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第4話 手取り25万円が親会社を買う日 その2

親会社の買収という無謀と言える高難易度クエストに挑むことになった俺たちの朝はいつも通りだった。


俺は眠い目を擦りながら、目覚ましを止めると、スマホからいつも通りのオムニアの声が聞こえる。


『真一、目は覚めた!JTTHDの株式買収の準備は順調よ』


「寝起きで、難しい話しするな!」


スマホの中で、頬を膨らませて横向く

『何よそれ!アンタのためにやってるんだから、少しは感謝しなさいよ』


「あ、ありがとう」


『アンタ、目覚ましのセット時間間違えてるわよ!遅刻よ』


「えー!それを先に言えよ」


――


JTTCOMのオフィスには、相変わらず不穏な空気が漂っていた。


フロアの隅で、ドスの効いた怒声が響き渡る。


「だ・か・ら! なんだこの雑な見積もりはぁ!?」


声を荒らげているのは、親会社(JTTHD)の購買部からやってきた購買部長・黒田くろだだった。


「下請け殺し」の異名を持ち、子会社や協力会社の予算を理不尽に削り倒しては自分の実績にしてのし上がってきた、典型的な権力モンスターだ。


その黒田の目の前で、淡々と頭を下げている女子社員がいる。

入社3年目の後輩、桜井菜々(さくらい なな)だ。


「……申し訳ありません、黒田部長。ですが、そちらの数値はJTTHD指定のフォーマットに準拠して計算したもので——」


「言い訳を聞いてるんじゃないんだよ! お前が入力欄を1セルずらしたおかげで、うちのシステムでエラーが出ただろうが! お前のミスのせいで、数千万円の損害が出たらどう責任取るんだ、あぁ!?」


黒田が机をバァン!と叩く。

普通の社員なら縮み上がって泣き出す場面だ。だが、桜井は表情ひとつ変えず、ジト目気味の静かな瞳で黒田を見つめたまま、淡々とした声で返した。


「……物理的な損害賠償をご請求されるのでしたら、法務を通していただけますか。なお、1セルのズレでシステム全体が不全を起こす仕様でしたら、そもそも購買部が使う基幹システム側に根本的なバグが存在するかと」


「な……ッ!? お前、親会社の部長に向かって、なんだその口の利き方はぁッ!?」


煽っているわけではない。桜井はただ、「事実と論理ロジック」をそのまま口に出しているだけなのだ。


(相変わらずだな、桜井……)


俺は遠くの自席から、心の中で深くため息をついた。


桜井菜々。25歳。

黒髪セミロングの整った容姿で、キーボードを叩かせれば社内トップの爆速プログラミング能力を持つ逸材……なのだが。


桜井の脳内は完全に「ゲーマー思考(最適化・コマンド思考)」で構成されている。


そのため、日本のサラリーマン特有の「お気遣い」や「社内政治の空気読みに基づく書類作成」が壊滅的に苦手で、こうして黒田のような理不尽な上司に日常的に目をつけられていた。


『ねえ真一、あのうるさい人間、脳のキャパシティが極めて低そうね。我が今すぐ彼の全口座を凍結してあげましょうか?』


ポケットの中でスマホが震え、イヤホン越しにオムニアが物騒な提案をしてくる。 


(オムニアの思考も問題だ)


『(平野)待て待て、ここで口座凍結したら事件になる。まずは状況観察だ』


俺が制している間にも、黒田の理不尽な暴走はエスカレートしていった。


「いいか桜井! この落とし前は、お前の部署の予算でつけてもらう! 次期システム改修費、当初の見積もりから"50%カット"で契約し直せ! 嫌ならお前のところとの契約は全部打ち切りだ! 代わりの下請けなんていくらでもいるんだからな!」


「……50%カット。それは物理的に運用が不可能です。サーバーの維持費だけで赤字になります」


「うるさい! お前のくだらない入力ミスのペナルティだ! 明日の朝までに再見積もりを出せ! できないなら、お前がパートナー会社に頭を下げて交渉してこい!出せなきゃお前を解雇処分にするよう、上層部に働きかけてやるからな!」


黒田は捨て台詞を残し、肩をいからせてフロアを去っていった。


「……はぁ。理不尽な判定です」


静かに小さく息を吐くと、椅子に深く腰掛けた。


机の端に置かれていたスクエア型のブルーライトカットメガネを持ち上げると、すっと細い鼻筋にかける。


スイッチが入ったように冷徹でシャープな目元へと変わった彼女は、真剣な眼差しでPCディスプレイと向かい合った。


直後——彼女の手指が、凄まじい速度でキーボードの上を滑り始める。


——タタタタタタタタタッ……ッターン!!


残像が見えるほどの打鍵スピード。画面に流れるように打ち込まれるコマンドライン。


メガネの奥で青い光を反射させながら叩き出す、そのキーの「独特のリズム」とブラインドタッチの癖を見た瞬間、俺の脳裏に激しい既視感デジャブが走った。


(……待てよ? この入力リズム……コマンドのショートカットの癖……)


俺は夜な夜なプレイしている戦略MMOゲームの、ある【頼れる仲間】のプレイ動画を思い出していた。


(……まさか、ネトゲで俺の軍団のフロントアタッカーを張ってる、あの無口な黒の剣士『ナナ』……お前なのか……!?)


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