第2話 隠しきれない熱情
実直で不器用なユリが、深い愛情と大胆な行動力を持つユラに寄りかかるようにして、安堵の息をつくのだ。
ユラがユリの胸元に顔を埋め、抱きしめる。その温もりに触れた瞬間、ユリの脳裏に過去の記憶がフラッシュバックした。
百年の歴史と伝統、そして絶大な人気を集める「雄飛」としての重責を背負って舞台に立つプレッシャーは、二十三歳の彼女にとって時に息も絶え絶えになるほど重い。かつてその重圧に苦しみ、押しつぶされそうになった夜があった。暗闇の中で孤独に震えていたユリの元へやってきて、そっと手を握り、救い出してくれたのは他でもないユラだった。
その過去の救済の記憶こそが、先ほどの演目『暁の剣』における「暗闇越しに手を握り合う演目」の演技と強くリンクし、尋常ではない熱を生み出していたのである。
逢瀬の最中、不意に冷たく鋭い足音が倉庫の外から近づいてきた。
二人は咄嗟に息を潜め、身を硬くする。足音の主は、極めて合理的で冷徹なマネージャー、氷室弘樹だった。目は鷹のように鋭く、劇會員の私情による瑕疵を絶対に許さない厳しい管理者の存在が、二人の間に強烈な緊張感をもたらす。
やがて足音が遠ざかり、完全に聞こえなくなるまで、二人は動くことができなかった。
静寂が戻った暗闇の中で、再び視線を絡ませるユリとユラ。
掟という冷たい檻の中にいながらも、二人だけの秘密の熱は、スリルを帯びてより一層激しく燃え上がっていくのだった。
氷室の規則正しい足音が完全に消え去り、倉庫には再び、古い換気扇の微かなモーター音だけが残された。
張り詰めていた空気が緩み、壁に背を預けていたユリが、ふぅ、と深く安堵の息を吐き出す。しかし、彼女の胸の鼓動は先ほどの緊張とは別の理由で、いまだに激しく打ち鳴らされていた。
暗闇に目が慣れてくると、すぐ目の前に立つユラの輪郭が柔らかく浮かび上がる。
「……危なかったな」
ユリが掠れた声で囁くと、ユラは小さく笑みをこぼした。そして、躊躇うことなくさらに一歩踏み込み、ユリの身体を壁との間に閉じ込めるようにして両腕を首筋へと回した。
「ねぇもっと……もっとドキドキさせて」
「ユラ、演劇が終わったばかりだ。誰が来るか分からない」
実直で不器用なユリがたしなめるように言うが、その声には一切の拒絶が含まれていなかった。自分の全てを捧げているユリは、いつだって攻勢であるユラの愛情深い大胆な行動に抗うことができないのだ。
「平気よ。今はみんな、次の幕の準備で忙しいもの」
ユラはそう言って、つま先立ちになり、ユリの顔へと自分の顔を近づけた。二人の吐息が触れ合い、甘い香りがユリの鼻腔をくすぐる。
「舞台の上では、あんなに熱烈に私を求めてくれたのに。降りてしまったら、もうおしまい?」
悪戯っぽく囁くユラの瞳は、暗闇の中でも濡れたように艶めいていた。ユリは視線を逸らすことができず、吸い込まれるようにその大きな瞳を見つめ返す。
「あれは……芝居だ。お前を守る、騎士としての」
「嘘ばっかり。鉄格子越しに私の手を握ったあの震えは、騎士の演技なんかじゃなかった。私を失うことを恐れる、ユリ自身の震えだったわ」
図星を突かれ、ユリは言葉を詰まらせた。ユラの言う通りだった。雄飛という鎧を纏っていても、ユラの前にいる時だけは、ただの一人の不器用な自分になってしまう。
「……お前の言う通りだ。俺は、お前がいないと……」
ユリの素直な告白を待たずして、ユラはそっと自分の唇をユリの唇へと重ねた。
最初は、羽虫が触れるような、ごく軽い口づけだった。しかし、そのわずかな接触が、二人の間にくすぶっていた炎に油を注いだ。
「ユリ……好きよ。誰よりも」
唇を離し、吐息混じりに囁くユラ。その声に含まれた圧倒的な熱量に当てられ、ユリの中で辛うじて保たれていた理性の糸が音を立てて断ち切られた。
今度はユリの方から、ユラの細い腰を力強く引き寄せ、貪るように唇を奪った。
「んっ……」
ユラから甘い声が漏れる。ユリはユラの背中に腕を回し、その身体を自分に密着させた。二人の衣装が擦れる音が、静かな倉庫に生々しく響く。
優しかった口づけは、次第に激しさを増していった。唇を割り、舌先が深く絡み合う。互いの体温を確かめ合うように、何度も角度を変えてキスを繰り返す。
絶対的な掟である三原則の戒めも、冷徹なマネージャーの存在も、今の二人にはこの恋を盛り上がらせるスパイスに過ぎない。
暗闇の倉庫の中で息継ぎすらも忘れ、溺れるように互いを求め合う。舞台上で誓った偽りのない愛の言葉を、今は激しく交わる唇の熱だけで確かめ合っていた。




