第29話 ファン投票
帝都の朝。
華ノ乙女ノ歌舞劇會の歴史を揺るがす前代未聞の「ファン投票」の詳細が、ついに公式から発表された。
掲示板の前に集まった劇會員たちは、その残酷なルール設定に息を呑んだ。
現在、劇會は「桜」「椿」「藤」「菊」「牡丹」の五つの華組と、専科である「蓮組」で構成されている。投票のルールは「百周年記念公演で上演してほしい演目」と「主演となる役者のペア」を、ファンが自由に組み合わせて投票するというものであった。
一見するとファンの意志を尊重する民主的な制度に見える。しかし、その実態は極めて冷酷な罠であった。
「こんなの……あんまりです!」
桜組の麗花である長谷部リコが、掲示板を見上げて悲痛な声を上げた。その隣で、藤組の麗花であり天海ユリの親友である岡村マキも、ギリッと悔しそうに唇を噛み締める。
「ええ、最初からユリとユラを潰す気満々ってわけね。……大人のやりそうな、姑息な手口だわ」
華會の公式ファンクラブ「白華会」は、組ごとの「箱推し」や、すでに固定されたトップスターのペアへの組織票が絶対的な力を持っている。他の組の演者同士が組むことなど、本来であれば異例中の異例なのだ。
牡丹組に所属するユリと、遠くさぬきの組へ移動させられた八千草ユラ。物理的にも組の枠組み的にも分断された二人がペアとして首位を獲ることは、現在のシステム上、限りなく不可能に近い「不良債権処理」のための出来レースであった。
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「ふふっ、本当に分かりやすい逃げ道を思いつくものね。あの番犬マネージャーも、上層部のジジイたちも」
帝都の裏路地にある純喫茶。紫煙をくゆらせながらスマートフォンで公式発表を読んでいたジャーナリストの桐生塔子は、皮肉げに口角を上げた。
彼女は即座にノートパソコンを開き、激しい勢いでキーボードを叩き始める。ユリと結んだ共犯関係を全うするため、そして何より、この理不尽なビジネスシステムを打ち壊すために。
数時間後、塔子の放った新たなコラムがネットの海に投下された。
『百年の歴史は、出来レースで幕を閉じるのか?』という扇情的な見出しで始まるその記事は、上層部が仕掛けた「組織票ありきの罠」を痛烈に批判するものだった。
『真に演劇を愛するファンたちよ。あなたたちは、予定調和の組織票でこの「世紀の奇跡」を殺すつもりか?古い時代遅れの檻を壊し、誰も見たことのない真実の芸術を舞台に引き上げるのは、あなたたちの一票だ』
ドラマチックな展開に飢えていた熱狂派のファンたちは、この塔子の煽りに爆発的に反応した。理不尽な弾圧に対する「反逆の物語」は、ファンたちの魂に火をつけ、SNS上でかつてない規模の投票呼びかけ運動が巻き起こり始めた。
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そして、その反逆の炎は、劇會の内部からも予想外の形で燃え上がった。
蓮組に所属し、絶大な人気と包容力を持つトップスター・石島カノン。酸いも甘いも噛み分け、創設者の理念の本当の意味を知る彼女が、公式のファン向けメッセージボードに異例の長文を投稿したのだ。
『私が愛したこの美しき予定調和の世界も、やがて美しい黄昏を迎えます。永遠に続く夜がないように、私たちは新しい夜明けを見据えなければならない』
カノンが綴った言葉は、静かで、しかし確かな「世代交代」を告げるものだった。
『今まで私を支え、愛してくれたファンの皆様。どうか、過去の幻影ではなく、未来の光にその情熱を注いでください。……私は見てみたいのです。遠く離れた場所から互いを求め合い、古い境界線を壊してむき出しの魂を響かせ合う、新しい時代の幕開けを』
特定の名前こそ出していない。しかし、それが「組の垣根を越えたユリとユラのペア」を暗に、そして強烈に推し進めるメッセージであることは、誰の目にも明らかだった。
カノンのこの投稿により、彼女の抱える巨大なファン層が「トップスターの意志」を汲み取り、組織票の壁が音を立てて崩れ始めた。保守派と熱狂派の勢力図が、一気に混沌と熱を帯びていく。
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事態が上層部の計算を大きく超えて波及していく中、ユリとユラは、氷室マネージャーによって執務室へと呼び出されていた。
記事の事実確認と、今後の処遇についての直接対決である。さぬきから緊急で上京したユラと、東京で戦い続けていたユリは、重厚な扉の前の薄暗い廊下で、数週間ぶりの再会を果たした。
「ユラ……」
「ユリ……。少し、顔が痩せたわね」
周囲にはスタッフの目があり、監視カメラも作動している。かつてのように物陰で抱きしめ合うことも、熱い口づけを交わすこともできない。
しかし、二人は無言のまま距離を詰め、すれ違うほんの一瞬、互いの人差し指を意識的に、しかし微かに触れ合わせた。
ユリの分厚く大きな手が、ユラの白く細い指先をそっと包み込む。たった一秒にも満たない、誰にも気づかれないほどの微かな接触。だが、その一瞬の熱の交換だけで、二人の魂は完全に繋がり、絶対的な確信を共有した。
(どんな罠が仕掛けられていようと、絶対にお互いを信じぬく)
ユラが艶やかな流し目でユリを見上げ、微かに頷く。ユリもまた、涼しげな目元に揺るぎない覚悟を宿し、愛する人の前で力強く頷き返した。
雄飛としての役割を捨て、ひとりの女性として共に立つと宣言したユリ。そして、その決意をすべて受け止め、最高の麗花として隣に立つユラ。
二人は衣服の陰でそっと手を離すと、静かに、しかし堂々とした足取りで、冷徹なマネージャーが待ち受ける執務室の扉を開け放った。




