其之8 月夜のお茶会
<ご挨拶>
初めての方も、いつもの方も、ありがとうございます。
千葉につづき、北陸地方でも集中豪雨とは。
被災した皆様には、心よりお見舞い申し上げます。
1日でもお早いご復興をお祈り申し上げます。
その一方で、あちらは数日前まで渇水危機で、この大雨でダムの貯水率が少し回復したご様子で。果たして、良かったのやら悪かったのやら……。
(まったく『禍福は糾える縄の如し』ですね)
そして、西日本でもまた、記録的少雨で、渇水危機の地域がちらほら出てきているという状態です。
降らなくてよいところに降りすぎる集中豪雨、
降ってほしいところには降らない少雨、――と。
天候はままならないものとはいえ、今年は、どうにもおかしな災害ばかりに見舞われて気が滅入りますね。これだけ立て続けに各地であれこれ起こると、もう、本当、「お互い頑張りましょう」と申し上げるしかございません。
私のようなものにはさして大きなことはできませんが、そんな気疲れする毎日に、「ほんの少しでもほっこりしていただけたらな」と、この作品を書いております。
お風呂を出たわたしは、入浴道具一式を入れた湯籠に琥狐を隠し、女中部屋のトミさんの所へ声掛けに行く。
湯上りの浴衣だと、衿元に懐紙入れを挟むのも変だし。
琥狐も「ちょっとの間なら別にいい」って言ってくれたから。
母屋は、半物置化している離れと違って、上水道だけでなく、ガスも電気も通ってるから、見るからに近代的で、廊下も室内も明るい。
わたしは、実家が田舎だから、前時代的な暮らしも慣れてるんだけど。
こういうの見ると、ちょっと羨ましい。
「とっても良いお湯でした」
わたしがぺこりと頭を下げると、トミさんも、
「ああ。そうかい。じゃ、私もお風呂いただいて来ようかね」
と、にこやかに頷いた。
わたしも「はい」と破顔する。
そのまま、「おやすみなさい」と一言、わたし達は女中部屋を出た。
けれど、母屋の勝手口を開け閉めする時は、なるべく大きな物音を立てないように気をつける。千代子さん達は就寝時間が早いし、あんまりうるさくするとご迷惑になるから。
しかしながら、暗くなった外では、青々とした草叢から虫の声が聴こえていた。まあ、庭先の小さい池から聞こえてくるカエルの大合唱の方が耳についたけど。
それでも、湯上りで特に夜風が心地よいので、すこぶる気分が良かった。
こんな夜は、ついつい、そぞろ歩きしたくなってしまうものの。
母屋から離れまでの距離は、3分もかからないから、これは完全に散歩じゃなくて、ただの夕涼みだ。
「あら。綺麗な弓張月」
紺青の空には、半月が皓々と輝き、既にやや西に傾きつつあった。
琥狐は、湯籠から、ぴょこ、と小さな頭を出す。
畳んだ手ぬぐいを湯籠の蓋替わりにしていたから、たぶん、周囲には気取られないと思うけど。
「……フム。上弦カ。コレヨリ月ガ満チテユクノデ、コレハ【吸収】ノ力ガ高マル兆シ。禊ノ直後ニ、コノ月明かりヲ浴ビル事ハ、実ニ縁起ガ良イ」
なんて、少し難しげなことをつぶやいて、琥狐は鼻をヒクヒクさせていた。
ちょうど近くに待宵草も咲いていたからかしら。
わたしは「ふふ」と目を細ませる。
だって、ちっちゃい動物のこういう姿って問答無用に可愛いんだもの。
油断しちゃうよね。
「そうだ。今日ね。常連さんが千代子さん達にご挨拶で羊羹をくださったんですけど。それ、お仕事終わりに、わたしにもお裾分けしてくださったんです。この後、一緒に戴きましょうか?」
「ヨウカン?」
「そう! それも、あの赤坂の老舗、獅子屋さんのですよ。すごいでしょう!?」
