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NTR勇者、我が道を征く〜闇に堕ちた英雄は、復讐を誓う。〜  作者: アルファベータ
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第37話 戦神の名


 アリウベラ洞窟の完全なる崩壊、そして『魔人ナルク』との死闘から数週間。


 アルスたちが身を潜めていたのは、大陸の辺境に位置する荒れ果てた交易都市『ガイラム』の、さらに最底辺に位置するスラム街だった。


「……がはっ、……くそ、……」


 薄暗い部屋の隅で、アルスは激しく咳き込んだ。彼の肉体の損傷は、未だに壊滅的なままだ。右腕は肩の付け根から完全に失われ、残された左腕も、ナルクの腐敗を直接喰らった代償で、肘から先が死人のように黒く変色している。


「アルス、無理はしないで。……今、新しい薬草を煎じるから」


 傍らで、ルーシェが甲斐甲斐しくアルスの身体を支える。そして、その対面に座るアルベラは、かつての千里眼の輝きを失った右目に、深く包帯を巻いていた。過醒の代償は大きく、彼女の誇りだった未来視の力は、今や完全に閉ざされている。


「アルス……すまない。俺の力不足のせいで、みんなにこれほどの傷を負わせちまった……」


 全身の皮膚がひび割れ、かろうじて生き長らえたオーガの巨漢、オルクスが悔しそうに頭を垂れる。


「気にするな、オルクス。生き延びた……それだけで、俺たちの勝ちだ」


 新しく一行に加わった方術士ヒューガが、壁に寄りかかりながら、筆を弄んで口を開く。


「ま、生き残ったのは上出来だがよ、おまえら。このままじゃ遅かれ早かれ、晩餐会の最高戦力――セインの奴らに見つかって嬲り殺しだぜ」


「分かっている。だからこそ、この町にいる『戦神』を引き入れる」


 アルスの言葉に、部屋の空気が一変した。


「戦神……オルフェア、か……」


 オルクスが、苦渋に満ちた表情でその名を口にした。



◇◆◇


「オルクス。お前、そのオルフェアという戦士と、古い縁があると言っていたな」


 アルスの漆黒の瞳が、オルクスを見据える。オルクスは大きく息を吐き出し、かつて魔族の領地や人間の戦場を渡り歩いていた頃の、古い記憶を手繰り寄せるように語り始めた。


「あいつは、人間でありながら、俺たちオーガの戦士を正面からの肉弾戦でねじ伏せるほどの、文字通りの『怪物』だった。かつては独自の傭兵団を率いて、弱い奴らを助けたり、戦場では『不敗の戦神』って称えられた高潔な男だったんだ。俺も、あいつの背中に憧れて、一緒に戦場を駆けたことがある」


「へえ、戦神ねぇ。そんな大層な奴が、なんでこんな小汚いスラムの町に燻ってんだよ?」


 ヒューガが興味深そうに片目を細める。


 オルクスは拳を強く握り締め、その顔に深い悲しみを浮かべた。


「……あいつは、壊れちまったんだ。大切な人を、あまりにも残酷な形で亡くしたからな」


「……」


「数年前、オルフェアには、エルナっていう病弱だが心優しい妻がいた。あいつにとって、血生臭い戦場から帰るべき唯一の『光』だったんだ。だが、オルフェアの強さを妬んだ腐敗貴族どもが、あいつの留守を狙って拠点を急襲した」


 オルクスは奥歯を噛み締めた。


「あいつが戦場から駆け戻った時、待っていたのは……両手両足を切断され、なぶり殺しにされた、最愛の妻の冷たい亡骸だった。貴族どもは、オルフェアの絶望する顔が見たいがためだけに、その猟奇的な凶行に及んだという。その日、戦神の心は完全に死んだ」


 オルフェアは単身でその国へと乗り込み、関わった貴族一族、果ては城の兵士に至るまで、数千人の人間を文字通り「肉片」へと変え、国を一つ、一夜にして滅ぼした。


「それからのあいつは、かつての高潔さを失って、ただの『血に飢えた狂戦士』になっちまった。今は裏社会に身を置いて、金を積まれれば暗殺から奴隷売買の手先まで、どんな悪事も平然と働く、組織の『猟犬』に成り下がってる……あいつは、悪事に手を染めることで、自らを汚して、世界のすべてを呪ってるんだ。俺は、それが堪らなく悲しい」


