↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
18/32

剣を抜く前に、選んだ道

【前回までの人物】

・リオ:塔の光の変化を調べる解呪師。持ち出す記録を分け、自分からも引き返すと伝えると決めた。

・エルナ:剣を握ると右腕が硬直する元騎士。再出発では自分が前を見て、道を選ぶ役を引き受けた。

・ダリオ:二人の相談を支える商人。自分の店で、帰還の知らせを受けることになっている。

 ダリオの店先で鞄を持ち上げた時、リオの肩は、昨日よりわずかに高い所で止まった。

 紙を減らしたからといって、中のことまで軽くなるわけではない。持ち出す写しには場所と日付を入れ、他人から聞いた所は線の引き方も変えた。それでも、閉じた留め具へ、もう一度指を伸ばしたくなる。

「置いてきた図が、走って追いかけてくる?」

 エルナが店の軒から覗いた。灰金の髪の結び目に、朝の風が細い後れ毛を揺らしている。左手の杖も、腰の剣も、前に塔へ向かった時と同じだった。

「来てくれるなら、助かります」

「途中で拾う用事が増えるよ」

 リオは留め具から手を離した。彼女は笑い終えると、鞄ではなく、彼の靴へ目を落とした。

「紐。片方、長い」

 リオは屈んで結び直す。乾いた土が靴底からこぼれた。昨日のうちに道具を揃えても、自分の足まで誰かに確かめてもらうのは、まだ抜けなかった。

 縄の男は、すでに背負い枠を壁から離していた。空の枠に、畳んだ布と、自分の水筒だけを結んでいる。

「今日は、それ以上増やすなよ。俺の枠にもだ」

「はい。門の手前まで、一緒に。荷を引き受けていただく相談は、そこで別にします」

「そこが分かってりゃいい」

 店内から出てきたダリオは、リオの肩を見て、赤茶の眉を上げた。

「昨日の紙屋さんが、ようやくお出かけらしい荷になりましたね」

「紙を減らした分まで、食べ物を詰めそうになりました」

「それは、持ち帰る時にお腹へ入っている分だけ、違いますよ」

 朝食のパンはまだ腹に温かかった。リオは、今日の行き先を書いた控えの置き場所を、店の奥へ目で確かめる。

 ダリオも、その目線を追った。

「戻ったら、私が見えなくても、店の者へ。予定を変える時は、伝えられる所から伝えてください」

 エルナが、男と自分たちを順に見た。

「三人で出ても、戻るのは別になるかもしれない。その分は、書いてある」

「ええ。誰か一人の帰還で、全員お帰りとは数えません」

 男が枠を背負った。リオは彼の肩の縄の端まで見てから、歩き出した。


 町を離れると、荷車の轍に残った水が、空の色を細く映していた。

 前に塔から戻った時には、自分がどこで足を止めたか、あまり覚えていなかった。今日は坂を一つ上るごとに、エルナが振り返る所と、男が枠の紐を引く所が分かる。

 休む場所で鞄を下ろしても、すぐには紙を出さなかった。木の根に靴を掛けない場所を選び、三人が同じ方を向いていないかを見る。

 男が水筒の蓋を閉めながら、リオの手元を指した。

「昨日より、持ってねえみたいな顔してるな」

「鞄があるか、時々確かめています」

「軽いのには、慣れとけ。重くするのは簡単だ」

 エルナは石に腰を下ろし、右腕を腿の上へ乗せていた。剣の柄へは触れない。リオが視線を向けると、彼女は手を動かす代わりに尋ねた。

「塔まで行ったら、また持てるようにするつもり?」

 リオは、鞄の布包みを見た。前に三呼吸だけ緩められた結び目を、もう一度見たい気持ちはある。できたことを、次の出発の保証に数えかけてもいた。

「同じことができるとは、まだ言えません。まず腕の状態と、外から見える経路を見ます。握る試みを、先に決めてはきませんでした」

「よかった。昨日から、そのつもりで歩くのは、嫌だった」

 彼女の声は平らだったが、膝に置いた指が、そこで少し開いた。

 リオはしゃがみ、顔の高さを近づけた。

「今は、張る感じはありますか」

「重い。痛いほどではない。鞘がここを押す」

 彼女は、腿と腕の間を顎で示した。リオは勝手に帯へ触れず、折った布を渡す。エルナが自分で挟み直すと、息の終わりが少し長くなった。

「治ったとは言わないでね。座りやすくなっただけ」

「座りやすくなった、と残します」

