第24話 枯死する楽園、重なる残響
ルーシェに導かれ、たどり着いたエルフの隠れ里『アフェルドラシル』。かつては世界樹の加護を受け、永遠の緑を誇ったはずのその場所は、今や見る影もなかった。
木々はどす黒く変色してねじ曲がり、大気にはあの甘ったるい、脳を腐らせるような異臭が立ち込めている。
里の入り口には、かつての守護者たちが倒れていた。しかし、彼らは死んでいない。虚ろな目を見開き、自分の喉を掻きむしりながら、「もっと、もっと絶望を……」とうわ言のように繰り返している。
「……ひどい……。これが、私の愛した場所なの……?」
ルーシェが絶望に膝をつく。だが、アルスの足を止めたのは、その凄惨な光景以上に、一人の幼いエルフの少女の姿だった。
広場の中央、枯れ果てた噴水の傍ら。
泥にまみれた桃色の髪、握りしめられた手作りの花の冠。毒の蔦に全身を縛られ、浅い呼吸を繰り返すその姿は、かつてアルスがカナン村で見届けた、あの少女――リリィとあまりに酷似していた。
「……ぁ、……ぅ……」
少女の細い指が、虚空を彷徨う。その瞳には、かつてリリィがアルスに託した「憧れ」ではなく、ナルクが植え付けた「親に捨てられた」という偽りの絶望が焼き付いていた。
アルスの胸の奥で、何かが爆ぜた。
裏切られたあの日、凍りついたはずの心臓が、熱い怒りで脈動を始める。
(また、守れなかったのか……。俺が『光』を気取っていた時も、そして『闇』に堕ちた今も……結局、この世界は無垢なものから壊れていく……!)
アルスは少女の元へ歩み寄り、その小さな手を包み込んだ。
【略奪者】が、少女を蝕むナルクの毒――「親愛への疑念」という精神汚染を敏感に察知する。それは物理的な破壊よりも遥かに陰湿で、救いようのない悪意だった。
「アルス……その子はもう……。ナルクの毒は、魂の根源を書き換える。一度絶望した魂は、二度と元には……」
オルクスが沈痛な面持ちで首を振る。だが、アルスの漆黒の瞳には、冷徹なまでの決意が宿っていた。
「いいや、元に戻す必要はない。……この子が絶望しているというなら、その『絶望』ごと、俺が奪うだけだ」
「なっ……正気か!? 負の感情を際限なく吸い込めば、貴様の自我が持たんぞ!」
オルクスの制止を無視し、アルスは少女の額に自分の額を合わせた。
【略奪者・強制受容】
少女の内側から溢れ出す黒い泥のような感情が、アルスの体内へと逆流してくる。それは、かつてガイルやアリシアから奪った「醜い欲望」とは違う。純粋であるがゆえに鋭く、逃げ場のない「悲しみ」という名の猛毒だ。
「……ぐ、あああああッ!!」
アルスの肌を、赤紫色の血管がのたうつ。脳裏にリリィの死に顔と、このエルフの幼子の泣き顔が重なり、混ざり合い、アルスの理性を削っていく。
だが、彼は手を離さなかった。
「……安心しろ。お前の痛みも、お前を捨てた世界への呪いも……すべて、俺が持っていく。お前はただ、明日の朝焼けが綺麗だということだけを、覚えていればいい」
どす黒い魔力がアルスの全身から噴き出し、周囲の毒蔦を消し飛ばす。
やがて、少女の顔から苦悶の色が消え、穏やかな寝息に変わった。その代わりに、アルスの背後には、以前よりも遥かに濃密で、禍々しい「大罪」の影が立ち昇っていた。
「……ルーシェ、オルクス。決めたぞ」
アルスは少女をそっと横たえ、立ち上がった。その姿は、英雄でも魔王でもなかった。ただ、世界中の「痛み」を独占し、それを力に変えて歩む、この世で最も孤独な『略奪者』の完成形だった。
「ナルク・シェンリル。奴はどこにいる。……この世のすべての絶望を、俺の腹の中に収めてやる。奴が啜るための『餌』は、もうこの世界には一滴も残さない」
姿なき王への、宣戦布告。
アルスの瞳から一筋の血の涙が零れ、地面に落ちた瞬間、枯れ果てていた世界樹の根が、黒い魔力を帯びて不気味に蠢き始めた。




