其之11 御守りと女学生
朝、目が覚めてみると、サラシ重ね座布団の上には、お座敷犬くらいの大きさの、三尾の白狐が丸くなって眠っていた。
紫希でもなく、瑤子様でもなく、琥狐の姿に戻ったのだ。
わたしはホッとして、ひとまず布団を片付け、洗濯とお庭掃除を先に済ませる。
洗濯は自分のだけだけど、お庭掃除は全体だ。
下宿代がわりにやっている家事仕事のうちの1つというか。
朝食は、その家庭の味というか流儀があるので、千代子さんと女中のトミさんが作ってくれて、わたしもこの家の一員として、母屋で道重家の皆さんと一緒に戴いている。その片付け役がわたしという感じで。
なので、わたしは、それまでには、その他雑事や登校の準備までを終えておくのが日課だ。
井戸から汲んできた清水で顔を洗い、薄化粧をしようと立て掛けた手鏡を覗いたところ、胸の真ん中あたりに変な痣みたいなものが見えた。
不思議に思って、浴衣の前身頃をはだけて目視しようとしても何もない。
でも、手鏡を覗くと、確かにそこに映っている。
「……どういうこと?」
よく分からないけど、「鏡じゃないと視えないんだわ」と考えて、鏡の位置をずらしてみると、どうやら、胸の谷間、心臓付近に【稲荷玉】の紋章が、焼き印されたみたいになっていた。
「ナニコレ!?」
「ソレハ、我等ガ縁ノ徴」
矢庭に、琥狐が口をはさんだので、わたしも「!」と血相を変えて振り返った。
しかし、琥狐はまったく動じることなく、すらすら語る。
「膻中ハ、八会穴ノ1つ、気会。氣ノ巡りガ一所ニ還リ、交ワリ、再ビ、広ガリユク拠点。心身トモ結ビツキガ強イ。私ノ依坐デアル君ハ、私ノ仮ノ宿主デアルノデ、正シキ氣ヲ保ッテ、常ニ【私】ヲ知覚セネバナラナイ。ユエニ、ソノ徴ヲ以テ、我ガ縁ヲ結ンダ」
「じゃあ、コレ、あなたが付けたのっ!?」
「……」
琥狐は一旦間を置いた後、コク、と頷いた。
「どうやって?」
「我ガ霊火ヲ以テ、我ガ鼻紋ヲ捺シタ」
「びもん?」
「我ガ鼻ヨリ刻マレル」
「え」
わたしは、一瞬、頭が真っ白になり、コキンと硬直した。
鼻紋というからには、この三尾の白狐の姿で、だと思うけど。
ただ、このコの鼻、どう見ても「稲荷玉」の形じゃないんだけど。
もし、徴を付けた霊火が狐火なら、その霊力の形が「稲荷玉」の紋に?
いえ、それより、何より――――。
(じゃあ、このコ、わたしの胸に直に鼻突っ込んだってコト!?)
想像するや、わたしはカアアッと恥ずかしくなった。
だって、深夜、紫希の姿であんなに濃厚な接吻をされたんだもの。
場合によっては、眠姦の危険すらあったんじゃないかしら? って不安になる。
「ま、まさか……それ以上のコト、してませんよね?」
「シタ方ガ良カッタカ?」
きょとんと首を傾げる琥狐に、わたしは怒髪天つきそうになった。
冗談だとしても、本当に心臓に悪い。
「もうっ! 何なんですかっ。わたしっ……ホント、そういうんじゃないって……!!」
「遅レルゾ。朝食ヲ済マセタラ、スグ、出ルノダロウ?」
琥狐に冷静に突っ込まれた。
わたしも「いけないっ……!」と慌てて、化粧と着替えを終える。
女学校の教科書と文具は、昨日の晩から風呂敷に包んでいたけど、間違いがないか、一応、朝にも確かめる。
そうして、時間通り、母屋で道重家の皆さんと朝食を摂り終えると、わたしは、あっという間に食器類の片づけを終えた。そのまま「いってきます!」と挨拶した後、急いで女学校へ向けて出発した。
すると、不意に琥狐が、
「我ガ御社ニ参ッテカラ登校シロ」
と、しきりにわめくので、ほんの少し遠回りになるけど、わたしも渋々、廃神社へと寄った。
あの有様だから、てっきり誰もいないと思っていたのに。
わたしが参拝するのと入れ違うように、一足早く大鳥居から出ていく人達があった。
おしゃれなセーラー服を着たお嬢様と、その侍女っぽい年嵩の女性の2人連れ。
(わっ。あの制服って、銀嶺台女学校の? すごーいっ!)
銀嶺台女学校は、名門お嬢様学校だ。
華族や富豪のご令嬢ばかりが通っている。
かたや、わたしが通っている明惠女学校は、試験さえ通れば庶民でも入れるため、ちゃんとした制服はない。
だからこそ、学生は「清楚な袴姿で通うこと」と決められているだけで、ちょっとお金持ちの家の子と、貧しい家の子とで、その身に着ける着物の質に如実に差が出てしまう。誰が見ても一目瞭然なので、ちゃんとしてない服装の子は嗤われる懼れがある、っていう。
しかして、そのお嬢様は、ぬばたまの黒髪に、凛としつつも愛らしい瞳をして、まるで日本人形みたいな大和撫子な感じだった。すごく美人だけど、少し近寄りがたいというか。
まあ、彼女は、わたしが話しかけるより先に、自前の送迎車なのか、黒塗りの自動車に、侍女さんと乗り込んでいたから、こちらを気にする雰囲気すらなかったんだけど。
(……なんで、こんな廃神社に、あんなお嬢様がいらしたんだろう?)