「今は、書かなくても覚えてて」

 リオは鞄から手を引いた。男は、そのやり取りへ口を挟まず、自分の靴の泥を枝で落としていた。


 塔の外郭が見えた時、エルナは、まだ道の広い所で足を止めた。

 欠けた石の列。その先で空へ立つ黒い壁。初めて見た時より輪郭を知っていることが、リオを安心させかけた。

 だが、エルナの目は壁の上ではなく、土の色が変わる所を追っていた。

「今日は、先に東の手前まで。前の道へ降りない」

 男が脇へ立ち、枠を傾けずに通せる幅を見る。

「こっちからなら、門を正面に見られる。角を曲がってから荷を下ろす場所は、ねえぞ」

「曲がる前に見る。リオ、私の後ろ。詰めすぎないで」

「ここで、紙は開きません」

「それより、靴の先を見て」

 石の下に、浅い裂け目があった。リオは足を置きかけた場所を変えた。前を見続けることと、目の前の足を忘れることは、違った。

 風が途切れ、石の隙間に溜まった冷気が頬を撫でた。

 東門の手前には、黒い線が走っていた。最初は、濡れた石の境が光を返しているのかと思った。次に細い明かりが門柱を上がり、途中で薄く消えた。

 リオは息を止めた。

 止まったままではない。

 聞いていた報告を、自分の目で見たものへ移せる。鞄の留め具へ伸びた指が、途中で止まった。

 エルナは立ったまま、杖の先を手前の石へ置いていた。その先へ一歩も進めていない。

「見えました。門柱の右。今、下から上へ」

「見えた。次が来るまで、そこで」

 男が背負い枠を下ろした。木の角が石へ触れる音が、狭い場所に思いのほか大きく響く。

 リオは紙を出す代わりに、男の足の位置を見た。三人が戻る時、いちばん大きく場所を取るのは、空でも背中にある枠だった。

 再び光るのを待つ間、誰も門へ近づかなかった。

 今度は門柱の明かりより少し前に、向こうの壁の低い所が白んだ。リオはそこへ目を向け、すぐにエルナへ戻した。

「右奥にも、光がありました。門とは、同時ではありません」

「奥の光が先?」

「そう見えました。次も、同じか見たいです」

「俺は、この幅を見て帰る。長く待っても、枠は細くならねえ」

 男は門を通ったつもりの値段を出さず、帰り道へ体を向けた。広い所で背負い直せるよう、枠は手に持っている。

 リオは、もう一度だけ待ってほしいと言いかけた。奥で光る所を、違う高さから見てくれる目が欲しかった。

 男の目的は、最初からその調査ではない。

「分かりました。ダリオさんへ、僕たちはまだ門の手前にいると伝えていただけますか。戻る見込みを変えた、という意味ではなくて」

「店へは寄る。見た所までだぞ。そのあと二人が何してるかは、知らねえ」

「はい。それだけを」

 エルナも頷き、男が広い道へ戻るまで、足を動かさなかった。

「枠が通らねえ所へ、人の背まで押し込むなよ」

「背負う予定はない」

「予定が変わる時の話だ」

 彼女は、今度はすぐに答えなかった。

「覚えておく。あんたも、空の枠に意地を積まないで」

 男が鼻で笑った。縄の端が、道の曲がり角へ消える。

 二人になった場所で、リオは鞄を胸の前へ移した。荷の幅が減ったから先へ行ける、というわけではなかった。戻る時に助けを呼べる声も、一つ減っている。

 エルナは男の足音が遠ざかるのを聞き、前に退いた道を指した。

「あの下なら、門柱の横が見える。前は、上から来るものを避けて使った」

「今日は、そこへ?」

「まだ。こっちから見て、出口が残っているか確かめる」

 リオが図を出すと、彼女は先に周りを見渡した。地面が平らで、二人が並んでも道を塞がない。その場所を選んでから、杖を自分の足へ寄せる。

 紙の上で、古い退路と、今日立っている所が繋がった。

 新しい光の場所は、まだ線にできない。位置を決めるためには、離れた所からも見たい。それがリオの用だった。

 エルナは、白い欄へ指を置かなかった。目を上げ、実際の壁と、崩れた石の隙間を何度か見比べている。

「前の道の外側を回る。門の正面は通らない。石段の下で、一度止まる」

「そこからなら、光がどの石へ続くか見られそうです」

「それだけじゃない。向こうから出てきたものを、こっちへ引っ張り込まずに済む」

 リオの指が、図の上で止まった。

