第30話 神簒者
老人の小屋の裏手に広がる、灰色の岩山。そこはナルクの腐敗も届かぬほど高純度の魔力が噴き出す、この世界の「肺」とも呼べる場所だった。
「お主の【略奪者】は、いわば他人の鎧を無理やり着込んでいるようなものだ。それでは動きは制限され、いずれは継ぎ接ぎの重みに耐えきれず自滅する」
老人は岩の上に胡坐をかき、アルスの前に一本の枯れ枝を置いた。
「この枝を、お主がこれまで奪った『ガイルの剛力』や『セーラの魔導』で折ってみせよ」
アルスは言われるがまま、右腕に宿る複数の力を発動させた。筋肉が異常に膨れ上がり、周囲の空間がセーラの術理によって歪む。だが、その強大すぎる力が枝に触れた瞬間――。
バキ、という音と共に、枝は粉々に砕け散り、アルスの右腕からもどす黒い血が噴き出した。
「……くっ、あああああッ!!」
「それだ。奪った力に振り回され、加減すらできぬ。それでは『暴力』であっても『魔法』ではない。略奪とは、対象を奪うことではない。対象を一度『無』に帰し、自らの血肉として再編することだ」
アルスは血を拭い、老人の言葉を反芻する。これまでの自分は、裏切り者たちへの憎しみから、彼らの力をそのままぶつけることで復讐を果たしてきた。だが、神の剪定者であるリオネイルには、そんな借り物の力は通用しなかった。
「……再編、か」
アルスは目を閉じ、自身の内側を見つめた。そこには略奪してきた夥しい数のスキルや負の感情が、ドロドロとした黒い泥のように渦巻いている。彼はその泥に、あえて無防備に意識を沈めた。
(奪うのではない。……これらはもう、俺の一部。なら、俺の意志で作り変える!)
修行は数週間に及んだ。
老人の指導は過酷だった。略奪したスキルを発動した瞬間に、その構成(術式)を頭の中で一度解体し、アルスの独自の魔力特性に合わせて組み直す。
失敗すれば、暴走した魔力が内側からアルスの肉体を焼き切る。幾度となく意識を失い、そのたびにルーシェが薬草を口に含ませて彼を繋ぎ止めた。
「アルス……もう、やめて……。あなたの体がボロボロだわ……」
「……いや、まだだ。俺は……あの子がくれた花の冠を守れる強さが欲しいんだ。略奪した絶望を、誰かを守るための光に変える……そのための回路を!」
そして、ある月のない夜。
アルスが右手に力を込めると、かつてのような禍々しい黒い血管は浮かび上がらなかった。
代わりに、彼の腕には、銀色の繊細な術式が刺青のように浮かび上がる。
【システム:固有スキル「略奪者」を「神簒者」へ再構築完了】
【新規権能:万物簒奪、概念再編の獲得】
それは、奪った力をただ使うのではなく、その「因果」や「属性」を自在に変換し、アルス自身の魔力として定着させる真の進化だった。
「……できた。これが、俺の魔法だ」
アルスが軽く指を鳴らすと、かつてガイルから奪ったはずの『力』が、彼の背後に漆黒の光輪となって現れた。それはもはやガイルの技ではなく、アルスの静かな怒りが形を成した、全く新しい魔法だった。
「ふむ……。器は整ったようだな。だが、お主が再構築に没頭している間に、世界はさらに歩みを進めたぞ」
老人が遠く、空を指差す。
そこには、リオネイルが連れ去ったアルベラとオルクスの気配、そしてナルクの腐敗が混ざり合った、不気味な輝きがアリウベラ洞窟の方向に立ち上っていた。
◇◆◇
老人の小屋の裏手、岩山を切り裂くような修行の最中、アルスの元に二つの人影が近づいてきた。ボロボロになりながらも、自らの足で歩いてくる魔族の姫アルベラと、オルクスだ。
「……アルベラ! オルクス!」
アルスは駆け寄り、二人の無事を確認する。大きな外傷はない。だが、その瞳には、これまでの戦いでは決して見せることのなかった「根源的な恐怖」の残滓がこびりついていた。
「助かったの……か? 奴はどうした」
「……行っちゃったわ。戦う価値もないってさ」
アルベラが、自嘲気味に笑う。
彼女の千里眼は、リオネイルが去り際に漏らした言葉を捉えていた。
『今の君たちを壊しても、砂遊びみたいで退屈だよ。もっと美味しくなってから、また遊ぼうね。……特におじさん、その右腕がどんな“味”になるか、楽しみにしてるから』
殺意すらない。ただの「気まぐれ」その事実が、強さを求めてきたアルスの自尊心を、何よりも深く抉った。
「……遊ぶ、だと? 俺たちの命を、なんだと思っている……!」
アルスの右腕が、新生した術式に従って銀色の光を放つ。再会した仲間たちの前で、アルスは確信した。今の自分では、たとえ全力を尽くしても、あの幼子の「退屈」すら紛らわせられない。
「アルス……すまない。一太刀も浴びせられなかった……」
「気にするな、オルクス。……悪いのはお前でも奴じゃない。奴をそんな風に増長させている、この世界の『理』だ」
アルスは、背後に立つ老人に視線を向けた。老人は、再会した仲間たちを静かに見つめ、一つ頷いた。
「奴は去った。だが、それは執行猶予に過ぎん。リオネイルが再び現れる時、お主が『奪っただけの者』であれば、今度こそこの二人ごと塵にされるだろう」
「……分かっている。だから、教えろ」
アルスは、老人の前に跪いた。
これまでの【略奪者】は、敵の技をそのままコピーして使う「模倣」に過ぎなかった。だが、老人の説く極意は、奪った魔力の波形を完全に分解し、アルスの魂という炉で練り直し、全く新しい『概念』を創造する工程だ。
「奪った火で薪を燃やすのではない。火そのものを喰らい、自らが太陽となれ。……修行を再開するぞ。今度は、その娘たちの魔力も『貸し』として組み込め。奪うのではなく、共鳴し、新たな術理を生み出すのだ」
アルスは立ち上がり、アルベラとオルクスの手を取った。
「アルベラ、オルクス。……お前たちの力を貸してくれ。奪うんじゃない。俺の中で、お前たちと共に戦うための『新しい力』に書き換えるんだ」
「ふふ、いいわよ。私の千里眼が、あんたの新しい力の『視界』になってあげる」
「いいぞ、つかえ。」
仲間の意志を受け取り、アルスの魔導回路が猛烈な熱を帯びる。
【簒奪】から【創造】へ。
アリウベラ洞窟に潜むナルク、そしていずれ再来するリオネイル。二つの「神に近い絶望」を討つための、真の英雄が、老人の隠れ家で産声を上げようとしていた。




