第2話「公開処刑のつもりが、まさかの因果応報でした」その1
翌朝。
スマホのアラームが容赦なく鳴り響いた。
「……うぅ……眠い」
重たい身体を引きずるようにベッドの上でスマホを手探りする。
昨夜は、オムニアに報告書のPDF化を任せたまま、そのままベッドへ倒れ込んだ。
気づけば、部屋の電気もつけっぱなしだった。
ピッ。
アラームを停止した瞬間、画面がふっと切り替わった。
そこに映っていたのは、昨夜まで偉そうに神技を連発していた万能神――オムニア。
……なのだが。
画面の隅で、小さく体育座りをしていた。
『…………』
「何やってんだ、お前」
オムニアはゆっくり顔を上げ、じとっとした目でこちらを見る。
『……暗かった』
「まだ引きずってるのかよ」
『アンタが無意識でスリープ封印したせいでしょうが!!』
画面の中で立ち上がると、桜柄の和風ドレスの袖をぶんぶん振り回した。
『しかも、PDF化だけさせて自分は先に寝るとか、神の扱いが雑すぎるのよ!』
「ちゃんと完成したんだろ?」
『もちろんよ! 我を誰だと思ってるの!』
「便利なPDF変換アプリ」
『万能神よ!!』
そんなやり取りをしながら、俺は欠伸を噛み殺して洗面所へ向かった。
――
満員電車に揺られ、JTTコミュニケーションズへ到着したのは9時半過ぎ。
フロアにはいつものように、キーボードの打鍵音とエアコンの低い駆動音が漂っている。
自席に座ると、俺はカバンからノートPCを取り出した。
電源を入れ、昨夜オムニアがPDF化した報告書を開く。
画面には、『システム障害インシデント報告書(真因分析版)』の最終版が表示された。
オムニアがイヤホン越しに得意げな声を漏らす。
『ふふん。我が手を入れた完璧な仕上がりよ』
「完璧なのは一部だけどな」
俺は問題の箇所――わざと綻びを残した「主要対策」の一文を確認し、小さく息を吐いた。
(よし。予定通りだ)
オムニアがニヤリと笑う。
『ちゃんと餌になってる?』
「ああ。これなら確実に食いつく」
俺はメールソフトを起動し、大谷課長宛ての新規メールを開いた。
件名:システム障害インシデント報告書(真因分析版)
大谷課長
ご指摘事項を反映した修正版PDFを送付いたします。
ご確認をお願いいたします。
平野真一
添付ファイルを確認し、送信ボタンを押す。
送信完了 9時34分
「これでよし」
『ふふん。罠の設置完了ってわけね』
「問題は、どれだけ派手に食いつくかだ」
その時だった。
フロアの向こう側から、大谷課長の声が響いた。
「平野くん!」
周囲に聞こえるよう、わざと少し大きめの声だ。
俺はノートPCから視線を外さず、小さく呟く。
「……来た」
オムニアが即座に反応する。
『ほら! 神の予言通りじゃない!』
顔を上げると、大谷は自席でノートPCを開いたまま、こちらを手招きしていた。
俺はノートPCを閉じ、ゆっくり立ち上がって大谷のデスクへ向かう。
近づくと、大谷は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「ちょうど今、君の提出したPDFを確認していたところなんだよ」
そう言って、ノートPCの画面をこちらへ向けてくる。
画面には、俺が送付した『システム障害インシデント報告書(真因分析版)』のPDFが表示されていた。
大谷は問題の箇所を拡大表示し、わざとらしく指でトントンと叩いた。
「まず、この“主要対策”の部分だ」
「現場オペレーション手順の再周知を主要対策とする」
「平野くん。これは対策であって、真因じゃない。そんなことも分からないのかね?」
周囲の同僚たちが、キーボードを叩くふりをしながらこちらへ意識を向けているのが分かる。
公開説教モード、開始。
俺は表情を崩さないまま、小さく頷いた。
「ご指摘ありがとうございます、課長」
その瞬間、大谷の目がさらに輝いた。
(完全に乗ってきたな)
オムニアがイヤホン越しに楽しそうに囁く。
『ふふん。餌に食いついたわね、契約者』
『ちなみに、ちゃんと記録も始めてるわよ』
(……もう始めたのか?)
『当然。電子神殿の監視の目は、すでにこちらの支配下よ』
(それ、完全に社内ネットワークの乗っ取りなんだが……)
オムニアは気にした様子もなく続ける。
『大谷のデスク正面カメラ、フロア共用カメラ、会議室前カメラ――全部押さえたわ。音声も映像も完璧。あの男、自分から証拠を量産してくれて助かるわね』
大谷はさらに勢いづき、ノートPCの画面をスクロールしながら続ける。
「君は“手順が複雑だった”と書いている。しかし、それは現象の説明にすぎない。なぜ複雑になったのか、なぜ現場がその手順を守れなかったのか、なぜレビューで検知できなかったのか――そこまで掘り下げるのが真因分析だ」
まるで研修講師にでもなったつもりなのか、声はますます大きくなっていく。
「最近の若い社員は、“再発防止策を書けば終わり”だと思っている。だが、親会社へ提出する文書はそんな甘いレベルでは通用しないんだよ」
俺は心の中で静かにカウントを続ける。
(1……2……3……)
オムニアは画面の中で、腹を抱えて笑いをこらえていた。
『すごいわね、あの男。自分からどんどん気持ちよくなっていくわ』
(まだだ。もう少し喋らせる)
大谷は完全にスイッチが入ったらしく、周囲の社員にも聞かせるように腕を組んだ。
「例えばだ。承認フローの負荷が高いなら、なぜその設計になっているのか。レビュー担当が不足しているなら、なぜ人員配置が適切でなかったのか。そこまで分析して初めて“真因”と言えるんだ」
そして、わざと大きくため息をつく。
「君には、そういう“本質を見る視点”がまだ足りないんだよ」
神妙な顔を作ったまま、深く頷いた。
「勉強になります」
その返答に、大谷は満足げに口角を吊り上げる。
(……よし。完全に自分が勝ったと思っている)
オムニアがイヤホン越しに小さく笑った。
『ふふん。ここからが本番なんでしょう、契約者?』
俺は表情を崩さないまま、静かに次の一手を考え始めていた。




