其之9 アヤカシの時間
お茶の片づけを終えたわたしは、歯を磨き、布団を敷いて、その日は早々に休むことにした。
そこで、琥狐のために、座布団とか使って寝床の準備をしていたら、
「君ノ傍らデ、適当ニ休ムユエ、気ニスルナ」
と、しおらしく琥狐は遠慮してきた。
だけれど、わたしは気になったから、とりあえず、自分の布団の隣に、座布団を並べて、その上に、着物の着付け用に持っていた予備の新品のサラシを出して、シーツ代わりに敷いた。
琥狐は、そのわたしのしつらえぶりをジッと観察して、ちょっと考えていたけど、ほどなく、ポムッと、お座敷犬くらいの大きさになって、そのサラシ重ね座布団の上で丸まった。
ハツカネズミみたいな大きさのままだと、わたしが寝返りを打った場合に「潰される」と心配したのかもしれない。
三尾の白狐だけど、こんな風に、ころん、と丸くなっていると本当にちっちゃいワンコみたい。やっぱりカワイイ。
「じゃあ、また明日ね。おやすみなさい」
「……。ウム」
そう一言。
挨拶するなり、わたし達は休んだ。
たった1日だけど、なんだか色々あったから、わたしもすっかりクタクタになってしまって。気づいた時には爆睡していた。
だけれど、ふっと、或る時、眼裏にぼんやりと明るいものを感じてしまって。
不意に、わたしは、目を覚ました。
夜明けの光じゃない。
辺りはうっすら真黒く沈み込んでいる。
そんな中、古びた竿縁天井が暗闇にほのかに明るく、ゆらっと目に入る。
(……あ。そっか。そういや、カーテン閉め忘れてたかも。じゃあ、この明るいの、月の光……?)
そして、わたしは「うーん……」と寝ぼけ眼のまま、枕元にいつも置いている懐中時計に手を伸ばした。
この時計は、わたしが女学校の入試に合格して、上京が決まった時に、お兄ちゃん達が出稼ぎ先で貯めたお金を出し合って、入学祝いに、わたしに贈ってくれたものだ。
だって、汽車に乗るにも時刻は大事だし。学校や仕事だって、決まった就業時間で動くのが基本だから。きっと、行く先々で時計はあるだろうけど、そこへ行くまでには、自分で正確な時間を知っておく必要がある。
わたしはしょぼしょぼする目を凝らして、懐中時計の針を見た。
「午前2:13……?」
思いっきり丑三ツ刻だ。
(あれ? じゃあ、この銀の光……何!?)
だって、今宵は半月。
上弦の月は、午前零時には西に沈んでしまう。
この時間帯に、月光が差し込むなんてありはしないのだ。
(まさか……オバケ!?)
途端に縁起が悪い気がして、わたしはトホホとなりながら、「呪われませんように」と心で祈って、ごろんと寝返りを打った。
それも、無意識に、琥狐がいる方に。
たぶん、不吉な事が起こると怖いから、内心、このちっちゃい同居人にすがりたい気持ちがあったのかもしれない。
すると――。
「え」
わたしは目を剥いた。
だって、そこにいたのは――。
さらりと長い白銀髪が印象的な、単衣姿の美青年。
彼は、固く目を閉じ、静かに横たわっていた。
ちょうど、琥狐が丸くなっていた、あの座布団の上に。
そして、窓から差し込んでいる不思議な銀の光は、なんだか歌舞伎の面明かりに似ていた。でも、超常現象みたいだから、さしずめ玉響になるのかしら?
果たして、その頭にはモフモフの三角耳が。その背中の向こう側には、フサフサの太い尻尾が見え隠れしている。
(紫希? ううん。このお耳と尻尾の感じは、瑤子様??)
わたしはドキドキと目を見張る。
(……喉仏は、あるよね? それに、あの鎖骨とか平らな胸の感じは、完全に男の人だわ)
とはいえ、昼間、純喫茶「ともしび亭」に来たのは、黒髪短髪の欧風紳士に化けた紫希で。その時は、狐耳も尻尾も生えていなかった。どこからどう見ても人間だったのだ。
だけれど、今、わたしの目の前で眠っているのは、髪も肌も何もかも真白で、透き通るように美しい和の雅やかな貴人、って感じ。
モフモフの狐耳とフサフサの尻尾も違和感ないどころか神秘的で、妖狐というよりは狐精という表現の方が合っている。
ハイカラが持て囃される世だから、大概の女の子なら、昼間見たあの変化の姿の方が素敵だって思うに違いない。
でも、わたしは、どっちかっていうと、こっちの紫希の方が素敵というか……。
何て言うの? 綺麗? 色っぽい?? とにかくソワソワする。
(わっ。よく見ると、睫毛も濃くて長いっ。髪も平安時代の姫君並みに長いから、男性だけど、本当に中性的な美人っていうか……)
思わず見惚れつつも、わたしの中で、ムクムクと或るやましい心が――。
紫希は完全にすやすやと静かな寝息を立てて眠っている。
だけど、そのモフモフ狐耳は、寝ている猫みたいにピクピク動いていた。
その動きも小動物みたいでなんかカワイイ。
身体はこんなに立派な大人の男の人なのに。
(やっぱり、あのお耳、気持ち良さそう……! ちょこっとだけ。触ってみたい!!)
