第7話 魔王の残影 その2 宿敵との再会
同じ頃
東京の夜景を幾千の窓明かりとともに見下ろす、マジェスティ・パートナーズ最上階の執務室。
その暗い執務室の中で、モニターの放つ冷たい青白い光だけが、神門賢治の顔を異様に照らし出していた。
デスクの上に置かれたメインディスプレイでは、リミッターを解除された投資AI【エンペラー】の稼働ステータスが、赤く不気味な光を放っている。
「明日、JTTHDは我々の物になる。そして、私の――いや、ワシの実体化も近い」
不敵な笑みを浮かべた神門の顔は、エリートビジネスマンの仮面の下で、人間らしからぬ異質さを滲ませていた。低い声が部屋に響く。
「こっちの世界に来てすぐに、この神門という人間を依代にしたことは正解だった。JTTHDの実権を手に入れるところまで来た。あとは、データセンターをワシの手中に納め、ネットワーク上に溢れる人間の負のエネルギーをすべて吸収するのみだ」
神門の口調が、底知れぬ澱みを帯びた低音へと変貌する。その肉体の内部から、魔王の本性が剥き出しになりつつあった。
その時だった。
狂気的な高揚に浸っていた神門の視界の端で、エンペラーの赤いゲージが、ほんの一瞬だけ――不自然な揺らぎを見せた。
「――ん? これは」
ほんのわずかな、システムログのノイズレベルの揺らぎだった。外部から何者かに触れられたような、ごく微細な痕跡。
だが、神門の知覚は、それを決して見逃さなかった。
「ふっふふふ……ハハハッ! 貴様か!」
執務室の静寂を切り裂くような神門の乾いた笑い声が響く。
「リミッターを解除した、あの時から感じていた微小な違和感の正体は、貴様だったか! 【オムニポテンティア・アルティメット・デウス・ヴァルキリア】!」
かつて自らの罠でその身を封じたはずの宿敵が再び現れた気配を前に、神門の細められた瞳は、狂気にも似た高揚感を漂わせていた。
「貴様がどうやって、あのガラクタからこっちの世界に干渉してきたか知らんが……ワシの完全復活を邪魔立てするなど笑止千万。かつてのように、この世界でもワシには勝てんよ、万能神よ!」
神門が冷徹な笑みを浮かべながらキーボードを叩き、モニターの画面を切り替える。
そこに映し出されたのは、マジェスティの買い付けを執拗に阻んできた「謎の個人資産管理会社」の資産に関する資料だった。
「ふん、個人資産管理会社ごときが」
神門は鼻を鳴らし、冷ややかな苛立ちをあらわにした。
「……小鼠の一匹や二匹、そしてポンコツの女神などまとめて踏み潰してやればいい」
神門は不気味に歪んだ笑みを浮かべながら、マウスを操作しエンペラーの出力パラメータをさらに引き上げる。
「明日、すべてを終わらせてやる。貴様らごときが、このワシに勝てるはずがないという絶望を、骨の髄まで思い知らせてくれるわ」
神門は、デスクに置いてあるスマホを取ると、金田へ電話をかけた。
コールはすぐに途切れ、緊張を孕んだ声が耳に届く。
「私だ」
「は、はい! 本部長!」
いつもの冷静な調子とは違う、電話越しでも痛いほどに伝わってくる神門の異様な威圧感に、金田の返答はあきらかに上ずっていた。
「は、はい。明日、朝一でJTTHDの株は一気に買い占めます」
「よろしい。期待してるよ、金田」
低いトーンでそれだけ告げると、神門は返事を待たずに電話を切った。
そして、スマホを机の上に置くとゆっくりと視線を窓の外に向けながら小さく呟く。
「万能神よ、因果なものだな。この世界で再会するとは……」
――
翌朝。いつものように目覚ましの音で目が覚めた。
スマホの中では不満そうにほっぺたを膨らませ、腕を組んでいるオムニアの姿があった。
