第22話 共犯の夜明け
廃教会の窓から差し込む月光は、冷たく、そして鋭い。アルスは祭壇の横で、自らの漆黒の剣を研いでいた。シュッ、シュッ、という規則的な金属音が、静寂な堂内に響く。
その足元には、先ほどアルベラの居場所を嗅ぎつけて襲いかかってきた魔族の追手たちが、物言わぬ肉塊となって転がっていた。
「……動けるようになったか」
アルスは視線を上げることなく問いかけた。祭壇の上で、ボロボロだった衣服を黒い外套で包み直したアルベラが、ゆっくりと立ち上がる。
「ええ。貴方のその『毒』のような魔力、意外と馴染みがいいわ。……まるで、最初から私の内側にあった欠落を埋めるために、用意されていたみたいに」
アルベラは、かつて自分を縛っていた術式の痕跡が消えた白い手首を眺め、妖艶に微笑んだ。彼女の紅い瞳には、今や濁りはない。代わりに、アルスという存在がもたらす「予測不能な未来」への期待が、星のように輝いている。
「アルス。貴方がこれから向かう先に、何があるか視てあげましょうか?」
「断る。……結果のわかっている復讐など、ただの作業だ。俺が欲しいのは、神が用意した結末ではなく、俺がこの手で引き千切った後の残骸だけだ」
「ふふ、やっぱり貴方は最高だわ。……でもね、一つだけアドバイス。貴方のその【略奪者】は、まだ完成していない。貴方は今、憎しみのままに力を奪っているけれど、それではいつか、自分自身の魂まで食い破られるわ」
アルベラは祭壇から飛び降り、音もなくアルスの隣に立った。彼女の千里眼は、アルスの肉体の奥底で、略奪した無数の魔力が互いに食らい合い、暴走の兆しを見せているのを捉えていた。
「なら、どうすればいい」
「混ぜるのよ。……貴方の濁った闇に、私のこの『視る力』を。……貴方が世界を壊すための最適な『急所』を、私が指し示してあげる」
アルベラはアルスの左手に、自分の手を重ねた。瞬間、アルスの脳内に、今まで感じたことのない感覚が奔った。
世界が、単なる物質の塊ではなく、因果の糸が複雑に絡み合った「巨大な織物」のように視える。どこを斬れば、どれだけの絶望が溢れ出すか。どの糸を引けば、国が、民が、最も無様に崩壊するか。
「……これが、お前の視ている景色か」
「そう。……ねえ、アルス。共に歩みましょう。貴方が『絶対的な悪』として君臨し、私がその横で、世界が悲鳴を上げる音を聴く。……これ以上の娯楽が、この世にあるかしら?」
アルスは立ち上がり、アルベラの手を強く握り返した。それは守るための手ではなく、共に行き止まりの崖まで走り抜けるための、地獄への約束だった。
夜明けが近い。
かつてアルスが愛した「美しい朝焼け」ではない。それは、すべてを灰に帰すような、鈍色の夜明けだった。
「行くぞ、アルベラ。……まずは、俺を英雄と崇め、そして石を投げたあの民衆たちに、真実を教えてやる」
「ええ、魔王様。……貴方の行く道が、どこまでも暗く、そして甘美なものでありますように」
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そう。すべてはここから。
二人は、血の臭いが染み付いた廃教会を後にした。こうして、一人の復讐者と、一人の観測者は、歴史の表舞台から姿を消し、世界を裏側から蝕む「共犯の旅」へと足を踏み出したのである。




