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非エス三原則のハットを破り、フラチに恋慕るユリとユラ ~大正から令和へ受け継がれる百年の掟を打ち破らんと、二人の乙女が愛を誓う~  作者: 団田図


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第3話 偽装稽古

「はいはい、私は壁だから気にしないで」


 がらんとした劇會の稽古場の片隅で、藤組の麗花である岡村マキが、呆れ半分、気遣い半分の声でそう言った。彼女はくるりと背を向けると、壁に向かって入念なストレッチを始める。


 華ノ乙女ノ歌舞劇會には、「二人きりでの稽古場使用禁止」という厳格なルールが存在する。その目をかいくぐるため、牡丹組の雄飛である天海ユリと、同じく麗花である八千草ユラは、同期の親友であるマキを「第三者」として同席させ、こうして偽装稽古を行っていた。


 現在、二人が立ち稽古を行っているのは、動物のお伽話とぎばなし『月夜の獣たち~境界の森~』である。肉食獣と草食獣の厳格な掟がある森で、孤高の黒豹と群れからはぐれた美しい白鹿が、種族の壁を超えて惹かれ合うという物語だ。


「……どうしてこんな境界の泉まで来た。俺の牙が恐ろしくないのか」

 黒豹を演じるユリが、低く抑制の効いた声で台詞を紡ぐ。


「恐ろしくなどありません。あなたの瞳は、こんなにも優しいのだから」

 白鹿を演じるユラが、甘く澄んだ声を響かせた。


 それは、ただの芝居ではなかった。台本で顔の下半分を隠しながら、ユラは熱を帯びた艶やかな視線をユリへと絡め回す。その大きな瞳は、「早く私に触れて」と雄弁に語りかけていた。

 背を向けているマキの様子を気にしながらも、ユリはユラの放つ甘い引力に抗うことができない。台本の陰で、二人の手がそっと触れ合う。ユラの細く白い指先が、ユリの指の間に滑り込み、ゆっくりと、しかし確かな強さで絡み合った。


 ユラの体温が、指先からユリの全身へと伝わっていく。ユリの心臓が警鐘のように早鐘を打つ。掟を破るという背徳感が、二人の逢瀬をより一層甘美なものにしていた。

 ユリは堪えきれず、空いた方の手でユラの白く滑らかな頬にそっと触れた。ユラは満足げに目を細め、その温もりにすり寄るように頬を預ける。誰かに見つかれば終わるという極限のスリルの中、二人は台詞の裏に隠された真実の愛を、指先と視線だけで貪るように確かめ合っていた。


 やがて偽装稽古が終わり、ユリとユラが足早に稽古場を後にすると、残されたマキは壁に向かったまま、深く、重いため息をついた。

 誰もいない空間に、マキの沈んだ呼吸だけが落ちる。彼女は同期として、二人のことを心から応援していた。情に厚い彼女は、危険を冒す二人を放っておくことなどできなかったのだ。


 しかし、マキは過去に同じようにルールを破り、スキャンダルで劇會から消えていった先輩たちの噂を知っている。もし冷徹な氷室マネージャーに感づかれれば、二人はどうなるのか。廊下の奥から、彼の規則正しい足音が聞こえてくるような気がして、マキは思わず自身の腕を抱きしめた。


(大切な友達を泣かせるような決まり事。そんなの無くなればいいのに……)


 マキは胸の内でそう呟いた。その強い信念と、共犯者として劇會の掟に逆らうことへの恐怖。二つの感情の間で激しく揺れ動きながら、マキは誰にも見られないようにそっと目頭を押さえた。ルールを破る重みは、当人たちだけでなく、周りの人間をも深く蝕んでいくのだった。


 +++


 その日の夜。稽古を終えたユリとユラは、劇會員たちが暮らす汐留しおどめ寮の談話室へと戻ってきていた。


「ユリ先輩! ユラ先輩!」


 小走りで二人に駆け寄ってきたのは、桜組の麗花である長谷部リコだ。彼女は『さぬき華乙女藝塾』を卒業して入會したばかりの精進一年目で、まだあどけなさが残る小動物のような可愛らしい後輩だった。


「リコ、そんなに走ったら危ないぞ」

 ユリが雄飛らしい落ち着いた声でたしなめると、リコはえへへと照れ臭そうに笑った。


「お二人の舞台は劇會へ入る前に見学させていただきました。あの……私、お二人のような、心から信じ合える関係にすごく憧れます!」


 リコはキラキラと目を輝かせ、無邪気な言葉を真っ直ぐにぶつけてきた。彼女は入會後も厳しい寮生活の中で、ユリとユラの間に流れる「守る側・守られる側」という特別な空気を敏感に感じ取り、その絆の美しさに強い憧れを抱いていたのだ。


 その純粋すぎる言葉に、ユラは嬉しそうに微笑んだが、ユリは僅かに肩をビクンと震わせた。そして、リコの熱のこもった視線からユラを庇うように、無意識のうちに半歩前へと進み出て、ユラを背中に隠すような立ち位置をとってしまった。それは舞台上での雄飛としての振る舞いそのものだった。


「……こほん」


 突如、鋭い咳払いが談話室に響き渡った。

 凍りついた空気の中、三人が振り返ると、そこには厳格な寮母である重村静江が立っていた。ピシッと着物を着こなした小柄な彼女は、鷹のように鋭い視線でユリを射抜いていた。過去にルールを破って追放された若手たちを何人も見てきた彼女の目は、ほんの僅かな綻びをも見逃さない。


 ユリはハッとして、慌ててユラから距離を取った。

 今の自分の行動は、「非エス三原則」の第三項——舞台の役柄の力関係や、擬似的な恋愛感情を寮生活に持ち込まないという「持ち込ませず」の定めに抵触するギリギリの行為だったからだ。

 静江は何も言わず、ただジッとユリとユラを見据え、やがて無言のまま談話室を去っていった。


 張り詰めた緊張感が解けた後も、ユリの背中には冷たい汗が伝っていた。

「……ごめんね、リコ。私たち、少し疲れているみたいだから、部屋に戻るわ」

 ユラが優しくリコを誤魔化し、ユリの袖をそっと引いた。

 リコの純粋な言葉がもたらした温かい喜びと、掟に縛られ、少しの庇護さえ許されない息苦しさ。その残酷な対比が、ユリの胸をギリギリと締め付けていた。

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