…………」」」
一同が完全に静まり返る。
ボイスが目を見開いた。
「……え?」
倒れたチャンさん。
その手には、しっかりと黒い筒が握られている。
そして大便は、縄で両手を縛られたまま、何食わぬ顔で座っていた。
ボイスの顔が徐々に驚愕へと変わっていく。
「ま、まさか……」
「どうしたの?」
ロジナスがジト目で尋ねる。
ボイスは震える声で呟いた。
「縄で完全に拘束された状態で……あの中国拳法の達人のような男性を、一瞬で倒した……」
「……いやいや」
ロジナスが即座にツッコむ。
「さっきアーマーが説明してたじゃん」
ロジナスは黒い筒を指差した。
「それ、ウンコ聖剣の匂いで気絶しただけだよ?」
「…………」
ボイスが固まる。
「そもそも、あの人が中国拳法の達人っぽかっただけで、本当に達人だったかどうかも分からないし」
「…………」
「大便くん、何もしてないじゃん」
「…………」
ボイスはしばらく黙り込んだ。
しかし――。
「……いや」
ゆっくりと大便を見る。
「それでも、あれほど凄まじい異臭を放つ武器を持ち歩き、それを戦闘に利用できるということ自体が……」
ボイスの目が、再び尊敬に満ち始める。
「やはり大便さんは、とんでもない実力者なんだ……!!」
「いや、だから違うって」
ロジナスが即座に否定する。
大便はそんな二人のやり取りを眺めながら、ニヤリと笑った。
そして、誰にも聞こえないような声でポツリと呟く。
「……金は金でも、黄金だけどな」
「何言ってんの?」
ロジナスの冷たいジト目が大便へ向けられた。
「いや、何でもねえよ」
大便は爽やかな笑顔を浮かべた。
その横では、ボイスが完全に勘違いしたまま、大便を「ヒガーシ攻略の切り札」として見つめ続けていた。




