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22/25

第22話 人魚姫は、最後に応援に来る

 風の中に、歌声が混じった。

 最初は、気のせいだと思った。

 レース終盤の身体は、いろいろなものを聞き間違える。

 沿道の声援。

 スタッフの笛。

 自分の呼吸。

 シューズが地面を叩く音。

 血の流れる音。

 全部が混ざり、頭の中で別の音になる。

 だが、違った。

 その声は、健一の外から来ていた。

 細く、澄んで、少し震えている。

 けれど、間違いなく前へ届こうとしている声。

 ルナの声だった。

     *

 ルナは、朝からずっと隠れていたわけではなかった。

 彼女は、お台場の海を一人で見た。

 まだ人の少ない朝。

 設営スタッフが動き始める前の、少し静かな時間。

 波打ち際から離れた階段に座って、海を見た。

 怖かった。

 海は、ルナを呼んでいるようでもあり、ただ黙って見ているだけのようでもあった。

 姉たちの気配も、どこかにあった。

 水の匂いが足元へ忍び寄るたび、鱗が肌の下で目を覚ましそうになる。

 それでも、逃げなかった。

 健一が泳ぐ前に、自分もこの場所を見ておきたかった。

 ここは、健一が沈んだ場所。

 ルナが健一を助けた場所。

 ルナが海へ帰ろうとした場所。

 そして、今日、健一がもう一度進む場所。

 全部が重なっている。

 怖いだけの場所にしたくなかった。

 そう思っていた。

 だが、スタートの号砲が鳴った瞬間、ルナは動けなくなった。

 選手たちが一斉に海へ入る。

 水が白く泡立つ。

 黒いウェットスーツの背中が、波の中へ進んでいく。

 その中に、健一がいた。

 あの日と同じように。

 違うと分かっている。

 健一は準備している。

 陽子も山下もいる。

 大会スタッフもいる。

 健一は沈むためではなく、進むために入った。

 それでも、ルナの身体は震えた。

 また沈んだら。

 また届かなかったら。

 また海が健一を隠したら。

 足が動かなかった。

 だから、スタートラインに行けなかった。

 近くで見れば、叫んでしまうと思った。

 水へ走り出してしまうと思った。

 海に戻りかけてしまうと思った。

 だから、少し離れた場所で、両手を握っていた。

 陽子が見つけてくれたのは、スイムが終わる少し前だった。

「ルナさん!」

 陽子は走ってきた。

 怒っている顔だった。

 泣きそうな顔でもあった。

「一人で来るなって言ったでしょ!」

「ごめんなさい」

「もう、ほんと……」

 陽子は、ルナの足元を見た。

 靴も靴下も乾いている。

 鱗の光もない。

 それを確認してから、ようやく息を吐いた。

「無事なら、今はいい」

「健一は」

「泳いでる。もうすぐ上がる」

「沈んでいませんか」

「沈んでない。大丈夫」

 その言葉で、ルナは初めて息を吸えた。

 少し遅れて、山下も来た。

「ルナさん、見つかってよかった。佐藤さん、ちゃんと泳いでますよ。いい感じです」

「いい感じ」

「はい。ナイス健一です」

 その言葉に、ルナは少しだけ笑った。

 陽子は言った。

「見に行く?」

 ルナは、すぐには答えられなかった。

 海の近くは怖い。

 人も多い。

 水もある。

 姉たちが来るかもしれない。

 でも、健一は今、進んでいる。

 ルナは、それを見たい。

「行きます」

 声が震えていた。

「でも、少し離れたところで」

「それでいい」

 陽子が言った。

「今日は、ルナさんが自分で来たことが大事」

 山下が頷く。

「俺たち、左右固めます。水が来たら止めます」

「山下」

「はい」

「ナイス山下です」

「ありがとうございます。今日一番うれしいかもしれません」

 ルナは、二人に挟まれる形で沿道へ向かった。

 海に背を向けない。

 でも、海へ引かれない場所。