 アルスは、片腕の肩を強く抑えながら、冷徹な声で言い放った。


「……丁度いい。世界のすべてを呪い、悪鬼に成り下がった男。……なら、俺と同じだ。そいつの行き場のない怒りと、その圧倒的な武力、俺たちの復讐の舞台に組み込んでやる。……オルクス、案内しろ。その戦神を、俺たちの仲間に引き入れる」


 ガイラムの街のさらに地下。大商人や悪徳貴族たちが集まる、非合法の地下闘技場。そこは、血と硝煙、そして人間の剥き出しの狂気が渦巻く、文字通りの屠殺場だった。


「殺せ! 殺せ! 刻んでしまえ!」


 観客たちの狂ったような怒号が響く中、中央の円形舞台には、血塗られた巨大な大剣を肩に担いだ、岩石のようにいかつい巨漢が立っていた。


 その男こそ、かつて不敗と謳われた戦神――オルフェア。


 全身には無数の分厚い刀傷が刻まれ、その肉体からは魔力ではない、圧倒的な「暴力の気配」が陽炎のように立ち上っている。


 彼の足元には、全身の骨を粉砕され、肉塊と化した対戦相手の無残な死体が転がっている。


 そこへ、オルクスとアルスが真っ直ぐに歩み出た。


「――オルフェア。これ以上の無益な殺生は、もうやめろ!」


 オルクスの叫びに、巨漢がゆっくりと、不快そうに首を回した。その瞳は濁り、獣のような凶悪な光を宿している。


「あ゙ぁ? ……なんっだァ、てめぇらはぁ゙。……あァ、オルクス、生き残りか。何の用だ、あ? 今の俺は機嫌が悪いんだよ。用がねぇならそのデカい頭、叩き割るぞ、あ゙ぁ゙?」


 地鳴りのようなダミ声。吐き出される殺気だけで、並の戦士なら失神しかねないほどのプレッシャーだった。


「お前を勧誘しに来た。俺の名はアルス。俺たちと共に、世界の理――『晩餐会』を喰らい尽くすための仲間になれ」


 アルスの言葉に、オルフェアは一瞬の静寂の後、不気味に顔を歪めた。


「あ゙ぁ゙? 晩餐会ぃ? なんだそりゃ。……おい、隻腕のガキ。てめぇ、誰に向かって口叩いてんのか分かってんのかァ、あ゙ぁ゙!?」


 轟音。


 オルフェアが床を踏み抜いた瞬間、その巨体は残像さえ残さずアルスの眼前に肉薄していた。


 速すぎる。そして、重すぎる。


「――ッ!!」


 アルスは黒く変色した左拳に、ナルクの腐敗と銀色の魔力を一時に集中させ、迎撃の構えをとった。


 しかし――


――ガツゥゥゥゥンッ!!!


「がっ……は……っ!?」


 防げない。受け流すことさえ叶わない。


 オルフェアの放った、大剣の腹によるただの「一払い」が、アルスの全力の防御術式をごっそりと叩き潰した。アルスの身体は闘技場の岩壁へと猛烈な速度で吹き飛ばされ、激しく激突した。


