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非エス三原則のハットを破り、フラチに恋慕るユリとユラ ~大正から令和へ受け継がれる百年の掟を打ち破らんと、二人の乙女が愛を誓う~  作者: 団田図


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第4話 深夜のベランダ

 大劇場の舞台は、吹き荒れる猛吹雪を表現した冷たい青の照明と、轟々と唸る風の音響に包まれていた。

 演目『月夜の獣たち~境界の森~』のクライマックスシーンの通し稽古である。種族の掟を破ったことで双方の部族から追放された二匹が、過酷な冬の森を逃避行する最も凄惨で、最も美しい場面だ。


 黒豹を演じるユリは、傷ついた体を引きずるようにして、白鹿を演じるユラを雪原のセットの中央へと導く。激しい立ち回りの後で、ユリの額にはうっすらと汗が滲み、荒い息が白いライトに照らされている。やがて力尽きたように膝をついた黒豹は、吹雪の中で寒さと疲労で凍える白鹿を、自身の体温で必死に温めようと覆い被さる。


「もう、だめ……。私のために、あなたが死んでしまうわ」

 絶望に染まった白鹿の悲痛な声が、舞台上に響き渡る。

 黒豹は首を振り、震える白鹿の肩を強く、痛いほどに引き寄せた。


「君を食べるためじゃない、守るためにこの牙があったんだ」


 黒豹のその切実な台詞は、ユリの魂の底から絞り出された本心の叫びだった。

 私生活においても、どんな手を使ってでもユラを守り抜きたい。その切実な願いが、台本上の言葉と完全にシンクロし、ただの演技という枠を遥かに超えた強烈な熱を帯びて劇空間を満たしていった。


 ユラを抱きしめるユリの腕には、芝居とは思えない本気の力がこもっていた。骨が軋むほどに強く抱きすくめられ、ユラの胸が大きく高鳴る。

 普段の逢瀬では、恋に貪欲であるユラが主導権を握り、真面目なユリを翻弄することが多い。しかし、この瞬間だけは違った。圧倒的な雄飛としての包容力と、ユリ自身の不器用で真っ直ぐな愛情の波に呑み込まれ、ユラは一切の抵抗を放棄した。ただの一人の弱い女として、完全にその身をユリの腕の中へと委ねる。


 本物の吹雪の中にいるかのような錯覚。世界にただ二人きり残されたような極限の孤独の中で、密着した互いの体温だけが確かな命の証だった。

 客席で見守るスタッフや共演者たちの息を呑む気配すら、今の二人には届かない。照明の光の届かない死角で、ユラはそっとユリの背中に腕を回し、その分厚い衣装を強く握りしめる。決して言葉には出せない「あなただけを愛している」という思いを乗せて。偽りの物語の中で、二人の魂が誰にも知られずに深い共鳴の音を立てていた。


 +++


 同室における夜間の消灯後の私語すら禁止されている、厳格な汐留寮。

 深夜の廊下は、不気味なほどの静寂に支配されていた。鷹の目を持つ寮母静江の厳しい見回りの足音が遠ざかり、完全に安全が確認された後、示し合わせたように暗闇の中に二つの影が滑り出た。

 二人が密かに落ち合ったのは、寮内でもひと気がなく、監視の目が行き届かない薄暗いベランダだった。


 肌を刺すような冷たい夜風が吹き込んでいるというのに、昼間のリコの無邪気な言葉や、舞台上で交わした痛いほどの抱擁の熱が、まだ二人の体に色濃く残っていた。


「……すまない」


 星明かりの下、ユリが苦しげに顔を歪めて呟いた。彼女の大きな手が、ベランダの冷たい手すりを白くなるほど強く握りしめている。


「本当は堂々とお前を守りたいのに、隠れることしかできない」


 不器用に葛藤を吐露するユリの声は、悔しさに微かに震えていた。掟という目に見えない鎖が、彼女の雄飛としての誇りと、一人の人間としての愛を容赦なく締め上げているのだ。

 そんな痛々しいほどに真面目で、恋には奥手で受け身なユリの姿を見て、ユラは慈しむように、そして力強く微笑んだ。


「ユリ……こっちを見て」


 甘く、鼓膜をくすぐるような声で囁きながら、ユラはユリに一歩近づき、自らその首元に白く細い腕を回した。手すりを握っていたユリの手が解け、吸い寄せられるようにユラの華奢な腰を抱き寄せる。


「隠れていればいいわ。今はまだ。いつか日の当たる地上へ這い上がる日を共に夢をみましょう。そう、心までは奪われないのだから」


 ユラの艶やかな唇が、ユリの耳元で熱い吐息と共に言葉を紡ぐ。


「舞台の上で私を抱きしめてくれたあなたの腕の力、すごく熱くて、優しくて……私、溶けてしまいそうだったわ」


「ユラ……」


「昼間はあんなに格好良く私を守ってくれたのに、二人きりになると、すぐそうやって泣きそうな顔をするのね。……そんなユリも、愛おしくてたまらない」


 その言葉に、ユリの瞳が大きく見開かれる。ユラはユリの伏せられた長い睫毛まつげの下にそっとキスを落とし、ユリの抱える葛藤を全て溶かすように、自らの唇で深く塞いだ。


「んっ……、……ぁ」


 冷たい夜風の中で、重なり合う二人の唇だけが炎のように熱かった。ユラは何度も唇を甘噛みするように、深く吸い付く口づけを交わし、舌を絡ませる。ユラから流れ込む圧倒的な愛情にほだされ、ユリもまた、すがるようにユラの身体をきつく抱きしめ返し、その熱烈な口づけに貪欲に応えた。


 吐息が混ざり合い、静かなベランダに水音が艶かしく響く。ユラの指先がユリの短い髪に絡み、ユリの手がユラの背中を這う。

 非エス三原則という冷酷な掟の鎖が絡みつく。息の詰まるような暗闇の中で、互いの鼓動だけを頼りに、二人は永遠にも似た束の間の逢瀬に溺れていく。触れ合う肌と、熱を帯びた視線だけが、今の彼女たちにとっての唯一の真実だった。誰にも見えない暗闇の中で、二人の狂おしいほどの絆は、いっそう深く、確かなものへと結びついていった。

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