わたしはゴクリと息を呑んで、そろっと紫希の狐耳に手を伸ばした。
しかし。
ガシッ!
頓に、わたしの手首が、骨ばった大きな手につかまれた。
しかも、長い鉤爪が生えてるから、若干、わたしの手首の皮膚に、鋭い爪の先がチリと刺さっている。
(あらら?)
「……君は何をしているのかな?」
紫希はニッコリ微笑むけれど。
その雰囲気は明らかに怒っていた。
よく見ると、その口内には、ギラリと光る牙が。
わたしは、「ヒッ!」と短い悲鳴を上げて、腰が引ける。
「ごっ……ごごごごごごめんなさいっ! ただの出来心ですぅ~っ!!」
「まったく……。これだから、人間というのは――」
半泣きになるわたしに、ケッと言わんばかりに、紫希は呆れながら半眼になっていた。
「そ、それより! どうして、人型に戻ってるのっ!?」
「む? それは、もちろん、或る程度、霊力が回復したゆえ。一時的な形留めをおこない、これ以上、【格】が下がらぬようにだな――」
「一時的? 形留め??」
「ああ」
「形あるものは、それをもって、その存在をこの世に刻み込む力が強い。ゆえに、いくら燃費が良いからといって、そちらに頼りすぎると、それが定着してしまう。よって、しばし霊力の解放をおこない、【この姿】を心身に記憶させねばならない。なれど、消費が供給を上回りすぎると、また消滅の恐れがあるので、頃合いを見て、再度、制限せねばならない、――と」
なんかフクザツだけど。
同じ松の木でも、地植えと鉢植えで、大樹に育つか、盆栽になるか、って違いかしら?
考え込むわたしを捨て置き、紫希は、フンと少し口を尖らせる感じに言う。
「ゆえに、如何ともしがたき事だが。日が昇る頃には、どうせ、また、あの小さき妖狐に戻っているだろう」
「琥狐の姿に――」
わたしは、ちょっとホッとした。
だって、これから一緒に暮らす以上、傍目にいかがわしい関係だと誤解される見た目は、困るもの。
「でも、なんで、回復したんですか?」
「さあて。上弦の月影を受けて、君と羊羹を分かち合ったからかな」
「はい? 月の光はともかくとして。ヨウカン??」
「我等が稲荷神には、古来からの御神々が数柱習合していてな。その古き御神の中には、その御身から五穀をお生みなさった御方がいらっしゃる。その五穀に含まれているのが、小豆、という訳だ」
「そうなんですかっ!?」
「ああ。加えて、小豆の赤き色は魔を退ける。かの豆は、【陽】に属するものゆえ」
紫希はフフンと笑う。
まさか、羊羹に(というか小豆に)そんな由縁があるとは思わなかった。
「じゃあ、もっと小豆とか五穀を食べて、月光を浴びれば、元気に?」
「それしきで何とかなるなら、君を依坐にしようとは思わない」
「なんだ……」
わたしは、若干、残念な顔をした。
いえ。依坐が決して嫌という訳ではないんだけれど。
責任重大だし。あんまり長く居つかれても、途方に暮れちゃうから。
「他に元気になる方法はないんですか?」
「あるには、あるが。それは――」
「わたしに出来ることですか??」
「まあ……」
「えっ。ホントッ?」
「……」
紫希は言葉を濁した。
なんで、そこでためらうの? ――と。
わたしは、むしろ、モヤモヤして苛立ってしまう。
「それなら早く言って下さいよっ。回復さえすれば、あなた、こんな場所にとどまらなくてすむのに。というか、その方が、わたしも助かります!」
「助かる……? 後悔すると思うが」
「しません、しませんっ! だって、わたし、野良育ちですもん。或る程度の大変な仕事だって、せっせと片づけられる忍耐ぐらいはありますって」
「……忍耐」
紫希は、わたしの顔をじっくりと見て、考え込んでいたけれど。
わたしが一向に退かないので、すうと息を吸い込み、覚悟を決めたみたいだった。
「しからば」
不意に、紫希の大きな体がわたしに覆い被さって、
ちゅっ
――と。わたしの唇に、突如、生柔らかい感触が走った。
(え)
たちまち、わたしは、目が点となる。
衝撃のあまり、わたしは全身がピキンと硬直した。
<執筆後記>
いやはや。
このエピソードも本日分で決着つけたかったのですが。
内容的に雰囲気を盛り上げる情景描写も必要だな、と。
いろいろ書いているうちに長くなってしまいました。
という訳で、この顛末は持ち越しです。
次回は「そこに、愛はあるんか?(by アイ〇ル)」な感じでwww
乞うご期待!