疑問は尽きなかったけど、未だ残る大鳥居とご神木だけは立派だから、それでちょっと見に来ただけかもしれない、と適当に納得した。
「早ク参拝シロ」
なんて、琥狐が急かすので、わたしは、言われるがまま、手水舎で手と口を清め、御社跡へお参りした。
そこには瓦礫しかなかったけど、二礼二拍手一礼をする。
そうしたら、懐紙入れに隠れていた琥狐が、ボムッと「御守り」に化けた。
「ええっ!? なんで、御守りになってるんですかっ??」
「……」
わたしは度肝抜かれたものの、まじまじと、その御守りを観察する。
錦の巾着の表には、琥狐そっくりの刺繍が入って、触ると、中には、小さなビー玉みたいな固く丸いものが封入されてるみたいだった。裏には、「■■稲荷大明神」と、一部が黒塗りされたみたいな神社名が入っていた。
やっぱり、神格を剥奪されているから、きちんと名乗れないのかしら?
そうかと思うと、不意に、
「君ガ学校ニイル間ハ、コノ方が良イダロウ」
と、御守り袋の刺繍の琥狐が喋った。
「えっ。ウソッ。刺繍ガ喋るなんてっ」
「嘘ナモノカ。コノ御社跡ニ残ル神気ト、君ノ祈願ヲ受ケタカラナ」
「祈願……?」
「私ハ、元ハ、コノ御社ノ神使ダッタ。シカラバ、祈願ヲ受ケレバ、数刻ナラ、コノヨウニナレル」
「あなた自身を授与してる、ってコト?」
「……少シ違ウガ。ソウトッテモラッテモ、構ワナイ」
なんだか理解し難かったけど。
確かに、あのハツカネズミみたいな大きさの三尾の白狐が、万一、同級生に見られたらどうしよう、と心配していたので、わたしも敢えてツッコまないことにした。
御守りを首に掛けると、ちょうど「稲荷玉」の紋が入る膻中と重なる位置にきたから、ものすごく因縁めいてたと思う。
そんな風に、朝の参拝を済ませた訳だけれど。
あやうく女学校の始業時間に遅れそうになって、本当に焦ってしまった。
女学校に着くと、いつも通りの授業風景が広がっていて。
勉学に励んでいる間は、これまで起こった変なことは全部忘れられた。
ただ、体育の授業で、学校支給の洋風体操着に着替えている時に、あの御守りを同級生に見られてしまって。
「あら。かわいい。どこの御守り?」
って、訊かれた時は、心底ドキッとした。
とはいえ、神社名が不明だったから、
「上京する時に、うちのお母さんが縫ってくれたのをご近所の神社でご祈祷してもらったの」
と、それっぽくごまかした。
その日のすべての授業も終わり、放課後、顔見知りの子に、
「帰りにともしび亭に寄りたいんだけど、今日のこのお時間、大丈夫かしら?」
なんて尋ねられて、
「たぶん、大丈夫ですよ」
って答えていたら、隣の教室で、いやに、きゃあきゃあ盛り上がっている女生徒達がいた。
「何なんでしょう? あの騒ぎ」
「ああ。あれは、きっと。この前、日本橋に出来た新しいお店のことではしゃいでいるのよ」
と、同級生が教えてくれた。
「新しいお店?」
「そう。舶来品をたくさん取り扱っているオシャレなお店でね。【蘇芳屋】っていって、本店は横浜にあるそうなんだけど」
「へえ……。でも、あの辺は、百貨店も出来たりしていて。だいたい、皆、そっちへ行きそうなのに。個人のお店で、そこまで大騒ぎするものですかね?」
「あら。だって。あのお店の社長さん、独身で、とっても美男子なんですもの!」
頬を赤らめる同級生に、わたしは「ん?」と首を傾げた。
(……ええと。それって、お店というよりは、社長さん目当て??)
まあまあ、女学校あるあるだけれど。
在学生の中には、学問を修めるというより、花嫁修業として一定水準の知識教養を身に着けて、良いお家柄にお嫁に行こう、あわよくば、玉の輿に乗ろう、と考える人達がいて。
在学中でも、「行き遅れ」を心配する親御さんなんかは、娘達に縁談を持ってくるから、女学校卒業と同時に結婚、という学生も結構な人数いる。
そういう人達にとっては、明らかに高嶺の花な華族のご令息を狙うより、順風満帆そうな職業に就いてる人、もしくは、そうなりそうな見込みのある人――弁護士、医者、中堅規模以上の事業家、資産家など、の若旦那さん・坊ちゃんなどを狙う方が勝率が高いのだ。
「私も訪ねてみようかしら、なんて思うのだけれど。神谷さんもご一緒に如何?」
「あ。わたしは、ともしび亭でのお仕事があるので」
「あらそう。それは残念ね」
同級生はしゅんとした風に言うけれど。
その言葉の割には、あまり残念がってなさそう。
一応、話題に出したからには、とりあえず興味なさそうなわたしにも平等に声を掛けて「私、ガツガツしてません」と主張してみたけれど、内心、「競争相手が1人減って良かった」って考えている感じかしら。
(まあ、わたしには関係ない話よね)
そう溜息をついたところで、わたしは同級生らに「ごきげんよう」と挨拶をして、その日は、女学校から帰ったのだった。
<執筆後記>
例のお嬢様ですが。今回は残念ながらニアミスとなりました。
いや、本当は対面させようかと思ったんですけど。
その前に1クッション入れた方が良いかな、と。
急遽エピソードに変更を加えました。
とはいえ、役者もだいたい揃ってきました。
次回からは、本題に向けて、徐々に進んでいきます。