「アア。ヨク手土産ニ重宝サレテイル、アノ菓子カ」
「知ってるんですか?」
「我ガ御社ノ参拝者ガ、『奉納』ノ札ヲ付ケテ、タマニ持ッテキテイタ。我ガ御社ニ、人間ノ宮司ハイナイノデ、他所ノ御社カラ兼務者ガ来ル時ニ、ソノ者ニ渡スカ、4半刻供エタ後、奉納者ガ己デ持ッテ帰ッテイタガ」
「へえ。じゃあ、あなたは、まだ、召し上がったことないんですか?」
「マア……」
琥狐は淡々と返事をする。元々、人間の食べ物にあまり興味はなさそうだけど。
ただ、わたしは、あの有名な羊羹を食べるのは初めてだし、ワクワクしてるから、琥狐も初めてなら、一緒に盛り上がって欲しい感じがする。
「よし! じゃあ、とっておきのお茶入れましょうっ。ガスじゃなくて、火鉢で沸かすので、ちょっと時間かかっちゃいますが……」
「私ハ、茶ハ飲マナイ。白湯カ、清水サエアレバ良イ」
あまりにつれない琥狐に、嬉々として言ったわたしは、一瞬で撃沈された。
おキツネ様に人間と同じ反応を期待する方が馬鹿だったかもしれない。
ともあれ、部屋に戻ったわたしは、火鉢に水を入れた鉄瓶を掛け、その間に、入浴道具の片付けやら、洗濯物の仕分けやらをする。
今日はもう夜だから、洗濯は日が昇ってから。早朝、洗濯板とタライでちゃちゃっと洗って、庭先に干してから、登校なり出勤なりするのが日課だ。
すると、火鉢で炭がちりちりと燃え始めた辺りで、琥狐が、ちょい、と鉄瓶をつついた。
「ああっ。何やってるんですかっ。火傷しちゃうっ」
慌てて、わたしが火鉢から琥狐を引き離そうとすると、たちまち、ゴッと炎が燃え上がる幻みたいなのが見えて、炭は赤々と、数秒で鉄瓶がコォォと静かな音を立てて湯気を噴く。
「沸イタゾ」
「え」
わたしは困惑する。
(たぶん、琥狐が狐火で急速加熱して沸騰させた? でも、鉄器って強火はダメよね。破損しちゃうから。それなのに、まったく影響なく、お湯だけ沸かすって。いったい、どういう仕組み??)
まったく訳が分からなかったけど、片付けももう終わるところだったから、
「あ……アリガトウゴザイマス」
と、わたしもぎこちなく会釈した。
そうして、わたしは、さっとお茶の用意をして、竹ナイフで羊羹を切る。
わたしと琥狐の分、1切れずつ切ろうとすると、琥狐は、
「君ノ分ダケ切ルトイイ」
と、断ってきた。
これにわたしも、少し迷ってしまって。「いらないのを無理に出すのも良くないかな」って、ひとまず1切れ、わたしの分、素朴な菓子皿に入れ、竹フォークを添えた。
わたしは湯呑み、琥狐は盃で。
それぞれ、煎茶と白湯を注いで、「いただきます」と一言。
湯上りのお茶の時間の始まりだ。
琥狐がぴちゃぴちゃと猫みたいに器用に白湯を飲み始めると、わたしも、ワクワクしながら、羊羹を竹フォークでサイコロくらいに切って、ぱく、と1口食べた。
「わっ。すごい! 上品でしっとりした甘さ。舌触りもなめらか!! スッと溶けるみたい」
わたしが、「ふぉぉ」と感激して目を潤ませていると、琥狐がピクンッと大きな三角耳を動かし、ちろっとわたしの顔を見た。キツネらしい大きな杏仁眼をぱちくりさせる。
「……。ソレハ、ソンナニ美味ナノカ?」
「それはもう! 程よく後引く甘さが、あったかいお茶をいただいた時に、その渋みとうまく響き合う感じで」
「……」
琥狐は少し考えた後、トトトッとわたしの方へ来て、わたしの傍で「おすわり」した。その小さい手で、ちょんと「お手」するみたいにわたしの膝を触る。そのまま、じいっと、わたしを見上げてくる。
なんだか、ものすごく、もの欲しそうな顔。
(も、もしかして、食べたいのかな……?)
