其之30 おキツネ様のお願い
動揺を隠せず怖気づくわたしをよそに、瑤子様は、ちょいっと、わたしの竹網代お弁当箱を覗き、
「あらヤダ。ぱっと見、茶色いから期待したのに。稲荷寿司じゃないのね。麦飯にぎりに沢庵だけだなんて。女学生なのに華がないわねえ。海苔も巻いてないし。せめて、厚焼き玉子か、きんぴらごぼうくらい、お付けなさいよ。栄養が偏るわよ」
と、半眼で頬杖を突きながら口を尖らせる。
わたしは唖然として、口をぱくぱくさせた。
「きんぴらもですけど。卵なんて贅沢ですよっ。それだと、お出汁が必要だし、みりんもお醤油も要る上、まあまあ、お砂糖も使っちゃうしっ。わたし、これから、月50銭、蘇芳屋さんに支払わないといけないんですからっ」
「……砂糖? あら、アナタ。玉子焼きは甘い派なの??」
「いけませんかっ。だって、ほんのり甘い玉子焼きって、一口食べただけで、すっごく幸せに――」
「そんなの、塩だけでいいじゃない。どうせ、ごはんのおかずなんだから」
瑤子様はムスッとした顔で言う。
とはいえ、わたしも、ここは譲れない、というか。
「瑤子様は玉子焼きなんて、そもそも食べないでしょ? なのに、なんで、お塩って――」
「私の知っている人達はそうだったのよ」
「でも、御社は東京にありますよね?」
「東京に住んでいるからって、東京生まれとは限らないでしょ。紗江だって」
これに、わたしは「うっ」と口ごもってしまった。
というか、塩の玉子焼きの方が見慣れてる、って。
まさか、このおキツネ様、西の生まれなの?
「な、何しに出てきたんですか?」
「……。物見遊山?」
あっけらかんと答える瑤子様に、わたしも頭を抱える。
このヒトにまともな答えを期待した、わたしが馬鹿だったわ。
そう思って、ぐび、と竹水筒のお茶を一口飲んだ。
すると、ふと、瑤子様と目が合って、わたしを見るなり「ふふっ」と綺麗な顔で無邪気に目を細めてくる。女性なのに、なんか惹かれる微笑。その蠱惑的な様に、思わず、ドキンとしちゃった。
わたしは、慌てて、サッと横を向く。
かたや、瑤子様は、さっと冷静になり。
「それはそうと。あなたに1つお願いがあって。忘れないうちに言っておこうと思ったのよ」
「え。お、お願い……?」
わたしが首を傾げると、瑤子様はこくりと頷く。
「明日の満月の晩のことなんだけど」
「は、はあ」
「あの【銀の筒】……。あれもきちんと月の光を浴びるようにして欲しいの」
「え」
「まあ、そのままでも良いんだけれど。できれば、木のお皿か貝殻みたいなものに、水晶のさざれ石を広げて、その上に置いてくれた方が好ましいわね」
「さざれ石なんて。そんな急に言われても――」
「あら。蘇芳屋にはあったわよ」
「ええっ!? それなら、昨日、教えておいてくださいよっ」
「私も今朝気づいたのよ。そういえば、明日は満月だったわ、って」
「えー……?」
これには、わたしもガクンと肩を落とした。
そりゃ、人間だって物忘れはするけれど。
元神様の御使いなら、それぐらい、しっかり覚えててよ、っていうか。
そうはいっても、こう面と向かって頼まれたら、「無理です」とも言えず。
「わ……わかりました」
「本当っ? やっぱり、紗江って善い子ねっ!」
瑤子様は嬉しそうに破顔するや、わたしをむぎゅっと抱き締めた。
「ひゃっ」
わたしが怯んでいると、そのまま、
「ああ。なんて可愛らしいの。私の小ウサギちゃん!」
と、むちゅ、とわたしの唇に接吻する。
「!」
わたしは思わず、ギシッと硬直してしまった。
だけど、女学生な瑤子様の見た目に、昨夜の艶めかしい浴衣姿の紫希の姿が重なって。その仕種にまるっと悩殺されて、ついつい熱烈に応えてしまった。
