episode3 招かれざる客と始まる禁忌
顔を上げると机に突っ伏して眠っていた。知らない間に毛布が肩にかけられている。身体がバキバキに固まってしまってもはや痛い。大きく伸びをしてキョロキョロとあたりを確認する。そうだ、私は今烏島にいるのだった。立ち上がって顔を洗おうと洗面所に向かう。すると先客がいた。
「おはよう、君津くん」
「おはよう……ございます……」
「君津くん、朝弱い?」
「少し……」
「もう少し寝ていてもいいよ。取材の時間はずらせるから」
「すみません……大丈夫です……」
「大丈夫そうには見えないなぁ。いいよ、一時間くらい寝ていて」
「はい……」
まるでゾンビのように地を這いつくばって布団までたどり着いた。一応仕事なので携帯でアラームを設定した。のそのそと潜り込んで教授公認の二度寝をする。眠りに落ちる直前、教授が何かを言っていたような気がしたが、睡魔には勝てなかった。
*
けたたましいアラーム音が鳴り響く。手を伸ばしてなんとか止めた。目をシパシパとさせて起き上がると、とても美味しそうな匂いがした。それに釣られて布団から出る。ちゃぶ台の上に朝食が並んでいた。教授は私が起きてきたことに気がつき、顔を上げた。
「おはよう、君津くん」
「おはようございます」
「よかった、元気になって。朝食が来たよ」
「わぁ、すごいですね」
「どれもとても美味しかった。君津くんのご飯のお供、眠る前に聞こうと思ったんだけど、聞けなかったから納豆にしといたよ」
「すいません、わざわざ」
睡魔に負けて聞けなかった言葉はご飯のお供か。一人で納得して豪華な朝食を平らげた。着替えをして教授と二人で宿を出た。
教授のリクエストで山の近くまで行く。小さい頃から山は苦手だった。なんだか、悪いことが起こりそうな気がして。山の入り口まで歩いていると教授が突然足を止めた。
「どうしました?教授」
「……嫌な予感がするね」
「え……?」
教授がゆっくりと山の入り口を指す。その先には、看板が立っていた。喉の奥でひゅっと音がして私は立ち尽くしていた。
「か、看板……?」
私がそう呟くと教授が不思議そうに聞き返す。
「看板?一体、どういうことだい?」
「……ノケモノが、現れたということです」
「ノケモノが現れたと判断するのは誰?」
「島民代表が、山に入って、見つかった遺体を山の祠に祀るんです。その後に、看板が立ちます」
教授は「ふむ」と頷いて少しの間考える。私はその最中も心臓がバクバクとしてとてもじゃないが生きた心地がしなかった。
「よし。じゃあ、戻ろうか。ここにずっといるわけにもいかないし」
「あ……はい」
山から離れても私の胸のざわめきは消えない。宿に戻ると教授は持ってきた鞄の中をガサゴソと探り始めた。そして取り出したのは鈴。
「その鈴は?」
「古くから鈴には魔除けの力があるとされている。だから身につけておきなさい。ノケモノが出現した以上、僕たちの身にも危険が迫るかもしれないからね」
そう言って教授は私に鈴を握らせる。私はそれを受け取り、携帯のケースにつけた。教授は自分の手首に鈴をつける。
「ノケモノは人間の心臓を好むんだっけ?」
「はい。幼い頃に聞いた言い伝えだと山に迷い込んだ人間を分解して、心臓だけを食べ、ばらばらにして山に捨てる。そう聞きました」
「ふぅん……じゃあ、大雑把に言うと死人が出てるってことだね。遺体は確認できないの?」
「はい。山には入ってはいけないので」
私が頷くと教授は深く俯いて考え込んだ。コツコツと指を鳴らす音が聞こえる。全国各地の崇め恐れられた想像上の生き物を研究している教授の知的好奇心はどうやら健在のようだ。
「君津くん、取材を再開しようか」
「えっ、こんな状況で、ですか?」
「山以外にも調べたいことがあるんだ。もう一度島を案内してよ」
「……わかりました」
教授が立ち上がる。私も教授の横に移動して歩き出した。宿を出ると外が騒がしかった。
「沙織ちゃん、お兄さんや、神社行くよ。旅人さんたちも祈祷を受けないとさ」
すっかり忘れていたが、ノケモノが現れた後は村の神社で祈祷をしなくてはいけないのだった。梅子ばあちゃんに手を引かれて教授と神社の境内に入った。境内にはすでに島の住人が集まっていた。神主がお祓い棒を持って現れる。
「皆さん、頭を少し下げてください。それから目を閉じてください」
教授は不思議そうに私の方を向いた後、頭を下げた。私たちも同じように頭を下げ、目を閉じる。紙と紙が擦れる音がする。その後に鈴の音。
「お直りください。では祈祷を終えます」
