第2話 リース・テン:計算
「穀物の上限は六割です。それ以上に振れたら、戻すよう調整してください」
リースは、机に広げられた帳簿から目を離さずに言った。
「酒と塩は、もう一段階だけ絞りましょう。ばらつかせて、不自然に見えないよう注意を」
強盗や盗難などは、煽らずとも起こるでしょう。取り締まりは大袈裟にアピールしてください」
治安を担当する男が短く頷き、流通を預かる男が手元の書類に書き込みを加える。
もう一人、繊維の製造と販売を統括する人物は、静かに次の指示を待っていた。
「布地の流通は現状維持。廉価版もです。サロンでの価格も今まで通り。今の物価高にウチは無関係、ということです。賃金を適度に上げて物価高に対応を。生産ラインは保ってください」
異論も、質問も出なかった。
ここにいる者たちは皆、すでに理解している。
方針の確認は短時間で終わった。
三人はそれぞれ必要な点だけを受け取り、無駄な言葉を残さず部屋を出ていく。
扉が閉まると、室内には紙の擦れる音と、遠くの街の気配だけが残った。
リースは水差しからグラスに水を注ぎ、一口飲む。
自分の机に戻り、積まれた書類に目を落とした。
その中に、件の研究所から届いた封筒があった。
最新の研究レポートと、必要物資の要請書。
項目の詳細に目を通す前に、費用の概算欄が視界に入る。
桁を確認し、短く息を吐いた。
要求されたものは、すべて通せ。
そう言われている。
だが、どう都合をつけたものか。
眉間に、知らず知らずのうちに皺が寄る。
そのとき、軽やかなノックが響いた。
返事を待つ間もなく、ほとんど同時に扉が開く。
「やあリース、ご機嫌いかが?」
ひらりと手を振るような仕草とともに、長身の青年が入ってくる。
とびきり美しい容貌に軽やかな声、スマートな物腰が彼の武器だ。
「遅い」
「ああ、悪かったね。僕にも色々都合がさ」
「シューリ、仕立て屋の弟の件だ」
引き出しから小さなメモ書きを取り出し、手渡した。
「少し抑えろと。暴走のリスクがある」
シューリはメモに軽く目を落としてから、リースの表情を伺った。
「ふうん……てことは、もうちょっと先になる感じ?」
「指示に従え」
「はいはい、りょ~かい」
シューリは肩をすくめるように笑い、軽く踊るような足取りで部屋を出ていった。
扉が閉まる音を背に、リースは軽く息を吐く。
シューリが火加減を調節し終えたら、形は整う。
多少の綻びには対処できる備えもある。
物価、流通、治安、噂。
すべてがわずかに歪んだまま保たれ、不満は季節とともに順調に募る。
どこも突出していない。
最適なタイミングを待てる、適切な状況だ。
これでいい。
リースは窓の方へ視線を向けた。
外気はすでに冷たさを帯びている。
街はまだ静かで、人々はそれぞれの冬支度を思い描いている頃だろう。
概ね、ここまで予定通りだ。