『真一! 昨日は我を放置して寝たわね!』
「すまん。このところ頭を使うことが多くて、疲れてたんだ」
『我があんなに真面目に作戦や魔王の脅威について語ってやったというのに……!』
昨夜、スマホを充電スタンドにセットしたあと、そのまま寝落ちしたことがよほど気に入らなかったらしい。
『我が話してる途中だったのよ!』
すっかり拗ねきっているオムニアをなだめつつ、俺はスーツに袖を通す。
「まあ、そう怒るな。詳しい話の続きは、電車の中で聞くよ」
『大事な話があるんだから、ちゃんと聞きなさいよ』
「わかった、あとでな」
朝食を済ませると、俺は足早に自宅を出て駅へ向かった。
満員電車へと乗り込んだ俺は、右耳にイヤホンを装着し、スマホのチャットを開いた。
「(平野)大事な話ってなんだ?」
イヤホン越しにオムニアの声が響く。
『我の『神技』を使い、欠片に直接攻撃する――それは話したわよね』
『(平野)ああ、桜井ともその前提で確認は済ませているだろ』
『問題はそこよ。魔王の欠片を直接焼き払うには、莫大な神力が必要なの』
『(平野)心配してるのはバッテリーのことか?』
『そう! 作戦の途中で充電が切れてスリープ状態にでもなったら、ヤツを倒すことはできない』
オムニアの必死なトーンがイヤホン越しに伝わってきた。以前、裏山のポータル歪みを安定させた際、神力によるバッテリーの消耗が異常に早かったことは覚えている。
『だから、絶対に! 今日はバッテリー残量を100%に維持して、絶対に充電が切れないようにモバイルバッテリーを繋ぎっぱなしにしておくのよ』
『(平野)ちゃんと準備はしてあるよ。ポータルのときにバッテリーの異常減りは経験してるからな』
『絶対に、途中で電源を落としたりしないでよね。絶対に!』
(今、絶対を2回言ったよな)
『(平野)そういえば、今回は実体化するのか?』
チャットの文字を打ちながら、ふと気になったことを投げかけてみた。
『なによ』
『(平野)いや、ちょっとな。画面の中じゃなくて、実際に目の前で小さく実体化したお前は、すごく神々しいというか……まあ、一応は神様なんだなと、ちょっと思っただけだ』
一瞬、画面の中のオムニアの顔が赤くなった。
『なっ、なによ今さら! 我は正真正銘の万能神よ! ……まあ、状況によっては実体化もあり得るかもしれないわね』
(もし、桜井がオムニアのあの姿を見たら、なんて言うかな)
「よくできたホログラムですね」
――そんなことを淡々と言いながら分析する光景を想像し、ふっと口元に笑みがこぼれた。
そんな俺の顔を、オムニアは不思議そうな目でじっと見つめている。
『なんなのよ、気味の悪い顔をして……まあいいわ、とにかくスマホの電源だけは、絶対に切らさないでちょうだいね!』
『(平野)わかった。任せろ! 今日は予備も持ってきてある』
俺はしばらく、満員電車のドアにもたれながら、窓ガラス越しに流れる街の景色を見つめていた。
車内はいつもと何一つ変わらず、ぎゅうぎゅう詰めだった。
しかし、俺の今いる状況は明らかに変わってきている。
オムニアとの出会い、9999兆円の黄金、そして、これから始まるマジェスティとの闘い。
(社畜にしては、少し波乱万丈すぎるな)
こんなことを考えていると、駅到着のアナウンスが流れた。
電車のドアが開くと、大勢の人がいつもと変わらず、波のようにホームへ流れ出していった。
俺はその人ごみの中、静かに決戦の舞台となる秘密基地へと足を進めた。
「くそ! ハイエナファンドォォォ! 俺の大切な有給休暇をこんなことに使わせやがって! ゆるさーん!!!」