ぞろぞろと神社を後にした。神社から出た人々は口々にこう言う。
「旅人が来たからノケモノの怒りを買った」
のだと。教授は聞こえているのか聞こえていないのかわからないが、私は少し嫌になった。昔から島の外からやってきた人間を避けたりする風習が嫌いだった。
「僕たち、どうやら招かれざる客だったみたいだね」
駄菓子屋の前で教授がポツリとそう呟いた。缶ジュース片手に私は目を伏せた。教授は手のひらを太陽にかざして言葉を続ける。
「どうやら、この島の人たちはイレギュラーを嫌うようだね。何か日常と違うことがあるとノケモノの怒りを買うと思っている。興味深い。ある意味団結力が強いんだろうね。そして何よりもノケモノを恐れている。君津くん、君はどうなんだい?」
「私は……」
あの記憶がフラッシュバックする。冷や汗が出てきて、まるであの時のように身体が震える。やっと口に出した言葉は幼子のようだった。
「……怖い、です」
「君もまた、そうなんだね」
オレンジジュースの缶をゴミ箱に捨てて教授と私は歩き出した。心なしか教授の腕を握る力が強いような気がした。教授も、怖いのだろうか。
「教授」
「なんだい?」
「教授は怖くないんですか。人が死んで、それが私たちが来たせいだって決めつけられて、怖く、ないんですか」
気がついたら責めるような口ぶりで教授に詰め寄っていた。教授は立ち止まり、こう口にした。
「……怖いよ。君津くんと同じで自分たちが『除け者』にされているのが、ね。ノケモノはきっと山の中で僕たちと同じ思いで眠っているのだと思う。ある意味、僕たちとノケモノは似てるんだよ」
「似て、る……」
あまりにも予想外な答えが返ってきて驚いた。確かに私たちは外の人間とみなされてイレギュラーな存在だ。教授の言っていることはあながち間違いではない。この閉鎖された空間で一体何ができるのだろう。
「とりあえず、宿に戻ろうか」
「はい」
宿に戻る途中に子どもたちが水遊びをしていた。九月も中旬に入ったが、まだまだ暑い日が続いている。微笑ましい光景で口角が上がった。その隣を通り抜けようと思ったその時。
「うわぁ」
隣の教授がよろけた。慌てて支えると子どもたちが大笑いしていた。どうやら子どもたちが遊びで教授にバケツで水をかけたようだ。
「あはは!旅人さん面白い!」
「笑い事じゃないよ。いきなり見ず知らずの人に水なんてかけちゃダメ」
私が叱ると子どもたちは顔を見合わせてその後こう言った。
「だって、旅人さん『除け者』なんでしょ?お母さんが言ってたよ。旅人さんのせいでノケモノが現れたんだよ」
人はあまりの怒りに震えた時、言葉が出なくなるものだと実感した。気がついたら拳を握りしめていた。教授の手を振り解いて子どもたちの方へと向かう。その時、教授の鋭い声が聞こえた。
「君津くん、ダメだよ」
その言葉を聞いた瞬間、自分が何をしようとしていたのか自覚した。振り上げかけた拳を反対の手で抑える。教授は白杖を鳴らして私の隣までやってくる。そしてしゃがみ込んで子どもたちと目線を合わせる。
「君はノケモノが怖い?」
「怖くないよ。だって山に行かなければいいもん」
「そうだね。山に行かなければノケモノには会わないよね。そうやって自分のことを守りなさいね」
教授は水をかけた子どもの頭をポンポンと叩いて私の左肘を握った。それが意味することはわかる。私たちは歩き出した。
宿に戻って真っ先にタオルをフロントで貸してもらい、教授の濡れた頭と身体を拭いていた。
「大丈夫だよ、こんなのすぐ乾くって」
「風邪ひいたらどうするんですか。体調悪い人の原稿取り立てるのなんて嫌ですよ」
私がそう言うと教授はクスリと笑って私に身を委ねた。
「それにしても、あの子たち危ないですよ。むやみやたらに水をかけるなんて」
「むやみやたらではないよ。あの子たちは異分子を排除しようとしたんだよ。現に君津くんは水をかけられていないだろう?」
教授の頭を拭く手を止めた。そうだ、確かに私に向けては水をかけようとはしなかった。
「子どもほど異分子を嫌う生き物はいないからね。さっきのことはとても理にかなっているよ」
身体を拭き終わった後、教授は原稿、私は編集作業に追われていた。少し休憩しようと床に寝転んだ。今にも消えそうな電灯に手を伸ばそうとして、やめた。ふとした時に消える希望のようで、なんだか腹が立ったからだ。
「渚……」
一人、そう呟いた。心が、少しだけ冷たくなった。どこかで、季節外れの蝉の声が聞こえた。私はパソコンのタイプを止めて、その音に耳を澄ませた。
シャンシャンシャンシャン——あの時のひぐらしより、うるさい。




