第6話 激突 全知と全能 その4 「駆け引きの誤差」
東京都心、超高層ビル最上階。
【マジェスティ・パートナーズ】本社。
眼下に広がる街並みを眺めながら、神門賢治は重厚な革張りの椅子に深く腰掛け、手元のグラスを静かに傾けていた。
その背後では、金田がタブレットに表示された数字を確認しながら、上機嫌な声を響かせる。
「本部長。JTTHD株の買い付けですが、極めて順調です。このペースで進めば、間もなく【25%】が見えてまいります」
「……そうか」
神門は振り返ることすらなく、興味なさげに答えた。
まるで、そうなることなど最初から分かっていたかのような態度だった。
「『エンペラー』の買収アルゴリズムも正常に稼働しております。市場への影響を抑えながら着実に買い進めていますので、このまま――」
「金田」
「はい?」
神門がグラスを置いた。
「この前の個人資産管理会社……あれはどうなった?」
金田は一瞬だけ目を丸くしたが、すぐにタブレットを操作する。
「……ああ、JTTHD株を大量保有している例の会社ですね。少々お待ちください」
画面を何度か切り替え、最新の情報を確認する。
「現時点では、特に目立った動きはありません。新たに大規模な買い増しを行った形跡も確認できておりません」
「そうか」
それだけ聞くと、神門は再びグラスを手に取った。
口元に、余裕の笑みが浮かぶ。
「ならば好都合だ」
「と、申しますと?」
神門はグラスの中の琥珀色の液体を揺らしながら、薄く笑った。
「何者かは知らんが、30%以上を握ったことで安心しているのだろう。ならば教えてやればいい。我々マジェスティ・パートナーズを相手に、その程度の持ち株で安泰などあり得んとな」
「なるほど……」
「金田。買い付けのペースを上げろ。まずは【25%】まで一気に持っていけ」
「承知いたしました!」
「その個人資産管理会社とやらにも、我々の資金力を見せつけてやれ」
神門は鼻で小さく笑い、窓の外へ視線を戻した。
「我々に逆らえばどうなるか……嫌でも理解するだろう」
「お任せください。本日中にもエンペラーへ買い付け速度を引き上げるよう指示いたします」
金田が深々と頭を下げる。
神門は満足そうにグラスを傾けた。
――
翌朝。
前日の作戦会議とは打って変わって、俺はいつも通り満員電車に揺られていた。
右を見ても会社員。
左を見ても会社員。
目の前にも会社員。
(……日本の朝って、なんで毎日こんな罰ゲームなんだよ)
吊り革につかまりながら、俺は小さくため息をつく。
そのとき、手の中のスマホがプルッと震えた。
画面を見ると、桜色の光を纏ったちびオムニアが腕を組んでいる。
さすがに満員電車の中で喋らせるわけにはいかないので、俺は片手でチャット画面を開いた。
すぐにオムニアからメッセージが飛んでくる。
『真一! 今日も市場が開いたら、エンペラーの動きを引き続き調査するわ! それと並行して、例の資金調達も進めておくから!』
俺は揺れる車内でスマホを落とさないようにしながら、親指を動かした。
『了解。まず資金の準備ができたら教えてくれ』
少し考えて、もう一文打ち込む。
『明日から37%確保に向けて動く』
送信。
すぐに既読がついた。
『任せなさい! この万能神オムニア様に不可能はないわ!』
(はいはい)
スマホを閉じようとした、その時だった。
再び画面が桜色に光る。
『ところで真一!』
『なんだ?』
数秒の間。
そして、画面いっぱいに満面の笑みを浮かべたオムニアが現れた。
『今日は何かトラブルないの?』
「…………」
思わず声が出そうになり、慌てて口を閉じる。
俺は無言でスマホをタップした。
『ない』
すると、オムニアの頬がぷくっと膨らむ。
『えー? 本当に何もないの? 困ってる人とか、悪い奴とか、世界滅亡の危機とか!』
『あるか!』
『つまんなーい! 我、久しぶりに神らしいことしたい!』
