第4話 手取り25万円が親会社を買う日 その4
俺は苦笑いを浮かべながら、隣の空いている椅子を引き寄せて腰掛けた。
「さっきの黒田部長との会話、見てたけど……あれはないよね。完全にハラスメントだよ」
「……平野さん」
桜井はメガネのフチを指先で少し持ち上げ、どこか懐かしむような、それでいて呆れたような視線を向けた。
「お久しぶりです。自席でお話しするのは、私が新卒で入社した時の研修以来ですね」
そう、3年前――彼女が新卒としてJTTCOMに入社してきた際、指導社員を担当したのが俺だった。
当時の彼女は配属初日から「この部署の業務の流れはアナログです。VBAやGASで自動化します」と言い放ち、周囲を唖然とさせた超大型新人だった。
エルダー期間が終わってからは部署が離れたこともあり、挨拶程度の関係になっていたのだが……まさか裏でネトゲの最強アタッカー“ナナ”として猛暴れしていたとは思いもしなかった。
「元エルダーとして、後輩が理不尽にイビられてるのを黙って見てるわけにはいかないだろ。……50%カットの再見積もり、明日までに作れって言われてたよな。相談に乗るよ」
俺がそう言うと、桜井は小さく首を横に振った。
「気持ちはありがたいですが、物理的に不可能なミッションです。1セルの入力を修正しただけでシステム改修費を半額にしろというのは、論理的な要求ではありません。……明日の朝、解雇通告を受ける覚悟はできています」
冷淡に、だがどこか悔しそうに口元を結ぶ桜井。
(相変わらず感情を表に出すのが下手だな……。だが、自分のロジックが理不尽に踏みにじられて悔しくないわけがない)
俺は桜井に向かってニッと笑ってみせた。
「桜井さん。明日の朝、黒田部長がドヤ顔で乗り込んできた時に、返り討ちにする策があるんだが……乗るか?」
「……返り討ち、ですか?」
「ああ。奴の理不尽な要求を完膚なきまでに叩き潰す特効コマンドを用意する」
桜井は一瞬目を見開いたが、すぐにメガネの奥の瞳をシャープに輝かせた。
その時――。
ブブッ、ブブッ……
ポケットの中のスマホが、激しく振動した。
俺は手探りで画面を開き、素早く目線を落とす。
『(オムニア)作戦会議中に悪いんだけど……JTTHDの株式買収の件で、ちょっと気になることがあるのよ』
俺は桜井に悟られないよう、膝下でブラインドタッチにより親指を動かす。
『(平野)急ぎか?』
『(オムニア)うーん……資金の流れの端っこに、大手投資ファンドの「マジェスティ・パートナーズ」の影が見えるの。今すぐどうこうって話ではないんだけど……』
『(平野)なら帰ってからにしよう。今は黒田攻略が先だ』
『(オムニア)あと黒田の不正データもバッチリ押さえてあるから安心して!』
画面を閉じて顔を上げると、桜井が至近距離からじっと俺の手元を見つめていた。
「……平野さん」
「ん?」
「さっきから真面目な会話の合間に、15秒間隔でスマホを膝下に隠して高速フリック入力されていますが。お忙しいのでしたら、そちらの返信を優先されては?」
ジト目で手元を指さされ、俺は冷や汗をかいた。
(鋭すぎるだろ! 観察眼が警察官のそれなんだよ……!)
「あ、いや! これは作戦の準備というか、情報収集で……!」
俺は慌ててスマホをポケットに深く引っ込んだ。
「ゴホン! とにかく、明日黒田が来る前に、奴を黙らせる“完璧なデータ”と“権力”を揃えておく。詳しい作戦は明日の朝、黒田がやってくる直前に伝えるよ」
「……分かりました。元エルダーの提案なら、乗ります」
「よし。じゃあ今日はもう遅いし、一旦上がろう。明日の勝負――絶対に勝つぞ」
「……了解です、平野さん。お先に失礼します」
桜井は軽く頭を下げると、PCをシャットダウンして手際よくバッグをまとめ、オフィスを後にした。
――
オフィスを出て帰路につき、誰もいない自分の部屋へ戻った深夜。
俺は着替えを済ませると、デスクの上のスマホに向かって声をかけた。
「オムニア、さっき言ってた『黒田の証拠』と、親会社の買収進捗はどうなった?」
『ふふん! 黒田の件は一瞬だったわよ。過去5年分の購買ログと銀行口座を洗ったら、下請け企業からの露骨なキックバックと不正な減額要求の証拠が山ほど出てきたわ。明日の朝、社会的に抹殺できるレベルよ』
「相変わらず仕事が早いな……。で、JTTHDの株式買い付けの方は?」
『海外のダミーファンド経由で準備を進めていて、明日の市場開帳と同時に一気に33%分を押さえる手はずになっているわ。これで真一が筆頭株主よ。……ただ、ちょっと気になるデータが出たのよね』
オムニアの表情が、少しだけ真面目なものに変わった。
「気になるデータ?」
『JTTHDの株式買い付けの準備を進めてるんだけど……ここ数日、我が動くより先に、謎の大口資金がじわじわとJTTHDの株を買い集めている形跡があるのよ。資金の流れの端っこに……“マジェスティ”関連の不穏なノイズが混ざってるわ』
「さっきの話しだな……? 大手投資ファンド会社の『マジェスティ・パートナーズ』のことか?」
俺は一瞬、眉をひそめた。
マジェスティ・パートナーズ。世界中の金融、不動産、さらには産業インフラまで裏から巨大な資金力で買い集めていると噂される、正体不明の超巨大投資ファンドだ。
「……たまたまだろ」
俺は「ふぅ」と息を吐き、ベッドに横になった。
『たまたま? あんな化け物みたいな巨大グループが、通信インフラ子会社を買い集めてるのよ?』
「あそこは世界中の有望企業に片っ端から出資してるようなファンドだろ。たまたま国内大手の通信インフラ会社としてJTTHDの株を買ってたとしてもおかしくない。それに、今の最優先事項は明日の朝やってくる黒田を返り討ちにして、桜井を助けることだ。マジェスティの件は後で考えればいい」
『ふん……まあ、いいわ。今夜のところは大人しくしておいてあげる。……でも、我の勘は当たるのよ。忘れないことね』
オムニアの報告を「たまたまだろ」と軽く受け流し、俺は天井を見上げた。
黒田の不正証拠、そして明日朝に完了する親会社JTTHDの株式買収による筆頭株主の座。
手札は全て揃った。
(黒田の鼻を明かして桜井を助ける。……マジェスティの不穏な影は気になるが、まずは明日の“レイドボス戦”だ)




