第3話 9999兆円の金の壁と、覚醒するポンコツ女神 その2
雑木林の坂道を登ること十数分。
祖父から「幼い頃から絶対に近づくな」と固く言われていた裏山の祠だが、意外なことにそこへ続く道はきれいに整理されており、スムーズに辿り着くことができた。
祖父が生前、人知れずここへ通い詰めて手入れしていた証拠だろう。
「ここか……」
静まり返った木々の中に、古びた石造りの祠がぽつんと佇んでいた。
俺は日記の指示通り祠の扉を開けてみたが――中を一見しても、何も存在しないただの空洞だった。
『ふふん! まんまと隠されてるわね! 真一、退きなさい! 我がポータルを開けてあげるわ!』
スマホの画面内で、ちびキャラのオムニアが不敵にドレスの裾を揺らし、小さな手をかざした。
スマホから放たれた桜色の光線が空洞を射抜くと、何もない空間が水面のように激しく歪み始める。
やがて歪みは収束し、そこには高さ2メートル、幅120センチほどの、青白く揺らめく空間の亀裂――“次元ポータル”が出現した。
『さあ真一、恐れずに足を踏み入れなさい!』
「……マジで言ってるのか? 急に怖くなってきたんだが……」
オムニアに促され、俺はおそるおそる青い光の中へと足を踏み入れた。
一瞬、上下左右の感覚が消え去り、時間の感覚すら曖昧になる。
どのくらい歩いたのだろうか。
ふっと空間が広がった瞬間――俺の目の前に、見上げるような圧倒的な“金の壁”が立ち塞がった。
「うわ……マジで山ほど金がある……っていうか、壁かよこれ……!」
見渡す限り眩い光を放つ純金の壁。
概算価値9999兆円という途方もない数字が、決して誇張ではないことを全身で理解させられた。
そして、その巨大な金の足元に、小さなノートがポツンと落ちていた。
手に取って開いてみると、そこには祖父の力強い筆跡で、異世界からオムニアを持ち帰った経緯が記されていた。
『……魔王討伐の帰り道、王都の露店でピカピカ光っていた金属パズルを1000Gで買い取った。孫(真一)のいいおもちゃになりそうだ』
「……1000G?」
俺が思わず呟いた瞬間、スマホのスピーカーから耳を刺すような悲鳴が響き渡った。
『ちょっと待ちなさい平野一郎ぉぉぉぉッ!! なによその書き方はッ!? 我が封印されていた至高の神具が……露店で1000Gのお土産扱いだとぉぉぉぉッ!?』
「落ち着けオムニア! スマホが割れる!」
『落ち着けるわけないでしょぉぉぉッ! 失礼すぎるわあのジジイ! 万死に値するわよーーーッ!!』
画面の中で地団駄を踏み、真っ赤になってキーキーと暴れ回るオムニア。
静かな地下空間にポンコツ神様の絶叫が木霊する中、俺は金の壁のすぐ横に立つ“巨大な石板”に目を向けた。
「おいオムニア、暴れるのは後にしてくれ。この金の横にある大きな石板……何か文字が刻まれてるぞ」
『むぐぐ……! 我の神力で読み上げてあげるわよ! 感謝しなさい!』
オムニアが画面から青い解析光線を石板へ照射すると、そこに刻まれた古代文字がふわりと浮かび上がり、日本語の音となって響き渡った。
それは、異世界王国から祖父へ贈られた“感謝状”と“目録”の内容だった。
『……「当世界を滅亡の危機から救いし勇者・平野一郎殿へ。汝の偉大な功績を永久に讃え、以下の副賞を授与する。
一、純度100%巨大金脈(地球換算9999兆円)
二、両世界を繋ぐ次元ポータル設置権」……』
「マジかよ……じっちゃん、ただの頑固な農家じゃなくて、本当に異世界を救った勇者だったのか……」
ノートの戯言だと思っていた記述は、すべて紛れもない事実だったのだ。
だが、その瞬間だった。
突然、天井から細かい砂がパラパラと降り注いだ。祠全体が、軋むように揺れ始めている。
黄金の壁の奥から青白い光が脈打つように広がり、先ほど開いた“次元ポータル”が不安定に揺らぎ始める。
「お、おいオムニア! なんかヤバくないか!?」
オムニアの表情から、いつもの余裕が消えていた。
『まずいわ……! 長期間封印されていたせいで、ポータルの座標が完全に固定されてないの! このままじゃ空間が裂けて地下ごと崩壊するわ!』
「はぁ!? そんなの先に言え!」
ポータルの揺らぎはどんどん激しくなる。
青白い稲妻のような光が地下空間を走り、黄金の壁にビシビシと亀裂のような光紋を刻んでいく。
オムニアは歯を食いしばり、スマホの画面の中で両手を掲げた。
『真一、スマホをポータルへ向けなさい!』
「どうする気だ!?」
『我の神力だけじゃ足りない! このスマホの電力を媒体にするわ!』
俺は反射的にスマホを掲げた。
画面のバッテリー表示は――43%。
『足りるのか!?』
『足りなくてもやるしかないでしょうが!』
オムニアの周囲に、桜色の魔法陣が幾重にも展開される。
『神技――常世の光 Lux Aeterna: Quies』
桜色の光が地下空間へ広がり、暴れていたポータルの揺らぎが一瞬だけ静まった。
だが、すぐに再び激しく脈動する。
『くっ……まだ足りない!』
スマホがブルブルと震え、バッテリーが43%から31%へ一気に減少した。
「減り方おかしいだろ!?」
『黙って支えなさい!』
オムニアの姿が淡く輝き始める。
ちびキャラだった輪郭がぼやけ、桜色の粒子が画面の外へ溢れ出した。
『第2解放――常世の光 Lux Aeterna: Firmitas』
ドンッ――!