「……ふ」
ちゅ、ちゅ、と。魅惑的な色っぽい水音が響いてくると、だんだん煽られてくる感じになってきて。赤い金魚が水面を跳ねるみたいに、わたし達の舌は淫らにせめぎ合っていた。
ますます接吻が巧くなる「このヒト」に、わたしは骨抜きになってしまう。
(あ。ダメだ。わたし、もう、オトコとかオンナとか関係なく、このヒトが好きなんだわ)
ぷは、と粘る糸唾で唇の表を濡らして、わたしは、ほう、と長息をつく。
赤面しながら、その心身はぶるりと震え。胸のドキドキが止まらない。
姿は瑤子様だったのに、あまりの心地よさに天にも昇る思いだった。
すっかり顔も体も火照ってしまって、もう一度、乞うてしまいそうになるのがコワイ。
「……ヒドい。学校でまでスるなんて。わたし、この後も授業あるのに。これじゃ、ずっと気分がフワフワ、おかしくなっちゃうじゃないですか!」
「それは、【私】のことが恋しくてたまらない、というコトかしら?」
「……ッ」
「人間って、なんだか面白いわね」
瑤子様はクスと悪戯っぽく口端を吊り上げると、そのまま、フッと消えてしまった。いえ。ずっとそこに居られても困るんだけど。
しかして、そのあまりのアッサリな立ち去り方に、わたしは、切なくなって、たまらず、自分の唇に触れる。さっきまでソコにあった「あのヒト」の感覚を確かめたかったのかもしれない。また、もう片方の手で、着物の下に忍ばせている、水晶と月長石付きメモリアル・ペンダントを押さえた。
その【銀の筒】は、ほんの少しだけ、まだ熱を持っている風で。
それもやがて、ナリを潜め、元の冷たい硬い金属の様相に戻る。
どうやら、完全に籠っちゃったみたい。
(……バカ)
果たして、あのおキツネ様は、あんな小さな筒の中で、ただ静かに息を潜めているのか、すっかり微睡んでいるのか。想像してみたけれど、全然わからない。
ほどなくして、同級生の女の子達が、食後のお散歩の帰りなのか、この藤棚をゆるゆる通りがかった。
「あら? 神谷さん。こんなところでお昼を摂っていらしたの」
わたしはハッとして、わたわた、何事もなかったかのように姿勢を正した。
それに、同級生らは、ひょいと、わたしの竹網代お弁当箱を覗く。
「まだ全然残っているじゃない」
「もうすぐ、お昼終わってしまうわよ」
同級生らは心配するというよりは、完全にわたしのことを訝っている。
「あっ。ええ。そ、そうよねっ。なんだか今日は食欲が無くって。残りは、このまま持って帰って、お家で食べようかしらっ?」
なんて、わたしはごまかして、急いで、お弁当箱の蓋を閉じ、風呂敷でくるんだ。
「とりあえず、わたし、お先に戻るわね。お時間、教えてくれてありがとう!」
その言葉に同級生らはきょとんとしていた。
だから、だいぶ不自然に思われたかもだけど。
それでも、学内での、あの「禁断の遊び」の余韻は凄まじくて。
余裕を失くした、わたしは、バタバタと走って、脱兎の如く自分の教室へ戻っていった。
<執筆後記>
いやはや、今回は絵ヅラ的に百合モードになってしまいましたね。
紗江は完全に沼り始めているものの、おキツネ様の方はいまいち行動が読めない。いったいどうなるんでしょうか。
ちなみに、近年、健康食として人気のもち麦などは、品種改良や精白技術の進歩で、結構、白米と遜色ないように見えますが。この時代で、白米節約のために麦でカサ増ししている状態だと、やっぱり茶色っぽいよなぁ、ということで。
さてさて。次回はお買い物編です。
あのご令嬢とヤンデレ社長も再登場します。




