表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/59

第1話 喪明けと願い

 春の風が、空を磨いたような晴れ渡った空に吹き抜けている。

 王女アデレード・ミリア・カンザはバルコニーの欄干に手をかけ、頬をゆるませた。


「よく晴れてくれた……ほんとうに!」


 両手を合わせて光の精霊神に感謝する。


「ありがとうございますっ! 最っ高のお祭り日和です!」


 風に乗って届く笛の音も、花の香りも、今日は全部、自分の味方のように思えた。


 部屋のバルコニーから見下ろせば、陽光にきらめく城下町が一望できる。


 赤茶の屋根が折り重なる街並みは、今日は白い布と色とりどりの花飾りに彩られ、通りのあちこちから笑い声と祭りの音楽が溢れ出していた。


 その先には、澄んだ湖と、それに続く銀色の川が流れている。

 川面にはいくつもの船が浮かび、荷を積んだ帆船がゆったりと港に出入りしている。

小舟がそれらの間を縫うように進み、人も物も、この国のあらゆる場所をつなげていた。


 南には、麦の若葉が風にそよぐ穀倉地帯。

 さらに遠く、地平の向こうには――かすかに、海の光が揺れて見える。


 コルレド王国は、どこまでも穏やかで、美しい国だった。


 

 前女王アデレード――ミリアの祖母が崩御してから三ヶ月。

 今日はついに、喪が明けてから初めて迎える大きな祭りだ。


 城下から遠くの村々まで、色とりどりの花で飾られる春の祝祭は、秋の収穫祭に勝るとも劣らない大きな楽しみだった。


 女王崩御からの数ヶ月間、静かに喪に服し、誕生日の祝いもなかったミリアに、ある日、父と母はこう言った。


『十七の誕生日を祝えなかった代わりに、一つだけ、何か願いを叶えよう』


 それなら、と迷わず口にしたのは――ずっと憧れていた、城の外の世界。

 町の娘になりきって、民と同じ目線で祭りを歩いてみたいという願いだった。



「はい、そこ。じっとしてくださいませ」


 ヴェラは丁寧にミリアの髪を整えながら、いつもの調子で言葉を続ける。


「いいですか、姫様……いえ、今日はアデラ、ですね。まず、丁寧な言葉遣いはしないこと。『です』『ます』は、なるべく使わないでくださいね」


「はーい」


「串焼きや果物は、遠慮せず手に持って食べること。小さくかじるのもなしです。思いきって、がぶっと」


「あ、それすっごい楽しみ。おっきく口あけてガブってやっていいのよね!」


「花を差し出されたら受け取って、『精霊の祝福を』とお返しの花を渡すんです」


「それも楽しみよ。知らない人とでもやるんでしょ? お祭りって感じ!」


「それから、文字が読めても、わからないふりをしてくださいね。お祭りにはいろんな店が出ているんですから」


「はいはい、わかってます! もう、そんなに何度も言わなくても大丈夫よ」


 変装して街へ出ると決まってから、心配症の元乳母・ヴェラは何度も同じことを言う。

 そんなに信用ないのかしら、と口を尖らせたくもなる。


 今日のミリアは、亜麻の膝丈ワンピースに、花の祝祭では定番の、花の刺繍が入った黒地のベスト。腰に素朴な布帯を巻き、髪もゆるく後ろで結ばれ、耳元には小さな真鍮のイヤリング。


 簡素な祝祭衣装一式を身につけると、かわいらしい町娘『アデラ』のできあがりだ。



「——ミリア」


 入ってきたのは、王妃マルセラだった。

 淡い緑のドレスに白銀の細やかな刺繍が揺れ、春の光を受けて聖女のように輝いて見えた。


「お母様!」


 ミリアはぱっと振り返ると、くるりとその場で一回転して見せる。


「どうですか? すっかり街の娘に見えるでしょう?」


「……ええ、よく似合っているわ。とても」


 マルセラはそっと笑みを返した。だが、目元にはほんのり憂いの色がある。


「来週の戴冠式が済めば、このような町歩きはきっとできなくなります。だから、ぞんぶんに楽しんでいらっしゃい。けれど——どうか、けがなどせぬように気をつけるんですよ」


