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episode5 本当の話をしようか——神様の家の

烏島生活三日目。

今朝から教授は機嫌がいい。朝食を平らげ、鼻歌を歌いながら原稿と向き合っている。それが空元気なのかわからないが、ともかく神の使いたちには悟られなさそうだ。教授はおもむろにパソコンを閉じる。そして、こう言った。

「梅子さんにノケモノについて聞いてみようよ」

「梅子ばあちゃん、話してくれますかね……」

「大丈夫。とっておきの話があるから」

教授は立ち上がる。私も教授の隣に立つ。梅子ばあちゃんの家まではすぐだった。ピンポンを鳴らすと梅子ばあちゃんが出てきた。

「あら、沙織ちゃんとお兄さん。どうした?」

「少し、お聞きしたいことがあって」

「入りな、入りな。外はあっついからねぇ」

梅子ばあちゃんの家は昔と変わらなかった。広い土間と畳の部屋。

「さ、麦茶でも飲みなぁ。お兄さん、手伝うことはないかい?」

「大丈夫ですよ。梅子さん」

梅子ばあちゃんは私たちの前に麦茶を置く。

「それで、なしておらのとこ来たさ?」

「ノケモノについて教えて欲しいんです」

「あんまり、禁忌について調べるもんじゃないよ。おらから話せることはないよ」

やっぱり。梅子ばあちゃんがノケモノについて話すわけがない。この島の人々はノケモノを信じている故、ノケモノの話はタブーとされている。

「では、昔話はお好きですか?」

「え?む、昔話?」

突然の発言に私も梅子ばあちゃんも驚いた。教授は軽く咳払いして話し始める。

「君津くんは僕の担当になった直後、紅茶の発注ミスをして、とんでもない量の紅茶が届いたんです。それをどうやって消費したと思います?」

「うーん、わからねぇなぁ」

梅子ばあちゃんが頭を悩ましている頃、私は冷や汗が止まらなかった。

「正解は、お風呂に入れて『紅茶風呂』として自宅で楽しんでいたようです」

「あんれまぁ、沙織ちゃんは可愛いねぇ」

「きょ、教授!なんでそんなこと話すんですか!」

「では、もう一つ昔話を」

私の反撃は教授には効かない。私にお構いなしに人差し指を伸ばして教授は話し始めた。

「図書館で読んだ昔話です。本来昔話とは口語で伝わり、書面に残ることは少ないです。しかし、この昔話は珍しく書面で残っていました」

教授はカバンから古びた巻物のコピーを取り出す。それは、字が変形していて読みづらい。

「君津くん、これなんだと思う?」

「えぇ?読めませんよ。こんな変形した字」

「そう。字が変形しているんです。それは何故か。人間に“読ませない”ためです」

梅子ばあちゃんが息を呑む。何か知っているのだろうか。教授の言葉は続く。

「いやぁ、最近のAIってすごいですね。こんなに崩れた字でも判別して読み上げてくれるんです」

「待ってくんろ、なして、お兄さんはこの字が崩れてるってわかるんだい?目が、見えないのに」

梅子ばあちゃんの顔は真っ青だ。教授は静かに微笑む。その微笑みが悪魔に見えて私は怖くなった。そうだ、教授は気になることはとことん手段を選ばずに追求するタイプだった。

「凹凸が出る方法で印刷をしたのです。だから、崩れていると確認できました。そして、その内容はなかなかショッキングなものでしたね。ノケモノ伝説について書いてあったんですよ」

「……お兄さん、負けたよ。お兄さんの好奇心にはおらは勝てねぇ」

梅子ばあちゃんは観念したようにため息をついた。教授が畳み掛ける。

「ノケモノは人間を攫うんじゃない。人間が“自ら”ノケモノの元へと行くのですね」

「……そうだよ。生贄って知ってるかい?」

「えぇ」

「災いが続いた年にこの島一番のべっぴんさんを生贄にしたんだ。でも、みんな、その子が生贄になったことを受け入れられずに、まるでまだ生きているみたいに暮らすんよ。それが、六番地の家——神様の家なんだ。あの家にはまだ、あの子が住んでるんだ。おらたちはそう信じないと、やってけなかったんだ」

梅子ばあちゃんのこんなに弱々しい姿を見るのは初めてだった。

神様の家、その真相を知って私はしっくりときた。まだ生贄にされた少女が生きていると、信じさせるために中を覗かせなかったのだろう。そんなことで、信じるわけがないと、わかりきっていたのに。それでも縋ったのだ。それが一番、異様であった。

ふと、そこで疑問が浮かんだ。

「でも、なんでただの人間には読ませなかったのですか?」

私がそう聞くと教授は長い指を組んで話し始めた。

「ここからは僕の仮説。ただの人間に読ませないようにするのは『神の使い』と呼ばれる一部の要職にしか伝わらないようにだと思う。神の使いは誰にも知られることなく、六番地の家を保っている。僕が推測するに、神の使いは何かしらの秘密を抱えている」

「……お兄さん、そこまでにしておきな。今度は沙織ちゃんとお兄さんの命が危ない」

梅子ばあちゃんが苦しそうにそう言う。教授はいつも閉じている目をうっすらと開けて梅子ばあちゃんを見つめる。

「何もわからないまま島を出るのは嫌なので」

「で、でも、ノケモノについて調べた人はみんな亡くなっとる!渚ちゃんもそうさ!おらは沙織ちゃんにもお兄さんにも死んでほしくない!お願いじゃ、もうこれ以上、ノケモノについては調べんといてくれ……」