「アルス!!」


 オルクスが割って入ろうとするが、オルフェアはその巨体を一瞥するだけで、凄まじい闘気の波動を放ち、オルクスを一歩も前に進ませない。


「弱ぇ。弱すぎるなァ、おい! 腕一本落とされて、生命力もスカスカのガキが、俺を勧誘だァ? 笑わせんじゃねぇぞ、あ゙ぁ゙!?」


 オルフェアはゆっくりとアルスへと歩み寄る。大剣の先が床を削り、嫌な金属音を響かせる。


 圧倒的な、純粋な武の暴力。現在のボロボロのアルス一行では、逆立ちしても勝てない「怪物」がそこにいた。



 壁に叩きつけられたアルスは、全身の骨が軋む悲鳴を聞きながらも、血反吐を吐き捨てて再び立ち上がった。


 右腕はない。左腕の感覚も死んでいる。足元はガタガタと震えている。


 それでも、彼の漆黒の瞳の奥にある「復讐の炎」だけは、寸分も衰えていなかった。


「……はぁ、……はぁ、……まだだ。まだ、折れてない……」


 アルスはふらつきながらも、オルフェアの目の前まで歩み寄り、その胸元に黒い左拳を突き出した。当てるだけの、力のない拳。だが、その瞳だけは真っ直ぐに戦神を見据えていた。


「ダセェなァ、弱ぇなぁ。おい」


アルスはその言葉を聞き、図星だった。


「死にたいなら、最高の死に場所を用意してやるって言ったんだ。お前の妻を殺した貴族を産み出し、それを理として放置している『世界』そのものに、その牙を剥けよ。……こんなところで、安い悪事に手を染めて、自分を汚して満足してるんじゃねぇ……!」


 オルフェアの大剣が、アルスの首筋にぴたりと当てられた。皮一枚で血が滲む。


「あ? てめぇ、死にてぇのか。エルナのことを何も知らねぇガキが、偉そうに語るんじゃねぇぞ……!」


 オルフェアの顔が、怒りと憎悪で鬼のように引き攣る。今すぐにでも大剣を横になびかせれば、アルスの首は宙を舞うだろう。


 しかし、アルスは微塵も恐怖していなかった。その瞳にあるのは、オルフェアの狂気に対する恐怖ではなく、深い、深い「共鳴」だった。


「……知っているさ。裏切られ、すべてを奪われ、世界のすべてを呪いたくなる気持ちくらい、痛いほど分かってる。……俺もお前と同じだ、オルフェア。お前と同じ、地獄の底を這いずり回ってるバケモノだ」


「……ぁ?」


「だから、お前をこんなところで、ただの野良犬みたいに死なせたくない。……その行き場のない怒りを、俺たちの復讐の舞台に貸せ。神の首を、一緒に引きちぎりに行くぞ……!」


 アルスの言葉、そしてそのボロボロになってもなお、一歩も退かずに牙を剥き続ける圧倒的な「根性」。


 オルフェアは、アルスの漆黒の瞳の奥に、かつてすべてを失った日の自分自身の姿を、明確に見た。


 こいつも、壊れている。


 世界への凄まじい憎悪と、それでも進むことを諦めない異常な執念。ただの小綺麗な人間に諭されたなら、オルフェアはその首を迷わず叩き落としていただろう。


 だが、目の前にいるのは、自分と同じ泥水をすすり、同じ血の海の匂いをさせる「同類」だった。


 オルフェアの放っていた、周囲の空気を歪めるほどの圧倒的な殺気が、微かに、本当に微かに霧散していく。


「……あぁ゙。……なんだァ、その目は。てめぇ……本当に、死に損ないのバケモノだな、おい」


 オルフェアは大剣をゆっくりと引き、肩へと担ぎ直した。その瞳の奥の濁った虚無に、初めて、奇妙な親近感に似た光が灯る。


「フン……。隻腕のガキのくせに、随分と生意気な口を叩きやがる。……気に入らねぇな。だが……その目、あの腐った貴族どもの目とは、全然違う」


 オルフェアは盛大に鼻を鳴らし、アルスを見下ろした。


「いいだろう。てめぇの言うその『晩餐会』ってやつが、俺のこのイライラをどれだけ晴らしてくれるか、試してやる。……ただし、ガキ。もし退屈な舞台だったら、その時はてめぇの残った左腕も、俺が根元から捥ぎ取ってやるからな、あ゙ぁ!?」


「……ああ、それでいい」


 アルスの唇が、微かに歪んだ。そしてオルフェアは一喝した。


「勘違いすんなよ」


 圧倒的な実力差。勝てない絶望。しかし、地獄を歩む者同士の「同類の情け」と、アルスの底知れない執念が、戦神オルフェアという最強の悪鬼の心を、確かに開かせたのだった。


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