其之4 君の名は ~この漢字で大丈夫?
(どうしよう……。なんか緊張する)
わたしはドキドキする胸を押さえて、気を落ち着かせようと深呼吸する。
そして、ふと、思い出した。
「あ。そうだ。漢字」
「――うん?」
首を傾げるヨーコ様(?)をよそに、わたしは、更紙を紐綴りにした備忘録と鉛筆とをエプロンのポケットから出した。
これは、お客さんの注文の書き取りに使うこともあれば、その他、仕事における所用などを一時的に書き留めるためにも使っている。紐綴りだから、きれいに外せないことはないけれど、それだと時間がかかるから、1枚だけ要る時は、大抵、引き千切っている。
わたしは、「蓉子」と「瑤子」の文字を書いて、ヨーコ様(?)に見せた。
「あの時のお姿から、この字が思い浮かんだんです。それで。もし、名字も必要なら、『狐神』が良いんじゃないかと」
「悪くないね。だが、姓の方。人間には問題ないかもしれないが、現在の私に、コレは使えない。あちらから大目玉を食らってしまうから」
悲しそうに笑みながら、ヨーコ様(?)は、トンッと、「神」の字の下辺りを人差し指で小突いた。わたしも少し眉根を寄せる。
「あちら……?」
神格を剥奪されたから? それって、大御神様とかかしら??
わたしは問いたくなったけれど、ヨーコ様(?)は、素知らぬ顔に戻って、更紙を巻いた油揚げサンドにぱくついた。
「うん。旨い!」
途端に上機嫌になる。
やっぱり、キツネだから油揚げが好きみたい。
そして、わたしに「貸して」と、鉛筆と、先に見せた備忘録の1片を求める。そのまま、「瑤子」の文字を丸で囲んだ後、さらさらと達筆に書いた。
「せめて、こちらにしてくれたまえ。『狐上』なら、普通のキツネよりは上位になるし。間違いではない。これなら、あちらも目くじら立てないだろう」
「はあ。なるほど」
きょとんとしながらも、私は突き返された記入紙を見下ろす。
そんなわたしを見つめながら、ヨーコ様(?)はフフッと口端を釣り上げた。
「――それと。【この姿】にソレは似合わないから。名前の方、もう一考してくれないかい?」
「え」
「私も色々あるからね。通り名は多い方が良い」
「そんなこと、急に言われても……」
「おやおや。またかね? 君も懲りないな」
呆れ顔をする男ヨーコ様は、それでも麗しい表情だった。
わたしも赤面しつつもむくれながら、「狐上」のさらに下に「陽耕」と書いた。そのまま、それをもう一度、男ヨーコ様に手渡す。
「こちらで如何でしょう?」
「ああ。これも悪くない!」
男ヨーコ様は、「陽耕」の字に花丸をくれた後、さらに含みある笑みで言った。
「けれど、私は、やっぱり、もう1つ、響きの異なる特別な【名前】が欲しいな。私が決めたのでない。私の新しい呼称。君なら、私に何と付ける?」
「何と、って……」
わたしはじっと考えた。
稲荷神は豊穣神。
それをそのまま名付けるなら、「豊」や「稔」だけど。おキツネ様には、なんだか普通すぎて。そんなので良いのかしら? なんて、どうにもしっくりこなくて。
じゃあ、豊穣に関する別の単語から取ればいいかしら? と思ったところ――。
「……四季」
つい、ぽろっと、わたしはつぶやいた。
それに男ヨーコ様の目がきらめく。
「シキ?」
「あ。えっと。豊穣のためには、どんな作物にも季節の移り変わりが欠かせないから。でも、今のは名前として申し上げた訳でなく――」
わたしは慌てて、両手を横に振って、否定したんだけれど。
「いや。それでいこう」
男ヨーコ様は満足そうに微笑んだ。
「けれど、流石に【四季】では芸がない。他に良い漢字は無いかな?」
「ええっ? ほ、他の漢字……??」
言われ、まごついたわたしは、とっさに、文学の授業で出てきた、著名な亡き明治の俳人の名前を思い出した。
とはいえ、かの俳人は、喀血を患っていて、そんな自分を憂えて、「血を吐いて鳴く」と云われるホトトギスに自らを重ね合わせ、俳名に、その異名「子規」と名付けた、と――。
(いくら何でも、おキツネ様に、鳥の異名や、実在の著名人のお名前はまずいわ。それに、一応、元神様のご眷属だから……)
わたしは必死に考えて、どうにかこうにか漢字を捻りだした。
それを忘れないうちに、サッと備忘録に書く。
「紫希」
男ヨーコ様は意外そうに目を丸くした。
「どうして、この字を?」