 健一が最後に走ってくる場所。

 そこで待つことにした。

     *

 健一は走っていた。

 いや、走っているつもりだった。

 最後の周回に入ったあたりで、脚ははっきりと終わり始めていた。

 最初に来たのは、ふくらはぎだった。

 右脚の奥が、細いワイヤーで引かれるように硬くなる。

 次に、太腿。

 バイクで使い切った筋肉が、もう仕事は終わったと言いたげに重く沈む。

 腕を振っても、脚が前へ出ない。

 接地のたびに、足裏から鈍い衝撃が膝へ上がり、腰で止まらず、背中まで響いた。

 呼吸は荒い。

 肺の奥が焼ける。

 口の中は乾いているのに、喉の奥には海水を飲んだ時の記憶が残っている。

 汗なのか、海水なのか、ただの疲労なのか分からないものが、こめかみを伝って落ちた。

 健一は腕時計を見そうになり、やめた。

 数字を見ても、もう何も変わらない。

 ペースは落ちている。

 心拍は高い。

 脚は重い。

 分かっている。

 分かりきっている。

 それでも、身体は勝手に数字を求める。

 何分で走っているのか。

 何拍まで上がっているのか。

 残り何キロか。

 あと何歩で終わるのか。

 そうやって、ずっと生きてきた。

 重い時は、さらに重く踏む。

 苦しい時は、数値に変える。

 痛い時は、フォームを直す。

 疲れた時は、予定通りだと自分に言う。

 誰かに助けてほしいと思う前に、練習量が足りないのだと処理する。

 そうすれば、止まらずに済んだ。

 弱音を吐かずに済んだ。

 誰かに見せないで済んだ。

 健一の人生は、ずっと重いギアだった。

 軽くする方法は知っていた。

 自転車なら、左手でレバーを押せばいい。

 フロントディレイラーがチェーンを動かし、ギアは軽くなる。

 坂の前に変速する。

 向かい風なら、無理に踏まない。

 ケイデンスを保ち、脚を残す。

 競技では、それができる。

 なのに、自分の心には、それをしてこなかった。

 仕事でも、練習でも、人間関係でも。

 苦しくなればなるほど、健一は重いギアのまま踏んだ。

 問題ありません。

 対応します。

 大丈夫です。

 検討します。

 そう言って、ギアを変えずに進んできた。

 その結果、いつか沈んだ。

 この海で。

 息ができなくなって。

 上下も分からなくなって。

 一人で踏み続けた先で、水の中に落ちた。

 健一の足が、ほんの一瞬だけ止まりかけた。

 膝が抜ける。

 視界の端が暗くなる。

 ゴールは見えている。

 なのに、遠い。

 あと少し、という距離が、いちばん残酷だった。

 観客の声が、膜の向こうみたいに遠くなる。

 山下の声も、陽子の声も、聞こえているはずなのに輪郭がぼやける。

 身体の内側から、もういいだろう、という声がする。

 完走はできる。

 歩いてもいい。

 タイムはどうせベストではない。

 十分やった。

 もう踏まなくていい。

 その声は、優しかった。

 だから危なかった。

 健一は歯を食いしばる。

 けれど、脚は重い。

 重すぎる。

 ここまで来て、また一人で重いギアを踏むのか。

 そう思った瞬間だった。

「健一!」

 声が届いた。

 風を切って、騒音を抜けて、健一の胸の奥へまっすぐ入ってきた。

 ルナの声だった。

 健一は顔を上げた。

 ランコースの先。

 沿道の人波の切れ目。

 芝生の端。

 海から少し離れた、しかし海を背にしない場所。

 そこに、ルナが立っていた。

 青いヘアゴムで髪をまとめていた。

 白いカーディガンを着ていた。

 陽子が選んだ青いワンピースの裾が、風で揺れていた。

 隣には陽子がいた。

 少し離れて、山下もいた。

 二人とも、ルナを守るように立っている。

 でも、ルナは隠れていなかった。

 健一の方を、まっすぐ見ていた。

「ルナ」

 声は出なかった。

 出したら、呼吸が乱れる。

 だが、彼女は気づいた。

