第1話 なぜなぜ解析で詰められた俺、わざと隙を残してみた
翌朝。
寝不足の重い瞼をこすりながら、俺――平野真一は満員電車に揺られていた。
片耳に装着したイヤホンからは、スマホアプリの中で桜柄の和風ドレスを揺らすちびキャラ――自称・万能神『オムニア』の高飛車な声が直接届いていた。
『ふふん! アンタが寝ている間に、裏山の地下構造解析をかなり進めておいたわよ! 地下深部に巨大な人工空洞を確認。しかも、周囲の岩盤と明らかに組成が違う高密度反応があるわ』
「朝っぱらから物騒な報告だな……」
俺は周囲に聞かれないよう、スマホのチャット画面に指を滑らせる。
『(平野)声が大きい。イヤホンから漏れる』
『アンタ……! 神に向かって「静かにしろ」なんて言う契約者がいる!?』
『(平野)で、何が埋まってるかは分かったのか?』
『ふふん、仕方ないわね。答えてあげるわ!』
オムニアは自慢げに桜色の粒子を煌めかせた。
『さすがの我も、まだ断定できないわね……高密度なのは確かだけど、金属なのか、未知のエネルギー体なのか、古代遺構なのか……そこまではまだ分からないわ。でも普通の山じゃないのは間違いないわね』
「つまり、まだ『ヤバいアレ』の正体は不明ってことか」
『そういうこと。あと三日くらい解析できれば、もっと深いところまで見えると思うわ』
オムニアは画面の隅で腕を組み、得意げに鼻を鳴らした。
『我の興味本位で、この世界の企業情報もついでに学習しておいたわ。アンタの勤め先、かなり理不尽な構造してるじゃない』
「余計なお世話だ」
『この世界には、アンタみたいに冴えない生活をしている輩が沢山いるのね!』
「そいつらは俺と同じ社畜だよ」
『社畜? 神界では聞かない言葉ね』
「そのうち分かるよ」
そんなやり取りをしているうちに、電車は目的の駅へ到着した。
――
JTTコミュニケーションズ。
親会社JTTホールディングスの傘下にある、典型的な“中間管理地獄”の会社だ。
フロアへ足を踏み入れた瞬間、どんよりとした空気が肌にまとわりつく。
自席に着き、PCを立ち上げたその時だった。
「平野くん。ちょっといいかな」
背後から聞こえた声に、俺は内心で舌打ちした。
振り返ると、色黒で中年太りした大谷が立っていた。俺の上司だ。
「なんでしょう 大谷課長」
親会社からの出向組で、子会社の社員を露骨に見下している。
大谷の手には、昨日俺が提出した『システム障害インシデント報告書(概要版)』が握られていた。
「この報告書なんだけどねぇ……正直、君のなぜなぜ解析は甘すぎるんだよ」
(来た。概要版を急ぎで出せと言ったのは、そっちだろ……)
俺は心の中で呆れながら呟いた。
「本質的な『なぜ』を最低五回は掘り下げないと、親会社の本部に提出できるわけないじゃないか。明日の午前10時までに、完璧な修正版PDFを私へ提出しなさい」
大谷はそこで一度言葉を切り、わざとらしく報告書を指先で叩いた。
「それから――真因も忘れるなよ」
「……真因、ですか」
「そうだ。『誰がミスしたか』で終わらせるな。なぜミスが起きたのか、システムやプロセスに問題がなかったのか、そこまで掘り下げろ。親会社に出す以上、中途半端な分析は通用しないからな」
大谷はそこでわざと声量を上げ、周囲の同僚にも聞こえるように言った。
同僚たちは、見て見ぬ振りをしていた。
「課長、ご存知かと思いますが、私は本日午後からパートナー企業で重要案件の打ち合わせがあるのですが……」
「そんなことは知っている! だから明日の10時までと言っている! 社会人なんだから時間は自分で調整しなさい!」
そう言い残し、大谷は満足げな笑みを浮かべて自分の席へ戻っていった。
その背中が完全に離れたのを確認してから、俺はようやく正面に向き直ると、PC画面に表示された障害報告書へ視線を落とした。
(真因、ね……)
心の中で小さく呟く。
(なぜミスが起きたのか。システムやプロセスに問題があったのか……)
画面をスクロールしながら、さらに思考を整理していく。
(手順の複雑さ、承認フローの歪み、そもそもの設計思想――)
その時、スマホが小さく震えた。
画面を見ると、オムニアが今にも爆発しそうな顔でこちらを睨んでいる。
俺は左耳だけワイヤレスイヤホンを装着し、チャット画面を開いた。
『(平野)どうした?』
『どうしたじゃないわよ! アンタ、あの男の言いなりなの? ちょっとは反論しなさいよ!』
『(平野)まあ、いつものことだ』
『いつもなの!?』
オムニアは画面の中で腕をぶんぶん振り回した。
『なんなら、この我が直々に神罰を下してあげてもいいのよ!?』
その瞬間――
「……そうだ!」
俺は思わず小さく声を漏らした。
『えっ?』
PC画面とスマホ画面を交互に見ながら、頭の中でバラバラだったピースが一気に噛み合う。
「それだ、オムニア」
『は? 何が?』
キーボードから手を離し、スマホを軽く持ち上げた。
「お前に頼みがある」
オムニアの表情がぴたりと止まる。
さっきまで神罰だの何だのと騒いでいたのに、急に真面目な声を向けられたのが意外だったのだろう。
『……頼み?』
「ああ。詳しくは帰宅してから話す」
視線を、もう一度障害報告書へ視線を戻した。
(なぜなぜ解析……真因分析……)
