第25話 空虚の王、不在の断罪
アルスの咆哮が、枯死した世界樹の枝を震わせる。しかし、期待していた「敵」の姿はどこにもなかった。
返ってきたのは、風が枯れ葉を弄ぶ乾いた音と、倒れたエルフたちの濁った吐息だけだ。
アルスは【略奪者】の感覚を極限まで広げ、地を這う毒蔦の根源を辿る。だが、辿り着いた先にあるのは、実体を持った魔王の玉座ではない。そこにあるのは、ただの「虚無」だった。
「……いない? 奴は、ここにはいないのか……!」
アルスの問いに、ルーシェが絶望に染まった瞳で頷いた。
「そうよ……ナルクは『どこか』に座しているわけじゃない。奴はこの世界という器に満たされた『毒』そのもの。奴がこの里に目を向け、ただ『そこにある絶望』を肯定しただけで、楽園はこうして腐敗していく……」
ナルク・シェンリルの権能。それは能動的な破壊ではない。
「どうせ救いはない」という諦念を加速させ、生命が本来持っている自浄作用を停止させる――いわば世界の「腐敗死」を早めるだけの力。オーラという強烈な光の蓋が消えた今、世界は重力に従うように、ナルクの望む「死の静寂」へと滑り落ちていたのだ。
「……っ、ふざけるな。……ふざけるなッ!」
アルスは、自分の腕の中でようやく深い眠りについたエルフの幼子を、オルクスに預けた。
少女の頬に触れていた指先には、まだ彼女から吸い取った「親に捨てられた悲しみ」の熱が残っている。
ナルクは、自ら手を汚しすらしない。
ただ遠くから眺め、人々が勝手に絶望し、勝手に腐り果てていくのを愉しんでいる。その傲慢な「不在」が、アルスの逆鱗に触れた。
「姿を現さないというなら、こちらから引きずり出すまでだ。……この世の絶望をすべて俺が喰らい尽くせば、奴の『餌』はなくなる。飢えた獣のように、面を晒して俺の前に這い出てくるだろう」
アルスは、黒く変色した世界樹の幹に手を突きたてた。
【略奪者・因果反転】
「この里を蝕む腐敗を……すべて、俺に寄越せ」
――ドクンッ!!
里全体が震動した。
大地を這う赤紫色の毒蔦が、獲物を変えたかのように一斉にアルスの右腕へと殺到する。エルフの里全域から、どす黒い霧が吸い寄せられ、アルスの全身を覆い尽くしていく。
「アルス!? やめなさい、そんな量を一度に吸い込めば、あなたのの霊核が砕けるわ!」
アルベラが叫ぶが、アルスは止まらない。
かつてリリィを守れなかった自分。
裏切りに遭い、世界を呪った自分。
そのすべての記憶が、今この瞬間、ナルクの毒と共鳴し、アルスの内側で巨大な「負の太陽」を形成していく。
「俺は、救世主にも魔王にもなるつもりはない。……だが、俺の目の前で、この幼子が流したはずの涙を……二度と誰にも流させはしない!」
アルスの背中から、漆黒の翼を思わせる魔力の奔流が噴き出した。里に漂っていた甘ったるい異臭が、アルスの放つ圧倒的な「怒り」の波動にかき消される。
ナルク・シェンリル。
お前がこの世界を「腐った果実」として捨てるというなら、俺はその皮ごと、中身の毒ごと、すべてを飲み込んでやる。
アルスの漆黒の瞳が、血の混じった涙を流しながらも、空の向こうにある「姿なき王」の居場所を射抜いた。