 健一と目が合った瞬間、ルナの表情が変わった。

 不安と、嬉しさと、怖さと、決意が一度に揺れて、それから、笑った。

 あの日、海の中で見た微笑みとは違う。

 陸の上で、自分の足で立って、健一を待っていた笑顔だった。

 その瞬間、健一の胸の中で、何かが動いた。

 かちり、と。

 音がした気がした。

 実際には、何も鳴っていない。

 自転車ではない。

 チェーンもない。

 レバーもない。

 だが、確かに、重すぎたギアが一段落ちた。

 踏みつける力ではなく、回す力へ。

 歯を食いしばる走りではなく、前へ送る走りへ。

 脚の痛みが消えたわけではない。

 呼吸が楽になったわけでもない。

 ふくらはぎはまだ攣りかけている。

 太腿は石みたいに重い。

 肺は焼けている。

 それでも、進み方が変わった。

 ルナの声が、健一の中で変速した。

「もう一度、同じ海へ――」

 彼女は歌っていた。

 大声ではない。

 けれど、健一には届いた。

「沈むためではなく、進むために――」

 健一は、腕を振った。

 フォームを立て直す。

 歩幅を無理に伸ばさない。

 ピッチを少しだけ上げる。

 重いギアを踏むのではなく、軽く回す。

 昔なら、ここで意地を張った。

 落ちたペースを力で戻そうとした。

 苦しい顔を隠し、まだいけると自分に嘘をつき、最後まで一人で踏み抜こうとした。

 でも、今は違う。

 ルナの声がある。

 陽子がいる。

 山下がいる。

 海も、もう沈むだけの場所ではない。

 健一は一人ではなかった。

「ナイス健一!」

 ルナが叫んだ。

 今度は、はっきり聞こえた。

 沿道の何人かが笑う。

 陽子が頭を抱えた。

 山下が拳を上げている。

 健一は笑った。

 笑う余裕なんてないはずなのに、笑った。

 胸の奥で、もう一段、ギアが軽くなる。

「いいペースです!」

 ルナの声が続く。

「沈んでいません!」

 応援としては、おかしい。

 普通ではない。

 だが、今日の健一には、それが一番効いた。

 沈んでいない。

 止まっていない。

 進んでいる。

 健一は、足元の感覚を拾い直す。

 右、左。

 右、左。

 重さはある。

 痛みもある。

 でも、回る。

 回せる。

 ルナは、健一のフロントディレイラーになりたいと言った。

 あの時は、変な言葉だと思った。

 今でも変だ。

 だが、この瞬間、健一はその意味を身体で理解した。

 彼女は健一の代わりに走るわけではない。

 痛みを消すわけでもない。

 ゴールまで運んでくれるわけでもない。

 ただ、進み方を変えてくれる。

 重すぎるものを、少しだけ軽くする。

 一人で踏み潰されそうな力を、前へ回る力に変えてくれる。

 それだけで、人はまだ走れる。

 健一は、ルナの方を見た。

 ルナは両手を胸の前で握りしめている。

 怖いはずだ。

 海も近い。

 水もある。

 人も多い。

 それでも、そこにいる。

 健一を見ている。

 その姿そのものが、もう応援だった。

「健一!」

 ルナが叫ぶ。

 健一は顔を上げる。

 ルナは、少し迷ったあと、言った。

「好きは、まだありますか!」

 沿道が一瞬ざわついた。

 陽子が今度こそ頭を抱えた。

 山下が吹き出した。

 健一は、脚が限界なのに、また笑った。

 苦しい。

 痛い。

 息ができない。

 でも、笑える。

 なら、まだ走れる。

「あります!」

 健一は叫び返した。

 喉が焼ける。

 でも、言えた。

 ルナの顔が、ぱっと明るくなった。

「では、進んでください!」

「はい!」

 健一は、最後の直線へ入った。

     *

 ルナは、健一が走っていく背中を見た。

 あの日の背中ではない。

 海に沈んでいく身体ではない。

 陸の上を、自分の足で進む背中。

 ただ、彼の身体が限界に近いことは、ルナにも分かった。

 肩が少し落ちている。