 呪いの経路を見るための場所と、そこへ何かが来た時に逃げられる場所。その二つは、同じ条件では選べなかった。

「観測しやすいだけの所へ、行こうとしていました」

「見たい場所は言って。私が、それを見られる道を選ぶ。見られない時も、言う」

 灰緑の目が、紙の上でなく、リオを向いた。

「剣を振る役なら、まだ引き受けられない。道を選ぶ役なら、できる。今日は、そっちをやりたい」

「お願いします。腕のことは、そこで待たずに聞きます」

「聞く前に、私も言うよ」

 図を畳むと、風に持ち上がっていた角が、鞄へ静かに収まった。


 低い石段へ着くまでに、一度休んだ。

 エルナの足が止まった時、リオは前へ出ず、戻れる側へ並んだ。彼女は肩を回しかけてやめ、腕を体の近くへ戻す。

「ここ、張る。さっきより」

 左手で右の肘の外側を示す。顔はまだ壁へ向いていた。リオは周囲を見て、腰を下ろせる石の乾いた面を、手の甲で確かめた。

「少し座りましょう。剣は触らずに、腕を支えられますか」

「布を、もう少し厚くして」

 彼が畳み直して渡すと、エルナは膝の上へ敷き、自分で腕を預けた。

 リオは結び目の見える位置を確かめた。歩いた疲れと、呪いの張りを、目だけで分けることはできない。前の成功を急いで再現すれば、今の腕が何を訴えているか、かえって見失う。

「痺れは、指先まで来ていますか」

「そこまではない。ここを離してる方が、楽」

 彼女の指が、鞘の縁から離れる。リオはその位置を覚え、すぐに魔力を流そうとはしなかった。

 石の下を風が通り、湿った苔の匂いが薄くなった。水を一口飲む間、エルナは壁を見ず、足元の小さな草を見ていた。

「前は、止まったら誰かが追いつかれると思ってた」

 リオは水筒の蓋を閉め、返事を待った。

「今も、一度止まると、ここに長く座ってしまいそうで嫌になる。だから、先へ行こうと言いやすい」

「僕は、もう一つだけ見られると思って、立っていたくなります」

「似たように、面倒だね」

「違う理由で、同じ方へ間違えそうです」

 彼女が短く笑った。笑ったあとも、腕の置き場所は変えなかった。

 しばらくして、張りが先ほどの程度へ戻ったと本人が言った。リオは指先の色と、肘を動かす時の顔を見て、先へ行くかを改めて尋ねた。

「石段の下まで。その先は、そこで決める」

「はい。休んだ分を取り戻そうとして、歩きません」

「それ、先に言われるのは悔しい」

 それでも彼女は、リオが布をしまうまで待ってから立った。


 石段の下では、門の横に隠れていた壁の継ぎ目が見えた。

 門柱が薄く光る前に、その継ぎ目の下半分が白くなる。次の時も同じ順だった。どこから力が来るかまでは、まだ言えない。だが、東門だけを眺めていた時には、抜けていた順序があった。

 リオは、開いた紙へ場所と順を書き込んだ。紙の外では、エルナの杖が石に置かれている。書き終えるたびに、彼女の顔と、戻る側の道へ目を移した。

 そこで、乾いた音がした。

 石を引きずるよりも重く、鉄の先で床を叩くより、長く尾を引く音だった。

 エルナが杖を引いた。リオは紙を畳み、鞄の口を閉じる。

「戻りますか」

 声にしてから、奥を見た。裂けた壁の向こうで、黒い突起が、光の下へゆっくり現れる。

 エルナの右肩が小さく上がった。左手は杖から離れない。

「一度、石の陰へ。こっちを見てるか、まだ分からない」

 二人は来た道を数歩戻り、低い壁の内へ身を寄せた。リオは鞄を手前へ置き、自分が彼女の退路を塞いでいないことを確かめた。

 黒い槍のようなものが、白い線の上を横切る。

 エルナの唇から、笑いのない息が漏れた。

「あれを、覚えてる」

 リオは彼女の手を掴まなかった。握れるようになったつもりの剣へ、彼女を押し出すこともしない。

「今日は、どこから見ますか」

 彼女は一度目を閉じ、開いた。槍の先ではなく、その下の足元を見ている。

「ここ。私が、動く方を見る。リオは、壁の光を。離れる時は、二人で離れる」

 リオは頷き、鞄をさらに自分の側へ寄せた。

 抜かれていない剣が、彼女の腰にあった。そのままで、エルナはもう、二人の次の一歩を選んでいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。