第4話 手取り25万円が親会社を買う日 その3
自席から桜井の横顔を凝視しながら、俺は確信を深めていた。
(……打鍵音のコンボ数、完全に一致。コマンドショートカットの配置も、あの動画で見た癖と寸分違わない)
彼女が叩き込んでいるのは、社内システムのコマンド入力のはずなのに、その運指はまるでMMOゲームで最高難易度のレイドボスにコンボを叩き込んでいる時のそれだった。
間違いない。
毎週の軍団戦で俺の指示に無言で従い、最前線で敵陣を切り開いてくれる最強の黒の剣士『ナナ』の正体は、同僚の桜井菜々だ。
『ねえ真一。そこの黒髪の娘、指の動きが人間離れしてるわね。もしかしてアンタのネトゲのオタク仲間かしら?』
ポケットの中でスマホが微振動し、イヤホン越しにオムニアの興味津々な声が届く。
俺はキーボードを叩くフリをしながら、チャット画面にテキストを高速入力した。
『(平野)ああ。俺の軍団の頼れる前衛アタッカーだ。まさか職場の隣の部署にいたとはな……』
『へぇ〜! じゃあアンタの「ゲームの身内」ってわけね! だったらなお更、あの肥満体の下請けイビり野郎(黒田)を野放しにしておけないじゃない! 我が今すぐ神罰を下してあげましょうか?』
『(平野)待て待て、まだ早い。やるならもっと完膚なきまでに、会社(JTTHD)の権力ごと叩き潰す』
オムニアの暴走を制しつつ、俺はフッと冷たい笑みを浮かべた。
社畜として理不尽に耐え忍んでいた昔の俺なら、同情しつつも「関わらないでおこう」とスルーしていただろう。
だが、今の俺はただの社畜だが、あの黒田を一撃粉砕するスキルはもってない。
ナナをーー俺の軍団の「大事な仲間」を理不尽なパワープレイで泣かせようとする奴を、俺が見過ごすわけがない。
(50%カットの再見積もりを出せなきゃ解雇、だっけか……?ふざけるなら!)
俺は引き出しからワイヤレスイヤホンのケースを取り出し、片耳にしっかりと装着し直した。
(黒田部長。お前がイビり倒そうとしているその女子社員は、俺の最高の相棒だ。そして、お前が傘に着ているその「親会社の権力」の本当の持ち主はーー目の前にいる俺になるんだよ。)
『(平野)オムニア。作戦変更だ。黒田の過去の購買実績、下請け企業への不正な減額要求、それからキックバックの疑いがある個人口座のデータを全件洗い出してほしい』
『ふふん! 待ってましたぁッ! 万能神たる我が力、見せてあげるわ! 0.5秒で全データ引っ剥がしてやるから覚悟しなさい黒田ぁぁぁッ!!』
イヤホン越しに、ノリノリで指を鳴らすポンコツ神様のドヤ声が響く。
『(平野)株式買収の進捗も、頼む』
『わかったわ。今、資金が順調に集まりだしてるところよ。明日には買い付けに動ける』
俺はゆっくりと立ち上がると、残業の準備をしながらカタカタと不毛なキーボード入力を続ける桜井のデスクへと、静かに歩み寄った――。
「桜井さん。お疲れ様です」
桜井はキーボードを叩く指をピタリと止めた。
画面のブラウザを一瞬で切り替える。その間、わずか0.5秒。
椅子のキャスターが、静かに床を滑る。
桜井はゆっくりと、本当にゆっくりと、俺のほうへ振り返った。
前髪の隙間から覗く黒い瞳が、値踏みするように俺の顔を捉える。
「お疲れ様です」
ここから、俺とオムニア、桜井の3人で挑むレイドボス戦が始まる!