「はい。『紫』は高貴な御方しか使えないとされた時代もありますし。徳の高さを表す色です。それに『ゆかり』とも読めて、『所縁』に転じる。『希』は、『まれ』で『願う』の意。お稲荷様は、人と人との御縁を繋ぎ、その願いを聞き届け、皆を豊かに導く御社です。現在はご神格がなかろうと、あなたは、これまでそういう尊いことをされてきた。いつか、本来在るべき御姿へ戻れる日を夢見て、この名をお使いなさってもよろしいか、と」
男ヨーコ様は、クククと漏れる笑い声を抑えるように面を押さえた後、目頭が熱くなったみたいに打ち震えた。
「最高だ! やはり、君は私の見立て通りだ!!」
男ヨーコ様は破顔して熱心に言った。
「では、私は、これより『狐上紫希』と名乗ることにしよう。無論、最初の案も素晴らしかったから、女性型の時は、『狐上瑤子』ということで。いずれ、また君を訪ねた時には、そのように対応してくれたまえ」
「え」
突然、「いずれ」なんて別れの挨拶みたいになったから、わたしも目をぱちくりさせたのだけれど。よく見ると、紫希はいつの間にか油揚げサンドも麦茶もすっかり平らげていた。
「もう、お帰りに?」
「ああ。本当は君のためにココに来たという訳でもないから」
飄々と断言されてしまうと、それはそれで哀しい。
紫希はわたしの頬にそっと触れると、複雑な顔つきで告げた。
「まさか、私達の居場所を壊した不埒な男が、君に絡んでいるとは思わなかったからね」
「――はい?」
わたしは戸惑った。
それを察して、紫希も眉をハの字に、スッと手を引く。
「私達から【かけがえのないもの】を奪ったあの下衆が、無垢な君にも収奪を仕掛けているのに、心底、腹が立ってしまった」
(それじゃあ、あの御社……、壊したのって豪太?)
そういえば、酉田屋は、「物凄く羽振りが良かったのが一時は破産しかかった事がある」って噂を聞いたことがある。それで、ふがいない父親に代わって跡取り息子の豪太が短期間で立て直し、その倍以上儲けられるようになった、って。
だからこそ、あのバンカラ男は、図に乗って傲慢になっている、とも言えるんだけど。
(でも、あのチャランポランで強欲な人が、そんな商才あるようにも見えない……)
わたしが沈鬱な顔で黙り込んでいると、紫希も1つ溜息をついた後、言った。
「――そう。あの男は、自力で実家を立て直した訳じゃないんだ」
「は!?」
紫希に心を読まれたのかと思って、わたしはドキリとした。
「あの……」
「君の顔に書いている。稲荷神が、酉田屋の祈願を無視して大損したはずなのに、なぜ、あの家は、未だ栄えていられるのだ、と」
「――!!」
「簡単なことだよ。あの男は、父親に従い、稲荷神の御宮を壊した際、見つけてしまったんだ。その神力の根源を」
「チカラのミナモト……」
わたしが困惑した顔で復唱すると、紫希は、怒りを秘めつつも哀愁に満ちた瞳で頷いた。
「あの男は、破壊の混乱に乗じて、ソレを持ち出した。密かに我が物としたんだ。だから、あの家は、神罰を受けてもおかしくないところ、それに逆らい、むしろ繁栄している」
「そんな……!」
「私は、ずっと捜していた。あの男は、アレをどこへ隠したのか、――と。神格を失った神使は、今は、ただの妖狐と変わらないから。かつて視えていたものが視えなくて。これほど時間が掛かってしまった」
悔しそうに漏らすと、紫希は、案じるわたしの目を見て、ぎこちない笑みで告げた。
「なに。いずれ、何とかするさ。今日は君に会えて良かった。それじゃあ」
「えっ……」
さっと席を立った紫希は、わたしに軽く会釈した後、千代子さんや店員の皆さんにも、
「ご馳走様でした。実に美味だった。あなた方のご誠意とご厚意に感謝します」
と、御礼を言って、一礼した後、速やかにお店の外へと出て行った。
これに居ても立ってもいられなくなったわたしは、千代子さんらに「ごめんなさい」と一言謝ってから、必死に紫希の後を追いかけた。
<執筆後記>
いやあ、「名付け」って大変ですよね。
普通に人名を考えるのもそうですが、こんな創作をやっていると、物の名前とか地名とか、アクション系なら技名なんてものまで出てきたりするので、なかなかどうして、これが結構悩むところ……。
和風な世界観だと、最悪、「漢字を並べれば何とかなる!?」って、力業な時もありますが。
そして、動いてないようで動いている本作のストーリー・ライン。
次回も、こんな風に少し説明回っぽくなりそうで、申し訳ないです……。
ただ、まあ、下準備もなしに一気に飛んでしまうと「わけわかめ*」になりかねませんからねェ。
(*たぶん、昭和のスラング? 平成なら『イミフ』。早い話が『意味不明』ですね。この言葉、学校の先生が使っていたことがあって。古いんですけど、なんか響きがカワイイので結構好きです)




