第1話 掟に縛られた乙女
2026年。ここは帝都・東京の「銀座華劇場」。
舞台上では、西洋ロマン『暁の剣~王に仕えし二人の騎士~』が上演中で、静まり返った客席は水を打ったような静寂に包まれていた。
舞台上に作られた冷たい石造りの牢獄セットのなかで、一人の騎士が膝をついている。国を守るための絶対的な「鉄の掟」により、私的な恋愛を固く禁じられた近衛騎士団の孤独な筆頭騎士だ。そして、鉄格子の向こう側の暗闇には、敵国から人質として預けられた可憐な王女が囚われている。
演じているのは、いずれも女性である。力強く舞台を牽引する男性役である「雄飛」と、可憐に華を添える女性役である「麗花」。
「……この命に代えてでも、あなたをお守りします」
軍服を着た雄飛役の役者が低く、しかし熱を帯びた声で呟き、鉄格子越しにそっと手を伸ばす。ドレスを着た麗花役の役者もまた、震える指先を伸ばし、冷たい鉄の隙間で二人の手が固く握り合わされた。掟を破れば処刑されると分かっていながら、暗闇の牢獄越しに手を握り合い、声に出さずに愛を誓い合う姿が会場全体を悲壮で包み込む。
観客が息を呑むほどの切実な演技であった。それもそうだ、その熱を帯びた視線は、決して台本の上だけのものではなかったのだから。交わされる瞳の奥には、演技という枠を優に超えた、二人の隠された本音が色濃く忍ばされ、それを体現していたからだ。
彼女たちが所属するのは、未婚の女性のみで構成される巨大エンターテインメント集団「華ノ乙女ノ歌舞劇會」である。
一九二六年の大正時代に設立されてから百年の長きにわたり、老若男女誰もが夢を見られる大衆演劇として、多岐にわたるジャンルの芝居や華やかな群舞を上演し続けてきた。しかし、その華麗な舞台の裏には、彼女たちを縛り付ける絶対的な掟が存在している。
演技の修練を積む彼女たちが暮らす寮の談話室。壁には、古びた額縁が一つ、厳かに飾られている。そこに墨汁で書かれているのは「非エス三原則」という文字だ。
「エス」とは、大正時代に流行した女性同士の強い絆を示す言葉であり、シスターの頭文字からきた隠語である。
団員同士の恋愛を固く禁じるこの戒めは、設立当初から百年もの間、劇會の調和を守るための教義として受け継がれてきた。
一、契らず
私生活において特定の団員と恋愛関係にならず、公私の境界を絶対に超えないこと。
二、溺れず
一対一の濃密な感情に溺れることなく、集団としての美を優先すること。
三、持ち込ませず
舞台における雄飛と麗花という役柄の力関係や、擬似的な恋愛感情を寮生活に持ち込まないこと。
この強烈な三つの戒めが、舞台を降りた後の彼女たちの日常を冷たく縛り付けているのである。
過去にトップスター同士の愛憎劇が刃傷沙汰の醜聞に発展し、劇會そのものが存続の危機に瀕したという、決して語られぬ血塗られた歴史があるからだ。
+++
熱狂の渦に包まれた舞台が跳ねた後。
観客の興奮と劇會員たちの喧騒から遠く離れた、劇場の裏手にある狭い倉庫。そこは普段、舞台装置の太いワイヤーや予備の照明機材が所狭しと保管されており、人目を避けるにはうってつけの薄暗い場所だった。
わずかな隙間から漏れ入る光の中、息を弾ませて駆け込んできた二つの影があった。
先ほどまで舞台上で孤独な筆頭騎士を演じていた雄飛役の天海ユリと、可憐な王女を演じていた麗花役の八千草ユラである。
「非エス三原則」という冷たい掟が存在する劇會において、私的な恋愛は決して許されない。しかし、ユリとユラは、その掟に反して密かに、そして激しく惹かれ合っていた。
「ユリ……」
甘く、とろけるような声で名前を呼んだのは、艶やかな黒髪を揺らすユラだった。大きな瞳には、舞台上の悲劇のヒロインとは違う、確かな熱情が宿っている。
「ユラ、誰かに見られなかったか……?」
ユリは周囲を警戒しながら振り返った。高身長でスラリとした手足を持ち、涼しげな目元と凛とした立ち姿は雄飛そのものだが、今の彼女の瞳には微かな焦りが混じっていた。
「大丈夫よ。みんな興奮して、楽屋の方へ戻っていったわ」
ユラは微笑むと、一歩、また一歩とユリとの距離を詰める。暗闇の倉庫の中で、二人の影が一つに重なった。
ユラはそっと手を伸ばし、ユリの頬に触れた。先ほどの舞台上で、鉄格子越しにしか触れ合えなかった渇きを癒やすように、指先で優しく肌をなぞり、深く愛を注ぐ。
「今日の舞台……ユリの瞳がすごく熱くて、私、本当の牢獄にいるみたいに胸が苦しかったわ」
「……俺もだ。お前を置いていくなんて、耐えられないと思った」
ユリは己の頬を包むユラの手に自身の手を重ね、熱い吐息を漏らす。舞台上での「守る側・守られる側」という役割とは裏腹に、二人がこうして二人きりになったとき、その関係性は時として反転する。