 腕の振りが小さくなっている。

 足の運びが、さっきより重い。

 でも、止まっていない。

 ルナの声を聞いたあと、健一の走り方が少し変わった。

 強く踏みつける走りではなく、痛みを前へ流すような走り。

 海の中で見つけた時とは違う。

 重い水に沈む身体ではなく、重い陸の上で、それでも回り続ける身体。

 ルナの胸の中に、歌が満ちていく。

 怖い。

 海は怖い。

 姉たちが来るかもしれない。

 満月も近い。

 でも、今はそれよりも、健一が走っていることが大きかった。

「ルナさん、大丈夫?」

 陽子が横から聞く。

「大丈夫です」

「足は?」

「大丈夫です」

「泣きそう?」

「少し」

 陽子はタオルを差し出した。

「泣いてもいいよ。水じゃなくて、涙なら拭く」

「はい」

 ルナはタオルを受け取った。

 涙はまだ落ちなかった。

 健一が、前へ進んでいる。

 それを、目で追いたかった。

「陽子」

「何?」

「私は、スタートラインに行けませんでした」

「うん」

「怖くて、行けませんでした」

「うん」

「でも、最後には来られました」

 陽子は少し笑った。

「なら、今日はそれで十分」

「十分ですか」

「十分。人間も、一気には強くなれない」

「人魚も?」

「人魚も」

 山下が横から言う。

「あと、応援は完璧でした。『沈んでいません』は新しいです」

「駄目ですか」

「いや、今日の佐藤さんには最高です」

 ルナは少しだけ誇らしくなった。

 健一はまだ走っている。

 ゴールまでは、あと少し。

 ルナはもう一度、小さく歌った。

「あなたが走るその先で――

 私はここにいると歌う――」

 声は、健一の背中に向かって伸びた。

     *

 健一は、最後の直線を走っていた。

 ゴールアーチが見える。

 沿道の声が増える。

 アナウンスが響く。

 視界の端に、海が光る。

 脚はもう、自分のものではないみたいだった。

 ふくらはぎは今にも攣りそうで、太腿は鉛を詰められたみたいに重い。

 息を吸うたびに胸が痛み、吐くたびに身体の芯が削れる。

 それでも、前へ出る。

 右、左。

 右、左。

 重いギアを一人で踏むのではなく、ルナの声に合わせて回す。

 ここまで来た。

 スイムを終えた。

 バイクを終えた。

 ランも終わりに近い。

 タイムはベストではない。

 順位も大したことはない。

 だが、そんなことはもう関係なかった。

 前回、健一はこの海でリタイアした。

 今回は、戻ってきた。

 そして、ルナが見ている。

 それが、今日の意味だった。

 ゴール直前、健一は一瞬だけルナの方を見た。

 ルナは両手を振っていた。

 陽子も、山下もいる。

 その後ろ。

 遠くの海面が、少しだけ暗くなった気がした。

 健一は気づいた。

 海の姉たちが見ている。

 姿はない。

 でも、気配がある。

 大会の日に迎えに来ると言っていた。

 まだ来ていないだけだ。

 このまま終わるわけではない。

 だが今は、ゴールだ。

 健一は前を向いた。

 最後の一歩。

 ゴールラインを越えた。

 計測マットが足元で鳴る。

 完走。

 その瞬間、身体から力が抜けた。

 スタッフに支えられそうになりながら、健一はなんとか立った。

 息が荒い。

 脚は震えている。

 視界も少し滲んでいる。

 だが、沈んでいない。

 止まっていない。

 進みきった。

 胸の中で何かが静かにほどける。

 お台場の海は、もう沈んだ場所だけではなくなった。

 進んだ場所になった。

 スタッフに完走メダルをかけられる。

 水を渡されそうになり、反射的に周囲を確認した。

 ルナからは離れている。

 問題ない。

 自分は水を飲める。

 ペットボトルを受け取る。

 手が震えていた。

 疲労だけではない。

 完走した。

 ルナが見ていた。

 この海を、少しだけ塗り替えた。