地下空間に巨大な光の柱が落ちる。
揺らいでいたポータルが半透明の結界に包まれ、空間の崩壊がピタリと止まった。
同時に、スマホのバッテリーは31%から12%へ。
「おいおいおい、もう残り12%しかないぞ!」
『最後の固定化をやる……! これを失敗したら、次元座標そのものが消し飛ぶわ!』
画面の中のオムニアは、もはや半分ほど実体化していた。
桜色の光がスマホの縁から溢れ出し、地下空間に舞い上がる。
次の瞬間――
ふわり、と。
スマホの画面から、掌ほどの小さな人影が飛び出した。
高さはおよそ15センチ。
だが、その存在感は地下空間の黄金よりも圧倒的だった。
白を基調とした和装ドレスは、幾重にも重なる薄絹のような布地で構成され、裾には淡い桜色のグラデーションが流れるように広がっている。
金髪は光を受けて輝き、毛先へ向かうほど柔らかな桜色へと溶け込んでいた。
左右で色の異なるオッドアイは、片方が月光のような銀蒼、もう片方が桜を映したような紅紫。
髪飾りには、銀の三日月と小さな桜の花。
白い衣の上を桜色の神力が静かに舞い、地下空間の空気そのものが澄み渡っていく。
そこには、紛れもなく――神が居た。
俺は思わず息を呑む。
「……お前、本当に神様だったんだな」
オムニアは小さな胸を張り、ふわりと宙に浮かび上がった。
『当然でしょう、真一。我を誰だと思ってるの?』
その小さな身体から放たれる神力は、地下空間全体を震わせるほど濃密だった。
オムニアは両手を重ね、真正面のポータルへ向けて叫んだ。
『最終解放――』
地下空間全体が白銀の光に包まれる。
『Lux Aeterna: Aperio――常世の光よ、世界を繋ぎ、永遠に開け!』
眩い光が爆発するように広がった。
ポータルの青白い亀裂は、ゆっくりと安定した円環へと姿を変えていく。
轟音が収まり、地下空間に静寂が戻った。
15センチほどに実体化していたオムニアは、空中でふらりと揺れた。
『……固定完了……』
その小さな身体から桜色の光が零れ落ちる。
金髪から桜色へと溶け込む髪が淡く輝き、オッドアイの光も急速に弱まっていく。
「お、おいオムニア! 大丈夫か!?」
『神力を使い切っただけよ……。さすがにこの状態を維持する余裕はないわ……』
オムニアは小さく笑うと、身体を包んでいた白銀の光が花びらのように砕け散った。
桜色の粒子となったオムニアは、ふわりと宙を舞い――吸い込まれるようにスマホの画面へ戻っていく。
次の瞬間、画面の中には、いつものちびキャラ姿のオムニアがぺたんと座り込んでいた。
『はぁ……はぁ……やっぱり実体化は燃費が悪すぎるわ……』
俺は荒い息を吐きながらスマホを確認する。
バッテリー残量――1%。
「……ギリギリすぎるだろ」
ピコン。
“バッテリー残量が少なくなっています”
その警告を見た瞬間、画面の中のオムニアがサッと青ざめた。
『ま、待ちなさい真一! 今すぐ充電! なんでもいいから早くしなさい!』
「さっきまで神々しかったのに、急に現実的だな……」
『うるさい! 電池が切れたら我はまたスマホの闇に閉じ込められるのよ!』
俺は慌ててスマホを握りしめた。
バッテリー残量は、本当に1%しかない。
「やばっ、本当に切れそうだ」
『だから言ったでしょうがぁぁぁッ!!』
オムニアが画面の中で半泣きになっている。
その瞬間、俺はあることを思い出した。
「あっ」
『なによ!?』
俺は慌ててリュックを床に下ろし、中をゴソゴソと探り始める。
財布、ペットボトル、折りたたみ傘、会社のノートPC用アダプタ……。
そして、一番奥から見覚えのある黒い機器を掴み出した。
「あった! モバイルバッテリー!」
『もっと早く出しなさいよぉぉぉぉッ!!』
オムニアの涙目の絶叫が地下空間に響き渡る。
俺は苦笑しながらUSBケーブルを接続した。
ピコン――充電開始。
画面の中のオムニアは、心底ほっとした顔でその場にへたり込む。
『はぁぁ……生き返るわ……』
「神様が“生き返る”って言うの、なんか色々おかしいんだが」
『細かいことは気にしないの!』
地下空間には、安定したポータルの青い光と、充電ランプの小さな点滅だけが静かに揺れていた。
俺は黄金の壁を見上げる。
祖父が遺したのは、9999兆円の黄金だけではない。
異世界と現代を繋ぐ、本物の“常世の扉”だった。
そして俺は、モバイルバッテリーに命を繋がれた15センチのポンコツ万能神と共に、そのとんでもない遺産と向き合うことになるのだった。