悲痛な願いだった。教授は目を閉じて微笑む。

「えぇ、もう僕たちはノケモノについては調べませんよ」

あまりにも予想外の言葉で驚いた。教授の好奇心はそんなものでは止まらないはずだ。何故ここで引き下がる?教授らしくない。

「君津くん、行こうか。梅子さん、お茶美味しかったですよ。お邪魔しました」

「え、えぇ……梅子ばあちゃん、またね」

「うん。いつでも来てもいいからね。またねぇ」

梅子ばあちゃんの家を出ると教授は立ち止まって太陽を見上げる。

「教授、本当にノケモノについてはもう調べないんですか?」

「うん。“ノケモノについては”ね」

「え?」

「今度は花巻渚のことを調べる。彼女の『選ばれた』を知るためにね」

教授は白杖を伸ばす。そして海の方を向いてこう呟いた。

「浮かばれない魂が一つでも少なくなれば、僕はそれでいい」

「教授……」

そうか、教授はノケモノによって亡くなった人たちの無念を晴らしたいのだ。教授の信念が伝わってきて私は唾を飲み込んだ。

「中学校に行こう。花巻渚のことを知っている人がいるかもしれない」

「はい」

かつての通学路であった道を歩いていた。横の教授はいつもと違い、真剣な表情だ。

「……ねぇ」

「はい」

教授は何か含みを持たせて私を呼ぶ。私はそれに緊張感を持って答えた。

「……お腹、空かない?」

「……教授らしいですね。近くの食堂で食事にしましょう」

真剣な表情はさておき、教授はどこまで来ても教授なのだと実感した。



烏島小中学校。

私と渚が通った島唯一の学校。小学校と中学校が併設されており、休み時間は小学生と中学生が混ざって遊んだりする。全校生徒は私が在籍していた時は八人ほどだった。校門の前まで来て、立ち止まる。

「……沙織さん?」

「え……?」

急に名前を呼ばれ、振り向くと当時の中学の校長、福井先生が立っていた。

「ふ、福井先生?」

「あぁ、やっぱり。沙織さんだと思ったって、えっ……?もしかして……けっ、結婚……?」

福井先生は口を手で覆う。驚いた時、福井先生はいつもその仕草だった。福井先生はいつのまにか結婚していたのか、左手の薬指の指輪が輝いていた。

梅子ばあちゃんといい、福井先生といい、私が異性と島に帰ってきたら何故そう早とちりをするのだろうか。私が説明しようとした時、教授が先に動いた。

「こんにちは。はじめまして。小説家の杉崎カオルです。君津くんとは仕事仲間なんです。ここの学校の先生でしょうか」

「あ、あっ……ごめんなさいね、勘違いしてしまって。私は烏島中学の校長、福井千智です。沙織さん、どうしたの?」

「福井先生……結婚されたんですか?」

「そうなの。福井は旧姓で、今は夢原。英さんと結婚したの。あ、でも今まで通り福井でいいからね。それで、お二人はどうしてここに?」

「少し、お聞きしたいことがあって」

「お二人とも学校にお入りくださいな。校長室が空いています」

福井先生に着いていくと校長室に通された。「どうぞ」と席をすすめられ、教授と共に座らせてもらった。

「ごめんなさいね、お茶ぐらいしか用意できなくて」

「いえいえ、急に押しかけた僕たちも悪いですし」

温かいお茶を用意して、福井先生は不思議そうに教授の白杖を眺めている。その視線に気付いたのか教授はふっと笑って白杖を縮めてみせた。

「目が、見えないんですか?」

「はい。全盲です」

「それは大変ですね。それで、聞きたいことって?」

「花巻渚さんについてお聞きしたくて」

「渚さん……ね……渚さんは中学ニ年生の一学期ただけ在籍されていました。親御さんのご都合で一時的に烏島に住まれていました。けれど、ノケモノに……」

「卒業アルバムには、彼女は載っているのですか?」

福井先生は立ち上がって卒業アルバムを持ってくる。

「アルバムには、この一枚だけが収められています」

それは渚が田植え体験をしている泥だらけの写真だった。元気よくピースをしている。その状況を教授に伝えると深く頷いていた。

「渚さんも一緒に卒業できたらよかったんですけどね」

福井先生は涙ぐむ。それほどまで、彼女は愛されていたのだと痛感した。

「花巻渚さんは、どんな性格でした?」

「とにかく明るくて、誰とでも友だちになれて、優しい子でした。だからこそ、ノケモノの餌食になったのではないか、と」

「何故、そう感じるのですか?」

「えっ、えっと……その……ノケモノは、そういう少女を好きになると言われてまして……」

「そうですか。では、花巻渚さんが失踪する——ノケモノによって奪われる前に何か不思議な言動はありましたか?」

福井先生は少し考えて、こう言った。

「そうですね……あ、そういえば、ノケモノについてかなり調べていた気がします」

「彼女自身が、調査を?」

「えぇ。だからこそ、ノケモノに消されたのではないかと」

「お話、ありがとうございました。行こうか、君津くん」

「は、はい。福井先生、また来ますね。お元気で」

「はい。沙織さん、杉崎さんも、元気にしてね」

私たちは学校を後にした。宿に戻る途中、隣の教授が小さな声でこう言った。

「黒だよ。君津くん」

「え?」

「福井千智は何かを知っている。花巻渚がノケモノの禁忌に触れたから消されたとしきりに強調していた。あれは怪しいよ」

私は教授を見上げて尋ねる。福井先生が何かを知っている?一体どういうことだろうか。

「ど、どういうことですか?」

「前を向いて。おそらく神の使いが見ている。絶対にこちらの意図を悟らせないんだ。ただ、今は前を向いて、歩こう」

「は、はい」

言う通りにまっすぐ前を向いて、教授のペースに合わせて歩を進める。

こんなに夕焼けが不穏だと感じたのは、初めてかもしれない。

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