俺は眉間を押さえた。
『……っていうか、お前、神だろ! トラブルが起きるのを期待するな!』
『だって最近、解析とか株とか資金調達ばっかりなんだもの! 我の華麗なる神力を披露する機会がないじゃない!』
『へえ……』
俺は親指をゆっくりとスマホのスリープボタンへ近づけた。
画面の中のオムニアの表情が、一瞬で凍りつく。
『…………ちょっと真一?』
さらに指を近づける。
『イヤぁあああああっ! ちょっと待ちなさい! 分かったわ! 分かったから! その指を外しなさいってば!!』
俺はピタリと指を止めた。
『トラブルは?』
『いりません! 平穏無事が一番です!』
『よろしい』
スリープボタンから指を離す。
画面の中でオムニアが胸を押さえながら、涙目で俺を睨みつけていた。
『……万能神をスリープボタンで脅す人間なんて、世界中探してもあんたくらいよ……』
(効果抜群じゃねえか)
そうこうしているうちに、電車が駅に到着した。
俺は人の波に押し流されるようにホームへ降り、そのまま改札へ向かう。
ようやく周囲に余裕ができたところでイヤホンを耳につけた。
「そういや、オムニア」
『なによ?』
「お前、昨日エンペラーを調べてて、なんか気になるって言ってただろ。その後、何かわかったのか?」
『うーん……』
珍しく、オムニアがすぐに答えなかった。
スマホの画面を見ると、ちびオムニアが腕を組み、眉間にしわを寄せている。
『我の気のせいかもしれないんだけど……なんていうのかしら』
「なんだよ」
『ずいぶん昔に……どこかで感じたことがあるような気配なのよね』
俺は歩く速度を少し緩めた。
「気配?」
『そう。データとかプログラムの癖とか、そういうものじゃないの。ただ……何となく懐かしいというか、引っかかるというか……』
「お前が知ってる奴ってことか?」
『うーん……』
オムニアはしばらく首を傾げていたが、やがてパッと表情を戻した。
『まあ、我の考えすぎでしょうね! 相手は人間が作ったAIなんだし!』
「……そんなもんか?」
『そんなもんよ! 万能神だって勘違いくらいするわ!』
「万能どこ行った」
『細かいこと気にしないの!』
まったく。
神様というのは、もっと威厳のある存在だと思っていた。
「おはようございます、平野さん」
突然、背後から聞き慣れた声がした。
振り返ると、桜井がいつもの無表情でこちらへ歩いてくる。
「おう、桜井。おはよう」
「オムニアと話していたのですか?」
「ああ。エンペラーの調査と資金調達は順調らしい」
「そうですか」
桜井はメガネのブリッジをクイッと押し上げる。
「では、予定通り明日からですね」
「ああ。まず37%まで持っていく。そこから仕掛けよう」
俺は少し考えてから、桜井に声をかけた。
「桜井。今夜、明日に向けて一度作戦の認識合わせをしておこう。いつもの【秘密基地】でどうだ?」
「了解です。私も最終確認は必要だと考えていました。定時退社後に向かいます」
「よし、決まりだな」
『ふふん! 我に任せなさい!』
イヤホンから聞こえてくるオムニアの声に、俺は小さく笑った。
「ま、焦る必要はないだろ。勝負は明日からだ」
俺と桜井は並んで会社へと歩き出した。
――
その日の午後。
いつも通りPCに向かって仕事をしていると、胸ポケットのスマホが突然激しく震えた。
一度ではない。明らかに、いつもの通知とは違う。
俺は周囲を確認してからスマホを取り出した。
画面には、珍しく余裕を失ったオムニアの姿が映っている。
『真一! ちょっとマズいわ!』
「なんだよ、仕事中だぞ」
普段なら、ここで「万能神が慌てるな」とでも返すところだ。
だが、オムニアの表情を見て、その言葉を飲み込んだ。
『マジェスティが一気に買いを進めてる! JTTHD株の保有比率、【23%】に到達したわ!』
「……は?」
俺は思わずPCの画面から顔を上げた