「わかってますってば!何も無茶はしません。……たぶん」


 ミリアが目を伏せると、後ろからヴェラが即座に口を挟んだ。


「アシェラ様が護衛につきます。変装して目立たないように、近くに控えてもらいますから」


「えぇ~……アシェラがついて来るの?」


「ミリア様は方向音痴でしょう? 街の路地は細くて入り組んでいますから、迷子になりますよ」


「それは……なるかも」


「でしょう?」


 渋々うなずいたミリアに、マルセラはほっとしたように目を細めた。


「姫様、ご準備はよろしいですか」


 入ってきたアシェラを見た瞬間、ミリアは噴き出した。


「ぶふっ……っ、あ、ごめんなさい……ぷっ!」


 慌てて口を押さえるが、笑いは止まらない。


 淡い色の亜麻のワンピースに、祝祭で女性が着る黒地に花の刺繍のベスト。

 頭には街娘風のスカーフ。編み上げの靴。

 一応、服自体は間違っていない。


 問題は、それを着ている人物だった。


「どうしてそんなに……立ち姿が近衛なんですか」


「これが普通ですので」


 アシェラは真顔で答えるが、余計におかしい。

 背筋が伸びすぎている。足が肩幅に開いている。

 なぜか“巡回中の兵士”にしか見えない。


 黒いベストが立派すぎる肩幅をさらに強調している。


「その、アシェラ様、肩幅が……」


 ヴェラが小声で言うと、マルセラも困ったように頷いた。


「街娘というより……護衛が仮装してるように見えるわね」


「仮装……」


 ミリアはもう一度アシェラを見て、つい笑ってしまう。


「ごめんなさい、アシェラ。でも……それは目立つと思う」


「……そうですか」


 本人は納得いっていない様子だが、全員の表情を見て状況を察したらしい。


 ヴェラがぽつりと言った。


「いっそ……男装の方がいいかもしれません」


「え?」


「アシェラ様は普段、軍服ですから。常に男装しているようなものですわ」


 マルセラも考え込むように言う。


「確かに、今の格好よりは……馴染むかもしれませんね」


 アシェラは少しだけ首を傾げた。


「そうと決まれば、さあ、急ぎましょう」


 ヴェラはアシェラの腕を引いて、着替えに連れ出した。


 数分後。

 今度は、ラフな男物のシャツに、革のベスト、簡素なズボン姿のアシェラが立っていた。

 髪も軽くまとめ、装飾は一切なし。腰には簡素な剣を下げている。


 一瞬、部屋が静まり返る。


「……」

「……」

「……あの」


 ミリアは口を開きかけて、言葉を失った。


 さっきより、明らかにおかしい。

 いや、おかしくはない。


 ……つまり似合いすぎている。

 街の若者というより、旅の剣士か、絵物語の主人公のようだった。


「さっきの服より動きやすいですね」


 アシェラは満足そうに腕を回す。


「視界も広いですし、剣も――」


「そこじゃないんです」 


 ヴェラが頭を抱えた。

 全身が映るような鏡はないから、アシェラは自分の立ち姿を見ることはできない。

 分からなくても仕方はないが。


「そうではないのよ」


 マルセラもため息をつく。

 ミリアはしばらく黙ってアシェラを見つめてから、苦笑した。


「それもかなり目立つけど……さっきのよりは、マシ、かな」


「そうですか?」


「ええ。離れて歩いてね。でないと、街中の女の子たちに恨まれちゃうわ」


「……」


 アシェラは意味がわからないというふうに首を傾げる。


 隠すつもりが、結局どちらも目立つ。

 ただし方向性だけが違う。


「さあ、それじゃあ行ってらっしゃい二人とも。これを忘れずにね」


 ヴェラは小さな籠を二人に持たせた。

 中には小さな花がいくつも入っている。花の祝祭はこれがなくては始まらない。


 出かけようとした時、窓際の止まり木から「クルルゥ」と不満げな鳴き声が上がった。


「プエラ……ごめんね。今日は連れていけないの」


 ミリアは近付いてその朱色の羽を撫でた。手に頬擦りする姿が愛らしい。


「いい子でお留守番していてね。帰ってきたら遊んであげるから」


「クックルゥ〜」


 やはり不満げなプエラをもう一度撫でて、ミリアは小銭の入った小袋を肩からかけた。


 そして『アデラ』になったミリアは元気よく言った。


「それでは!行ってきます!」




 ミリアが小躍りしながら部屋を出ていったあと、ヴェラがマルセラのそばに寄って、微笑んだ。


「姫様、すっかり浮かれておいででしたね。どうなることやら」


 王妃は室内の一角に目をやる。

 そこには、まるで影そのもののように佇む黒衣の男が一人。


「サイファ。——おねがいね。あの子に気づかれないように」

「は」


 短く、控えめな声が返る。

 足音なく部屋を出る黒衣を見送って、ヴェラがつぶやいた。


「あの二人がついているなら安心して見送れますわ」


「ええ……もう間もなく、あの子も“王太女”として嫌でも自覚するでしょう。今日が、最後の“自由”かもしれないから」 


 マルセラは窓の外を見やりながら、そっと言った。

 やわらかな風に乗って祝祭の太鼓の音が届く。


「……どうか、あの子の記憶に、ひとつでも多くの“幸せな春”が残りますように」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