ドキドキして、わたしも、そろっと、サイコロよりやや小さめに羊羹を切る。
キツネだけど、今はハツカネズミくらいの体長だから、この大きさでもちゃんと食べられるか分からないけど。
「ど……どうぞ……」
おそるおそる、わたしが竹フォークに刺した羊羹を差し出すと、琥狐は、ぱく、と食べた。キツネだから、人間よりも長い口顎がもっちゃもっちゃ横に動いている。なんか可愛い。
まもなく、ゴックンと飲み込み、途端に、その杏仁眼はきらりんっと輝いた。そのうえ、あの天狗の団扇みたいだった三又のフサフサの尻尾を、犬みたいにパタパタさせた。
どうやら、すごく美味しかったみたい。
なので、結局、わたしと琥狐は、1切れの羊羹を半分コした。
というより、「あなたの分も切ろうか?」って、一応、訊いたんだけど。
琥狐は、キツネだから、あんまり、そんなバクバク甘いもの食べちゃダメなんだ、って。わたしと半分コで丁度良い、って遠慮した。
そして、わたしは、やっぱり、このヒトがまだよく分からない。
キツネとして見るべきなのか、人間として見るべきなのか。
ただ、こんな風に、同じオヤツを分けッコできる相手は久しぶりだ。
わたしの実家は、まあまあの大家族な割には、あばら家みたいな小さい家で。
なんでも皆で平等に分け合うのが当たり前で。
家の仕事も、食事も、部屋も。
わたしは、自分だけの部屋なんてなかったから、就寝時も妹達と雑魚寝だったし。すぐ隣の部屋では、夜遅くまで、お兄ちゃん達、弟達が騒いでいたりと、賑やかすぎるくらいの家だった。
そんなだけに、上京してからの環境の落差が、本当に大きかったというか。
だから、最初こそは、自分の部屋で1人きりなのが、「誰にも邪魔されずのびのびできる」「静かで落ち着ける」って喜んでいたんだけど。
それが、だんだんと、寂しく思えてくることすらあったのが否めなくて。
もちろん、千代子さん達は良い人達だし、親身に接してくれるから、わたしにとって、皆さんは、この東京での家族みたいなものだ。
だけど、あくまでも、それは、家族みたいなもので。
やっぱり「家主さんと居候」である以上、そこには、なんとなく超えられない心の壁みたいなものがあって。
でも、この琥狐は――。
わたしにとって、きっと、初めての同居人――つまりは、準家族だ。
まあ、正確には、人間じゃないし。アヤカシだし。
たぶん、御社が直って、神格復帰するまでの間だけだし。
当然、ずっと一緒、って訳でもないけど。
悪い気はしない。
もしかしたら、こういう生活も、これはこれで面白いのかもしれない。
<執筆後記>
なんだか「古き良き日本」のスローライフっぽくなってしまいました。
そして、東京で羊羹といえば、やはり「あのお店」ということで。
朝ドラなどでは、実在のお店は1文字替えしたり、音の響きを合わせる傾向にあるようだと思ったのですが。あのお名前でそれは難しいかな、と。
そのような訳で、本作では「獅子」屋さんとさせていただきました。
(○○に対して、言い換えるならライオンだろうと)
さてさて。
箸休めなほっこり回の次は、少女漫画なちょいラブ(?)回です。
次回は、あの2人が急接近(!?)となりますので。
乞うご期待!