(そして、あの大谷が気持ちよく食いつく構造――)
静かに口元を歪める。
「ちょっと、面白いことを思いついた」
オムニアは数秒黙り込み、それから怪訝そうに目を細めた。
『……なんか急に嫌な予感しかしないんだけど』
答えず、何事もなかったかのようにキーボードへ指を戻した。
(まずは予定通りだ)
(大谷課長……明日はきっと、気持ちよく説教できるはずですよ)
――
午後のパートナー企業訪問を終えた頃には、時計はすでに21時を回っていた。
会議、仕様調整、追加見積もり――。
重要案件だけあって、予定より大幅に時間を取られてしまった。
終電間際でアパートへ戻った俺は、ネクタイを緩める間もなくデスクのPCを立ち上げる。
スマホをモニターの横に立てかけると、オムニアが待ってましたと言わんばかりに身を乗り出した。
『で!? 昼の「頼み」って何なの!?』
「焦るな。まずは状況整理だ」
障害報告書のドラフトを開き、キーボードを叩きながら説明を始めた。
「大谷の言ってる“真因分析”自体は間違ってない」
『え、あの男にも正しい部分があるの?』
「手法としてはな」
画面を指で示しながら続ける。
「『なぜ障害が起きた?』→『操作ミスがあった』→『なぜ操作ミスが起きた?』→『手順が複雑だった』」
『ふむふむ』
「でもそこで止めると、『手順書を直しましょう』で終わる。本当に見るべきなのは、『なぜ複雑な手順になったのか』だ」
オムニアは腕を組み、少し真面目な顔になった。
『つまり、設計や運用そのものに問題がある可能性が高いってこと?』
「そうだ。システム構成、承認フロー、人員配置、予算配分……もっと上流に原因がある」
『なるほど。じゃあ、アンタは真面目に完璧な報告書を作るのね?』
俺はそこで小さく笑った。
「いや」
『え?』
「完璧すぎると、大谷は理解できない」
オムニアがぽかんと口を開ける。
『ちょっと待って。完璧なのにダメなの?』
「大谷は“自分が論破して気持ちよくなること”が目的のタイプだ。だから――」
俺は報告書の一文を書き換えた。
「現場オペレーション手順の再周知を主要対策とする」
本当の根本原因は、もっと上流の設計と予算配分にある。
だが、この一文なら大谷は必ず食いつく。
『……あ』
オムニアの目がゆっくり見開かれていく。
「奴は明日、得意満面でこう言う。“そこが甘い! 真因が分かってない!”ってな」
『わざとツッコミどころを残すの!?』
「ああ」
椅子にもたれかかり、冷蔵庫から取り出した缶チューハイを開けた。
「しかも、大谷は人前でマウントを取るのが大好きだ。周囲に聞こえるように説教を始める可能性が高い」
『……それが、昼の「神罰」のヒント?』
「そういうことだ。俺が欲しいのは、大谷が自分から気持ちよく暴走してくれる状況なんだよ」
オムニアは数秒間、完全に沈黙した。
そして、呆れたように肩を落とす。
『……アンタ、性格悪いわね』
「社畜の生存戦略だ」
『神より陰湿ってどうなのよ……』
「褒め言葉として受け取っておく」
オムニアはため息をつきながらも、どこか楽しそうに口角を上げた。
『で、我には何をさせたいの?』
「明日、大谷がどんな反応をするかを記録したい」
『録画?』
「それだけじゃない。過去のパワハラ発言や、不自然な経費処理の痕跡も調べられるか?」
オムニアの表情が、一瞬で“仕事モード”に切り替わる。
『ふふん。万能神を誰だと思ってるの? 社内LAN、メールサーバ、共有フォルダ、音声データ……全部まとめて解析してあげるわ』
「頼む」
『ただし、神力を使うからスマホのバッテリーを結構消費するわよ。途中で電源が落ちないようにしなさい』
「お前、いつの間にそんな単語を覚えたんだよ」
『我は神よ! 細かいことはいいの!』
オムニアは胸を張ったあと、急に真顔になった。
『それより、バッテリーが切れたら暗闇に閉じ込められるんだから、ちゃんと充電するのよ!』
「はいはい」
充電ケーブルを差し込んだ。
オムニアは満足げに頷き、桜色の光をふわりと散らす。
『我の力を見せてあげるわ! 神技――神聖なる開示 レヴェラティオ・ディヴィナ!』
『真実は神の前に隠せないわ! さあ、我に全てを見せなさい!』
スマホの画面の周囲に、桜色の魔法陣がふわりと浮かび上がった。
しばらくすると、PC画面には完璧な報告書と、オムニアが収集した大量のログ解析結果が並び始めた。
その中には、大谷の過去の発言記録らしき断片も混ざっている。
『……おやおや、あの男、思った以上に色々やらかしてるわねぇ』
「明日が楽しみになってきたな」
『さっきまで仏頂面だったくせに、現金なんだから』
「撤回する」
オムニアはケラケラと笑い、画面の中で小さくグラスを掲げた。
『それじゃあ――理不尽な上司へのなぜなぜ解析に乾杯ってところかしら?』
「真因まで含めてな」
俺も缶チューハイを軽く掲げる。
缶の金属音が、小さな部屋に心地よく響いた。
俺は缶チューハイを空にすると、立ち上がって大きく伸びをした。
「あっ、報告書だけPDFにしといて、明日も早いから寝るわ」
『ちょっ、待ちなさい! まだ解析結果の整理が――』
無意識にスマホのスリープボタンを押してしまった。
『いやぁぁぁぁああ!!』
オムニアの断末魔が、静まり返ったワンルームに響き渡った。




