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非エス三原則のハットを破り、フラチに恋慕るユリとユラ ~大正から令和へ受け継がれる百年の掟を打ち破らんと、二人の乙女が愛を誓う~  作者: 団田図


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第39話 魂の救済

 華ノ乙女ノ歌舞劇會の百年の歴史を変える、運命の特別公演の幕がゆっくりと上がった。

 舞台上に姿を現したのは、吹き荒れる猛吹雪の音響と青白く冷たい照明に彩られた、極寒のシベリア収容所という極限状態のセットである。

 客席には、歴史的瞬間を捉えようとするメディアのカメラマンたち、伝統を重んじ疑いの目を向ける保守派のファン、そして新しい時代の幕開けを渇望する熱狂派のファンたちがひしめき合い、固唾を呑んで見守っていた。


 その過酷な舞台の中央に立つ天海ユリと八千草ユラの間には、劇會における性別による役割など、もはや一切存在しなかった。

 物資も薬もない絶望的な環境の中で、二人はただの「ひとりの人間」として、抗いようのない過酷な運命に立ち向かっていた。


 ユリの身を包んでいるのは、彼女をこれまで守り続けてきた分厚く威厳のある「雄飛」の鎧ではない。冷たい風をまともに受ける、ひどくみすぼらしく薄い防寒着だ。

 彼女はその重い鎧を完全に脱ぎ捨て、自身の弱さに怯え、不器用ながらも力強く生き抜こうとする、ひとりの女性を熱演していた。


 これまでの彼女が見せてきた、すべてをスマートに庇う騎士のような格好良さはない。しかし、凍える手を必死に擦り合わせ、震える声で愛する者を励まそうとするその姿は、観客の胸を激しく締め付けた。


「私から、離れないで……!」


 ユラが悲痛な叫びを上げ、ユリの細い身体にすがりつく。ユラは極限の寒さの中で、ユリから伝わる生々しい体温だけを頼りに生きる従軍看護婦として、自らの剥き出しの魂を真っ直ぐにぶつけていた。


 ユリは震える腕でユラの背中を抱きしめ、その冷え切った頬に自身の顔を擦り寄せる。偽りのない二人の体温が混ざり合い、生への強烈な執着と、狂おしいほどの愛の熱量が客席へと放たれていく。

 それは、男役としての完璧な格好良さなどではなく、泥臭くも切実な魂をぶつけ合う二人の凄まじい熱量であった。


 その圧倒的な光を前にしては、いかなる偏見や伝統の壁も無意味だった。「雄飛を捨てるなど裏切りだ」と反発していた保守派のファンたちも、次第に息を呑み、涙を流しながらふたりの紡ぐ物語の深淵へと引き込まれていく。

 舞台上の二人の視線が交差するたび、そこには劇會の掟という檻の中で耐え忍んできた現実の苦しみと、それを共に打ち破らんとする強靭な愛が完全に重なり合っていた。


 +++


 物語は、ついに終盤へと差し掛かった。

 これまでの公演において、この『凍てつく星のシベリア』は、極寒の地で電話交換手が力尽き、悲しい死別を迎えるという結末で幕を下ろしていた。

 しかし、今日の舞台は違う。ここから、創設者である京本琴子が百年の闇の底に隠していた「幻の台本」の真の展開へと突入するのだ。


 舞台上の吹雪の音が次第に弱まり、暗い雪原のセットに一筋の温かい光が差し込んだ。

 シベリアの過酷な冬を越え、奇跡的に生還を果たした二人の女性が、ついに再会の時を迎える。

 光の中をよろめくように歩み出たユリが、遠くに見えるユラの姿を捉え、大きく目を見開く。ユラもまた、信じられないものを見るように息を呑み、頬に熱い涙を伝わせながら全力で走り出した。

 東京駅のホームで無残に引き裂かれた記憶が、深夜の非常階段で画面越しに求め合った渇望が、ふたりの歩みと完全にシンクロする。


「沙蘭……っ!」

「真琴……!」


 互いの名を叫ぶ声は、役柄を超えた二人の魂の底からの絶唱だった。


 舞台の中央で激突するように重なり合った二人は、誰の目も気にすることなく、万感の思いを込めて強く、激しく抱きしめ合う。

 ユリの腕がユラの背中を骨が軋むほどきつく締め付け、ユラもまたユリの首元に腕を回してその身体に強くしがみつく。顔を寄せ合い、とめどなく溢れる涙を互いの頬に擦り付けながら、狂おしいほどの熱情を確かめ合う。


 離れ離れになっていた時間が嘘のように、ふたりの魂は深く溶け合っていく。それは、作られた舞台上の演技などを遥かに超えた、ユリとユラの「真実の愛の証明」そのものであった。


 客席の最前列に設けられた特別招待席。

 そこに座る一人の女性がいた。


 創設者の飯倉蘭だ。


 車椅子から身を乗り出すようにしてふたりの抱擁を見つめ、大粒の涙を流していた。

 百十六年という途方もない時間を生き抜いてきた彼女の網膜に、百年前に叶わなかった琴子との夢が、まさに今、現実となって結実した光景が映し出されている。

 愛する者に触れることすら許されず、冷たい金庫の中に自らの愛を封印するしかなかったあの夜の絶望が、若いふたりの乙女の放つ圧倒的な光によって、美しく浄化されていく。


 ユリとユラが、舞台の中央で互いの額を合わせ、誰にも邪魔されない永遠の愛を誓い合うように深く見つめ合う。

 その神々しいまでの姿を最後に、重厚な大幕が静かに下りた。

 幕が下りた瞬間、劇場は水を打ったような静寂に包まれた。

 誰もが、目の前で起きた奇跡の余韻から抜け出せずにいた。


 やがて、誰かの震える拍手を皮切りに、地鳴りのようなスタンディングオベーションと割れんばかりの歓声が劇場全体を包み込んだ。


 クライマックスの瞬間、誰の目も恐れずに強く抱きしめ合うユリとユラを涙ながらに見つめていた蘭。

 運営は亡き琴子への敬意として、蘭の隣にあえて空席を設けていた。

 その時、そこにふわりと懐かしく温かい気配が寄り添った。

 蘭がゆっくりと視線を向けると、そこには袴姿で豪快に笑う、若き日の京本琴子の幻影が座っていた。

 琴子は、皺に覆われた蘭の手を、あの日の古い体育館で誓い合った時と同じように、そっと力強く握りしめた。


「私たちの夢を、あの子たちが叶えてくれたわね」


 琴子の幻影が優しく語りかけ、ふたりは永遠の愛を確かめ合うように微笑み合った。

 それは、百年の時を超えて果たされた、創設者たちの魂の救済でもあった。

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