 そして、ゴールまで走ったのは自分の脚だ。

 だが、その脚を最後まで回したのは、もう自分一人の力ではなかった。

 陽子と山下が近づいてきた。

「完走おめでとう」

 陽子が言う。

「ありがとうございます」

「ちゃんと進んだね」

「はい」

 山下がメダルを見て、笑った。

「ナイス健一。今日は公式にナイスです」

「ありがとうございます」

「ルナさん、こっち来られます?」

 山下が振り返る。

 ルナは少し離れた場所にいた。

 ゴール後のエリアは、人が多い。

 水を持った選手も多い。

 汗も、ペットボトルも、濡れたタオルもある。

 ルナは近づけない。

 健一はすぐに分かった。

「俺が行きます」

「佐藤さん、足大丈夫?」

「大丈夫です」

「絶対、あとで攣るよ」

「あとで攣ります」

 健一は歩き出した。

 脚は重い。

 全身が疲れている。

 だが、ルナのところへ行くには十分だった。

 ルナは、芝生の端に立っていた。

 健一が近づくと、彼女は少し泣きそうな顔になった。

「健一」

「はい」

「沈みませんでした」

「はい」

「進みました」

「はい」

「完走しました」

「はい」

 ルナは、両手で口元を押さえた。

「おめでとうございます」

 健一は少し笑った。

「ありがとうございます」

「ナイス健一です」

「はい」

「とても、ナイス健一です」

「それは初めて聞く強度ですね」

 ルナは泣いた。

 一粒だけ、涙が落ちた。

 健一は、すぐにタオルを差し出した。

 陽子が後ろから「早い」と小さく言った。

 健一はルナの涙を拭いた。

「泣いても大丈夫です」

「はい」

「ここは海が近いですが、大丈夫にします」

「はい」

 ルナは、健一を見た。

「健一」

「はい」

「私は、最後に来られました」

「見えていました」

「スタートには、行けませんでした」

「はい」

「ごめんなさい」

「謝らなくていいです」

「でも」

「最後に来てくれました」

 健一は言った。

「俺には、それが一番届きました」

 ルナの目が揺れた。

「届きましたか」

「はい」

「受け取りましたか」

 健一は、少しだけ考えた。

 周囲には人がいる。

 大会後のざわめきがある。

 海の気配もある。

 だが、逃げる気はなかった。

「受け取りました」

 ルナの涙がもう一粒こぼれた。

 健一は、それも拭いた。

 その時だった。

 海から、風が吹いた。

 それまでとは違う、冷たい風。

 ルナの髪が揺れる。

 陽子が反射的に周囲を見た。

 山下も、何かを感じたのか笑顔を消した。

 海面の色が、深くなる。

 白い波が、静かに立つ。

 ルナの表情が変わった。

「姉さまたち」

 健一は、海の方を見た。

 まだ姿は見えない。

 だが、来る。

 分かった。

 お台場の海は、健一にとって進んだ場所になった。

 ルナは最後に応援に来た。

 歌は届いた。

 完走もした。

 だが、決着はまだだ。

 海の姉たちは、約束通り迎えに来る。

 陽子がルナの隣に立った。

「来るね」

 山下も荷物を持ち直す。

「俺、何すればいいですか」

 健一は、呼吸を整えた。

 レースは終わった。

 だが、本当の決戦はここからだった。

「ルナから離れないでください」

「了解」

 ルナは、健一の袖を掴んだ。

 前より少しだけ強く。

「健一」

「はい」

「好きは、まだありますか」

 健一は、海を見たまま答えた。

「あります」

 少し間を置いて、続けた。

「それだけでは足りないなら、次はその先を言います」

 ルナの手が震えた。

 海風が、さらに強くなる。

 遠くの波間に、三つの影が浮かび上がり始めていた。

 人魚姫は、最後に応援に来た。

 そして今度は、健一が応える番だった。


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